47 天秤高校のサッカー3
前半は25分を過ぎていた。残りは10分少々というところ。
試合は2対0とレギュラーチームが優勢だが、天秤サッカー部の主将を務める永谷梓は油断はしない。
レギュラーがサブに負ける訳にはいかないし。何より今の天秤のサッカーは自分たちが求めていた理想に限りなく近づいている。
それをつまらない油断や慢心で失いたくはなかった。
気を引き締めながら戦況を見回し、DF陣を束ねる副主将にボールを要求した。
「朝霧、来い!」
自軍のペナルティエリアの手前は、サブチームの攻撃を潰したばかりで敵味方が入り混じる混戦模様だったが、朝霧はハイレベルな個人技に加えて周りを使うことが上手い。
近くにいた味方を壁として上手く使うことで、難しい局面でありながらも余裕をもって、永谷の元へとロングフィードを送り込んできた。
センターラインを超えてくるボールを、胸トラップを使って自分の支配下に置いた。
出来ることならこのまま前を向いて前線へとボールを放り込みたいが、こちらの2トップはガッチリマークされている。
永谷自身、背後にピッタリとマークされ、更には自陣に戻ってきた中盤の選手に挟まれた。
それでも前に放り込む選択肢はあるが、今回は別の道を選んだ。
「ふん!」
両腕を大きく広げて懐に入らせないように牽制した。
自分は細やかなタッチやスピードで相手を抜き去ることは不得手だ。しかし、鍛え上げた肉体を壁として使うことは出来る。いわゆるポストプレー。
大柄な体格に物を言わせて、その場で味方が上がって来るまでの時間を稼いだ。
およそ5秒。
ダブルマークをされた状況では貴重な5秒だ。
現に最後尾までポジションを下げていたボランチの篠原が、永谷からパスを貰える位置まで上がって来ている。
篠原は永谷からのボールを受け取ると、中央を避けて右サイドに進もうとする素振りを見せた。
すると、永谷に張り付いていた二人のマークのうち1人がそちらへと向かった。
必然的に永谷のマークは佐田1人になったので、自身も右サイドに寄って篠原から返しのパスを貰うと、今度こそ前線へボールを放り込んだ。
角度をつけた左への縦パス。右サイドで滋賀が敵を引きつけていたこともあって、こちらのFWとあちらのサイドバックの1対1の競り合いになったが、残念ながらあちらのサイドバックに軍配が上がった。
正確には先にボールに触ったのは味方のヘディングだったのだが、激しいマークの影響もあってシュートにしては弱々しく、かといってバスやトラップと考えるにも中途半端なボールがふらふらとゴール前に上がって、それをキーパーにキャッチされた。
キーパーはそのままスローインで左サイドの中盤へとボールを渡した。
攻守が切り替わったので、自軍に戻りつつ味方へ指示を飛ばす。
「プレス!」
中盤でのハイプレスは天秤の基本戦略だ。より高い位置でボールを奪う為に、常日頃からその精度を高めて来た。
今も自分の指示に従って皆が動いた。
ボール保持者に最も近いインサイドハーフがプレスを仕掛け、FW陣もバックパスを牽制しながら圧力をかけていく。
そして、永谷自身もサブチームのトップ下へのパスコースを消しながら距離を詰めていった。
最終的にボール保持者を囲んでしまうか、苦し紛れのパスを選択させてからのパスカットが狙いだ。
よりゴールに近い位置でボールを奪えば、それだけ得点の確率が上がる。事実、この試合での2点目はそれだった。
今回も上手くハマった。
相手のインサイドハーフは前にも後ろにもボールを捌けずに、ジリジリとサイドラインへと追い立てられていった。
このままボールを奪えれば良かったが、それより先にサブチームの佐田がボールを要求した。
「おい、ボール!」
佐田は、ボランチでありながら大胆にも中央を捨て、敵陣のサイド際までポジションを上げている,
一歩間違えば即カウンターの危険はあっただろうが、新しく作られたパスコースはハイプレスの網からボールを脱出させた。
縦のショートパスが通って、一瞬、不味いかと思ったが、味方の献身が相手の攻撃を潰した。
攻撃時には逆サイドにいた篠原が、攻守の切り替わりと共に素早く自軍へと戻っていて、今の佐田の駆け上がりにもついて行ったのだ。
「げっ……っと……!」
佐田は、ボールを貰うと同時に仕掛けられたプレスに目に見えて狼狽した。
慌てて敵からボールを遠ざけようとしているが、佐田は別に足元の技術を持っている訳じゃないし、高い身体能力がある訳でもない。
今も篠原を振り解けず、縺れ合った結果、ボールはサイドラインを割った。一応、相手ボールではあるが、それは向こうの運が良かっただけだ。
「篠、ナイスラン!」
「おう!」
梓の声がけに溌剌とした相槌が返ってきた。
相手より走るのが天秤のサッカーだ。
ボールを奪えなかったことより、献身的に走ったことの方が価値がある。その意識をチーム全体で共有できている。
梓は思う。今の天秤なら……、
「なあ、永谷。——俺らの代で届いたんじゃねえの?」
一瞬、胸の内を口に出していたのかと思った。
直ぐに違うと気づいて、声の方を振り返ると篠原だった。
篠原はニカっと笑って自信ありげに続けた。
「よく部長が言ってたよな〜。いつか全国にって。強豪に弱小校の意地を見せてやるって。最初は何言ってんだか……って思ってたけど今の俺らならな……イケる気がするよ」
「ああ、俺もだ」
永谷は力強く頷いた。
頷きながら、篠原の言葉の指し示す部長へと思いを馳せた。
今のサッカー部の部長は自分だが、自分たち3年が部長という言葉を聞いて思い浮かべるのは、永谷ではなく一つ上の世代の部長のことだ。
他人を引っ張る強引な性格なのに、意外と後輩の面倒見が良く、小難しい理屈を並べてたてる割には融通が効いた。
憎めない先輩、というのがしっくりくる。
そんな人が部のトップに立っていたものだから、当時の部活は明るく真面目で、和気あいあいとした空気が漂っていた。
先輩たちがそんなだったので、永谷たち1年も先輩たちの気風に習って問題という問題も起こさなかった。
今、思い返しても良い部活、良い先輩たちだった。
ただ、先輩たちを慕いはしたものの、だからといって先輩たちの掲げる部の方針に「わかりました」と、素直に賛同した訳でもない。
「ウチのサッカー部のモットーは皆で助け合うサッカー。皆で走って足りないところを補い合う。そんでもって、いつか全国大会に出場するってのが、俺らの前の前の前の、だいたい8世代あたり前の先輩たちから受け継がれてきた目標——いわば伝統って奴なんだ」
最初にこの言葉を聞いた時の心境は、あまり良いものではなかった。どこか居心地が悪いような、背中がむず痒くなるような、そんなもどかしい気分にさせられた。
もっとはっきり言えば、おこがましい、というのが正直な気持ちだろう。
全国だの伝統だのといった言葉は、それに相応しい実績のある学校が使うものだ。スポーツ推薦などで選りすぐりの選手を引っ張ってきて、更に優れた監督の元で切磋琢磨する。そんな学校がだ。
なのに、大した実績もなく、ろくな指導者もなく、何より優れた選手が居るわけでもない弱小校が、伝統などという言葉を振りかざしても、場違いな気恥ずかしさしか感じなかった。
永谷たち1年は、面と向かって先輩たちを批判した訳じゃないが、顔も名前も知らない先輩たちの為に頑張ろうとは思えなかった。
たぶん、そんな自分たちの反応は極々普通の反応で、だからこそ部長も自分たちの本音を悟って、しかし、諦めずに熱心に語った。
「ちょい待ち! ちょい待ち! 諦めるのも決め付けるのも、まだ早い! まずは俺の話を聞いてくれ!」
ここら辺は本当に強引で、しかし、憎めない愛嬌も共存していた。
「そりゃあな! 俺だって入部当初は同じことを思ったよ。思ったさ! 先輩たちはなに寝言言ってんですかね……って! 夢と現実の違いくらいわきまえてくれよ、全く……って! 今のお前らとおんなじ事を思ってたさ!」
これほど相槌に困る台詞も中々なかった。
賛同しても否定しても角が立つ。
結果、黙り込んだ永谷たちに部長は言い聞かせた。
「俺らだって現実はわかってんだよ。俺が中学の頃のサッカー部で一番うまい奴……もう、別格の奴が居たんだけど、そいつは黒牛から推薦が来たよ。お前らだってそうだろ? 一番うまい奴、それこそプロを狙える奴なんかは然るべき学校に進学してるんだ。そんな一番うまい奴らが集まる強豪校と、いっちゃあ何なんだが……あんまりパッとしない残り物の俺たち。普通に考えたら戦う前から決着はついてるって思うよな? ——でもさあ、ちょっと考え方を変えてみ? 今現在、俺もお前たちもサッカー部に所属してるじゃん? それってサッカーがやりたいからだろ? なら、目標がいるんだって」
そこからの話が非常に長かったので要約すると、目標もなく、規律もなくサッカーを続けても堕落する。特にサッカー部の顧問は部活動に全く興味がなく、半ば放置されている状況だ。
生徒だけで普通にやっていたら、だらだらと士気が下がり、いずれは隣の学校の様に部室にゲーム機を持ち込んで、まともな練習をしなくなるのがオチだ。
だが、それなら帰宅部でいいだろう。わざわざサッカー部に入る必要は無い。でも、そうじゃない。サッカーをしたいからサッカー部に入部した筈だ。
そう考えた昔の先輩たちは全国出場という目標を定めて、それを達成する為に戦術や練習方法を自分たちで工夫し始めた。
強豪校の選手に1対1では敵わない。素材が違う。なら2対1ならどうか? 相手より走って数的優位を作ることで個人の力量差を埋めればいい。そんな発想から運動量で優位をとるハイプレスを施行した。
といっても現実は甘くない。先にも言ったように強豪校と自分たちの戦力差は絶望的だ。天秤のちゃちな小細工など歯牙にもかけられずに踏み潰された。
だが、そこで諦めず、敗戦を糧として前を向いた。いつか強豪に勝とうと結束を深め、試行錯誤を繰り返した。
結論から言えば、先輩たちの夢は叶わなかった。それこそ、かすりもしなかった。けれど、その理念は次の世代が受け継いで、その代でも叶わず、そのまた次の世代が……と世代交代を繰り返しながらも夢と理念は引き継がれてきた。
「そんでもって、今度は俺たちの代だ。はっきり言って結構自信はある。もしかしたら、もしかするかもって思ってる。でも、その『もしかしたら』を引き起こすには俺らの力だけじゃ無理だ。お前らの力がいる。だから騙されたと思って協力してくれないか?」
そう部長からお願いされ、永谷たちは仕方なく騙されることにした。
たぶん、みんな心のどこかで騙されたかったのだと思ってる。
天秤にいるような自分たちは、サッカーが好きでもサッカーに選ばれている訳じゃない。そんな自分たちでも上を目指したかった。サッカーに全力で向き合いたかった。
なるほど。おそらくは顔も知らない遠い昔の先輩たちも同じ気持ちだったのだろうと、少しだけ納得がいった。
そんな訳で、やれるだけやってみるか、という気持ちで全国を目指して天秤のサッカーを学んでいった永谷たちだったのだが、意外に……と言ったら何なんだが、でも意外にも天秤のサッカーは強かった。同じような立場の学校と練習試合を組んだら、だいたいは勝つことができた。
素材に大した違いはないことはわかってた。だからこそチーム戦術と、日々の練習への取り組み方の違いが際立って見えた。
現金なもので、効果があると分かると俄然やる気が湧いてきて、ますます日々の練習に力が入った。
練習はキツかったが、目標に対する意欲とチームワークで乗り切った。
そうして迎えた去年のインターハイの地区予選、サッカー部は善戦した。1回戦を勝ち、2回戦を勝ち、3回戦目でシード枠の強豪校と対戦して、2対2の接戦で前半を折り返した。
しかし、そこまでが限界だった。
後半、最後の一点がどうしても届かずに試合が進み、残り時間が10分を切ったところで押し込まれた。
試合が終わった後、帰り支度をしている所で部長に呼ばれた。
「俺たちの代じゃなかったなー。まー、悔しいわ」
サバサバとした口調だったが、敗戦を引きずっていない筈がなかった。試合が終わった後、フィールドに崩れ込んだ部長の姿は目に焼き付いている。きっと一生忘れない。
けれど今、そうした気持ちを押し殺して、部長は部長としての最後の勤めを果たそうとしていた。
最後の仕事——引き継ぎだ。
「今日から永谷、お前が部長だ」
「はい」
「いいか、引きずるなよ。とっとと新体制に切り替えて上を目指せ。時間は何よりも大事だからな」
「はい」
「ま、お前なら大丈夫だろ。しっかりしてるからな。——永谷、天秤のサッカーを頼むな」
「はい。……部長、お疲れ様でした」
その時から、永谷は部長と呼ばれるようになり、サッカー部を引っ張る立場となった。
永谷は部長……いや先代の部長の言いつけを守り、時間を無駄にはしなかった。
まずは補佐役の副部長の選出を速やかに終え、永谷を中心とした新体制が始まったのだが、永谷の代のサッカー部は以前にも増して盛況だった。
個人的には副部長の朝霧の存在が大きいと見ている。
あまり他所の高校では見かけないが、天秤は代々、副部長を一年から選出している。同世代のまとめ役として働いてもらうし、いずれは部長への昇格も視野に入れている。永谷もそうだった。
その朝霧は、インターハイの地区予選では一年で唯一のレギュラーだったので実力は申し分ない。また朝霧の冷静沈着な性格は、永谷たちからも同じ一年からも信頼を集めていた。
向上心も強く練習に積極的で、いずれは自分よりよほど良い部長になるだろう。
そんな彼の補佐もあり、サッカー部は順調に力を付けていった。
秋の選手権や冬の新人戦でも手ごたえはあった。
そして新学期になり、有望すぎる選手がやってきた。
滋賀槍也。日本サッカー界の若き英雄は、しかし、そのプライドが高そうな肩書きとは裏腹に謙虚で誠実で、あっという間にチームに馴染んで力を発揮した。
また、前任が定年退職し、新しく顧問に就任した先生の力も大きい。
お世辞にもサッカーに詳しいとは言えないが、明るく部活への協力を惜しまない性格で、つい先日のゴールデンウィークも、大会前に試合をこなしたいという永谷の希望に応えて貰い、連日、他校と練習試合を組んでもらった。
そうした迎えたゴールデンウィークの練習試合、天秤は今までにない程の力を示した。
攻撃も守備も噛み合い、対戦相手を圧倒した。
やはり滋賀の力は大きく、しかし、それだけじゃない。
みんなで走ることで数的優位を作り出す天秤のサッカーが、実を結んでいた。
むろん勝ったとはいえ、天秤と練習試合を組んでくれる相手は同じような立場のサッカー部が殆どだが、一校だけかなりの強豪が混じっていて、それすら2対1で勝利した時、永谷は確信した。
今年こそは勝っていけると。
それは今日、地区大会のトーナメント表が配られ、2回戦で県の中で1、2位を争う強豪校『黒牛』と戦うと知った今でも変わらなかった。
そして——
「キャプテン!」
滋賀が自分を呼んだ。ハイプレスでサイドに追い詰めたサイドバックからボールを奪取し、奪うやいなや中央の自分の元へとボールを送ってきたのだ。
その自分に佐田がマークにつこうとしたが一足遅い。永谷は自分から見てゴールの右上を狙って右足を振り切った。
例え外れたとしても、何度でもハイプレスを仕掛ければいい。
自分たちのサッカーへの自信が積極的な攻撃を引き出していた。
永谷の思い切りのいいシュートにキーパーは反応できず、ボールはネットを揺らした。
思わず、喝采と共に右手を掲げた。
「よし……よっし!」
ただ単にゴールを決めた事に対する喜びなどではなかった。
ハイプレスからの速攻。
今のゴールには永谷1人ではなく、これまでのサッカー部の努力が詰まっていた。負けから学んで、世代を繰り返しながら前に進んできた天秤のサッカー、その全てが詰まっている。
——今年こそは勝てる! 勝って全国の舞台に立ってみせる!
改めてその思いを胸に刻んた。
……。
……。
3点と、かなり差が開いた状態で前半が終わろうとしていた。レギュラーチームの圧倒的な優勢で、また、スコアに限らず試合の主導権は常にレギュラーチームにあった。
それも無理はない。今のレギュラーチームを相手に即席のサブチームで対抗できる訳がない。
もう、このまま後半戦をやる意味があるのか? とすら思い始めた永谷だったが、それでも手は抜かない。
チームで走って相手を追い詰めていくことでボールを下げさせた。
それを更に追っていき、ペナルティエリアの手前でしのぎを削った。
相手にとっては薄氷の上に身を投げ出すようなものだろう、プレッシャーでボールが溢れ落ちた。
誰のものでもないボールに一番近いのは佐田だ。ボールを確保する為に下がってくる様子を見て、素早く指示を飛ばした。
「篠!」
「おう!」
ボールを拾った佐田に対して速やかにハイプレスを仕掛ける。
更に永谷もバックパスを切りながら篠原と連動して前後から挟もうとした。まさに天秤のサッカーを体現する動きで、上手くいけばボールを奪えるし、悪くてもプレッシャーをかけて時間を稼げる筈だった。
が——
佐田はボールに追い付くと、軽くタッチしながらボールの位置を微調整、その場で反時計回りに反転しながら振り向き様に大きくボールを蹴りだした。
距離を詰めようとしていた篠原の横を抜けていく。
永谷はそのキックがただのクリアボールだと思った。自軍での凌ぎ合いを一時的にでも脱する為の苦し紛れのロングキック。他に考えようが無い。
けれど、その考えを佐田の言葉が否定した。
「突っ込め、工藤!」
その大声に押されるかのように左のFW、小柄だが身の軽い工藤がマークを振り切った。
40メートルを超える縦パスが綺麗に通って、工藤はフリーのままペナルティエリアに侵入、左隅を狙ったシュートがあっさりと決まった。
これでスコアは3対1。
サブチームにとっては値千金のゴール。なのに歓声はまばらだった。
その余りの呆気なさに敵味方が戸惑っているのだ。
ゴールを決めた工藤ですら首を捻っている。
永谷も同様だ。
——なんだ、今のは?
ずっとこちらが主導権を握っていたのに、気が付いたらするっと点を取られていた。まるで玄関はしっかりと防犯機器で固めていたのに、裏口からこそっとコソ泥に入られた。と、そんな気分だ。
皆が戸惑う妙な空気の中、佐田1人だけが平常運転だった。
「あー……やっとか。やっと噛み合いやがった……つらっ! 体力より先に集中力が切れるわ……こっから更に3点とか。もう、なあ……」
前々から思っていたのだが、試合中の佐田は本当に独り言が多い。
もしや、常に口を開いていないと死んでしまう病気にかかっているんじゃないか? と、やくたいもないことを考えてしまった永谷だが、続く言葉を聞いて固まった。
「でも、まあ、結局のところ滋賀が強いだけのチームだ。その滋賀さえ封じてしまえば追いつけるだろ」
そう言った佐田の口調はあっさりとしたものだった。誰かを貶める悪意や、他人を煽るような意図は全く感じられない。だが、だからこそ、それが佐田の本心なのだとはっきり伝わった。
おそらくは、佐田にとってはただの独り言で、たまたま近くにいた永谷の耳まで届いてしまった、それだけの話なのだろう。
だが、到底許せるものではなかった。
佐田の言動を不愉快に思った事は何度もあるが、今ほど不愉快な気持ちにさせられたことは無い。
怒鳴りつけてやりたいと思ったが、辛うじて理性が上回った。
独り言に文句をつけても仕方ない。何より、言葉より行動で示さなければ意味がない。永谷たちがやっているのは口喧嘩などではなく、サッカーなのだ。
——必ず勝つ! 勝って天秤のサッカーを思い知らせてやる! 絶対にだ!
永谷はそう決意し、唇を噛み締めながらも、試合を再開する為に佐田に背を向け、自軍へと戻って行った。