44 試合をやろうぜ!
手を上げたアキラを夢崎先生が指名した。
「はい。では佐田君、どうぞ」
指名されたアキラは勢い良く発言した。
「今から、レギュラーとそれ以外で試合をやりたいです」
「試合ですか…………あの、もうちょっと詳しくお願いします」
賛成、反対、以前の問題で、どういう意図があるのか掴めない。そんな先生の心境を顔色から察したアキラは、理由を一から順に話すことにした。
「ええと……近々、大会があって、そこを勝ち上がっていきたい訳ですが、勝ち上がるには実力が必要で、その実力を伸ばす為には強敵との試合が1番だと思うんです。滋賀に……あ、いや、マネージャーの方の滋賀に聞いたんですけど、ゴールデンウィーク中の練習試合は全勝だったんですよね? ……けど、いっちゃあ何ですが、天秤が練習試合をやれる学校なんて近場の1、2回戦負けの弱小校でしょう? そんな弱い相手よりも、もっと強い相手とやっとくべきです。——そこで最初の提案になるんですが、レギュラーとそれ以外のメンバーで試合をすることで、レギュラーを鍛える手助けをしたいと思います」
「ん? ……んん?」
アキラの説明に先生は首を傾げた。彼女だけじゃない。彼女の立っている教壇からは生徒の顔を一望できるのだが、決して少なくない数の生徒が、その顔に疑問符を浮かべている。
最初の方の説明はわかりやすかった。話の途中、見てもいないのに練習試合の相手を弱い相手と言い切るのはどうなのか? などと思う所はあったが、それでも彼の主張自体は理解しやすかった。
強い相手と練習試合が出来れば、それは生徒たちの為になるだろう。それはわかる。
けれど最後の主張がよくわからない。わからないのは、彼女がサッカーに詳しくはないから、では無い筈だ。
「あの……決してレギュラーではない選手を馬鹿にする訳ではありませんが……でも、レギュラーとレギュラーではない選手が試合をする事が良い経験になるのですか?」
実力があるからレギュラーなのであって、控えとは実力差がある筈だ。仮にその両者が戦っても、レギュラーにとっては、強い相手と戦うことにはならない。彼の主張は明らかに矛盾している様に思えた。
が、当の本人はあっさりと言った。
「大丈夫です。普通は実力差があっていい経験にならないのかもしれませんが、今回に限っては俺がサブチームに入るので問題はありません」
「はい?」
目を丸くする先生にアキラは繰り返した。
「俺がサブチームに入ります。それでレギュラーとはいい勝負が出来ます。なんなら、サブチームの方が勝つ可能性も全然あります」
「わーぉ……」
変な声が出てしまった。驚いているのか呆れているのか先生自身にもわからない。
要するに彼は、自分一人でレギュラーと控えの実力差をひっくり返すと、そう言っているのだ。
どう答えていいのか真面目に困っていると、アキラは強く言った。
「そんな訳で今から試合をやりましょう。レギュラーチームにも良い経験ですし、サブチームもレギュラーと戦うのは良い経験になります。サッカー部全体のレベルアップに繋がる筈です」
「…………そうですね」
正直、先生にはアキラの言っている事がどこまで本当の事かは分からなかった。
しかし教師として、こうした生徒の自己主張を無下に切り捨てる真似もしたくはなかった。自分がアイディアを募集したのだから尚更だ。
更に言えば、レギュラーチームとサブチームが戦うことにどれほどのメリットがあるかは不明だが、逆に目立ったデメリットも見受けられない。
色々と考えた末に先生はアキラの案に頷いた。
「先生はやって見てもいいと思います。……みなさんはどうですか?」
先生が問いかけると、ちらほらと難しい顔をしている生徒もいたが、手を上げてまで反対する生徒はいなかった。
……。
……。
ミーティングが終わってグラウンドへ向かう途中、アキラはアキラの主張が通ったことで上機嫌だった。
どうやら琴音を見習って先生を相手にしたことは間違いではなかった。これが部長相手だったら、まず通らなかった筈だ。
狙い通りの結果に思わず、
「やったぜ」
と呟いたら、
「やったぜ……じゃありません」
背後からコツンと後頭部を叩かれた。
驚いて背後を振り返ると琴音だった。
「佐田君、どういうつもりなんですか?」
不機嫌そうな声は、そのまま琴音の心境を表していた。ちょっと怖い。
「い、いや、レギュラーの連中には大会頑張って貰いたいからな。その為の練習相手になってやろうかなって——」
「そんな嘘が通じると思っているんですか? 佐田君がチームの為なんていう殊勝なことを、考えている筈がありません」
言い訳は、言い終わる前に否定された。しかもチームの事を考えている筈が無いと断言された。
まあ、実際考えてはいないのだが、こうもハッキリ言われると、何となくモヤモヤするというか、面白くないというか……、
『あ〜あ。アキラ、全然信用されてないね』
ヤマヒコが煩い。咄嗟に何か言い返しそうになったが思い留まった。
今は琴音の方が先だ。
「レギュラーを相手にサブで勝ったら、俺がレギュラーになれるかも、だろ?」
「……はぁ」
琴音は嘆息した。そんなことだろうと思いはしたが、何も復帰した初日にやらかさなくてもいいではないか。あのいい草は少なからずレギュラーの反感を買う。それどころかレギュラー以外の反感だって買うだろう。
「……そんな案が本当に上手くいくと思っているんですか?」
「まあ、確率は低いとは思ってる。レギュラーを選ぶのは部長だからな。——ただ、天秤は近場が相手とはいえ練習試合で全勝中だろ? そういう相手と試合をしてみたいんだよ。大会に出られないならなおさらな」
大会中は練習試合なんてやらないだろうし、仮にやったとしてもレギュラーが優先される。普段の練習もレギュラーと控えが中心で回る筈だ。大人しくしていたら、いつ試合が出来るかわかったもんじゃない。アキラは今試合がしたい。多少の反感は覚悟の上だ。
「それに、チームの為ってのは半分建前だけど残りの半分くらいは本当だぞ? 大会で負けたら終わりだが、練習試合なら負けても反省はできるだろ? いい勉強になる筈だ」
「……本当に勝つつもりなんですか?」
「もちろん」
「レギュラーには兄さんもいるんですよ」
「知ってる。だから勝つとは断言しなかった」
というか出来なかった。アキラは槍也のことは微塵も見縊っていない。
あれは化け物だ。その実力を十全に発揮されたら、まず勝てないと思っている。
ただ、その一方で、入部初日の歓迎試合で槍也がいたにも関わらず新入生チームが負けたことも忘れてはいない。
あれは中盤で主導権を取れなかった事で、槍也の力を生かせなかったのが原因だ。伝家の宝刀も使い手がボンクラなら野良犬一匹斬れやしない。
同じ理由でゲームの主導権さえ握ってしまえば槍也の力を封殺出来る可能性は全然あると思っている。そしてアキラは一月前と比べてパスやトラップは上達したし、懸念されていたアキラの弱点も、つい先日、解決策を見い出した。レギュラー相手にゲームの主導権を握る自信がある。
自分の力を試すチャンスだし、ついでにチームの為にもなる。ならば躊躇う理由はなかった……のだが、今にして思えば、アキラをサッカー部へ戻す為に少なからず苦労した琴音が、サッカー部に戻るやいなや波風を立てるアキラに対して怒る気持ちもわからなくはない。
ましてや、アキラは彼女にだいぶ借りがある。
「…………その、悪かった」
「え?」
「滋賀の努力を無駄にするつもりじゃなかったんだが……どうにも止まれなくてな、ごめん」
珍しくも素直に謝ったアキラに、琴音はまじまじと見つめ返した。
やがて我に返ると、右手を伸ばして手刀を形作ってそれをアキラの頭に振り下ろした。スコンといい音がする。
「もう……今回はこれで許しますが、いつまでも私が佐田君に優しいままだとは思わないように」
それでアキラへのわだかまりを解いた琴音は、マネージャーの仕事を果たす為にその場を後にした。先輩マネージャーである渚先輩に呼ばれているのだ。
一方で置いてきぼりにされたアキラは、しばらく琴音の後ろ姿を眺めていたのだが、再び背後から声をかけられた。
「佐田は、意外と琴音と上手くやってるね」
声だけで槍也だと分かったので振り向き様に反論した。
「何言ってやがる? 思いっきり叩かれてたじゃねーか? しかも二度も」
上手くやっているどころか、わがままを言い過ぎたせいで最近はだいぶ雑に扱われている……というのがアキラの捉え方だったし、槍也の目から見てもそう見えた。
ただ、槍也からすれば琴音が家族以外の人間を雑に扱うのは珍しい。それをどう捉えるかは人による。
「俺は仲が悪いようには見えなかったかな……まあ、なんにせよ、お帰り。このまま帰って来ないんじゃないかって心配したよ」
「うん? 納得がいったら戻ってくるって言ったじゃねーか?」
「いや、流石にそれをそっくりそのまま信じられはしなかったかな。ずいぶんとやきもきしたよ。——それで? 一応、琴音から聞いているんだけど、特訓の成果はあったの?」
「ああ。今から見せるさ」
そう言って槍也を見るアキラの視線が鋭さを増した。言葉こそ素っ気ないが、レギュラーに勝ってやろうという気持ちがあからさまに溢れていて槍也は苦笑した。
この自己中心的で、悪い意味での行動力を備えている愛想のない男が、部内で反感を買うのは無理もないと思う。
その一方で、槍也自身はアキラの尖った性格が嫌いじゃない。
「楽しみにしてる。俺も全力でやるよ」
槍也のその言葉には、決しておざなりではない期待が込められていた。