43 ゴールデンウィークの過ごし方
5月6日、ゴールデンウィークの最終日。琴音は相も変わらず佐田君の練習に付き合っていた。今日だけではなくゴールデンウィークはほぼ毎日同じことの繰り返しだった。
別に、お休みがありません! などという不満は無い。
仮に佐田君の練習に付き合ってなかったとしても、サッカー部のマネージャーとして部活に出ていた。サッカー部は地区予選が近いとあって、連日、近隣の学校と練習試合を繰り返している。むしろ、この状況で自分だけが休む気になど生真面目な琴音がなれる筈がない。
もっとも、兄さんの活躍をこの目で見れなかった事だけは、心残りといえば心残りなのだが、代わりに見れたものもある。
人が成長する瞬間だ。
トン! と、綺麗なバックスピンのかかったロングボールが琴音の足元に届いた。
横にずれる必要はない。縦にずれる必要もない。佐田君は30メートルの距離でぴたりと照準を合わせてきている。
──本当に上手くなったものです。
まるでお手本のようなインステップキックに琴音は感心してしまった。
琴音が佐田君の練習に付き合う様になって20日足らず。練習では……という注釈は付くが、今や利き足でのロングパスは兄さんと比べてもさほど遜色がない。強いて言えば少しパワーが不足している事くらいだ。
また左足に関しても、利き足ほどではないが十分に使えるレベルに達している。
いくら、それだけに集中したとはいえ驚きの成長速度だ。
──やっぱり兄さんが認めただけの事はある……という事でしょうか?
何にせよ佐田君は、試合でのプレーを見てみたいと思わせる選手だ。
流石に今月から始まる夏のインターハイの地区予選には間に合わないだろうが、この分だと、次の冬の選手権大会の地区予選にはレギュラーとして参加する事も十分に可能だろう。
──うん。その時が楽しみですね。
琴音は未来に期待をかけつつボールを蹴り返した。
そうやってパス&トラップの練習を続けた琴音たちだが、一区切りがついた所で一度休憩することにした。
いつものベンチに座って、脇に置いてあったバッグの中から飲み物を取り出す最中、佐田君は意外な事を言った。
「え? 今なんて言いました?」
思わず手を止めて問い返した琴音に、佐田君は先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「だからサッカー部へ戻ろうと思ってる」
「そうですか……」
どうやら聞き間違いではなさそうだ。意外……いや、前々からパスとトラップに納得がいけば部に戻ると言っていた。そして今日、彼なりに納得がいったのだろう。それは分かる。
ただ、インステップキックを習得した所で、この自主練とでも言うべき練習を切り上げるのは少し予想外だった。念のために問いかける。
「他の蹴り方はいいんですか?」
「他?」
「ええ。佐田君が身に付けたのはインサイドパスとインステップキックだけですよね。他のインフロントパスやアウトサイドでのパスはいいんですか? 私はてっきり、その辺のパスを一通り習得するものだとばかり思っていました」
思ってもなかった事を言われたアキラは眼を見張った。でも、言われてみれば確かに何も説明していなかったので、今更ながら自分の考えを伝える事にした。
「とりあえずどっちもいらないかな。そりゃ、出来ないよりは出来た方がいいに決まってるけど、でもイマイチ使い道がわかんねえ」
厳密に言えば足の甲で蹴るインステップキックと親指の付け根で蹴るインフロントキックは足の使い方や使い道が似ている。
違いは後者の方がボールに回転をかけやすかったりするのだが、アキラが目指しているのはシンプルで素早い動きであって、わざわざボールに回転をかける様なおしゃれな動きを必要とはしていない。
アウトサイドキックに至っては他の蹴り方に比べコントロールしづらく、パワーも伝えづらく、プロでも極端な選手だとその使用頻度が100回蹴る中で1回だけという代物で、そんな使い道の限定された技術を実用レベルまで磨くくらいなら、使用頻度の高いインサイドパスやインステップキックの質を高めるほうをアキラは選ぶ。
そういったアキラなりの考え方を琴音に伝えると、琴音は納得して頷いた。
「わかりました。では、明日からサッカー部に戻りましょう…………念のために言っておきますけど、戻るや否や『俺をレギュラーにしろ』とか『ハイプレスなんか止めて俺に任せろ』なんて事は言わないで下さいね」
「………………」
琴音としては本当に念のためだったのだが返事が返ってこない。
「佐田君?」
不審に思って名前を呼ぶと、アキラは気まずそうに言った。
「あー、その……やっぱマズイかな?」
「もう……!」
この人は一体どうすればいいのか? 琴音は真剣に悩んだ。
「いいですか? はっきり言っておきますが佐田君は次の大会に出られませんよ。大会まであと2週間ほどしかないんです。自分をアピールする時間も機会もありません。──第一、佐田君はサッカー部のみんなから認められる方が先です。物事には順序がありますし過程だって大事なんですよ」
「むー……」
「むーじゃありません」
矢継ぎ早に正論を突き付けられたアキラは、唸ることしか出来なかった。悔しいが琴音の言う通りだ。
ほとんど喧嘩別れのような形でサッカー部から離れたのだ。そんな自分が何を言っても聞き入れられないだろう。それはわかる。
それでも自分の意見を通したいなら、まず周囲の信頼を得ることが先だ。それもわかる。
わかるけど面白くない。今すぐにレギュラーになって試合がしたい。
──なんとかなんねーかな。
どこかに抜け道がないかと探して見たが、アキラの頭ではそんな都合の良い案は出て来ない。
「しょうがねえ……しばらくは大人しくしてるか……」
「それがいいと思います」
妥当な所に話が落ち着いた所で、喉が渇いていた事を思い出して、アキラは差し出された麦茶に口をつけた。
一方で琴音は、自分の分の麦茶は後回しにスマホを取り出し、軽い仕草で許可を取ると、そのまま誰かに電話をかけた。
椅子に座ったままという事は、通話内容をアキラに聞かれても構わないのだろう。
とはいえ熱心に聞き耳を立てる気にもなれないので、麦茶を飲みつつ話しかけてくるヤマヒコの相手をしていたら、
「はい、夢崎先生。お疲れ様です」
という彼女の第一声で思いっきりむせた。
──え、先生? こいつ、先生と電話してんの?
アキラの感覚では先生と連絡先を交換するのは有り得ないのだが、琴音はごく普通に会話を交わしている。
思わず、どんな会話なのか興味が湧いたが、琴音の発言から察するにどうやら向こうはサッカー部の練習試合に顔を出しているようだ。どうやら午前中の試合は勝ったっぽい。また、アキラの名前が何度か出てきた。
終始和やかな雰囲気で会話が続き、最後に先生に何かお願いを頼んだところで通話が終わった。
そして用の無くなったスマホをカバンに仕舞い込むと、アキラの方を向いて笑顔で言った。
「明日、部活の前にミーティングをするらしいので、そこで私たちも混ぜてもらいましょう。学生だけで話を進めるより、先生に間に入って貰った方が丸く収まりますしね」
「えーー……」
知らず変な声がでた。言っている事は分かる。先生が仲裁してくれれば、サッカー部と喧嘩別れしたアキラがサッカー部に戻り易いだろう。それは分かる。だが、
「おまえ、その為に先生を籠絡しといたの?」
だとしたら凄いを通り越してドン引きなんだが、琴音は強い口調で反論した。
「籠絡って、馬鹿な事を言わないで下さい! あなたは私を何だと思っているんですか⁉︎ ──先生とは、教師と生徒の範囲内で普通に仲良くしているだけですし、困った時には助け合うものでしょう。さっきのお願いもその範疇です」
「えーー……」
再び変な声が出た。言ってる事は正論かもしれないがアキラの感覚では受け入れがたい。何かがおかしい気がする。それとも、おかしいのはアキラの方なんだろうか? 『うん。うん。やっぱラブ&ピースが一番だよね!』なんてほざいているヤマヒコの方が一般的な考え方なんだろうか?
「ちなみに、そっちは先生を何か助けたりしてんの?」
「そうですね……サッカー部の事で相談に乗ったり、出来る範囲で……といってもサッカーの本をお貸しする程度の事ですけど、でも、とにかく、出来る範囲で力になるつもりです。男性である佐田君には実感が湧かないと思いますけど、サッカー未経験の若い女性の先生がサッカー部の顧問を務めるのは、凄く大変な事なんですよ。同じ女性として、またサッカー部のマネージャーとしても、私は先生の力になるつもりです」
「そりゃ、また……」
素直に凄いという感情と、よくやるなあという感情とが半々だった。
まあ、なんにせよ、先生が仲介に立ってくれるなら、アキラが自力でサッカー部へ戻るより上手く行く事は間違いないと思う。
──なら、それでいいか。
と、結論づけた所で、アキラの頭の中にふっと一つの案が浮かんだ。
「お……ぅ?」
決して良くはないが、もしかしたら大会に出られるかもしれない、そんな案。
──どうすっかな……。
下手をしたら……いや、下手をしなくても部長たちを敵に回しそうだ。別にアキラだって好き好んで揉め事を起こしたい訳じゃない。
仲良くやれるならそっちの方がいいとは思ってる。
けれど、アキラはアキラだ。他人からの心証よりも自分の都合が大事で、仮に天秤にかけたとして前者が後者と釣り合う事は絶対に無い。
やろうと決断するまでさほど時間は必要なかった。
……。
……。
そして翌日、授業が終わった後。サッカー部がミーティングを行っている一室にアキラたちは足を踏み入れた。
部の面々の視線が集まり、中には非友好的な視線も混じっていたが、気にせずにやり過ごした。
「佐田君がサッカー部を離れた経緯は聞いています。彼に問題が無かったとは言いません。ただ、サッカー部の顧問として、サッカーをやりたいと思っている人間を遠ざける真似はしたくはありません。佐田君が戻って来たいと希望しているなら受け入れたいです。──永谷君。お願い出来ませんか?」
夢崎先生に話をふられた部長は、気難しい顔をしたが反対はしなかった。
「……分かりました。今日から受け入れたいと思います」
「ありがとうございます。──では、佐田君の方も一言」
水を向けられたアキラは淡々と言った。
「色々と迷惑をかけてすみません。これからはチームの事を考えて行こうと思います。よろしくお願いします」
アキラにしては殊勝な態度で、それを聞いた琴音はホッとした。
まだ、わだかまりはありそうだが、なんとか上手くまとまりそうだ。
アキラの短いスピーチが終わった後、琴音も短い挨拶を交わして、二人は席についた。
隣の席の渚先輩が、
「お帰り琴音ちゃん。待ってたよ〜」
と、声を掛けてくれたのでペコリと頭を下げた。持つべき者は親しみのある優しい先輩だ。
その後は先生が2週間後に迫る大会の予定について説明を始めた。
試合場所、開始時間、移動方法、トーナメント表のコピーの配布や学生としての注意事項などを順々に話していく。
琴音は先生の話に耳を傾けつつも、トーナメント表に目を通して少し眉をひそめた。
──2回戦で黒牛高校ですか。大変ですね。
サッカーの名門、私立黒牛高校。神奈川有数の強豪校。確か部員はスカウトや推薦で集められ、一般の生徒はサッカー部に入部することすら出来なかった筈だ。県外から集められた生徒も多く、神奈川では別格と言える存在だ。
同じくトーナメント表を見ている部員たちの顔が、難しいものになっている。
──これは厳しい……。
──けれど、兄さんならもしかすると、もしかするかもしれません。
──いえ、その前に、まずは一回戦です。
色々と考え込む内に夢崎先生からの連絡事項が終わった。
「それでは、来週には大会が始まりますが……先生はまだ勉強中の身で、レギュラーの選考や勝つ為の作戦を考える事は出来ません。ごめんなさい! ──代わりと言っては何なんですが先生に出来ることなら何だって協力します。例えば……うん、例えば…………ごめんなさい、ちょっと思いつかないのですが、でも力になりたいと思っています。ですので、皆さんの方から何かありますか? 何かこうした方がいいというアイディアがあれば言って下さい」
夢崎先生は何か言って下さいと言ったが、こういう時はたいがい誰も手を上げない。静寂の中、誰か何か言わないのかと互いに探り合い、自分以外の誰かが手を上げるのを待つケースもしばしばだが、今回は違った。真っ先に手を上げる人がいた。
「はい! はいはい!」
と、勢いよく自己主張するその姿に全員の視線が集まった。
もちろん琴音もそちらに顔を向けたのたが………………佐田君だった。目が爛々と輝いている。
「………………」
琴音はもの凄く嫌な予感がした。




