40 アキラと琴音の練習
休日が終わって月曜日、その放課後。
学校が終わったアキラは、例によって河川敷公園の片隅でパスの練習に勤しんでいた。
この場所で練習を始めて僅か3日でありながら、もはやお馴染み感のある壁に向かって、繰り返しボールを蹴り出している。
しかし、今日はどうにも雑念が混じって集中しきれていない。
──あー……しっかりしろよ、俺。
そう自分に言い聞かせるも、やはりどこか空回りしている感がある。
理由は自覚している。あれだ。滋賀のことだ。
「佐田君は先に行って下さい。私は先生や部長に一言ことわる必要がありますし、制服で練習にお付き合いも出来ないので、一度、家に帰って着替えてきます」
というのが、さっき教室で彼女に言われた言葉。
どうやら本気でアキラの練習相手になるつもりらしい。
練習相手は必要だと思っていたから助かりはする。するのだが、放課後に同い年の女の子と一緒というのは……、
──なんかデートみてえ…………
「……って、アホか俺は!」
馬鹿すぎる考えに、つい、自分で自分を罵倒した。
琴音がアキラに対して何ら特別な感情を抱いていない事は明白だ。そこは勘違いしていない。
更に言えば、アキラだって別に琴音を特別に思っている訳じゃない。確かに美人である事は認めるが、美人=即惚れる、という訳ではないし、どちらかと言えば琴音の性格はちょっと苦手に思ってる。
そもそも、アキラの好みのタイプは、とあるドラマの影響で、ポニーテールの体育会系女子一択だ。生真面目、おしとやかな琴音とは全然タイプが違う。
だから、アキラが戸惑っているのは、恋愛的あれやこれやなどではなく、ただ単に異性慣れしていないというだけの話。
──あー、くそ!
下らない考えを吹き飛ばすように、キックの練習を再開した。
「ふっ!」
軽い助走と共に蹴り出したボールは、概ねアキラの狙い通りの場所へとぶつかった。
次は左足だ。跳ね返ってくるボールを受け止めて、素早く次のキックに移行する。
利き足ではない左での蹴り。
今度は狙い通りの場所にはいかなかった。
ただ、左右はぶれたがボールの高さ的には、ロングキックと呼べるモノだった。
まだ再現性は低いが、サッカーを始めた当初の、ロングキックを蹴ったつもりでボールが地面を転がるような状況からは、確実に脱却しつつある。
『ナイスボール! なんかいい感じじゃん?』
ヤマヒコの感想もアキラの成長を裏付けている。入部当初から比べて、いや、サッカー部から離れてた時と比べても、確実にキックの精度が上がってきている。
だが、まだまだだ。こんな程度の精度では、アキラのやりたいサッカーをやれない。
──もっとだな。
と、アキラはパスの練習を続けた。
元々、気分屋な反面、のめり込む時はのめり込むのがアキラだ。壁打ちを繰り返す内につまらない雑念は消え、サッカーの事だけに集中していく。同時にキックの精度も上がっていく。
──悪くない。このままいけば、いずれ両足でロングキックは出来るようになる。
──したら、部長の奴を押し退けて、俺がトップ下でレギュラーを……。
そこでふと、自分の考えに疑問を持った。
壁打ちを止め、ボールを足の裏で抑えると同時、呟いた。
「…………トップ下? 俺、トップ下か?」
今まで何の疑問もなくトップ下を目指してきたが、改めて考えるに、アキラのやりたいサッカーとトップ下というポジションが噛み合ってない様に思う。
なぜなら、アキラはパスを出す側の人間だ。
無論、サッカーではパスの出し手と受け手がきっちり別れる筈もない。ボールを受け取った瞬間から、今度は出す側の人間になる。
それはわかっているのだが、それでもアキラはパスを出す側の人間だ。少なくともアキラ自身はそういうつもりで練習している。
対してトップ下はパスを貰う側だ。入部初日の紅白戦ではボールを出す事よりもボールを貰う方に四苦八苦していた。
2、3年がハイプレスを仕掛けてきて余裕がなかった事も関係しているだろうが、それを差し引きしても前から3番目というポジションはボールを貰う側だと、そう感じる。
──なんか違うよな……。
きっちり言葉には出来ないのだが、アキラがいるべきポジションはもっと下、天秤の4-4-2なら、トップ下より一つ下がった左右のインサイドハーフか、もしくは更に下のボランチ……、
「お待たせしました」
「うおっ!」
背後から唐突に声をかけられ、アキラはびくっ背筋を震わせた。同時に、いま考えていたことも霧散した。
──えっ、えっ、あれ?
結構大事な事を考えていた筈なのに、何を考えていたのかはっきりしない。
──いきなり声かけてくるから、忘れちまったじゃねーか!
完全に八つ当たりである自覚がありつつも、文句の一つも言ってやろうと、しかめっ面で振り向いた。
けれど、振り向いて琴音の姿を視界に入れた瞬間、言葉に詰まった。
飾り気のないスポーツウェアを着て、動き易い様に髪を一つにまとめた彼女は、今までと驚くほど印象が違った。
学校でのおしとやかなイメージは鳴りを潜め、活発な体育会系女子へと早変わりしている。
「お前……それはずるくないか?」
「ずるい? 何がでしょう?」
思わず飛び出た感想に、きょとんとした顔で問い返されたが、まかり間違ってもポニーテールが似合い過ぎてて困るんだけど……などと言うわけにもいかない。というか言いたくない。
「いや、なんでもない」
つい誤魔化してしまったが、幸いといっていいのか、琴音は深く追求したりはしなかった。
その代わり……という訳でもないだろうが、ハツラツとした笑顔でアキラに告げた。
「では、佐田くん。早速練習を始めましょう!」
小さなガッツポーズと共に、小馬の尻尾がひらりと揺れた。
……。
……。
アキラと琴音が落ち合ってからまず始めたのが、ボールタッチの練習だった。
2人1組で行うそれは、サッカー部の練習の中でも、今のアキラに必要だと思っていた練習だ。
「1、2、3、4、5……」
琴音が掛け声と共に、その手に持っているボールをアキラに向けて放り投げてくる。
それを足の各部位で、相手の胸元に向かって蹴り返す。もちろん地面に落とさない様にだ。
「……6、7、8、9、10、次は左足ですね」
アキラは促されるままに蹴り足を変えた。
琴音が再度、数字を刻んでいくのに合わせて、彼女の胸元を狙ってボールを返す。彼女の胸元を狙って……、
──あるよなぁ、こいつ。
つい邪な事を考えしまったアキラは集中が途切れた。
ただでさえ苦手な左足なのに、更に雑念が混じったとなるとリターンが上手くいく筈もない。ミートポイントを外した。
「あっ……」
転々と転がるボールをひょいと拾い上げた琴音が、ちょっと怒ったように言う。
「駄目ですよ佐田君。あなた、全然集中出来てないじゃないですか」
──誰のせいだよ?
と、口にしかけたアキラだが、すんでで思い留まった。
琴音はちゃんとした格好で真面目に協力してくれている。アキラが勝手に調子を崩しているだけだ。
バチッと自分の頭をぶっ叩いた。驚いたヤマヒコがなんかぶつくさ言って来たが無視する。
「悪い。もう一回、最初から頼む」
「はい。──では、いきますよ」
その掛け声と同時にボールが放り投げられ、アキラもリターンだけに集中した。
今度はボールを落とさなかった。
そんなこんなで、最初は戸惑っていたアキラだったが、練習を続けている内に、この状況にも慣れてきた。
「はい!」
約20メートルの距離を置いてのパス交換。琴音が放ったロングパスは、きっちりとアキラの元へ届いた。
──上手いな。
綺麗な放物線を描くボールを見ながら、思わず感心した。琴音は普通にアキラよりパスが上手かった。
いくら中学時代、帰宅部だったとはいえ、筋力的にはアキラの方が上だろう。とすると技術的な問題や体の使い方がまだまだ未熟だという事だ。
「負けてらんねえ……な」
マネージャーよりサッカーが下手なサッカー部員に、いったいどんな存在価値があるというのか?
負けん気が刺激されたアキラは、思いっ切り蹴り足を振り抜いた。
まだ荒さは残るものの、いい感じに飛んで行くボールを眺めながら強く思う。とにかく、自分が納得できるまでとことんやろう……と。
琴音は、勢いのあるアキラのロングボールを器用に受け止め、再度、こちらにパスを送ろうとする。
「いきますよー」
「ああ、来てくれ」
アキラと琴音、二人の練習は日が暮れる少し前まで続いた。