4 未来のインタビュー
中学時代、滋賀槍也と同じサッカー部でツートップを組み、佐田明と同じクラスだった相田純一さんのインタビュー。
「という訳で、滋賀とチームメイトだった俺たちよりも、顧問の先生の方が張り切ってましたね」
「へー、そうなんですか」
「まあ、気持ちはわかりますけどね。当時から滋賀は日本の救世主って呼ばれてて、俺たちだって誇らしかったけど、先生だって誇らしかったんでしょう。ただ、だからと言って、部活の練習メニューが3割り増しになるのは、ちょっとどうかと思いましたけどね」
「あはは。それは大変でしたね」
「ええ、大変でした。でも、チームメイトから不満は出なかったし、俺も不思議と辛くなかったんです。なんて言えばいいのかな……滋賀には不思議な魅力があって、あいつが笑って『みんな、練習頑張ろうぜ!』そう口にすると、やってやるぜ、オラー! という気持ちになるし、きつい練習だって前向きに頑張れた。そういう、周りのムードが自然と盛り上がるような雰囲気があいつにはありましたね」
「滋賀選手のカリスマ性は中学の頃には発揮されていたんですね」
「というより、あれは生まれつきなんじゃないかなあ」
「なるほど、大変興味深いお話でした、ありがとうございます」
「いえいえ」
「では、次は佐田選手の中学時代のお話をお願いします」
「……佐田か……あー、佐田ですか……」
「どうかしましたか?」
「いや……まあ……正直に言いますと、俺には佐田との思い出が殆どないというか、ぶっちゃけ、最初の頃──あいつら3人が日本代表入りして色々と騒がれた頃のことなんですが、その頃、俺は佐田が元クラスメイトだったって知らなかったんですよ」
「え? どうしてですか?」
「どうしてと言われても、佐田とは全然話したこともなかったですし、クラスで目立つような奴でもなかったですし……記者さんだって、学生時代のクラスメイト全員を覚えている訳でもないでしょう?」
「それはそうですね。では相田さんは佐田選手の事は好きではなかったんですか?」
「いやいや、とんでもない! クラスメイトだとは知りませんでしたが、めっちゃファンでしたよ! それこそ、サッカー選手としては滋賀以上に好きでした。サッカー選手の中で、俺が一番夢中になったのが佐田でしたね。あいつは当時の俺のヒーローでした。……今もね」
「滋賀選手よりもですか、それは少し意外ですね。普通、自分の近しい相手を応援するものではないですか? 一体、佐田選手のどんな所が好きだったんですか?」
「やっぱり、佐田がボールを持ったら何が起こるか分かんなくて一瞬も目を離せないような、あの独特のスタイルと空気が好きでしたね。そして、それ以上に、佐田のあの性格がね……」
「佐田選手の性格ですか」
「ええ。ぶっちゃけ佐田って、凄え問題児だったでしょう?」
「確かにそうですね」
「あの3人が19歳で日本代表を背負った時。まだ早い、4年後でもいいじゃないか、っていう反対意見もかなりあったけど、その中でも佐田は、協調性がないだの、ワガママだの、日本代表の自覚がないだの、一番、色々と言われてましたよね。……いや、実際、協調性がなかったし、ワガママだし、『日本代表としての自覚? 知ったことか』とか自分で言ってましたし、いやあ、あいつは本当に問題児だった。記者さんはその頃の事、わかります?」
「ええ。私も三傑に夢中になった世代なのでわかります。確かに佐田選手は破天荒でした。比較的、お行儀のいい日本のサッカー選手の中で、あんなあだ名を付けられたのは佐田選手ぐらいですよね」
「そう、そうなんですよ! でも、俺も若かったから、佐田のそういう傍若無人な所が逆に好きでした。こう、なんて言えばいいのかな……性格に難があろうともサッカーが上手ければいい、みたいな? そんで、どんだけ外野が騒いでも、いざ試合が始まれば、誰もが認めざるを得ない結果を出す佐田が滅茶苦茶かっこよく見えた。その佐田と元クラスメイトだって知った時は、まじでビビりましたよ」
「それはびっくりしたでしょう。一体、いつそれを知ったんですか?」
「ワールドカップ本戦のグループ戦の初戦で、日本が勝った時ですね。強豪アルゼンチンに競り勝った事で日本中が沸いたでしょう? そんとき同級生の間で、中学校に集合して、みんなで一緒に同級生の滋賀と佐田を応援しようってイベントが起きて、俺にも連絡が回ってきたんですよ。──それを聞いた時、最初は、はあ? なんで、佐田の名前が出てくんだよ? って思って、でも次の瞬間、え? 佐田って同級生なのか⁉︎ って、いや、ほんと驚きました。佐田が神奈川県出身ってのは知ってたんですけど、まさか同じ中学だなんて想像もしていなかったんで。──そんで、おふくろに頼んで、押入れの奥に締まっていた卒業アルバムを引っ張り出したら、同じクラスに、あの仏頂面が並んでいるんですよ。俺、思わず叫びましたよ。『何やってんだよ、ヒーロー⁉︎』って。いや、何やってんだよは、同じクラスだったのに、それを覚えていない俺の方なんですけどね。間が抜けているでしょう?」
「いえ……と言いたいのですが、正直なところ、少し……」
「ははっ。気にしないで下さい。本当に間が抜けていたんですから。只、少しだけ自己弁護させて貰うと、俺、高校のサッカー部とは、肌が合わなくて1年の頃に辞めちゃったし、大学は東京で、地元とはちょっと疎遠になってましたから、情報が入って来るのが遅れたんです。……それに、俺だけじゃなかったんですよ」
「というと?」
「いや、中学校で同級生が集まって応援するイベントに俺も参加したんですが、滋賀が同級生だったのは知っていたけど佐田がクラスメイトってのは知らなかった、って奴はいましたよ。俺が、『佐田がクラスメイトでマジビビり』って言ったら『お前もかよ⁉︎ 俺もだよ!』って返す奴がちらほらとね……まあ、それ位、当時の佐田は目立たない奴だったんですよ」
「へえ、興味深いですね」
「まあ、そんな訳で、佐田がクラスメイトだった事は知らなかったし、知った後も、佐田の中学時代を思い出せなかったんですが、でも、そんな情弱な俺とは違って、2人の小さな記事まで網羅しているディープなファンもいて、そいつから、滋賀と佐田の出会いが、中学3年の球技大会だった、っていう話を聞いてハッとしました。そん時、俺、滅茶苦茶、活躍したじゃん! って。そして、思い出しました。あの時、いいパスをくれた、あいつ。あいつが佐田なんだってね」
「2人が出会った球技大会の事は私も知っています。なら、相田さんは滋賀選手よりも先に佐田選手からラストパスを貰ったんですね」
「それ、滋賀とツートップ組んでた事と合わせて、俺の一生もんの自慢話です。でも、当時は少し悔しかったかな」
「悔しかった?」
「ええ。佐田と一緒にサッカーやってパスを貰って、でも、俺は佐田の事を、結構うまいな程度にしか思わなかった。高校に入る頃には、すっかりと忘れていたんです。でも、滋賀は佐田のプレーを見て、痺れて惚れ込んだんでしょう? 滋賀とは中学時代、部活でツートップ組んでましたけど、やっぱ、俺とは違うんだなって思いましたね。……日本代表、それも三傑の1人と自分を比較するなんて馬鹿馬鹿しいですけどね」
「いえ、私も学生時代はサッカーをやっていたのでわかる気がします」
「そうですか……でも、まあ、少しだけ悔しかったけど、その100倍は嬉しかったですよ。俺の同級生が2人もワールドカップに出てるんです。当時も試合の度に中学校へ出向いて、みんなで2人を応援していました。凄く燃えましたね」
「ちなみに、そのイギリスワールドカップで、どの試合が一番、印象に残ってます?」
「決勝トーナメントの初戦。対スペイン戦、2対1でロスタイム突入からの滋賀の同点弾」
「即答ですか……というか、あれですか?」
「そう! 日本のゴールの手前で緋桜が奪ってから、僅か4タッチでスペインのゴールを割った、あの伝説のフォータッチゴール! 電光石火の同点劇! あれ以外にないでしょう。俺、感動して大泣きしましたもん。俺だけじゃないですよ。その場の全員、泣きながら『滋賀〜〜! 佐田〜〜!』って2人の名前を呼んでましたよ。それこそ、娘が産まれた時ぐらいのもんですよ、あんなに泣いたのは」
「あのスペイン戦は日本が壁を越えた試合でしたよね」
「そうですよね! それまで日本はグループ戦を勝ち抜いて決勝トーナメントに残っても、いっつも一回戦負けだったじゃないですか。そんで、今度こそベスト8に入って欲しいって、みんな期待していて、でも、相手は優勝候補だったスペインでしょ? 実際、スペインはめっちゃ強くて、1点負けでロスタイム入ってんのに、更に容赦なく攻めてくるし、これはもうダメ押しゴールを取られるのが先か、タイムアップが先か? っていう所から、緋桜が奪ってからの佐田、滋賀でしょう。俺、解説の絶叫、未だに覚えてますよ『滋賀が来た! 滋賀が来た! 滋賀が来た!』ってやつ」
「それは、私も覚えています」
「その後の延長戦での、勝ち越しゴールも感動したけど、やっぱあの同点弾が一番、感動しましたね。あの土壇場で、あいつら、マジで凄すぎんだろ! って思いましたよ」
「わかります」
「それで、日本初のベスト8に入って、その次も勝って、でも準決勝で負けて……その時は結局、ベスト4で終わりましたっけ。準決で負けた時の、悔し涙を流す滋賀と、多分、泣かない様に空を見上げていた佐田を見て、俺らも泣いたなあ」
「わかります……非常にわかります」
「でも、負けたと言っても、日本初のベスト4でしたから、あいつらが帰国したら、とんでもない英雄扱いで取材とかも凄かったですよね。そんで、取材陣が付いて来るのにキレちゃった佐田が『取材なら槍也のとこへ行け! 付いて来んな!』って叫んだのは、正直、笑っちゃいましたね。ああ、佐田らしいなって……」
「一応、佐田選手も最初の方はちゃんとインタビュー受けていたんですけどね……」
「ああ、見ました、見ました。にこやかに、とはいかないですけど、真面目にインタビュー答えてましたね。でも、フォータッチゴールについて聞かれた時に『あのアシストパスは俺の必殺技だよ』って答えたのは、マジで言ってんのか冗談で言ってんのか、分からなかったですね。本人、苦々しい表情だっただけに余計に……」
「山彦オーバードライブですか?」
「ええ。ぶっちゃけ、浮き玉を背後に蹴り上げただけで、それだけなら俺でも簡単に出来ますよ。つか、あの後、小学生の間で一時、流行りましたよね? 山彦オーバードライブ」
「ありましたね、私もニュースで見ましたよ」
「そうそう。形だけなら誰でも出来るんですけど、でも、緋桜のレーザービームみたいなパスを、マークを引きずったまま、ダイレクトで、背後を振り向きもしないで、ディフェンスとキーパーの隙間にピンポイントで落としたのは、佐田にしか出来ないウルテクですよね。あれに反応した滋賀も凄えわ」
「あの3人の個性が、これでもかって程、発揮されたプレーでしたからね。あの試合以降、3人を起用したのは早過ぎたという意見も、コロッと無くなりましたよね」
「そうそう! それどころか、あいつらは、まだハタチ。このまま、あいつらが成長すれば、4年後、8年後のワールドカップで優勝だって夢じゃないって言われて、もう日本中が期待しましたよね。俺も、もちろん期待しましたよ。凄え時代が来るって。あの時代をリアルタイムで見た俺は幸せでしたよ。子供にも孫にも自慢しましたからね。末の孫が、もうちょっと大きくなったら、やっぱり自慢して、大いに悔しがらせてやるつもりです」
「あはは。あんまりお孫さんをからかうと、『おじいちゃん、嫌い!』って言われちゃいますよ。程々に」
「ええ、程々に」
「……それでは、この辺で終わりにしましょうか。色々と話して下さり、ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして。そちらもお仕事、頑張って下さい」
筆者の取材を快く引き受けてくれた相田さんは、現在、板前として店を切り盛りし、2人の子供と3人の孫に恵まれている。お孫さんの1人はサッカーを始めたそうだ。
未来のコラム 〜天才たちの出会い〜