39 河川敷公園3
琴音に根負けした形で話し合いをする事になったアキラだが、最初の一言は疑問形から始まった。
「っても……そもそも何を話せばいいんだ?」
その質問に、琴音は少し考え込みながら尋ねた。
「そうですね……やっぱり最初に聞いておきたいのが、サッカー部を離れたその理由ですね。聞いた話によると練習内容に不満があったそうですが……サッカー部のいったい何処が駄目だったんです?」
「いや、別に駄目だとは思ってねーよ」
アキラの返答に琴音は目を丸くした。
「本当ですか?」
「ああ」
念を押す質問にも肯定の意味で頷いた。
実際、アキラはサッカー部の練習が悪いものだとは思っていない。
高校から始めたアキラには、そもそも良し悪しを判断する比較対象があるわけではないが、アキラが漠然と持っている、サッカー部と言ったらこんなものだろう、というイメージから天秤は大きく離れていない。
「でしたら何故?」
「悪くはねーけど今の俺には必要ない。ええっと、何でかって言ったらな……」
そこでアキラは言葉に詰まった。ここから先は自分でもどうかと思う程に尖った話になる。
琴音は聞いてから判断させて下さいと言ったが、たぶん聞いても、アキラの考えに賛同しないだろう……というマイナス方向に向けた妙な自信がある程だ。
とはいえ、話すと決めた以上ここで話を切るわけにもいかない。
戸惑いながらも、自分の考えを言葉に変えていった。
「俺はな、サッカーをやるからには強くなりたい」
「はい」
「で、俺が強くなるには、まずは正確なパスが必要になる。素早いトラップときっちりしたロングボール……まあショートパスもだけど、それを左右両足で蹴れる様にならなきゃいけない。でも天秤のパスとトラップの練習って全部合わせて30分もない程度だろ? 全然足りないんだよ」
「…………」
「だから、思う存分に練習する為に、俺はサッカー部を離れた訳だ」
ここまでの話を聞いた琴音は、思い浮かんだ率直な疑問を投げかけた。
「あの、練習するのはパスとトラップだけなんですか? 他にも、例えばシュートやドリブルの練習とか、1対1の練習だったりは佐田君に必要だと思えますけど?」
その質問にアキラは断言した。
「そういうのは全部パスの後でいいんだ」
「え?」
「他の奴らがどーかは知らんが、俺のサッカーはパスが全ての中心になる……と思う。──だから、まずパスの基本を習得するのが先で、他のスキルは二の次だ。……要らないって言ってる訳じゃねーよ? ただ順番的にパスが先ってだけの話だ」
「……そうなんですか」
琴音は今一つピンと来ない様な顔をしている。
無理もない。アキラ自身ですら漠然としたイメージがあるだけで、明確な理屈は持っていない。
だが、漠然としていようが言葉で説明できなかろうが、そっちの方が自分が伸びるという確信はある。
だから、誰にも邪魔はされたくはない。
「だいたいさー。今の俺って、何の取り柄もない雑魚じゃねーか。なら、とっとと武器の一つでも作らねーと大会に出れないだろ?」
その言葉は琴音を驚かせた。
「え? ええっ⁉︎ ……大会ってインターハイの県予選の事ですか? 佐田君、出るつもりなんですか?」
「当たり前だろ? サッカー部に入ったんだから、そりゃレギュラー目指すだろ? ……逆に何で出ないと思われてんだよ?」
さも心外そうな顔でアキラは言ったが、琴音としては戸惑うばかりだ。
「で、でしたら、サッカー部から離れるのは良くないのでは? 部活に来ない人がレギュラーなんて認めて貰えないですよ?」
琴音がそう指摘すると、アキラは気まずそうに視線を泳がせた。どうやら自分がおかしな事を言っている自覚はあるらしい。
どこか言い訳するように返事を返してきた。
「そりゃそうだけど、でも、まずは実力が無けりゃどうしようもないだろ?」
「実力があっても、部長やみんなから認められないとどうしようもないですよ? ──大体、一人でどうやってチーム戦術の練習をするんですか? ハイプレスの練習は一人じゃ出来ませんよ?」
「ん、んん〜〜、それなんだが……別にハイプレスっていらなくねーか?」
「はい?」
一体、この人は何を言っているのか? 琴音には全く理解が及ばない。その事を察したアキラは理由を付け足した。
「いや、だってな……俺は攻撃の時に、パスを通す為にけっこう動き回るタイプだろ? それでハイプレスは高い位置でボールを奪う為に走らなきゃいけない。つまり攻撃と守備、両方で走り回らなきゃいけない訳だ。でも、そんなの無理だ。将来的にそれだけの体力がついたら出来るかもしんねーけど、でも大会までもう2ヶ月もない。無理。絶対に無理。どっちかしかない。だったら優先するのは俺の方だろ。ハイプレスを止めちまえばいい」
「ハイプレスを止めて何をするんです?」
「これは真面目に思ってる事なんだけど……そういうのはぜんぶ俺が決めればいいと思ってる。どう攻めて守るかは俺が決める。それが一番なんだって」
「……佐田君は、サッカーの戦術に詳しかったりするんですか?」
「いや、これから勉強する」
「なのに自分の指示に従えと?」
「ああ」
「……………………佐田君。あなたは一体、どこの王様なんですか?」
我儘すぎる主張に、つい本音が飛び出た。
それに対してアキラは、ほらな、とでもいいたげな表情を浮かべ、
「な? 理解出来ないだろ?」
「開き直らないで下さい!」
琴音がしかりつけると、アキラは面白くなさそうに黙り込んだ。アホな事を言っている自覚はあるのだ。
「佐田君は自分の意見が通ると本気で思っているんですか?」
「無茶苦茶だって事はわかってる。でも、天秤はマジで全国目指してんだろ? 実力主義なんだろ? なら、無茶を通せるぐらいに俺の実力が上がればそれでいいと思ってる。反対意見は実力で押し退ければいいんだ」
「なんて殺伐とした部活動なんでしょう……」
思わず思考を放棄して天を仰いだ琴音だった。
佐田君の考え方が、一般論とはあまりにも違い過ぎて、めまいがしてきそうだ。
しばらくの間、呑気そうに空を漂う白雲を、羨ましげに眺めていた琴音だったが、生来の生真面目さと、兄を思う気持ちが、いつまでも思考を放棄したままにはしなかった。
脱力しながらも、今の話を聞いた上での最善を模索する。そして、
──ひとまずレギュラーうんぬんは置いておきましょう。
と、ざっくりと佐田君の話の後半部分を捨て置くことにした。
現実的に考えて、佐田君が1月半後の地区大会でレギュラーに選ばれる事はまず無い。
なら、ハイプレスを捨てる捨てないの議論が湧き上がる事もまず無い。
無論、後々、同じ問題に直面する訳だが、実のところ、琴音的には佐田君の主張はけっして悪いものではない。
「もうちょっと、チームの輪を考えましょう」
とか、
「チームメイトは敵ではなく味方なんですよ」
とか、
「自己主張は大事ですが、思いやりも大事ですよ」
などなど、言いたいことは多々あるが、それでも、佐田君が自分の主張を押し通せるぐらいに実力を身に着けてくれるなら、そちらの方がいいのだ。
だから今の問題はシンプルに、まずはパスとトラップに集中したいという佐田君の主張をどう捉えればいいのかなのだが、
──どうなんでしょうね、これ?
単なる我儘なのか、それとも兄さんが認める天賦の才ゆえの閃きなのか、琴音には判断がつかない。
いや、本音で言えば限りなく前者だと思うのだが、でも……。
「それで、なんとか出来そうか?」
「え?」
思案の最中に横から声をかけられたので振り向くと、佐田君が、どこか期待を滲ませた顔つきで琴音の返答を待っているのだが、佐田君が何をなんとかして欲しいのかがわからない。
「なんとか……とは?」
琴音が正直に尋ねると、ちょっと落胆しながらも、
「いや、だから……サッカー部の練習内容を変えれそうか? パスとトラップに特化したメニューに変わるなら、俺も部に顔を出すんだけど……」
「なるほど……」
いかにも佐田君らしい質問だ。と、妙に納得してしまった。どうやら「何かが変わるかも知れません」という琴音の主張に、それなりに期待しているようだが……でも、あくまで変わるのはサッカー部の方であって、自分が変わるつもりは毛頭ないらしい。
おそらく琴音が何を言っても、自分の主張を変えたりはしないだろう。
──こう、盛大にため息をつきたくなりますね。
そんな事を考えながらも、顔には出さずに返事を返す。
「無理ですね。大会が迫っている今の時期に、練習内容を変えられるとは思えません」
「……だよな」
琴音の返答は、佐田君の予想の内だったらしい。
ちょっと……いや、だいぶ落胆した顔をしたが、直ぐに切り替えるとベンチから立ち上がった。
「じゃあ俺、パスの練習続けるわ」
話は終わったとばかりに、琴音の返事も聞かずに再びコンクリートの壁へと向かって行く。
一人残された琴音といえば、
──いえ、まだ話は終わってないですし!
──佐田君! 貴方はそういうところなんですよ、もう!
内心呆れつつ、かといって具体的な提案もまだないので、無言で見送った。
再開されたパス練習を眺めつつ、頭の中で色々な案を試行錯誤するものの、これだという案は思い浮かばない。
──いっそ、このまま好きにやらせるのもアリでしょうか?
サッカー部に連れ戻しに来た当初の目的とは反するが、パスとトラップに納得が行けば部に戻ると明言しているのだから、今回に限って言えばアリな気がしてきた。
パスとトラップに拘るのも、単なる我儘ではなく、凡人にはわからない天才の感性……なのかもしれない。というか、そうであって欲しい。
しかし、仮にそうであったとしても見逃せない問題が一つある。
現状があまり良い練習環境だと思えないことだ。
「練習相手が……絶対に必要ですよね……」
そもそも、パスもトラップも、その練習メニューの大半が二人一組か、それ以上の人数で行うものばかりで、一人では、ああやって壁に向かってボールを蹴るのがせいぜい、あとはリフティングくらいしかやれる事がない。
パスの練習時間が増えたとは言っても、それはあくまで量の話で、質の面では大きく劣化している。
──その事に、気付いていないんでしょうか?
──いえ、気付いてはいるんでしょうね。
先程、「パスとトラップに特化するなら戻ってもいい」という発言があったあたり本人だって自覚している筈だ。
かといって改善することも容易ではないと思う。
サッカー部の人間にはサッカー部の練習がある。
かといってサッカー部以外の人間が、そんな長時間のサッカー練習に付き合う訳もない。
世の中の人間はそんなに暇ではないのである。
そんな中で、我儘放題な佐田君に積極的に協力していく奇特な人間がいるとしたら……、
「…………消去法で……私かなぁ」
他に誰も思い浮かばなかった。
別に琴音だって暇ではない。マネージャーにはマネージャーの仕事があるのだ。
けれど、まずサッカー選手としての佐田君に大きな期待をかけている人間……というのが今のところ、兄さんと兄さんを信じる琴音ぐらいしかいない。
そして、ただでさえ色々と言われている兄さんが、サッカー部から離れて、更に色々言われる可能性を考えるなら、やはり琴音しかいない。
正直、マネージャーの領分を超えているとは思う。
しかし、琴音はサッカー部のマネージャーである前に、滋賀槍也の妹なのだ。
兄さんの名誉を回復する為なら何だってやるし、どこまでだって頑張れる。
「佐田君が一日でも早くサッカー部に戻ってくる為のお手伝い……それもマネージャーのお仕事ですよね」
自分で言っておきながら、どこか詭弁の感が拭えなかったが、とにかく方針は決まった。
長イスから立ち上がると、壁打ちを続けている佐田君の元へ近寄って行く。
すると、それに気付いた佐田君が、壁打ちを止めてこちらを向いた。
「ん? なんかいい案でも浮かんだのか?」
「はい。これからよろしくお願いします」
「あん?」
首を傾げる佐田君に親切丁寧、一から順に琴音の考えを打ち明けていった。
無理にサッカー部へ引き戻すよりは、このまま好きにやらせて、納得が行くまでやればいいという琴音の判断。
けれど、一人では満足の行く練習には程遠いという指摘。
そこで琴音が佐田君の練習相手を買って出ること。
基本、佐田君の意見を取り入れて、足りないところを琴音が補うという、どこまでも佐田君重視の案なのだが、何故か話が進むほど佐田君の表情が微妙なモノに変化していった。
「何か、変なところがありましたか?」
「いや、その……」
率直に問いかけるも相手の反応が鈍い。明らかに乗り気ではなさそうだ。
「問題点があるなら言って下さい。佐田君の意見を取り入れつつ改善します」
琴音がそう詰め寄ると、佐田君はしぶしぶとその理由を口にした。
「……いや、練習相手がいるのはわかるけど……でも滋賀は女だし………………男で丁度いい奴はいねえの?」
その無神経な質問に、琴音は思わずぴきっとなった。
そんなに都合のいい練習相手がいるのなら、決して暇ではない琴音がわざわざ名乗りを上げたりはしない。
──だいたい女性だから何なんですか⁉︎ 今時、サッカーが男性だけの物だなんて思っているんですか⁉︎
もしそうなら明らかな偏見だ。
因みにアキラがそう口にした理由は、女の子と二人っきりで練習することが何となく気恥ずかしい、という気持ちからで、この後、直ぐに誤解もとけるのだが、今現在、琴音は不愉快だった。
そして琴音は、親切丁寧を心がけているが、決して気の弱いタイプではない。
この時も行動で示す事にした。
アキラとの距離を詰めると、ギョッとした表情を浮かべるアキラの、その足元に転がっているボールを右足で引き抜いた。
更にもう一回触って、ボールの軌道を変えつつ左足を軸にして時計回りに一回転。
アキラから見て右側をクルリと抜けて、その背後に回った。
──うん。久しぶりだけど、上手く行きました。
同じ足で二度タッチする片足でのルーレットターン。琴音が現役時代の頃、もっとも得意とした技だ。
「これでも私、静岡のサッカークラブでは兄さんの次の次、くらいの腕前だったんですよ。初心者な佐田君の練習相手くらい充分に務まります」
遅まきながら振り向いたアキラに得意げに告げた琴音だったが、すぐに当のアキラの様子がおかしい事に気付いた。
「うん……凄かったような……いや、わからなかったような……」
褒めている訳でもなく、抜かれて悔しがっている訳でもない。そもそも、そっぽを向いて琴音と目を合わせない。
そんなアキラの態度は琴音に疑念を抱かせるには充分すぎた。
「どうしたんです?」
「別になんでもないっ……」
なんでもなくは無いでしょう。と、思った琴音だったが、でもアキラが挙動不審になっている原因が分からない。
──そんなにおかしな事、ありましたっけ?
──協力を申し出て、でも乗り気じゃなくて、それからルーレットを決めて……。
直近のやりとりを振り返ってみても、やっぱり分からなかった。
──やっぱり、何もおかしな事なんて………………
「あっ!」
唐突に思い当たった琴音は、咄嗟にスカートの裾を押さえた。
だが、今さらだ。
恥ずかしさのあまり、しばらくの間、うつむいて何も言えなかった琴音だが、やがて意を決して尋ねた。
「佐田君…………見ました?」
「さ、さあ、何のことだか……」
琴音には、そう答えるアキラの目が、これ以上ないほどに泳いで見えた。