38河川敷公園2
とある公園の片隅の長椅子に1組の男女が座っていた。それだけを聞けば、その二人は恋人か夫婦か、なんにせよ仲の良い関係なのだと思うのかもしれない。
だが、実際には長椅子の端と端に座り、けっこうな距離を置いている事が二人の心理的距離を表していた。
しかも男性の方がぶすっと仏頂面。対して女性の方が微笑んでいるとなると……さて、はたから見てどんな関係に見えるのだろうか?
そんなおかしな二人組はしばらくの間無言を通していたのだが、やがて男性の方、アキラが先に口を開いた。
「別に話したい事なんて一個も無いけど……そもそも、なんで俺の居場所がわかったんだ?」
その質問に対して女性の方、琴音がにこやかに応じた。
「あら、私の方は佐田君と話したい事がたくさんありますのに……居場所に関しましては、七海ちゃんからこの場所を聞いてはいましたが確信はありませんでしたよ。ですので、ここに居なかったら色々と回ってみるつもりでした」
「……ストーカーか? お前、俺のストーカーなのか⁉︎」
「そんなまさか。サッカー部のマネージャーとして部活に来なくなった部員を気にかけるのは当然じゃないですか」
「…………」
そんな当然があってたまるか……と思うアキラだったが、琴音がそうする理由、つまり彼女がブラコンである事も知っているので、それ以上の追及を止めた。
──にしても、普通、着信拒否の翌日に会いに来るか?
思い返せば、中学生時代に兄の方とサッカーをするきっかけとなったのも琴音が原因だった。本当に行動力のある女だ。
──しかも、凄え愛想がいいし……。
割と衝動的にやってしまった着信拒否だが、当然、相手にとっては不愉快だろう。仮に、アキラがされる側だったら2度とそいつとは口をきかない。
であるのに、琴音は少なくとも表面上はずっと笑顔を通していて逆に不気味だ。妙なプレッシャーを感じる。
──いったい何を考えてんだか……『って、さっきからうっせえよ、ヤマヒコ!』
琴音の思惑を推察しようとしたアキラだったが、先程からヤマヒコが頭の中でやかましい。
どうやらアキラが琴音を着信拒否にした事が、よほど腹に据えかねているようだ。
『お前、ほんと黙ってろよ!』
『アキラが琴音ちゃんに謝るのが先だよ! このすっとこどっこい! 女の子に優しくできないとか、ヒラメ以下の存在じゃないか⁉︎』
『こっの……!』
罵詈雑言の嵐にアキラは切れた。スマホを取り出し、数回タップすると自分の耳に押し当てた。
すると、「トーーーン」という音叉が奏でる独特のハウリング音がアキラの間近で再生される。
効果は劇的だった。
『ちょっ⁉︎ ハウるのは止めてえええっ!』
まるでにんにくを食わされた吸血鬼のような叫び声を上げたかと思うと、やがて静かになった。
一般的にはヒーリング効果があると言われている音叉の音だが、耳が良すぎるヤマヒコにとっては、幾重にも重なる残響音が本当にキツイらしい。
以前、涙声で懇願されて、そのあまりの必死さに普段は使うことを躊躇していたのだが、
──ま、これでしばらくは大人しくなるだろ。
頭の中が静かになり、すっきりとしたアキラだったが、その代わりに隣に座っていた琴音が、彼女にとっておよそ意味不明なアキラの行動を疑問に思うのは、当たり前といえば当たり前の話だった。
「あの……なぜ唐突にトーン音を?」
「……………気にすんな……ちょっとストレス溜まって癒し効果のある音を聴きたくなったんだよ」
スマホをしまいながら適当な言い訳をホラ吹いた。
しかも言った後で気付いたのだが、このタイミングでこの発言は、「ストレスの原因はお前だ」と琴音の事を非難しているようにしか聞こえない。
なのに彼女は、ほがらかな笑顔で言ってのけた。
「まあ! やっぱりサッカー部の事で悩んでいるんですね。よかったら私に話してみませんか? 私これでも、お悩み相談は得意なんです」
「…………」
──強えよなぁ、こいつ。
クラスの男子やサッカー部の奴らの一部が、琴音の事を、まるで箸より重いものを持った事がないお姫様のように扱うことがある。アキラだって、奴らがそうする理由がわからない訳じゃない。外見は本当に大河ドラマのお姫様のそれなのだ。
しかし、その容姿とは裏腹に中身は強い。
いや、ほんとうに強すぎて、何を言えば諦めて帰ってくれるのか見当もつかない。
というか、何を言っても帰らない様な気すらしてきた。
──どうすりゃいいんだ、これ?
アキラが言葉を迷っている内に、琴音が先手を取った。
もともと整っていた居住まいを更に正して、真摯な声でアキラに告げた。
「佐田君。これだけはわかって欲しいのですが、私は貴方の味方です」
「……味方?」
アキラは思いっきり意表を突かれて問い返した。
『琴音が味方』今まで、頭の隅にすら存在しなかったフレーズだ。
「ええ。……多分、佐田君にとってサッカー部は、まだ味方ではありませんよね。でも、私は違いますよ。なんと言っても利害関係が一致しています」
「利害関係?」
さっきからおかしな単語ばかり出てきて戸惑うアキラだったが、琴音の方は、この話の持ちかけ方で間違っていないと感じていた。
──邪険にされず興味も引けました。なら、話の持ちかけ方としては上々でしょう。
──きっと佐田君は、同じチームなんだから仲良くしましょう、なんて論法は嫌うでしょうしね……。
先ほど琴音自身で口にしたが、実はお悩み相談が得意で、よく周りから頼りにされる。
中学生の頃は、家庭科部の部長として部員たちのいざこざを仲裁する機会は多かったし、学園行事の役員を引き受けてた事で、生徒サイドと教師サイドの橋渡しをした事もある。後輩や同級生から切実な相談を受けることもしばしばあった。
今日、佐田君に会いに来たのも、自分なら佐田君とサッカー部の橋渡し役になれる、という自信があるからだ。
「佐田君は今はどうであれ、いずれサッカー部に戻る気はあるんですよね」
「ああ、自分に納得がいってからな」
「でも、戻るプランは考えてあるんですか? 一方的に飛び出したのですから、戻るにも納得のいく理由が必要ですよ? ……もしくは、自分が悪かったって謝る事が1番丸く収まりそうな方法なんですが?」
「…………………」
琴音の質問にアキラは無言を返した。これはおそらく、ノープランだが謝る気はない……そんな所だろう。
うん。予想はしていた。
「そこで私です。──私は兄さんが佐田君とサッカーをやりたくて天秤に来たことを知っています。つまり、なんとしてでも佐田君にはサッカー部に戻って来てもらいたいのです。その為なら助力を惜しみません……──どうですか? 私たちは協力できると思いませんか?」
「…………ん、んん……」
琴音の真摯な説得は、アキラの痛い所をかなり的確に突いていて返事に詰まった。
いずれ戻るつもりはあるが、具体的にどう戻るかの案はない。
「戻ります」「そうかわかった」
で、済まない事は漠然と察している。
なら、サッカー部の中に賛同者がいるに越したことはない……というのはアキラにもわかる。
でも、
「協力って具体的に何するんだ?」
「まずは話し合いですね。佐田君の行動には言葉が足りてないと思います」
「……話し合いね」
「物凄く嫌な顔しますね?」
「いや、どーせ話したところで理解される訳もないしな……」
「…………なるほど、そういうことですか」
今のなげやりとも言える言葉で、不可解なアキラの行動に納得がいった。
着信拒否の件といい、いやに話し合いを嫌うと思っていたが、絶対に理解されないと思っているのであれば、話し合いそのものを嫌うのも無理はない。
無理はないが、でもその考え方は駄目な考え方だ。
琴音は強く言った。
「佐田君。まず、聞いてから判断させて下さい」
アキラに向けて告げたその言葉は、決して大きな声ではなかったが、アキラが反論をためらうような力があった。
「佐田君の判断基準では他人に理解を求められない事なのかもしれません。でも他の人には他の判断基準があるんです。他の人の考え方が佐田君の想像を超えないと、いったい誰が決めたんです? ──ちゃんと話し合えば何かが変わったりもするんです。私はそういう例を知っています」
「……例えば、どんな例だよ?」
「そうですね……そう、例えば……去年の話なんですが、頑ななまでにサッカーを拒む同級生に『兄さんとサッカーをしてみませんか?』とお願いしに行ったら、色々とあった末に、今では日曜日に自主練に勤しむスポーツマンに変わりましたよ」
「おい!」
「きっとその人は去年の今頃、自分が高校でサッカー部に入るだなんて想像もしていなかったでしょう……違いますか?」
「…………」
違いますか? と問われてもアキラは何ら反論出来ない。
違わない。確かに去年の今頃、自分がサッカーをやっているなんて夢にも思わなかった。
琴音の言っていることは間違っていない。
でも、凄いしゃくだった。
「滋賀……お前、いい性格してんな」
「ありがとうございます」
思わずついて出た嫌味も、軽くいなされる。
「……わかったよ」
渋々、と言った感じでアキラは頷いた。
「そんなに聞きたきゃ話してやるさ。……で、何かを変えられるなら変えてみてくれ」
自分で言っておきながら、まるで負け惜しみの様に聞こえて、アキラは顔をしかめた。