30 天秤サッカー部3
「柏木ー! 左から上がってきてるぞ!」
槍也は今日名前を覚えたばかりのCBの一人に対して声を張り上げた。照れや戸惑いとは無縁の大声は、およそ50メートル近い距離を飛び越え、相手に届く。
それで柏木は、密かに駆け上がっていた中盤の選手に気付き、対処できる位置へと移動した。
──よし。
槍也の居るFWの位置からは、味方の守備陣も敵の攻撃陣も一望できる。
それを生かして、守備に忙殺されているみんなの為に素早く正確な情報を送ってやりたい。
特に劣勢に陥っている時には尚更だ。
矢継ぎ早にコーチングを飛ばす槍也だったが、ふと、合間に呟いた。
「にしても、凄いな……」
その呟きはレギュラー陣に対してのものだ。彼らは、槍也が素直に感心するほどのパフォーマンスを見せていた。
特に目を引くのは連携で、明確な行動指針(つまりは戦術)を元にチームで一致団結する事で、個人個々に動いている一年チームを、0対1というスコア以上に圧倒している。おかげで槍也の元までボールが殆ど来ない。
辛い展開だが、そこは15歳にして百戦錬磨の滋賀槍也、腐ることなく声を投げ続けた。
その甲斐もあって、行き場を失った相手左FWをCBとボランチで挟み込むことに成功し、程なくしてボールを奪った。
その直後、二つの言葉が交錯した。
「プレス!」
「パス!」
前者はキャプテン。後者は佐田だ。
ボール保持者であるボランチは、当然味方の声にしたがって、パスを出す。
受け手の佐田は、攻守が入れ替わったばかりでマークも居ない。フリーで貰い、そして、即座に180度向きを変え、ラインぎわを駆け上がるサイドハーフにパスを出した。
スパルタなのか、それともパスミスなのか、佐田のショートパスはずいぶんと前に放たれ、サイドハーフはボールがサイドラインを割らないよう全力で駆け上がった。
こういう所は流石だ。
レギュラー陣がハイプレスを仕掛ける前に、サイドチェンジの速攻。盤面が良く見えてる。
何はともあれ、今度はこちらの攻撃の番だ。
フリーのサイドハーフは、既にハーフラインを超えて相手陣地へと侵入している。時折、目が合うのは、槍也たち2トップにパスを出せるか伺っているからだ。
どうやら、SBに寄せられる前に中に入れたがっているようだが、槍也は自分の立ち位置を変えなかった。
もちろん、左サイドに近寄ってパスを貰いに行く手もある。
例えば、今日学校で再会した御堂なら、ボールを貰ってドリブル突破……その一択だろう。
何人マークがつこうと、その全員をぶち抜こうとしか考えない極端なスタイルは、強みでもあり弱みでもあり、少なくとも魅力的ではあった。
槍也自身、そういうプレイを全くしない訳ではないが、今回においては選ばなかった。
今の槍也には逆サイドのSBがマンマークについている上に、裏への飛び込みを警戒したCBの朝霧先輩が距離を置いてカバーリングしている。実質2枚付いている状況だ。この状況で近寄ると味方の動くスペースが削られる。
それよりはこの場所で2枚引きつけて置く方がいい。それなら左サイドは2対2だ。大抵の場合において数的不利が常である前線で、1対1や2対2などの同数対決は、明確な攻め時だ。
上手く突破出来たなら朝霧先輩はそちらのカバーに回らなければならないだろうし、その時こそ、槍也が中に切り込むチャンスになるだろう。
SBが前に出て、サイドハーフが自由に進める時間は終わりを迎えた。
ただSBは積極的なプレスをせずに慎重に間合いを空けている。これは縦に抜かれる事を警戒している動きだ。
ドリブルのスピードが落ち、中へと横パス。それを受け取ったFWに対しても、CBは一定の距離を置いて対峙している。
この時、槍也が上手いと思ったのが、SBの動きだ。CBがボール保持者と距離を詰めた分、サイドハーフと距離を置いて下がった。俗に言うつるべの動きだが、それにしても大胆に距離を置いている。
これはCBが抜かれた時のカバーリングという意味合いもあるのだろうが、おそらくはフリーのサイドハーフに再び横パスを出させる為のものだ。
レギュラー陣の守備は前衛、中盤と後衛の4人では動き方のコンセプトが全く違う。
前者は、とにかくマークとの距離を詰め、積極的なボール奪取を目的としたハイプレスを敷く。
しかし、後衛の4人は前線とは真逆の、徹底的に攻撃を遅らせるディレイ戦術を敷いている。とにかく中央や縦の突破を防ぐことを第一に、横へのパスはある程度自由に……むしろ推奨している、とすら思える。
そうやって横パスを出させる事で時間を稼ぎ、前がかりな前線が自軍に戻る時間を作っているのだろうし、ハイプレスを抜かれても後衛が時間を作ってくれるという安心感が、より積極的な前衛守備を可能にしているのだろう。
──いい、連携だよな。
機を狙いつつも感心していると、こちらのFWがCBとの距離を詰めていく。
こちらのFW、工藤は体格こそ小柄だが、身の軽さと細やかタッチが印象的だ。
これは行けるかな? と考えたのは槍也だけではないらしい。最後尾の朝霧先輩がSBにもっと中に絞るように指示を出した。
これまでの試合を見る限り、朝霧先輩はディフェンスラインの統率者だ。副キャプテンを務めていることを考えても周囲からの信頼は厚い。
今も、これ以上中に絞れば、サイドがガラ空きになる大胆な指示に、SBは迷いなく従っている。
当然、左サイドの二人もサイド突破を考えているだろうが、先輩の狙いは、そうやってサイドを使わせる間に戻って来た味方と中央を固める……そういう算段だろう。
中央は厚く、サイドは時間がかかる。どちらを選んでも相手の予想の範囲内だが、そこへ佐田が走り込んで来た。
サイドハーフとFWの間から、相手のSBを目掛けて一直線に駆け抜けていく。
そしてSBの間合いまで詰めると、突如進路を変え、今度は中央に切り込んでいった。
──なるほど……。
SBの鼻先をかすめるような佐田の動き。もしこれにSBが釣られて佐田を追いかけるなら、元々居たスペースがぽっかりと空き、こちらのサイドハーフが入り込む隙になる。
逆に釣られないなら……と、そこで槍也は佐田と目が合った。
何かを訴えるような視線と、突き立てた右手の親指を自分の背後に向けるジェスチャーにピンと来て、槍也も中央に切り込んだ。
槍也のスプリント能力は同世代(日本に限らず世界でも)の中でトップクラスだ。僅か3歩でトップスピードまで持って行き、マークを引き離した。
そのまま、佐田とアルファベットのエックスを書くようにすれ違う。
アキラは左から右へ。槍也は右から左へ。互いの位置を入れ替えることで守備陣が混乱する。
フリーになった槍也は、このままボールを貰おうとして──止めた。最後の一枚である朝霧先輩が槍也についたからだ。
なら、今ボールを貰うのは槍也じゃない。
「あっちへ!」
「ボール、くれ!」
槍也が佐田を指差すのと、佐田がボールを要求するのと、工藤が佐田へパスを出したのは、ほぼ同時だった。
マークの差し出す足を、ボールの下っつらを叩いて浮かせるチップキックで躱し、軽いバックスピンのかかった浮き玉が、完全フリーの佐田の元へと綺麗な曲線を描く。
これを受け取って振り向けばペナルティエリア内だ。
そして佐田の背後には、キーパー以外だれも居ない。
──よし!
槍也は小さく拳を握りながら、キーパーのファインプレーや、シュートがゴールポストに当たって跳ね返った時に備えて、こぼれ球を拾える位置に移動しようとした。
が、しかし……心の底から予想外だったのだが──佐田がトラップをしくじった。
「げっ……!」
しまった、やっちまった! という感情が溢れ出している「げっ……!」だった。
慌ててボールを追いかける佐田だが、弾かれたボールの勢いはなかなかに強く、追いつけない。
そして、ようやく追いついた時には相手ボランチが戻って来ていた。
佐田よりも一瞬早くボールを掠め取ると、前を向いて中央にロングフィード。千載一遇のチャンスを逃した。
「くっ……そ!」
自軍に戻ろうとする佐田だが、出足が遅い。その前の全力疾走が響いているのだ。中学時代、帰宅部だったのだから、いきなり、ストップ&ゴーを繰り返すのはキツイのだろう。
呼吸を荒げ苦しそうな佐田を見て、なんとなく腑に落ちた。トラップを弾いた時はびっくりしたが、よくよく考えてみれば……いや、よくよく考えなくても、佐田はサッカーの経験が浅い。浮き玉をスムーズに処理出来ないのも仕方ないだろう。
広い視野でグランドの状況を把握しているし、それを元に、今の様に攻撃を組み立てることも出来るけど、それでも、基本的な『止めて蹴る』も覚束ない初心者なのだ。
そんな佐田をサッカーに誘ったのは自分だ。ちゃんとフォローしようと思った。
自らも自軍に戻りながら、佐田の背中に告げる。
「佐田、ドンマイ! ──いい攻撃だったよ!」
槍也の声かけに前を行く佐田は振り返らなかったが、代わりに右手を挙げ、「オーっ!」という返事が返ってきた。
その声には力があり、ミスを引きずっている気配は無い。
だから信じることにした。佐田を。そして佐田に限らずみんなの事を。
自論だが、チーム力に差があり、なかなかボールが回って来ない時のFWに一番必要は事は、味方がボールを繋いでくれると信じることだ。
──きっと、みんながチャンスをくれる。
そう信じて、その時の為に備え始めた。