3 とある学校の球技大会2
「はっ!」
滋賀槍也は味方から回ってきたボールを左足で前線に送り出した。
コンパクトな動きにも関わらず、蹴り出されたボールは高い弧を描き、最前列のフォワードの元へと正確に送り込まれた。
近くにいた4組の中澤が、槍也のことをまじまじと見つめた。
「相変わらず、すげーな、おい」
「おう、サンキュ!」
中澤とは去年のクラスメイトであり友達だ。
球技大会というレクリエーションの場なのだから、ボールが来ない時に、少しぐらい話し込んでもいいだろう。
今日の3年7組の目的は『皆で楽しもう』というものなのだから。
その目的は槍也が提案した。
もうすぐ、中学を卒業する。
そして槍也は、高校は東京のサッカーで有名な私立強豪に、特待生として入学することが内定している。
つまり今のクラスメイトたちと、高校で出会う可能性は、限りなく0だ。
より高い環境でサッカーの実力を磨く為に必要なことだと納得しているし、楽しみにもしているのだが、反面、今の友達と中学卒業と共に疎遠にならざるを得ないことが、少し寂しい。
だからこそ今日、『皆で楽しもう』と提案したのだ。
それは、もしかしたら槍也のワガママだったのかもしれない。
大多数のクラスメイトは、槍也とは違い進路が決まっていない。この先、受験が待っている。
今日だって、サッカーに精を出さずに机で勉強した方が良かったのかもしれない。
だけど、皆は槍也の提案に頷いてくれた。
「いいな、それ! 折角だから楽しくやろうか!」
「なーに、球技大会くらいで受験に影響なんて出ねえよ」
「そりゃ、お前はそうだろうよ。むしろ、球技大会が終わってからも遊びまくれ! このインテリイケメン野郎!」
「ひでえな⁉︎ もし俺が受験に落ちたら、お前のせいだからな?」
あははっ! と、笑い声が上がる中、皆が和気藹々といった感じで槍也に賛成してくれた。
本当にクラスメイトに恵まれていると思う。
そのクラスメイトの一人が、果敢にドリブル突破からのシュートを放った。
残念ながら、ゴールからは外れてしまったが、それでも言った。
「ヒラ! 良かったぞ!」
槍也の声はよく通る。ヒラというあだ名のクラスメイトは、にこやかに槍也に向けて手を振った。
フィールドを見回しても、皆、いい顔してると思う。
——うん!
今日という1日が、良い思い出になりそうで何よりだった。
……。
……。
一進一退の攻防が10分位続いた。ボールは両陣営の間を、目まぐるしく行ったり来たりしている。
そして今、相手のディフェンスが、アグレッシブにパスコースを遮り、ボールを奪った。
——ナイスカット!
槍也は内心で褒め称えた。
4組も中々にやる気だ。一致団結している7組に負けてない。
奪ったボールをパスで回して、ライン際からフィールドの中央に向けて蹴り出した。
その時だ。
4組のフォワード、相田が走り出した。
「うおおい! ボールをくれ!」
そう叫びながらマークを振り切り、ゴールへ向かって行く。
思わず苦笑した。
——タイミングが早いよ、相田。それじゃ味方が反応出来ない。
今の裏への走り込みは完全に勇み足だ。
素人じゃ、相田の飛び込みに間に合わない。
いや、素人どころか、サッカー部の連中にだって無理だ。
それどころか、槍也の知る限り、ジュニアの日本代表の中にも、今の相田にタイミングを合わせられる選手はいない。
相田の悪い癖が出た。
相田は運動能力が高いし、果敢にスペースへ飛び込む度胸もあるが、残念ながら、パサーへの配慮が足りてない。
ディフェンスラインの裏への飛び込みは、パスの出し手と受け手の連携が命だ。
独り善がりの飛び込みじゃ駄目なんだって、相手の事も考えろって何度も忠告したものだが、どうにも改善されなかった。
別に相田が不真面目だった訳でも、槍也の助言を聞き流された訳でもないのだが、まあ、相田の性分なんだろう。
——それさえ直せば、もっといいフォワードになれるんだけどな……。
と、かつてのチームメイトを惜しんでいると、しれっと槍也の真横をボールが転がって行った。
「は?」
自分の目で見た光景なのに受け入れられなかった。冗談抜きで自分の目を疑った。
それでも、サッカー選手の本能が首を動かしボールの行方を追うと、勢いよく転がるボールを相田がフリーで受け取り、そのままキーパーと1対1から、力任せのシュートがゴールネットを揺らした。
「ゴーーーール! いやっはあああっ!」
両手を掲げながらはしゃぐ相田を、槍也は呆然と見つめていた。
——いや、ありえないだろう……。
今の飛び込みはオフサイドに引っかかるか、パサーが遅れるかで、絶対に成立しない筈だった。
それなのに結果として、綺麗なまでの裏への飛び込みとスルーパスのコンビネーションが成立していた。
一体、どうして、それが成立したのか?
——相田じゃないよな?
相田の動きは、数ヶ月前と変わっていない。いや、むしろ、部活を辞めた数ヶ月で動きのキレが落ちているようにすら思える。
——なら。
槍也はパスの出し手の方を見つめた。
見たことのない顔だ。同じクラスになったことはないし、サッカー部にもいなかった。
「あいつが…………今のパスを?」
そう呟いた瞬間、体が痺れた。
——うわっ! マジで⁉︎ あいつ、凄え!
槍也は時々そうなる。超一流選手のスーパープレイを見ると、感動と興奮に体を支配されてしまう。
プロの試合やワールドカップの映像を見た時に、度々痺れたりした。
ただ、こんな球技大会というレクリエーションの場で、同学年のプレイを見て痺れるなんて予想もしていなかった。
試合が再開されてからも、槍也はあいつから目が離せなかった。
その一挙一動に目を奪われてしまう。
——んん? んんん?
不思議な選手だった。というより、ありていに言えば、あんまりサッカーが上手いとは思えなかった。
足の速さは普通。
体つきを見ても、あまり鍛えられていない。
ボールタッチも素人に近い。
何より、周りを見れていない。
ルックアップという技術がある。簡単に言えばボールばかり見てないで、顔を上げて敵味方の位置を把握する為の技術だ。
特に、パスを繋ぐ中盤の選手には必須とも呼べる技術で、上手い奴ほど足元よりも周囲を見ている。
槍也の知るジュニアの日本代表のミッドフィルダーなんて、常にキョロキョロと逆にいつ足元を見ているのか不思議なくらいだ。
そして、あいつは、そのルックアップが全然出来ていない。ずっとボールばかり注視している。
なのにパスが通る。
意味がわからない。槍也が今まで見たこともないサッカーだ。
俄然、興味が湧いて来て、つい、近くにいた中澤に尋ねた。
「なあ、あいつ、サッカー上手いけど、なんて名前?」
「ん? どいつ?」
「あれ。あれ。あの、真ん中にいる、あいつ」
「あー、あいつは確か………………佐田だったかな?」
佐田! それがあいつの名前か。
そして、やっぱり知らない名前だ。
気になって更に尋ねた。
「下の名前は? どこかのサッカークラブに所属しているのか? それとも、元経験者? 中盤の選手だったのか?」
「待った! 多い、多い! んな、たくさん聞かれても、わかんねえよ?」
「えっ? クラスメイトだろう?」
「んなこと言っても、殆ど話したことなんてないしな……あんまり目立つ奴じゃないし…………つか滋賀はなんでそんなに、あいつのことが聞きたいの?」
「なんでって……」
中澤の質問に、槍也は自分でも意表を突かれた。
「同じ学校にサッカーが上手い奴がいたら気になるだろう……」
その回答は、紛れもない本心だったけど、何か違うと槍也自身が思った。
——なんで、俺はあいつの事をこんなにも知りたがっているんだろう?
わからない。わからないけど、それでも、佐田のことが知りたいと思った。
槍也は理屈よりも直感の方が行動原理の上にくる。
だから、4組のディフェンスから佐田に縦パスが出た瞬間、とっさに槍也はマークしていた中澤を放り出して駆け出した。
「お、おい?」
戸惑う様な中澤の声を置き去りに、佐田めがけて全速力で駆けた。
馬鹿なことやってる。中澤を完全にフリーにしている。今、佐田から中澤にパスが出れば、それだけで点が入るだろう。
それでも、佐田への興味が勝った。
——さあ、中澤が空いてるぞ。気付いているか? それとも気付いていないのか? 気付いているとして、間にいる俺をどうする? かわしてパスを出すのか? それとも仲間を使うのか? さあ、どうする⁉︎
槍也は、佐田と直に対峙したい。という好奇心に突き動かされるまま、佐田の背中めがけて距離を詰めた。
一方で、そんな槍也の行動は、ヤマヒコを通じて、アキラの耳に入った。
『あ、後ろから日本代表が来てるよ! めっちゃ速い!』
「はあっ⁉︎ 左のディフェンスゾーンから動かないんじゃなかったのかよ?」
『いや、俺に言われても困るよ。それよりも滋賀くんのマークしていた中澤くんがどフリーだから。滋賀くんの頭の上を通せばチャンス到来だよ』
「簡単に言うなよ……」
頭の上を越すようなパス。つまり浮き玉は、地面を転がるパスに比べて確実に難易度が高い。それ相応の筋力と技術が必要になる。
少なくとも、ガキの頃ちょろっとサッカークラブに通っただけのアキラには難易度が高い。
ましてや滋賀が迫っているとなれば尚更だ。
とはいえ、こっちのフォワードがフリーなら、他にパスを回すのも面白くない。
アキラは迷ったが、そうする内にも時間が過ぎ、ボールがアキラの足元にやってきた。
それを一旦、利き足で止めて、
「……ええい、くそ!」
そんな意味不明な掛け声と共に、リフティングを始める時の要領で、利き足の足の裏でボールを引いて、足の甲に乗せると、爪先で膝の高さまで蹴り上げた。
更にもう一度ちょこんと蹴り、胸の高さまでボールを持って来て、そこから、のけ反りながら自分の背後へと蹴り上げた。
「ふっ!」
高く舞い上がったボールは、アキラ自身と、その背後へ迫っていた滋賀の頭上を超えて、フリーの中澤の元へと届いた。
『おう、成功した! アキラ、カッケー!』
ヤマヒコの褒め言葉を聞きながら、ボールの方を向くと、中澤が丁度ドリブルを始めた所だった。逆サイドのディフェンスは間に合わない。楽々とゴールエリアまでドリブルしてからシュート、決まった。
『中澤くん、ナイスシュート! これで2対0か、決まったかな? 決まったんじゃない?』
味方のゴールにひとしきりはしゃいだヤマヒコは、次いで、
『アキラ! せっかくだから、今のプレーに名前をつけよう!』
などと、馬鹿な事を言った。
「何、言ってんだ? 馬鹿なのか、お前?」
『いや、日本代表をかわすパスだよ? もう必殺パスじゃん? なんか浮いてたし! なら必殺技には名前がいるっしょ? アキラスペシャルとか、どうかな?』
「……死んでも嫌だ」
背後へ適当に蹴り出しただけで、必殺技とかありえない。どんだけ自意識過剰なのかって話だ。しかも自分の名前を付けるとか二重にありえない。
『じゃ、山彦オーバードライブ! とかどうかな⁉︎』
「お前の名前を付けるのも、まっぴらごめんだ」
『ノン、ノン! マイネームイズ、ヤマヒコ。ヤマビコではあーりません。……だから、必殺技の由来は別だよ。それはね……』
「聞いてねえよ」
嘆息と共にアキラは告げたが、ヤマヒコは華麗にスルーした。
『ほら、山彦ってさ、やっほーって言ってから帰ってくるまで、どうやっても消すことは出来ないだろ? つまり、山彦は防げない! そして、俺たちの山彦オーバードライブも絶対に防げないスーパーパス! という意味合いを込めているんだよ! どう?』
「やべえな……久しぶりに、ヤマヒコの消し方を真面目に考えたくなってきたな……塩でも振ったら消えねえかな……」
『俺はナメクジじゃないし⁉︎ つか、それもう試したじゃん⁉︎』
馬鹿なやりとりをしていると、アキラはふと視線を感じた。
「ん?」
そちらを振り向くと、滋賀がアキラの方をじっと見つめていた。
視線は感じとれないヤマヒコが尋ねてきた。
『どうしたの、アキラ?』
「いや、滋賀が、俺の事をずっと見てるんだが……なんでだ?」
アキラの質問に、ヤマヒコは得意げに答えた。
『それはきっと、アキラの今のプレーに見惚れちゃったんじゃない?』
「はっ」
アキラは鼻で笑った。
「日本代表が? んな訳あるかよ」
『ま、それもそうだよねー』
実のところヤマヒコの考えは限りなく正解に近かったのだが、アキラも、そしてヤマヒコ自身もそれに気付かなかった。
そして、審判の先生が笛を鳴らして試合が再開されたが、やはり2点目が決め手だったらしく、最終的には2対1で勝ち、4組が優勝を決めた。
決勝戦が終わった後、槍也は、クラスメイトと「おつかれ」と声を交わした。
ハイタッチや腕を合わせるクラスメイトたちは、いい笑顔だった。
残念ながら優勝は出来なかったが、でも、当初の『皆で楽しもう』という目標は叶えられたと思う。
また、2点目を取られた原因についても、
「俺の判断ミス! ごめん!」
と、謝ったのだが、皆は、
「気にすんな、今日は皆で楽しむ日だろ。滋賀だってやりたい様にやって楽しめばいいんだよ」
「そーそー。むしろ、滋賀の失敗なんて逆にレアだし。珍しいモン見たよ」
と、笑って許してくれた。本当にクラスメイトに恵まれている。
そして、皆で教室に戻る途中、佐田が1人で別棟の方へ歩いて行くのを見かけた。
その後ろ姿を見た槍也は思わず、
「ちょっと、ごめん!」
皆にそう断わって、佐田の後を追いかけた。
さて、アキラが何の用があって、1人、別棟へ向かったのかというと、何のことはない、只のトイレだった。
手短に済ませて手を洗って教室に向うアキラにヤマヒコが尋ねた。
『アキラ、何でわざわざ別棟まで来る必要があったの? 回り道もいいとこじゃん?』
その口調には、無意味な行動へのぼやきが混じっていて、アキラにも伝わってきた。
「うるせーな。今のタイミングだと混み合って並ぶのが嫌なんだよ」
『いやいや、普通に順番待ちした方が絶対に早いだろ?』
「別に何処で用を済ませようが俺の勝手だろ? 別に路上でやる訳でも、女子トイレに進入する訳でもねー。普通に男子トイレを利用することの、一体、何処が悪いってんだよ?」
『そりゃ、そうだけどさ、でも……ん?』
足音がした。まず、ヤマヒコが気付いて、次いで、アキラも気付いた。人の居ない別棟だからこそ足音は響く。そして、足音はだんだんと近づいて来ている。
『誰だろうね? こんな場所に?』
「さあな」
ヤマヒコの質問に、適当に答えながら廊下の角を曲がると、足音の主と出くわした。
足音の主は、さっきまで試合をしていた滋賀だった。
──こいつもトイレか?
そう思って、脇にどきつつ、すれ違おうとしたら、
「佐田……だよな?」
滋賀がアキラに声をかけて来た。しかも、話した事もないのにアキラの苗字を知っている。どうやらトイレではなくアキラに用があるらしい。
『ん? 今の声は滋賀くんじゃん』
ヤマヒコが呟いたが、人前なので無視する。
「そうだけど……何か用か?」
端的なアキラの質問に、槍也は、
「いや……あの……」
と、歯切れが悪かった。
それもそのはず、この時の槍也は、アキラに対する具体的な要件を持っていなかったのだから。
それでも、何とか話題を上げた。
「さっきのループパス、凄かったよ。こっちを全く見ないままに、中澤がフリーだって把握してたんだから」
「そりゃ、どうも」
アキラは、一体、何の話だ? と思いつつも、相槌をうった。
因みにヤマヒコは、
『おう! さすが、日本代表! 見る目があるねえ!』
と、大はしゃぎで鬱陶しいから黙れ、この馬鹿。
アキラがヤマヒコを脳内で罵倒していると、槍也は更に切り込んだ。
「佐田はサッカー部には居なかったけど、何処かのクラブチームに所属しているのか?」
「いや、そんなことはしてないけど?」
「なら、高校でサッカー部に入るのか?」
「はあ? ……その予定もないな」
「じゃ、じゃあ、佐田はサッカーをしていなくて、これからもサッカーをする予定はないのか?」
「ああ、そうだけど……おい、滋賀。さっきから一体、俺に何の用なんだ?」
アキラからすれば、槍也の質問はまったく意味不明のものであり、次第に苛立って来た。
「用件がないなら、もう行くぞ」
そう言って歩き出そうとしたアキラに、槍也は思わず肩を掴んで歩みを止めた。
「待ってくれ!」
その意外かつ強引な行動に、困惑した表情を見せるアキラに、槍也は強い口調で言った。
「なあ、俺とサッカーをやらないか⁉︎」
無我夢中で言った言葉だったが、その言葉でハッとした。
——そうか、俺はこいつとサッカーをして見たい。こいつのパスを受けて見たいんだ。
自身が求めていることが分かって、心のもやが晴れた槍也。
一方、アキラの方はというと、まるで訳が分からず、ぽかんとした間抜け面を晒していた。
『おやおや⁉︎ なんか面白そうなことになりそうじゃん!』
そんな楽しげな声がアキラだけに聞こえた。
……。
……。
滋賀槍也と佐田明。日本が誇る突撃槍と稀代のパサーは、こうして、学校の一行事に過ぎない球技大会をきっかけとして、お互いの存在を知り、深く関わって行くことになる。