29 天秤サッカー部2
新入生チームとレギュラーチームの歓迎試合が始まっておよそ10分。試合の流れは、はっきりとレギュラーチームの方に傾いていた。
『ん〜、ちょっと押されてるね』
「……ちょっとじゃねーよ」
呑気すぎるヤマヒコの表現にアキラは噛み付いた。今のところスコアこそ0対0のままだが、その内容には、はっきりと優劣がついている。
今も、相手のツートップの右側がドリブル突破を仕掛けている。
真っ直ぐゴールまでの道は、こちらのDFが塞いでいるので右に逸れるように進んでいたが、ペナルティエリアの数メートル手前で中央に切り込んだ。
それまではマークと反対側である右足でボールを運んでいたが、仕掛けることを決めた相手のFWが、ボールを跨いでタイミングをずらし、逆足のアウトサイドを使って中へ──。
《シザーズ》またぎフェイントとも呼ばれるそれは、ボールを跨ぐ動作で守備の選手を幻惑し、今までの自分の進行方向とは逆向きに進むというテクニックで、上手く決まればマークを振り切ってペナルティエリアへと侵入出来ただろう。
けれど、幸いなことにそう上手くはいかず、こちらのDFが食い下がった。ガチガチに体を寄せられてボールキープがやっとの状態だ。更には後ろにスイーパーが控えていることもあり遠からずボールを奪えると予想した。
──まあ、後ろから見てて仕掛ける気が見え見えだったもんな。
騙したり、タイミングをずらしたりと、相手の意表を突くのがフェイントなのに、あんな露骨な仕掛け方では素人でも騙せはしないだろう。
あいつはそこまで上手くはない、というのがアキラの率直な感想だった。
これは、右トップだけでなくレギュラーチーム全体にも同じことが言える。少なくともアキラの目には、1年と2、3年の間にそこまで実力差があるようには思えなかった。
だがチームとしては、はっきりあちら側が優勢だ。
ペナルティエリア前の攻防は、先程アキラが予想した通り、こちらに軍配が上がった。
揉み合いからボールが溢れ落ち、それをスイーパーが確保する。
しかし、その瞬間、あちらのキャプテンが声を張り上げた。
「プレス!」
その端的な号令にアキラは顔をしかめた。声には出さないが、またかよ⁉︎ という気持ちで一杯だ。
これまでの試合の中で、すでに何回もやられたが、レギュラーチームはボールを取られても下がって守らない。むしろ、ガンガンと前に出てボール奪取を狙ってくる。
ボールを奪われたFWがスイーパーに突撃し、もう一人のFWと中盤の4人が周りの人間にマンマークに入る。アキラもまた、相手ボランチにぴったりと張り付かれた。
こうなるとパスが回し辛く、まだ人数的に余裕のある3バックの間で仕切り直すようにパスを回していたが、相手のツートップが獲物を追い詰める猟犬のように駆り立てることで、気がつけば右のライン際へと追い詰められていた。
この流れはもう3回目だ。偶然ではないだろう。
高い位置でプレッシャーをかけて、高い位置でボールを奪う。
俗に言うハイプレスと呼ばれる戦法は、ボールを奪った位置が高ければ高いほど、ゴールとの距離が短く得点しやすい。そういう攻撃的な守備だ。
これまでの2回は、ライン際に追い詰められてからの無理な縦パスを奪われたことと、どうにもならずにゴールキーパーへのバックパスからの不安定なロングキックを囲まれてと、いいようにやられている。
やっかいだが、同じ手で何度もやられるつもりはない。
俺は斜めに下がりながらボールを要求した。
「パス! くれ!」
サイド際に寄せられてから即アピールしたのが功を奏して、こちらのDFは、まだ相手FWに寄せられる前だった。
フリーな状況なので、落ち着いた、かなり正確なロングパスがアキラの元へと飛んで来た。
逆にアキラはガチガチにマークされた状況だ。今も前を向かせない様にべったりと背中に張り付かれている上に、隙あらばアキラの前に出てボールを奪う気だ。
当然、アキラも両腕を広げて背中で押し返した。
『どうする。突破は無理だろうし、おとなしく下げとく?』
ヤマヒコがそう提案してきたが、アキラは、なめんな! と内心で毒づいた。
確かにアキラには、この状況で正確にトラップして、更には前を向いてマークを抜く……なんて技量は無い。
が、無いなら無いで他に策があるからボールを要求したのだ。
マークとの押し合いを続ける内にボールがやってきたので、左足を伸ばしてボールを受け止める……ように見せかけて、その実、マークの左側へと体を入れた。
触らなかったボールは、そのままボランチの左側を抜けていく。当然、ボランチがボールに触ろうとするが、終始アキラ自身の体が邪魔をした。
時折、街中で見かけるガラス張りの回転ドアの様な動きで、ボールとマークの位置を入れ替え、ついでにアキラ自身も前を向いた。
『おお! やるじゃん、アキラ!』
ヤマヒコの賞賛に、フン! と鼻息荒く答えた。今の動きは初めてにしては上出来だ。
以前、テレビの中継で見かけたのだが、ボールに一切触らずに相手を抜くのがユニークで、アキラの頭の片隅に残っていた。
これなら、あれこれ細々しくボールをいじらなくても、タイミングさえ合えばマークを振り切れる。
そして、一度振り切ってしまえば、後は悠々と進めた。
──やっぱりな……。
前線でハイプレスを敷く代償に、一度網を抜けば、後ろが手薄だ。
相手のサイドバックがアキラを止めようと近づいてくるが、
『右奥に放り込め、イケる!』
それよりも早く、上がったサイドバックの後ろのスペースにボールを放り込んだ。
滋賀がボールを追って加速する。実のところ、アキラの想定以上に勢いよく転がってしまったのだが、まあ滋賀なら大丈夫だろう。
アキラもまた、次の滋賀からのセンタリングに備えて、ペナルティエリアを目指した。
が、
『あれ? 選択ミスったかも?』
いきなりヤマヒコがそう言った。
「はぁ⁉︎ 出してから言うなよ⁉︎」
『ごめん。でも、出してから状況変わったから。滋賀君のマークが入れ替わって背の高い方がゴール前に残ってる。これじゃ、競り合いは厳しいんじゃない?』
見れば確かに、さっきまで滋賀についていた背の高いヤサ男が中央に残っていて、敵に深く攻め込まれたこの状況で、なおも柔和な表情を崩さずコーチングを飛ばしている。
『凄いね、冷静だよ。サイドを抜かれるのは多分、あちらの想定内。──どうする、アキラ?」
「……いくさ。決まってんだろ」
相手の思うツボだろうが、ここで攻めない選択肢は無い。
アキラはペナルティエリアに侵入した。
しかし、ヤマヒコの指摘した通り、高さ的にはミスマッチだった。
「高田、センタリングはあげられてもいいから中に切り込まれないように注意してくれ。篠原はバックパスのコースを切りながら高田のフォロー」
味方へ指示を出しながらアキラのマークについたセンターバックは、169センチと決して背が低くはないアキラより、軽く10センチ以上、目線が上だった。
──185はあるか?
こちらの経験不足という点もあり、ヘディング勝負で勝てる気がしない。かと言って、もう一人のFWも背が低く、やはりミスマッチになっている。
そんな中で滋賀が出したのは、後から上がってきたボランチだった。アキラやもう一人のFWと違い、ゴールから遠い場所にいたのだが、それゆえマークが甘かった。
そこに低めのロングボールを放った。ヘディングさせる為じゃない。トラップしてシュート、もしくはダイレクトボレーをさせる為のボールで、マークに張り付かれていたにも関わらず正確にボランチの胸元に飛び込んできた。
が、滋賀がボールを蹴ったと同時に、アキラをマークしていたセンターバックがアキラを放り出して前に出た。
『うそ⁉︎ 届くの⁉︎』
アキラも全くの同意見だったが、センターバックは迷いなく一直線に進み、最後は頭から飛び込んでボールをクリアした。
弾かれたボールは逆サイドへ高く舞い上がると、ワンバウンド、ツーバウンドしてからサイドラインを割った。
こちらボールだが、一息つかせてしまった形だ。
「朝霧、ナイスクリア!」
部長の力強い声に、ゆっくりと立ち上がりながら、軽く手を挙げて答えるセンターバックこと朝霧先輩。短いやり取りながら、信頼し合っていることが見てとれる。
『全国目指しているだけあって、結構、手強いんじゃない?』
「……かもな」
口数の少なさは、消極的な同意と同じだった。
その後、スローインから試合を再開したが、どっしりと構えられて攻め切れずにボールを奪われた。
そのまま縦パスひとつでボールはセンターラインを越える。
もちろん、そんな単発的な攻撃でゴールを奪われたりはしないが、あちらは再びハイプレスを仕掛けてプレッシャーをかけてくる。
そして2分後──。
パスミスから溢れ落ちたボールを巡って混戦が起き、そこから抜け出た相手FWがどさくさ紛れにシュートを決めた。
その失点シーンを後ろから見ていたアキラが思わず唸った。
『ドンマイ、ドンマイ。まだ時間は十分にあるよ。だから、あんまり焦らない』
「焦ってなんかねーよ」
内心をズバリと言い当てられたアキラだが、癪だったので否定した。
そして転がってくるボールを前に送ってトップ下の位置に付く。
それからきっかり5秒。最初のキックオフと同じく、再び一年ボールで試合が再開された。