28 天秤サッカー部
「うへぇ……気持ち悪る」
部室の隅の用具入れの中に転がっていたレガースの感触が気持ち悪くて、アキラは泣き言を漏らした。
そうゴツいタイプではないので、サッカー用のだぼついた靴下でなくともギリギリ収まるのは助かる……が、気持ち悪いものは気持ち悪い。
試合をするなら脛当てをちゃんと付けろ、という部長の指示に一応頷きはしたが、どこの誰のものともわからない中古品には、貸してくれてありがとう、などという殊勝な気持ちは微塵も湧かない。
──とっとと、新品を揃えよう。
アキラはそう心に決めながらグランドへと足を入れた。
ぐるりと敵味方を見渡したが、敵も味方も滋賀以外、見事に知っている人間は一人もいなかった。
つまり、敵にしろ味方にしろ、どんなプレーをするのか全くわからない。
──ま、行き当たりばったりでやるしかねえか……。
そんな風に考えながらトップ下に付いたが、ふと、自分が味方チームのメンバーから妙に視線を集めていることに気付いた。
それも、敵意があるとまでは言えないが、あまり友好的とは思えない、悪目立ち……という表現がしっくりくる、そんな視線だった。
──なんだ? まだなんもやってねえぞ。
と、思うアキラだったが、ヤマヒコが嘆息と供に告げた。
『ねえ、アキラ。さすがに入部から15分で揉めるのは止めた方がいいと思うよ?』
予想外のことを言われて、驚愕と供に噛み付いた。
「ああ⁉︎ 俺が何したってんだよ⁉︎」
『マジで言ってるのか、……あのさ、さっきのポジション決めの時、アキラが真っ先に、「俺はトップ下やる。滋賀は右のフォワードだろ。あとの奴らの得意分野は知らないから、好きに決めてくれ」って言ったことは覚えてる?』
「……まあ、言ったな」
さっき自分で言った言葉だ。流石に一字一句まで合ってるかはともかく、似たような事を言ったことは言った。
「でも、それが何だ?」
『いや、アキラは1人だけ遅刻してきたじゃん? それにジャージ姿……つまり、中学でサッカー部に入っていなかったのはアキラと右のサイドハーフの子と2人だけだろ?』
「だから?」
『だ〜か〜ら〜、 初心者が自分の都合だけをグイグイ行き過ぎると、経験者から反感買うよ……と、俺は言いたい訳ですよ』
「……なるほど」
言われてみればヤマヒコの言う通りだ。
自分が悪目立ちしていることにも納得がいく。
が、
「ヤマヒコ。んなことはほっとけ」
アキラは興味なさげに言った。ヤマヒコの言いたいこともわかるが、周りに気を遣って、やりたいポジションも言えないようじゃサッカー部に入った意味が無い。
「他人の都合より俺の都合の方が、百倍大事だ」
『いやいや、今から一緒にサッカーする仲間なんだから仲良くしようよ! 空気読もうよ!』
「実力がありゃいいんだ。サッカーが上手けりゃ道理の方が引っ込む」
『それも正直、どうかと思うよ? やる気出たのはいいけど、御堂君の話はちょっと極端すぎる気がするんだけど……』
「それでいいんだよ。──それよりも、試合の方に集中しろよ」
アキラはヤマヒコの話を打ち切って強引に話題を変えた。実際、アキラにとっては、そっちの方が遥かに大事だ。
「今のサッカー部のレギュラーが相手だ。お前、まさか滋賀がいるから楽勝だ……なんて思ってないよな?」
念の為に釘を刺すと、心外そうな声が返ってきた。
『まさか⁉︎ 天秤は全国目指してるんでしょ? 第一、俺たちなんて今日サッカー始めたばかりの初心者じゃん?』
「わかってるなら、良し」
小さく頷いたアキラは、相手チーム、その中でもアキラと同じ中盤の面々を眺めた。
──1、2、3、4人か……。
後ろにボランチが1人、前にトップ下が1人、左右にインサイドハーフが1人ずつ配置されていて中央部で菱形を形成している。
少し珍しいと思った。
4ー4ー2のダイヤモンド型は、テレビなんかではあんまり見かけない陣形だ。
一体、どんなサッカーをするのかは、この試合でわかるだろう。
まあ何にせよ、アキラがレギュラーになるには、この4人の内の誰かを押し退ける必要がある。
──やっぱ、トップ下か……。
アキラは、レギュラーチームのトップ下であるサッカー部のキャプテンを、そのポジションを取って代わる気満々で睨みつけた。
……。
……。
「40分ゲームで後半は無し。キックオフは1年チームで……じゃあスタート」
主審役の先輩の号令で試合が始まった。
キックオフから、まず滋賀がボールを持ち、細かいタッチで駆け上がろうとするが、相手のFWが勢いよく迫ってきた為、無理をせず、トップ下のアキラへボールを下げた。
FWがボールを追いかけるように、滋賀からアキラへと標的を変える。
『うわ! 来たよ来たよ! とりあえず後ろに下げとこ!』
ヤマヒコの案に異論は無かったので、ボールを左斜め後ろのボランチまで下げると、アキラの元へと迫っていたフォワードが標的を変え、猛然とアキラの横を通り過ぎた。
──初っ端から激しいな、闘牛かよ……。
積極さを買うべきか、体力の無駄使いと言うべきか迷う所だが一つだけ分かる。どうやらレギュラーチームは歓迎……なんてムードではなく本気で来るみたいだ。アキラとしてもそっちの方がいい。望むところだ。
「とにかく、パス回すか」
アキラはヤマヒコに向けて小声で囁く。
『オッケー! ……というか、俺らそれしか出来ないもんね。じゃあ、もうちょっとポジションを上げよう!』
一言余計だ、と思ったりもしたが、了承と指示が返ってきたので、アキラは動き出した。
ハーフラインの向こう側で味方からボールを貰おうとする。
ボールが、左のボランチからサイドハーフへ渡った所で、アキラもフィールドの左側に寄ってパスを要求した。
要求通り転がって来たボールを、ダイレクトパスでそのまま前線に送る。
左の小柄なFWは、アキラからのボールをきちんと足元へと納め、くるりと前を向くと相手のDFに突っかかった。
右足で細かく細かくタッチしながらDFとの距離を詰めていく。
相手DFもドリブルに合わせる様にゆっくりと近づいていった。
互いに突っかかるタイミングを伺う二人。
まるで、先に動いた方が負けの決闘のようだが、そんな慎重な読み合いを繰り広げる二人とは裏腹に、周囲はせわしなく動いている。
相手のもう一人のセンターバック(部活紹介で部長と一緒に壇上に上がった背の高い男)はフォワードに抜かれた時の為にカバーリング出来るポジションを取り、ライン側に配置されているサイドバックも、こちらのFWを挟み込もうと寄せて来ている。
逆サイドのサイドバックも中に入って、こちらのもう一人のFWである滋賀をカバーしている。
こちらはこちらで滋賀はパスを貰えるようにポジションを変えているし、ライン側をサイドハーフがオーバーラップしようとしている。
一つのボールを巡って、敵味方がそれぞれの思惑で動いていく事でフィールドの形が刻一刻と型を変えていく。
アキラもまた、中央でバックパスを受けられる位置に走り込む。
走る最中、不意に高揚感に襲われた。
──あ〜……俺、サッカーやるんだ……。
今更かもしれないが、実際にボールを蹴ることで、よりはっきりと実感できた。こう、力がみなぎってくる感じがする。
そんな時だ、グランドの外から女子マネの声援が飛んで来た。
「兄さん……皆さん、頑張ってくださいね!」
「ああ、琴音ちゃんは一年生チームの応援か〜。じゃあ、私は先輩チームの応援をしよう。みんな〜! 先輩の意地を見せるんだよ〜!」
全く、男という生き物は呆れる程に単純で、どいつもこいつも、女子の声援一つではっきりテンションが上がっている
ちなみに一番テンションが上がっているのが、例によって例の如くヤマヒコだ。
『アキラ、聞いた? 琴音ちゃん頑張ってね、だって! これはもう全力130%を出すしかないね!』
「……お前、そんなんで、もし本当に実力が3割も上がったら怒るからな?」
『えー、でもでも。そういうアキラだってテンション上がってない?』
「俺は純粋にサッカーに対してやる気でてるんだよ! 滋賀の応援にじゃねえ!」
少し馬鹿らしい会話をしながらも、点を取る為に動いていく。
今日、この日。
四月の始めの晴れた午後。
アキラたちのサッカーが始まった。




