25 変わり者のクラスメイト
滋賀槍也は、オリエンテーションが終わった1限目あとの休憩時間に、妹のいる隣のクラスへと向かった。
といっても、用があるのは妹ではないのだけど、兎にも角にも、自分の教室を抜けて3歩も歩けば目的地だった。
ガラッと教室の扉を開けると、女子生徒が目の前にいて、槍也に驚いて一歩下がった。
どうやら、彼女が扉を開けようとしたタイミングで扉を開けてしまったみたいだ。
驚かせてごめん。という気持ちを込めて軽く会釈をしたら、相手はどうやら槍也のことを知っているらしく、「きゃあ!」という悲鳴……というか歓声を上げた。
そんな彼女の声に釣られて、中にいた生徒たちの注目が集まった。
男女問わず好奇の視線が突き刺さる。
──あ〜〜……。
ちょっと照れくさくて困る。
自分がまがりなりにも有名人であることは自覚しているが、サッカーをしていない時は割と普通の奴(と、槍也だけが思ってる)なので、この手の視線にはいつも少し戸惑ってしまう。
とはいえ毎度と言えば毎度の事なので、あまり深く悩んだりはせずに3組の教室へと足を入れた。
そんな槍也に、扉のすぐ近くに座っていた琴音が声をかけてきた。
「兄さん、どうしました? 何か忘れ物でもしました?」
「いや、そういう訳じゃないんだ。──用があるのはあっちの方」
わざわざ席を立とうとする琴音を静止して、お目当ての人物である佐田を見つけて指差すと、釣られるように琴音の視線が佐田へと向けられた。
ついでに、槍也の視界に写っているだけでも、結構な人数が、槍也の仕草に釣られて佐田のことをしげしげと見つめたので、当の佐田の顔色が見る見ると、しかめっ面に変わっていく。
今から、佐田に用があるというのに困りものだ。
──無理もないか。
注目されることに慣れている槍也ですら、ちょっと照れくさく思うのだ。慣れてない佐田が好奇の視線に戸惑うのも無理はない。
悪いと思いつつも、こればかりは槍也自身ですらどうしようもない。
気をとりなおして、椅子に座っている佐田の前まで移動して、にっこりと言った。
「おはよう」
フレンドリーな槍也に対して、佐田の方は、槍也の十分の一ほどの愛想もなかった。
「ああ、おはよ……何の用だ?」
普通に挨拶をしただけなのに警戒感が凄い。
まるで、毛を逆立てた猫のようだ。佐田のつり目がちな目が、余計にそう思わせる。
もっと打ち解けられないかと思うものの、よくよく考えてみれば、自分は佐田と会うたびに結構な無茶を言っているので、自業自得な面もある。
──これから、頑張ろう。
そう、前向きに思いつつ本題に入った。
「今日の6限の代わりの部活紹介。一緒に見に行かないか?」
「部活紹介? ああ、あれか」
一瞬、怪訝そうな顔をした佐田だったが、直ぐ腑に落ちたように頷いた。
1限目のオリエンテーション。担任の先生がこれからの予定を説明してくれたのだが、今日は、普通は6限まである授業が5限までで、代わりに天秤高校に存在する各クラブの、新入生獲得を目的とした自己紹介が行われる予定だ。当然、サッカー部もあるだろう。
ただ、このイベントは一年全員が参加するわけではなく、自由参加となっている。
そこで槍也は、佐田が部活に、ひいてはサッカーに興味を持ってくれるかもと思い立ち、今こうして佐田を誘いに来たのだ。
槍也の誘いに、しばらく考え込んだ佐田だが、やがて、
「……そうだな。ちょっと見てみるか」
と、槍也の案を了承した。
「ほんとか!」
つい弾んだ声が出た。別にサッカーを始めることを決めた訳ではないし、部活紹介でサッカー部を気にいる確証もないし、それどころか逆に気に入らない可能性も全然あるのに、流石に一喜一憂しすぎだとは思うのだか、それでも佐田が興味を示しているのが嬉しい。
「言っとくけど、まだ決めた訳じゃねえからな」
「わかってる。──じゃあ、5限が終わったら迎えに行くから……」
「おい、悪いがそこを退いてくれ」
会話の途中、唐突に横槍を入れられた。槍也がそっちを向くと、おそらくはこのクラスの一員であろう男が、少し煩わしげな表情でこちらを見ている。
どうやら、槍也の向こうに行きたいようだ。
「ああ、ごめん」
そう言って、横にずれて場所を譲ると、男は槍也の脇を抜けて、佐田の後ろの席に座った。
別に何でもない話だ。
だけど、槍也は妙な既視感を覚えて、その男子生徒を見つめた。
髪を軽く七三分けにしている真面目そうな高校生。少し前に170センチを超えた槍也より、頭半分背が低い。全体的に色白で線が細くて、ともすれば虚弱に見えてもおかしくないけど、そんな印象はまるでない。よく見れば、細身ながら筋肉はしっかりと付いている。
これで、日焼けして、坊主頭だったら……、
「御堂……御堂恭平?」
半信半疑。という気持ちで槍也が名前を呼んだら、
「お前の知る御堂恭平は死んだ。人違いだ」
という、なんというか、本当に御堂らしい返事が返ってきて確信した。やっぱり、この男は御堂だ。
槍也の記憶にある姿とあまりにも変わっていたので気づくのが遅れた。
疑問が一つ解決されたが、同時に新たな疑問が湧いてきた。
一体、何故、御堂が此処にいるのか?
さっぱり訳が分からなかった。
……。
……。
アキラを部活紹介に誘いに来た滋賀が、後ろの席の奴を不思議そうに眺めていたと思ったら、唐突に名前を呼んだ。
──ん? 知り合いか?
なんて思っていると、後ろの席の誰かさんは、すっげえ厨二チックな返事を返してアキラを驚かせた。
──なんだよ、御堂恭平は死んだって……阿呆じゃねえの?
そう考えたアキラは絶対に悪くない。 更には、
『うわー! この人、ちょっと馬鹿っぽいね!』
ヤマヒコもあっけらかんと言った。何かと意見が食い違うことの多いアキラとヤマヒコだが、今回ばかりは同意見らしい。
そんな、二人から馬鹿認定された御堂に、滋賀は目を丸くしながら問いかけた。ちょっと焦っているようにも見える。
「え? 何で御堂が天秤に? ここ、普通の公立高校だよ?」
「だからなんだ? 俺がここに居て何がおかしい? お前がここに居ることの方がよっぽどおかしいだろう」
「それは、そうかもしれないけど……でも、御堂は黒牛からスカウト来てたよな? 行かなかったのか?」
「だから、黒牛からスカウトが来ていたのはお前もだろう? いや、黒牛どころか全国各地からスカウトされていた筈だ。なぜここに来た?」
「いや、ちょっと色々とあって……」
「どんなふざけた事情があってそうなったのか、俺には見当もつかないな」
「いや……その……」
「ああ。言いづらいなら言わなくてもいいぞ。人間、色んな事情があるもんだ」
──へえ。
二人の会話を聞いていたアキラは双方に関心した。
どうやら、妹だけではなく兄の方もアキラとの経緯を大っぴらに吹聴する気はないみたいだ。
アキラにとっては良いことだ。
そして御堂の方も、ちょっと……いや、かなり痛い奴だが、野次馬根性よりも気遣いが先に来る人間は嫌いじゃない。
思いがけず興味が湧いたアキラは、滋賀に尋ねた。
「どういう知り合いなんだ?」
「ん? 御堂と? うーん……友達なんだけど……」
アキラの質問に槍也は戸惑った。
どう答えるのか言葉に迷う。サッカー仲間というのが一番しっくりくるのだが、それでは御堂を表すには、あまりにも説明足らずに思える。
迷った末に、
「御堂は、神奈川選抜チームのフォワードだったんだ」
と、答えた。
どういう知り合いか? という質問と、いささか食い違うかもしれないが御堂の紹介としては分かり易い──そう、槍也は考えたのだが、サッカー素人の佐田が、明らかにちんぷんかんぷん、という顔をしていたので懇切丁寧に説明を加えた。
「サッカーには、その県の上手い選手を集めて、高いレベルで切磋琢磨させようってイベントがあって、選抜とかトレセンとか呼ばれているんだけど、佐田は聞いたことない?」
「無い」
「そ、そっか……まあ、そういうイベントがあって、俺も参加したことあるけど、やっぱり県の中でも上手い奴が集まるから、一緒にサッカーするのはいい経験だよ。──それで、時々、県同士の交流戦なんかをすることもあるんだけど、その時にトレセンに呼ばれた選手の中から選抜チームが選ばれるんだ。神奈川の中学生の中でも上手い奴を集めたトレセンの中で、更にレギュラーを担った選手。それが御堂だよ」
「へーえ……そりゃ凄え」
槍也の説明にアキラはおざなりではなく感心した。細かいことは、いまいち理解できなかったが、要はアキラの背後に座る男は、サッカーにおいて、神奈川でもトップクラスの実力者ということだ。とてもそんな風には見えないからびっくりだ。
が、恭平は素っ気なく言った。
「そんな大層なもんじゃない。所詮は県止まり、そこの男に一度も勝てなかった程度だ」
だいぶ否定的な言葉だったが、槍也は真顔で否定した。
「そんなことないよ。ドリブルは俺より上手いじゃないか? ──御堂のドリブルは特別だよ。俺が保証する」
「……ほんとかよ?」
アキラはますますびっくりした。例えドリブルだけだとしても滋賀の上を行くのは尋常じゃない。
でも、それが本当なら、ちょっと首を傾げざるをえない。
「何でそんな凄え奴が天秤に? もっとサッカー強い学校に行かなかったのか?」
アキラは自然に湧いてきた疑問をそのままぶつけた。
すると、恭平はこれ見よがしなため息をついた。
「その質問はそいつに言えと言いたいが……まあ、いい。滋賀も居ることだ。今の内にはっきり言っておく」
そう言って、アキラというよりも、むしろ槍也の方に向けて宣言した。
「俺は中学まででサッカーを辞めた。高校でサッカーを続けるつもりはない」
「ええっ⁉︎ 嘘だろ⁉︎」
槍也は取り乱した。信じられないという思いが、顔にまざまざと浮き出ている。
槍也は、さっき御堂のドリブルが自分より上だと言ったが、あれは冗談や謙遜などでは断じてない。あの独特のドリブル突破は御堂だけが使えるもので、他人が真似するのは不可能とすら思ってる。少なくとも槍也には無理だ。
そんな御堂だから、当然、プロを目指していると思っていたし、プロになれる器だと思っていた。
その御堂がサッカーを辞めた。ちょっと納得できない。
「なんで辞めたんだ? ……もし悩みがあるなら相談にのるよ」
「いらん、別に悩んでいる訳じゃない……と、言ってもほっといてくれないよな?」
おせっかいな奴だ。と、一言呟いてから恭平は続けた。
「別にサッカーが嫌いになった訳じゃない。けど、それより大事な目標が出来て、サッカーに時間を割く暇がないんだ」
「目標?」
「話しても構わないが、馬鹿にしたり否定したりするなよ? そんな言葉はいらん。別に何を言われても俺の意思は変わらんが、ムカつくものはムカつくんだ」
えらく慎重な前置きだった。
その後、槍也が「わかった」と頷くと、恭平は端的に言った。
「俺は芸術に目覚めた」
「「芸術⁉︎」」
『芸術?』
予想もしていなかった言葉に、アキラと槍也と、ついでにヤマヒコの言葉が揃った。
おもむろに恭平が頷く。
「そう、芸術だ。詳しい経緯は省くが、去年の冬に一枚の絵画に出会ったんだ。桜並木を描いた絵でな、桜の花びらや野花が色鮮やかにキャンバスを飾っているのを見て感動したよ。本当に感動した。──なあ滋賀、俺がそれを見て泣いたなんて信じられるか? 少なくとも1年前の俺なら、自分が絵を見て泣くなんて絶対に信じなかっただろう。……でも本当なんだ。そして、もっと絵の世界に触れてみたいと思った」
そう言って恭平は、自分の左手をアキラたちに見せた。
ごく普通の手だが、ところどころ、うっすらと色がついていた。ペンキなのか絵の具なのかはわからないが、この男が絵を描いている……ということは二人とも理解できた。
「俺は高校ではサッカー部ではなく美術部に入る。そして、いずれは美大に入りたいと思ってる」
恭平が宣言すると、槍也が複雑な顔をした。
素直に納得できない。引き止めたいけど引き止められない。そんな気持ちがなんとなくアキラにも伝わる。
「御堂、サッカーに未練はないのか?」
槍也にしては歯切れの悪い質問に恭平は苦笑した。
「無い。……といっても、去年の暮れはずいぶんと悩みはしたがな。──最初に言っただろう? お前の知るサッカー選手の御堂恭平はもういないんだ」
そう恭平が言い終えた所で、2限目を迎えるチャイムが鳴った。クラスの皆が自分の席に戻って行く。
槍也もまた自分の教室に戻ろうとしたが、その前に、改めて恭平に向き直った。
「御堂が自分で決めたなら応援しなきゃとは思うんだけど……ごめん。今はまだそういう気持ちになれない。気持ちが整理できたら、ちゃんと応援するよ」
そう言い残して、今度こそ自分の教室へと戻って行った。
残された二人はなんとなしに顔を見合わせた。
「律儀な奴だ。別に認める必要なんてないだろうに」
「まったくだ」
恭平の呟きに、アキラが同意した。
それっきり、二人は会話を切り上げて次の授業の準備を始めたのだが、しばらくして、アキラは英語の教科書を取り出している所をポンポンと肩を叩かれた。
「ん?」
アキラが振り向くと、恭平が気まずそうに言った。
「たしか佐田だったか? 今気付いたんだが、実はシャーペンを忘れてきてな……予備があったら貸してくれないか?」
「それはいいけど……それは?」
アキラが親指で指したのは、机の上に置かれている筆箱だ。筆箱があるのに中身だけ忘れて来たのかと思ったけど違った。
「いや、間違えたんだ」
ますます気まずそうな顔をした恭平が、筆箱の中から取り出したのは数本の筆だった。毛先が細い奴から太い奴まで、キャンパスに描くには便利そうだが、ノートに使えそうな奴は一つもない。
──ああ、なるほど。筆用の筆箱かあ。
今時、筆箱の中に、まんま筆を入れている学生は数少ないのではないか?
──これが本当の筆箱。
そんなフレーズを思いついたらツボに入った。
「〜〜〜〜〜くっ〜〜〜〜ははっ!」
『いきなり、どうしたの?』
ヤマヒコが異変を感じて問いかけてきたが、笑い声を堪えるのに精一杯で答えられない。いや、ほんと腹が痛い。
「おい」
恭平がぶすっと睨んできたが、今のは流石に俺が悪いと思う。
「いや、すまん! 馬鹿にした訳じゃないんだ。ただ、ちょっと……」
アキラは先生が来るまで必死に謝った。