23 高校生活でも人気の滋賀兄妹
七海との不毛な争いは、登校時間が来たので、ほぼ強制的に終わりを迎えた。
アキラは、そのまま家を出て、道中、コンビニで昼用のパンを買ったりしながらも、大体20分ほど歩くことで、天秤高校へと到着した。
玄関で内ばきに履き替えると、寄り道することもなく真っ直ぐ、3階の自分のクラスに向かった……のだが、通り道にある2組に、大きな人だかりが出来ていた。
男女を問わずガラス越しに教室の中を眺めている。
──何だ何だ?
野次馬根性とでも言うのか……アキラも興味が湧いたが、人だかりの中から、
「きゃーー! いる! リアル槍也がいる! サインお願いしてもいいのかな⁉︎」
という、はしゃいだ女子のセリフが聞こえた事で、全てを理解して関わるのを止めた。
──こいつら、みんな、滋賀目当てか……。
まるで、動物園のパンダのごとき集客力だ。
馬鹿馬鹿しいと思いつつも、理解できない訳でもなかった。なんせ、下手な芸能人より有名な男だ。
アキラは人だかりを迂回しながら歩いたのだが、脇を抜ける時に、 ちらっと2組の方を見ても人ごみが邪魔で、中にいる筈の滋賀の姿は見えなかった。
──七海の言う通りかもな……。
朝、七海から、滋賀とのいきさつは内緒にしとけ、と忠告された時は、ずいぶんと大袈裟だと思っていたが、この様子を見るに大袈裟でも何でもなかった。
もし、滋賀がアキラを追って天秤高校に入学した事が広まれば、このうざったらしい注目がアキラに向けられることになる。冗談じゃない。
これからの学生生活に不安を覚えながらも、人だかりを抜けて、ようやく3組にたどり着いたと思ったら、なんと3組の前にも小さな人だかりが出来ていた。
──またかよ……今度は誰だ?
そう疑問に思ったが、すぐに答えが浮かんだ。
2組と違って、こっちの人だかりは全員男だ。つまり──。
アキラが教室の引き戸を開けると、予想通り、滋賀兄妹の妹の方が野郎どもの視線を集めていた。彼女は自分の席に座って、クラスの女子とおしゃべりをしている。
一応、野郎どもの目的が、琴音ではなく一緒にいる女子たち、という可能性もなくはないのだが……いや無い。100パーこいつが目当てだ。
「大変だな、美男美女も……」
そんなことを呟きながら、アキラは琴音の隣の席に座った。
いや、別に、深い意味があるわけではなく、ただ単にそこがアキラの席。
まだ席替えもしていないので、五十音順で席が決まってる……というだけの話。
「おはようございます、佐田くん」
「ああ、おはよ」
アキラに気がついた琴音から、馬鹿丁寧に挨拶されたので、アキラも短く返した。
また、琴音が挨拶したことで、一緒にいる女子たちの視線がアキラに向けられたのだが、どうやらアキラは彼女たちの対象外らしく、すぐに興味を失い、おしゃべりを再開した。
「それにしてもー! 滋賀さんのお兄さんってテレビよりずっとカッコいいね! さっき、ちらっと見て来たけど、ほんとイケメン王子様だったし!」
──また、あいつかよ!
おしゃべりに夢中で、隣の席どころか教室中に広がる女子のセリフに、アキラは鞄を広げて教科書を取り出しながらも、胸中で毒づいた。
ここまでくると、他人ごとながらムカムカして来た。
別にイケメンなあいつが、きゃーきゃー言われて注目の的であることが妬ましい訳じゃない。
むしろ、逆だ。
芸能人でもないのに、ここまで周囲の注目を浴びて、一挙一動を見張られるなんてウザすぎるにも程がある。
──あいつ、好きな時に鼻くそをほじる自由すら、なくねぇ?
アキラは、珍しくも本心から槍也に同情していたが、
「ねえ、滋賀さん。もし良かったら、今度、お兄さんを紹介……というか合コンとか開かない?」
という、恐ろしいセリフが聴こえて来て、アキラは鞄の奥の筆箱を取り出す作業をピタッと止めた。
『うわ! 大丈夫かな、この娘⁉︎』
ヤマヒコが本気で心配しているが、アキラもまったくもって同感だ。名前も知らないクラスメイトの身の安全を真剣に心配する。
というのも、アキラが知る滋賀琴音という少女は、度を超えたブラコンだからだ。
琴音との付き合いは、浅く短く、そもそも付き合いと呼べるほどの付き合いすらないが、それでも、琴音がブラコンと呼べる人種であることは、十分に承知していた。
なんせ、兄を追って進学先を水瓶高校から天秤高校に変えるくらいだ。
そのことを本人の口から聞いた訳じゃないが、それ以外の理由で水瓶から天秤へと変える理由が、何一つ思いつかないので間違いないだろう。
はっきり言って、アキラには兄を追って進学先を変えるとか理解できない。
そんな、アキラの理解を超えるブラコンである琴音に、兄を紹介してくれなんて喧嘩を売っているとしか思えない。
思わず惨劇を想像して、
──どうしよう? 喧嘩が始まったら、止めに入るべきなのか?
などと真面目に検討したが、
「ごめんなさい。兄さんはサッカーひと筋の人なんで、その手のお誘いは全部断っているんですよ」
琴音は、端的かつ棘のない言葉でかわした。
それに彼女たちは、「えー」と落胆したものの、「まあ、サッカー選手だし、仕方がないっか……」と、納得したようだ。
よくよく考えてみれば、この手のお誘いは中学時代から頻繁にあっただろうし、それにいちいち噛み付いていたら、悪い噂の一つも、 アキラの耳まで届いていただろう。
──やれやれ、とんだ杞憂だ。
何ごともなくて安心したアキラだったが、次に聞こえたセリフに固まった。
「でも、サッカーひと筋なら、なんでウチに来たの? ウチはふっつーの公立高校だよ? 滋賀さんのお兄さんクラスの人だったら、もっとスポーツに力を入れてるとこに行くんじゃないの? よく知らないけど……」
嫌な感じに心臓が騒ぐ。
ここで琴音に、
「それはですね、兄さんは、この隣の席の佐田くんと一緒にサッカーをやりたくて、特待生を蹴って天秤高校に進学したんですよ」
なんて言われた日には、このクラスどころか、学校中から色メガネで見られる羽目になるだろう。槍也に続く、客寄せパンダ2号になってもおかしくない。
──絶対に、ごめんだ……。
とはいえ、
「滋賀。俺と兄貴のことは内緒にしてくれ」
などと口を挟む訳にもいかない。自爆もいいとこだし、第一、アキラはただサッカーをしただけで、悪い事は何もしてないのに、なんでこそこそと口止めをしなければならないのか?
他人から、好奇心で探られるのは嫌いだが、だからといって、隠蔽にあれこれ頭を悩ませるのはもっと嫌いだ。
結局、なるようになれよ──と、いささか捨て鉢な気分で机に肘をついてアゴを乗せたアキラだったが、
「そうですね。実際、兄さんにはそんなお話もあったのですが……ちょっと家庭の事情が色々とありまして、この高校に進学することになったんですよ」
琴音はしれっとそう言って、アキラを驚かせた。
思わず、そちらを向いた。
女の子たちは、
「ふーん……そうなんだー……」
と、素直に受け入れたが、アキラとのあれこれは、どう考えても家庭の事情とは言わないだろう。
キンコーン! と、唐突に始業のチャイムが鳴った。
おしゃべりの時間はお開きとなり、「じゃあね」と、彼女たちは自分たちの席に戻って行く。
一人残った琴音は、ふと、まじまじとその顔を見つめているアキラに気付いた。
そして、目は口ほどに物を言ったのだろう、アキラの表情からアキラの疑問を読み取った琴音は、人差し指を唇に当てて微笑んだ。
「内緒です」
かろうじて、アキラにだけ届くような小さなささやき。
どうやら、彼女は、アキラと槍也の経緯を周囲に吹聴する気はないらしい。
誰の為かと言えば、間違いなくアキラの為だろう。少なくともアキラ自身は、助かったと感じている。
──借り、一つ……だな。
さて、どうやって返したもんかと、一瞬、悩んだが、直ぐに答えが出た。
たぶん、兄馬鹿な彼女は、アキラがサッカーを始めることを望むだろう。
──どうすっかな……。
アキラは担任が来るまでの間、それについて頭を悩ませた。