2 とある学校の球技大会1
山がすっかりと紅葉に染まった11月の半ば。
アキラは学校のグランドで白黒のボールを蹴っていた。
今日は3年生の球技大会で、男子は外でサッカー、女子は体育館でバレーを行っている。
球技大会。それは全8クラスによる勝ち抜き戦。
普段は勉強をする場所である学校で、まる1日、公然と勉強せずに遊べるとあって、どのクラスも和気藹々と優勝目指して盛り上がるイベント。
というのが1、2年生にとっての球技大会だ。でも、アキラたち3年生には、少し事情が変わってくる。
なんせ、高校受験まで3ヶ月を切っている。まる1日を運動に費やすぐらいなら、受験勉強に費やす方がマシだと考える奴も少なくない。
だから、要領の良い奴ほどレギュラーから抜けて机で参考書を開いているし、試合に負けても、
「これで受験勉強に専念できる。むしろやったぜ」
という空気が蔓延していて、いまいち熱気がない。
そんな微妙な盛り上がりを見せる球技大会を、アキラたち3年4組は、破竹の勢いで勝ち進んでいた。
今現在、3年1組と決勝の舞台を賭けて……もしくは負け抜けを賭けているのかもしれないが、兎にも角にもスコアは4対1で残り時間はあと2、3分という状況だ。
まず間違いなく勝つだろう。
因みに1回戦も4対0と圧勝だった。
他のクラス同様にいまいち熱気の入っていない3年4組が、こうまで強い原因は二つあった。
一つ目は、
「いょっし、ボールをくれ! 駄目押しすんぞ!」
元サッカー部の相田が、素人相手にゴールを量産するからだ。
やる気100%のあいつは、受験勉強も他の奴らのやる気のなさも知ったこっちゃねえとばかりに、元サッカー部の実力を遺憾なく発揮している。
今大会の得点王は間違いなく相田だろう。
そしてもう一つの理由は、不本意にもアキラ自身が原因だった。
一回戦から、中盤で上手くパスを回して攻撃の起点となっている。
自分で言うのも何なんだが、凄い活躍をしてると思う。
正直なところ予感はない訳でもなかった。ここ最近の体育の授業で何回かサッカーをやったが、授業の度に、こう何かがどうにかなりそうな気配はあった。
そして今、1秒ごとにアキラのサッカーの実力が向上しているのが実感できる。
できるのだが、同時に、凄まじく馬鹿馬鹿しくて素直に喜べない。
——俺はサッカー部じゃないのに……。
サッカー部でもなく、これからサッカーを始める予定もないアキラにとって、何という無駄な才能の開花だろう? いっそ、勉強の才能が開花してくれれば受験にも役に立つというのに、世の中ままならないにも程がある。
素直に喜べない理由はもう一つある。それは……。
「へい!」
そんな掛け声と共にクラスメイトからアキラにパスが出た。
ゴロゴロと転がってくるボールを、アキラは足の裏で押さえて止めた。
それと同時にヤマヒコの声が聞こえた。
『あ、アキラ。右手側の中澤くんがフリーだよ。チャンス! チャンス!』
中澤くんって誰だよ? そう思いながらも右手側に視線を向けると、確かに右サイドにフリーのクラスメイトがいた。
彼に向かってパスを出すと、すんなりとボールが通って、そのままドリブルでゴールに向かった。
『いょっしゃ! 行け! 行くんだ中澤くん! ……あっ! 相田くんも来てるから2対1だ。……あっ、いっ、うえっ⁉︎ ……おっ! ゴ〜〜〜〜〜ル!』
有言実行というか、本当に相田が駄目押しゴールを決めて、ヤマヒコが無邪気に喜んでいる。
素直に喜べない、もう一つの理由はこれだ。
俺がサッカーの実力が向上したのは、ヤマヒコの影響が大きい。ヤマヒコがサッカーのルールを覚えて、フリーになっている味方を教えてくれるからパスがバンバン通る。
そのヤマヒコの手柄を、俺は、ジャイアンよろしく、お前の手柄は俺の手柄……とは素直に思えない。
一方、ヤマヒコの方は、
『いや〜、俺たち大活躍だよね⁉︎ アキラ、ナイスパスだったよ!』
と、ご満悦だ。
「ヤマヒコ、お前、サッカー好きなのか?」
アキラの質問に、ヤマヒコは楽しそうに肯定した。
『うん! こう、味方を繋いでボールをゴールまで持っていくのが、頭を使う必要があって面白いよね!』
更に、
『何よりもアキラと一緒に遊べるじゃん⁉︎ 今まで、しりとりぐらいしかやってくれなかったしさ!』
んな事を言われても、むしろ、しりとりに付き合ったアキラの優しさに感謝して欲しいものだ。
それにしても、
「なあ……お前、どうやって敵味方の位置を把握してるんだ?」
アキラは、前々からの疑問を尋ねた。
ヤマヒコのアドバイスを聞いていると、こいつは敵味方全員の位置を把握しているとしか思えない。
一体、どうやってそんな真似を成し遂げているのか? 予想はできるが、信じられない。
だというのにヤマヒコはあっさりと言った。
『どうやってって……足音とか、掛け声とか、呼吸音とか、風の音とか聞いてれば、普通にわかるけど?』
まるで、それがどうしたの? と言わんばかりだが、思わずアキラは呻いた。
「マジかよ……」
確かに聴覚しかないヤマヒコなんだから、音で把握しているのだろうとは予想していた。
だが、今、本人から直接聞いても容易には信じられなかった。
なんせ、アキラとヤマヒコは同じ耳を使っている。
だが、アキラには逆立ちしたって無理な真似だ。
ヤマヒコはアキラより耳がいい。それはこれまで一緒に暮らしている中で感じていた。
アキラが気付かない小さな音も拾うし、色んな音の聞き分けも、目をみはるものがある。
同じ耳なのに何故そんな違いが起こるのか? おそらくは依存度の違いだと思っている。
いつか何だったかで見たのだが、人は受け取る情報は5感のうち、視覚が80%を占めるらしい。
何処の誰が言ったのかは覚えてないし、何処まで正しいのかもわからないが、まあ感覚的には納得はできる。
例えばこれが、人間の受け取る情報の80%が嗅覚である。とかいう奴がいて、それが世界一の学者だったとしても納得は出来ないだろう。
でも視覚が80%と言われれば、まあ、そんなもんか。と、おそらくは大多数の人がそう思う筈だ。
そして、視覚が80%なら、残りの20%を他の4感で分ける訳だが、聴覚の割合はおそらく5%から10%程度。
つまり、アキラ自身は聴覚を精々が1割程度活用しているのに対して、耳だけのヤマヒコは聴覚に10割意識を振り分けている計算だ。
そりゃヤマヒコの方が耳が良いだろうとは思っていたが、どうやら思っていた以上に差があるらしい。
まあ、人間、環境と努力次第で変わるもんだ。
例えば、砂漠の住人は目がよくて視力が10.0の人間とか普通にいるらしいし、精密機械を作る職人の中には1000分の1ミリの歪みを触って……つまり触覚で分かる人もいるらしい。
なら耳だけのヤマヒコが聴覚に特化することも、あり得なくもないだろう。
——そもそも、人かもわからん奴だ。何があってもおかしくない。
そんな風に自分を納得させている内に、試合終了の笛が鳴った。
結局、5対1で俺たちの勝ち。しばらくしてから、決勝戦をやらなければいけない訳だ。
「いょっしゃぁあああっ! 勝ち!」
『やったぜ! しょーりー!』
相田とヤマヒコの能天気な勝利宣言に、アキラは合いの手を入れなかった。
つか、クラスメイトの誰も入れなかった。
……。
……。
次の決勝戦までの時間、教室で休憩していると、
「佐田ってサッカー上手いよね? もしかしてサッカーやってた?」
クラスの友達の佐藤が、そんなことを聞いてきた。
次いで、
『そうそう、俺もそんな気がしてたよ』
ヤマヒコも問いかけてきたが、佐藤の前なので無視する。
「あー……小学校4年の時に近くのサッカークラブに入ったことはあったな……」
「へー……」
「でも、いざやってみると、サッカーが性に合わなくて、3カ月もしないぐらいで辞めた。……たぶん、10回くらいしか行ってなかったんじゃねえかな」
「それで、あんなに上手いの? 続けた方が良かったんじゃない?」
「いや……」
アキラは首を振った。当時は全然うまくはなかったし、自分の性格上、サッカーを続けることは不可能だった筈だ。今もヤマヒコの影響があるとはいえ、
「所詮、素人相手だから凄く見えるだけで、ガチにやってる奴らには敵わねえよ」
「それもそうだよね」
と、佐藤が納得してウンウン頷いていると、相田が勢いよく教室に入って来て、さも重大そうに告げた。
「決勝の相手が決まったぞ! 7組だ!」
アキラとしては、正直、
——ああ、そう。
ぐらいの感覚だったのだが、となりの佐藤は違う反応を見せた。
「じゃあ、滋賀くんとなんだ」
と、心なしかソワソワしている。
——ああ、なるほど……滋賀ね。
見れば他の男子も、そして女子までもが相田の言葉に反応していた。
さっきまでの無関心はどうした? と、言いたくなりはしたが、滋賀なら仕方がないかとも思う。
滋賀槍也。
サッカーのUー15の日本代表フォワードとして、ここ数年、断トツの結果を出している。世界戦でも大いに活躍して、日本サッカーの救世主とまで世間から言われている男だ。
しかも、テレビのアイドルグループに所属していても何らおかしくないイケメンで、なおかつ、性格もいいらしく、それこそ、文化祭のイケメンバンドなんて足元にも及ばない、この中学校における正真正銘のスターだ。もし仮に、アキラが比べられるとしたら、それこそ月とスッポンだろう。もちろん、滋賀の方が月だ。
アキラ自身は同じクラスになったことはなく面識は無いが、噂だけなら耳にタコが出来るほど聞いている。
クラスの女子が、
「滋賀くんからサイン貰ってきたよ!」
「嘘⁉︎ ずるいよ!」
「いいなー! 私にも見せて!」
そうはしゃいでいるのを、何回も見たことがあるし、高校はどこぞのサッカー強豪校に授業料免除の特待生で進学するらしい。
そんな滋賀と、例え只の球技大会とはいえ、一緒にサッカーをするのだから、将来の自慢話になることは間違いないだろう。
事実、相田が同じような事を言った。
「もし勝てれば、一生の自慢だからな!」
それに対して、
「いや、勝てる訳ねーじゃん」
という、至極真っ当な返事が返って来たのだが、相田は自信ありげに勝てる根拠を示した。
「大丈夫だ! ハンデとして滋賀はディフェンスオンリー、攻撃参加はしないから!」
「だったら、自慢にゃならねーだろうが⁉︎」
相田に呆れた様子で反論するクラスメイトだが、その彼も先ほどまでと比べてやる気に満ちている。
日本代表と一緒にサッカーをするというのは、それくらいのインパクトだ。
中でも、
『いょっしゃあ! 日本代表に挑もうぜ、アキラ!』
ヤマヒコのテンションはマックス振り切っていて、超鬱陶しい。
そんな空気に同調出来なかったアキラは、ため息をつきながら窓の外を見て、雨でも降らねーかなと思ったが、あいにくと、雲ひとつない青空が広がっていた。
……。
……。
しばらくして、決勝戦が始まった。
学校の球技大会ということで、整列や挨拶を抜かしてグランドにばらけていく俺たちと、7組の奴ら。
アキラは自身のポジションにつくと、つい、相手の左のディフェンスに視線を向けた。
俊敏さと爽やかな気配に満ち溢れている男、滋賀槍也。
なんというか、オーラがある。ハンデとはいえ、この男をディフェンスに回しているのが場違いに思えてくる。
とはいえ、本人に不満はなさそうだった。
そして、
「「「滋賀くん、頑張ってー!」」」
グランドの外から、女子たちからの息の合った声援が飛んできた。見れば、女子たちが固まって滋賀に向けてエールを送っているし、そもそも、今までよりギャラリーの数があきらかに多い。
当の本人が、ちょっと照れ臭そうに、声援に対して手を振ると、
「「「きゃー! 滋賀くん!」」」
と、再び、黄色い声援が飛びかった。
——これが日本代表の存在感か……。
アキラが感心していると、ヤマヒコが悲しそうに言った。
『今の声援、4組の女子の声も混じってたよ』
それに対して、
「マジかよ……」
と、流石に驚きはしたが、すぐに、それもそうかと思い直した。
「まあ、俺が女子でも、クラスの有象無象よりも滋賀の方を応援するよ」
小さな声でヤマヒコだけにそう告げると、
『でもさあ、これじゃ、勝っても悪役じゃんか⁉︎』
ヤマヒコは、そんなの納得出来ないとわめき散らしたが、アキラは、むしろテンションが上がった。
両脚をバタつかせて、動きを確かめながら呟いた。
「悪役か……いいな、ちょっとやる気出てきた」
『…………アキラってさ……ほんとそういう所、ヒネくれてるよね』
「うるせーよ。……大体、ウチの作戦からしてどう考えても悪役だろうが」
7組の滋賀はハンデとして、左のディフェンスゾーンから動かないという方針に対して、4組はエースの相田を、滋賀とは反対の場所に置くという戦略を取っている。セコい作戦だ。
提案したのは相田だが、反対しなかった時点でアキラたちも同罪だろう。
その相田がグランドの中央サークルでキックオフからのドリブルを始めた。
試合開始だ。
「じゃ、行くか」
アキラは、ヤマヒコにそう告げると、相手エリアへと走り出した。