18 未来のインタビュー
ジュニア時代、滋賀槍也選手と同じサッカークラブだった、千葉竹春さんのインタビュー。
「え? ……つまり、千葉さんが佐田選手とサッカーをして、同じボランチとしての才能の違いに絶望してサッカーを引退したという逸話は嘘なんですか?」
「ええ、まあ。……今だから言えることなんですが、僕は中学のサッカー部を引退した時にサッカーを辞める決心をしまして、実は佐田選手は関係ないんですよ。……というか、そもそも、あの試合で佐田選手はトップ下やってましたから……」
「そうなんですか…………でも、そうなると、何故、プロ確実と言われた程の実力を持つ千葉さんが、サッカーを引退してお笑い芸人の道に?」
「いや、それも事実と違いがあって……はっきり言って、僕のサッカーの実力なんて凡人中の凡人ですよ。サッカーを引退したのは、ただ単に下手だったからです」
「それも嘘なんですか……」
「嘘……というより噂に尾ひれがついた形でしたね。僕だって、佐田選手との話し合いがあんな風に広まるなんて予想もしてなかったですから」
「そこのところの事情をお聞きする訳にはいきませんか?」
「そうですね。ずいぶん時間も経ちましたし、ちょうどいい機会なので順を追って話しましょうか。……まず、あの話し合いに至るまでの流れなんですが、さっきも言いましたが、僕はサッカーは中学で引退して、高校では普通の青春を送ったんです。……普通というと語弊があるかもしれないですね。まるでサッカー部が普通じゃないかの様に聞こえますから。ただ、サッカー部に限らず運動部は、放課後も休日も部活を中心に回るじゃないですか? そうじゃない……いわゆるユルい学生生活を満喫してました。今、振り返って見ても、あの頃は楽しかったですね」
「サッカーを遠ざけるも、何をやっても虚無感が付き纏った学生生活、ではなかったのですね?」
「なかったのですよ。……とまあ、そんな感じで3年間過ごしたんですが、その後の進路を考えた時、じゃあ、お笑い芸人になって、ひと山当ててやろうかって思ったんですよね。——僕、しゃべり、うまかったですし、場の空気も読めましたし、文化祭のクラスの出し物でコントやったらウケましたし、大学行ってサラリーマンやるよりは面白そうで、僕に向いてる気がしたんですよ」
「……文化祭の出し物でみんなを笑顔にした時に、灰色の世界が輝いて進むべき道を見出した、訳でもなかったのですね?」
「いや、もう分かって聞いているでしょう⁉︎ なかったんですよ! まるっきり嘘って訳でもないけど、少し誇張したんですよ! ……というか詳しいですね?」
「それは、まあ……サッカー好きには、有名な逸話ですから。……正直なところ、千葉さんには申し訳ないのですが、私、この逸話好きでして、今、かなりショックを受けてる最中です」
「それは、何というか……すいません」
「いえ、そういった真実に切り込んで行くのも、この仕事の醍醐味なので……どうぞ、続きをお願いします」
「わかりました。……それで、どこまで話しましたっけ? ……ああ、そう、高校を卒業したあとですね。僕はお笑い芸人になる為に芸能プロダクションに所属したんですけど、やっぱりプロの世界は甘くなくて苦労しました。テレビ出演なんて夢のまた夢。ちっちゃなライブ会場で芸をして、ギャラもあってないようなもんだからアルバイトして、家賃を浮かせる為に仲間の梅助と松夫と狭いアパートで共同生活。……僕、今でも、もやしを使った料理に関しては、プロの料理人並みの腕前持ってるって自信ありますよ」
「お笑い芸人の下積み時代は過酷、というお話はよく聞きますが、千葉さんも例に漏れず大変だったんですね」
「ええ、それに関しては自信を持って言えます。……そんな下積みが4年以上続いて、僕が22の頃かな、ちょうど、あの3人が三傑、なんて呼ばれ始めた頃なんですけど、槍……いえ、滋賀選手とは元チームメイトだったから、僕も当時の日本代表の試合はテレビで良く見てたんですよ——それでテレビは1台しかないから、共同生活してる二人とはよくチャンネル争いしましたけど、僕ら、みんなサッカー経験者だったんで、日本代表の試合だけは喧嘩せずに済みました。1人1本だけビール用意して、もやしのおつまみ食べながらワイワイと……あの時代の日本代表は、強かった上に華もあったから見てて楽しかったですね」
「ええ、確かにそうでした。……因みに千葉さんは、あの3人の中ではだれが一番好きでしたか?」
「やっぱり滋賀選手ですね。友人だから、というのもありますけど、滋賀選手のゴールは本当にスカッとして、俺も頑張ろうって勇気貰いましたから」
「ああ、わかります」
「まあ、そんな訳で、僕らサッカー大好きだったんで、試合が終わった後なんかは、あの3人についてよく語り合ったんですけど……ある日、梅助が滋賀選手のモノマネしたんですよ」
「それは、また何故?」
「うーん……特に理由はなかったんですけど、しいて言えば梅助も滋賀選手の大ファンだったからですかね。で、それがまた、妙にハマってたんですよ。滋賀選手だって分かるけど、まるっきり似てる訳でもない。まるで、爽やかさのない滋賀選手みたいで僕と松夫は大爆笑しました。それで、また松夫が悪ノリして緋桜選手のモノマネで返したもんですから、じゃあ、僕は佐田選手のモノマネしよっかって、色々と盛り上がっちゃって、最後には誰が一番似てるかを競い合ったんですよ」
「面白そうですね? それがきっかけでしたか?」
「そうですね。その日は笑い合っておしまいだったんですけど、後日、『あれ? これネタにしたらウケるんじゃないか?』って思いまして、ちょっと試してみたら、お客さんの反応良くて、『これはイケる!』そう思って、グループ名を、お笑い三傑にして再スタートしました。……したら、ホントにドッカンとウケまして、色んな所から呼ばれる様になって、テレビからも呼ばれて、『俺らブレイクするんじゃね? 時代、来たんじゃねえの⁉︎』って絶好調だったんですけど……えらい落とし穴が待ち受けてました。——どっかの記者が、よりにもよって佐田選手に、『今、テレビで貴方たちのモノマネをしているお笑いグループがいるんですけど、どう思いますか? 面白くないですか?』って聞いたんですよ。そんなん、あの男が、面白いです……なんて答える筈がないのに」
「あー、ですよねぇ……それで、佐田選手は何と答えたんですか?」
「確か、『あ? 見ず知らずの奴にモノマネされて何が面白いんだ?』って不機嫌感バリバリでした。したら、そのインタビューの後、苦情が事務所に届いたんですよ。『モノマネされる側が不快に思ってるんだから今すぐ止めろ』とか、『お前たちが原因で佐田が調子崩して日本が負けたら、どう責任を取るんだ?』といった意見がわんさか届いて、冗談抜きで、僕ら廃業の危機に立たされましたわ」
「それはご愁傷様でした……ところで、見ず知らず、という事は、佐田選手は千葉さんの事は覚えていなかったのですか?」
「ええ。これは後で滋賀選手から聞いた話なんですけど、滋賀選手から言われるまで思いっきり忘れていたそうです。……まあ、仮に覚えていたとしても、同じこと言ったと思いますけど……」
「でしょうね……それで、千葉さんたちはどうしました?」
「大人しく廃業する気はなかったんで、子供の頃のよしみで滋賀選手にお願いして、佐田選手からモノマネの了承を得る為に、佐田選手に会わせてもらったんですよ」
「滋賀選手はモノマネされることについて、不快には思っていなかったんですか?」
「ええ。『俺も見たけど面白いよ! これからも応援するよ』って言ってくれました。ホント、懐の深い奴で……あの記者も滋賀選手の方か、せめて緋桜選手の方に取材してくれれば良かったんですけどね……」
「緋桜選手も応援してくれたんですか?」
「うーん……応援というというよりは不干渉でした。これも滋賀選手から聞いた話なんですけど、緋桜選手は、別に構わない、気にしてないって感じのスタンスだったんで、僕らとしては、それで全然助かりました。——だから、後は佐田選手の了承があれば良かったんですけど……いや、大変でした。とにかく俺は気にくわないの一点張りでしたから」
「というと?」
「別に佐田選手本人が事務所に苦情入れたり、僕らにモノマネを止めろとは言って来なかったんですよ。『やりたきゃ勝手にやれ。でも、それをどう思うかは俺の自由だし、オタクらの都合に合わせる義理もない』……でしたかね」
「やりたきゃ勝手にやれ……ですか、佐田選手らしいですね。でもそれじゃあ世間が納得してくれないでしょう?」
「そうなんですよ。僕らがモノマネ続けるには佐田選手の承認が必要でした。やりたきゃ勝手にやれ、ではなく、やっていいよ、って言って貰わなきゃならなかったんです。でも、どんだけ話し合っても、お互いの意見が平行線のままでした。──このままじゃどうにもならない、そう悟って、とっさに路線を切り替えて、僕が、どれだけお笑いを愛してるかを佐田選手に語ったんですよ。理屈じゃなく、お笑いに対する熱意を見せるべきだって……その中で、つい、佐田選手と試合をしてから俺はサッカーを諦めたとか、生きる道の見出せない高校生活とか、文化祭で漫才をやって世界が輝いたとか……ちょっと誇張した事を言ってしまったんです」
「え? ちょっと……ですか?」
「いや、僕ら3人の人生が懸かっていたんですよ! ここでしくじったら、三食、もやしごはんに逆戻りだったんですよ! ——ここが僕の人生の分岐点だって腹をくくって、お笑い芸人になってから磨いたしゃべりの全てを込めた、魂のトークだったんです」
「それで説得に成功したんですか?」
「ええ。佐田選手が折れてくれた時は、椅子に座ってたのに、思わず腰が抜けてしまいました」
「おつかれ様でした」
「いや、本当に大変でしたね。——それで佐田選手の了承を得て、お笑い三傑を続けたんですけど、いつの間にか、その時の話が広がっていたんですよ。きっと梅助と松夫が話したんでしょうが、広まるにつれて更に誇張されたんです。多分、そこいらの凡人やったら、佐田伝説のお相手としては役不足だったんでしょうね。最終的には、僕は将来、プロサッカー選手になること間違いなしの逸材だったけど、当時、ど素人だった佐田のプレーを見て、あまりの才能の違いに絶望して、サッカーを引退した……っていう話になってました」
「噂を否定したりは、しなかったんですか?」
「僕の話もちょっと誇張したもんやったから、下手に否定すると、やぶ蛇になりそうで。……それに中学の頃から佐田が凄かったのは本当ですよ。あん時の佐田のプレーは忘れられません。あいつがサッカーで頭角を現してきた時も、驚くよりも納得しました。ああ、あいつならそうなるよなって」
「なるほど……因みに千葉さんは、佐田選手についてはどう思っていたんですか? お話を聞く限り、佐田選手に憧れたから佐田選手のモノマネをした訳でもないですよね?」
「そうですね、そういう訳でもなかったし…………うーん………………悔しいけどカッコいい、ってのが本音ですかね」
「悔しいけど、カッコいい、ですか?」
「はい。……僕、佐田選手と3回、顔を合わせた事があるんですけど、相性が悪いのか何なのか、仲良くやれた試しがないんですよ。最初は素人のクセにムカつく奴だと思いましたし、2回目の話し合いも色々言われましたし、3回目も、まあ……うん……。とにかく、噛み合わない相手なんですけど、フィールドの上に立っている佐田選手は、やっぱりカッコいいと思いますね。——あいつ、王様だったじゃないですか? ちょっとアレですけど……というか、かなりアレですけど……でも代表戦、相手がどんな守備陣形を敷いていても、自由気ままに敵陣を崩してラストパスに繋げるんですよ。 ——僕はさっきも言った様に滋賀選手のファンなんですけど、その滋賀選手が一番凄い時って、決まって佐田選手のラストパスを貰った時ですから」
「ああ、確かにそうでした」
「偉そうだし、わがままだし、何なら、ちょっと傲慢ですよね? でも、あれくらい破天荒な王様がいた方が、観る分には面白いし、視聴率も稼げるんだろうな……って、常々思ってましたね」
「ぷっ⁉︎ ……視聴率ですか?」
「まあ、僕、テレビの人間なんで、どうしてもそういう目線が入ってしまうというか……実際、当時の代表戦の視聴率は凄いものがありましたよ。——とある番組の収録の時の話なんですけど……テレビのスタッフさんに『今回の放送は、サッカー日本代表戦と被って誰も見ないから、とっておきのネタはやめた方がいい』なんて忠告された事すらありましたから……テレビのスタッフですよ? お前、視聴率を上げる気は無いのかって、突っ込み所、満載でしたよ」
「それで、千葉さんたちはどうしたんですか?」
「それはもう——そん時はおとなしく諦めて、実際の放送の時は僕ら3人、ビール片手にサッカー日本代表を応援してました」
「千葉さん……視聴率を上げる気は無かったんですか?」
「いや、本物には勝てませんて! 無理! 勝負にもなりません! 僕らがモノマネで人気出たのも、本物がよりとんでもない人気を誇っていたからですし……そういう意味では、僕らが一番、あの3人に活躍して欲しかったんだと思いますね」
「なるほど……色々と話して頂き、ありがとうございました」
今回の取材対象である千葉竹春さんは、20代の頃、お笑い三傑のひとりとしてブレイク。その後も幅広く活動を続け、最近では、サスペンスドラマ『完全犯罪』の上杉弥彦役として活躍している。
未来のコラム 〜天才たちの出会い〜