15 とある日の野良試合4
「やっぱ、スゲーよなー、あいつ……」
滋賀槍也は、佐田が敵味方が入り混じった密集地帯の中で、平然とパスを繋げていく様を見て、感嘆の声を上げた。
パスの受け手が、背後にいようが、他の選手の影になっていようがお構いなしだ。あれは、ちょっと真似出来ない。もし槍也が同じ立場に立ったらどうしてもドリブルに頼ることになるだろう。
さっき、シュートまで持っていったプレイもそうだが、ポジショニングが尋常じゃなく上手い。
いい場所にいるから、いいパスが通る。言葉にすれば簡単だが、それには、広い視野と冷静な判断力や素早い展開力が不可欠で、素人に出来るサッカーと思えないのに、見事に成立している。
試合が始まった当初は、経験者の竹春相手にいいようにやられていて、無理に誘って、ちょっと悪いことしたかなぁ……と、思いもしたが余計な心配だった。
いまや、中盤を支配しているのは、間違いなく佐田だ。
——きっと、もうすぐ、俺の所までボールが来るな……。
そう思った瞬間、鼓動が跳ねた。まるで、早鐘が鳴り響くように心臓の音が高鳴っている。
「落ち着け」
そう自らに言い聞かせるも、どうにも収まりがつかない。
それも仕方ないのかもしれない。球技大会で佐田を見た時からずっと思っていた。
——もしかすると、コイツとなら、俺は全力を出せるのかもしれない……と。
それだけを聞くと、お前はサッカーを本気でやってないのか? と、思うかもしれないが、それは誤解だ。槍也は試合も練習も誰よりも真剣に取り組んでいる。
ただ、滋賀槍也の代名詞とも呼べるプレー。槍也が最も好きで、最大の武器でもある、ディフェンスの裏のスペースへの走り込みにおいて、槍也はある種のブレーキをかけている。
一体、何故ブレーキをかけているのか? 味方が合わせられないからだ。
——ディフェンスラインの裏への飛び込みは、パスの出し手と受け手の連携が大事だからなぁ……。
誰も槍也の感覚についていけない。それが、槍也がサッカーを始めた当初からの悩みだった。
……。
……。
滋賀槍也は、小学校4年の夏に本格的にサッカーを始めた。地元のサッカークラブに入団し、同じくサッカー大好きな仲間たちとボールを追いかけた。
そして槍也は、はっきり言って、最初から特別だった。
足は速い。体は動く。ボールの扱いも、監督の教えや、ビデオで見るプロのプレーを見て真似るだけで、あっという間に上達した。
そんな数々の長所に恵まれた槍也だが、それらを凌ぐ、自身の最大の長所は、恐るべき勘の良さだった。
勘、直感、本能、または閃き。どの言葉が槍也に最もふさわしいのかは分からないが、とにかく、そう言った感覚が人一倍、鋭敏だった。
ボールを持った時、パスで回すのか? ドリブルで仕掛けるのか? もしくはシュートに行くのか?
ボールを持たない時、下がって守備に回るのか? 前線でボールを待つのか? もしくは声をかけるのか?
絶えず状況が変化する中で、自分が、今、何をするべきかを、瞬時に判断できる槍也の勘は、多種多様な動きを要求されるサッカーにおいて絶大な威力を発揮した。
おまけに人当たりが良く、仲間を助け、助けられることも出来るとなれば……チームワークすら上手くやれるとなれば、槍也はまさに敵無しだった。
そんな槍也だが、たった一つだけ上手くやれないプレーがあった。
それが、ディフェンスラインの裏への走り込みだ。
槍也は、パサーと連携して行う裏への走り込みは、上手く決まればキーパーと1対1の状況を作れる最も強力な攻撃手段だと思ってる。
あまりにも強力すぎるから、オフサイドというルールで制約を付けているのだ。
さて、そんな強力な攻撃手段である裏への走り込みであるが、サッカーを始めた頃の槍也は、それはもうバンバンとオフサイドに引っかかった。
槍也の飛び出すタイミングが、尋常じゃなく速かったからだ。
あんまりにも引っかかりすぎて、監督からは、もっと飛び出すタイミングを抑えろ、そう指導されたのだが上手く行かなかった。
なんせ槍也は考えるより先に行動してしまう人間だ。行ける! そう思った時には既に体は動いている。そんな反射行動を抑えるのは難しかったし、何より、自分の勘は正しいという確信があった。
──俺の飛び込みを感じて、もっと早くパスを出してくれれば絶対に上手く行く。
そう考えた槍也は、今、試合をして貰っている彼ら、元チームメイト達にそれを望んだのだが、色々とあった末に、
「そんなの無理だよ……出来ないよ、槍也……」
と、返された。
そして、その言葉を言ったチームメイトや、他の仲間達の申し訳なさそうな顔を見て、自分がどれだけ無茶を言っているのかに気付いた。
「ごめん」
そう言って頭を下げ、それからは、自身の感覚よりも、パスの出し手のタイミングに合わせる動きを身につけていった。
その後、パサーに合わせる動きを身に付け、唯一の弱点だった裏への走り込みを克服した時、槍也は、本当に特別な存在へと羽化した。
只の、チームで一番うまい選手から県の選抜選手へ、県の選抜選手から日本全国から選抜された選手、つまり、青いユニフォームを着て日の丸を身に付ける選手へと昇格した。
そして、小学校6年の秋、初めて出場した代表戦でハットトリック決めた事を皮切りに、今に至るまで数々の実績を、それこそ、日本サッカーの救世主と呼ばれる程にゴールを決めてきた。
だからあの日、槍也が自分の勘よりパサーの動きを優先することを選んだのは間違っていない。
いないのだが、時々、どうしようもなく不自由だと感じてしまう。
特に日本の代表として、強豪国と戦った時はそうだ。
相手も国の代表だけあって本当に強い。
正直、自分たちより強い国も少なくない。
中には、まさに鉄壁のディフェンスラインを保有しているチームもあり、その時は、たった一つのゴールチャンスすら満足に作り出せなかった。はっきりと格上の相手だった。
でも、そんな格上相手でも槍也の勘は、行ける、そう囁いていた。
鉄壁の守りの中にほんの僅かな隙が、時間にして1秒にすら満たない僅かな時間、今、裏を取ればゴールを決められると思える瞬間が確かにあった。
もし、走り込んだ槍也を感じとって、遅れずにパスを出してくれれば……の話だ。
結局の所、槍也は仲間にそれを要求することは出来なかった。
そんなパスを──槍也と同じ日本代表仲間にすら要求できないパスを、サッカー部に入ってもいなかったど素人に今から要求する自分は、ひょっとして大馬鹿者なんじゃないかと真面目に思う。
でも——、
——こいつなら、もしかしてって、あの時、思っちゃったんだよな。
あの球技大会で槍也の勘が囁いた。
だからこそ、佐田をサッカーに誘い、一度、断られたにも関わらず琴音が佐田に会いに行くのを止められず、お年玉の貯金を使ってまで切符やグラウンドを準備して、受験で忙しい筈のみんなにサッカーをしてくれる様にお願いした。
無茶をやっている自覚はある。
でも、無茶をしてでも知りたいのだ。
佐田明の実力を。
そして自分でも見たことの無い滋賀槍也の全力を。
「うわ、なんかちょっと怖くなってきた……」
口から泣き言が飛び出す程の期待と不安を胸に、槍也はその時を待っている。