13 とある日の野良試合2
——全然、大したことないな。
それが、千葉竹春が佐田とかいう男をマンツーマンでマークしながら今までに抱いた率直な感想だった。
なんでもパスの出し方が上手いそうだが、ボールタッチがおそまつすぎて何ら生かせてない。
——見込み違いじゃないか、槍也? こいつ、只のボンクラじゃないか?
この場でそう思っているのは、竹春だけではないと思う。
竹春はかつて天才を見た事がある。他ならぬ滋賀槍也の事だ。
竹春よりも1年近く遅くサッカークラブに入団したのに、入団時、既に同い年の誰よりもサッカーが上手かった。
とにかく体が良く動いたし、コーチから教えられたことは直ぐに身に付いた。よくある例えだが、一を聞いて十を知るを地で行く奴だった。
また、槍也程ではないにせよ、サッカーが上手い人間というのはたいがい、最初から機敏に動けてボールタッチが上手い。
それに比べて、このいけ好かない野郎は、凡人そのものだ。
今だってそうだ。他所からボールが回って来たが、竹春が体を寄せると、あっさりとバックパスで逃げた。
——俺に敵わないって、思い知ったのかね。
ふふん、と、鼻を鳴らしながらも距離を置こうとしたが、思い直して普段より前がかりの位置を取る。
マークする相手がボールを持っていない時、裏を取られないように距離を開けるのはディフェンスの基本だが、こいつ程度なら警戒する必要はあんま無い。むしろ積極的にインターセプトを狙った方が、より派手に活躍出来るというものだ。
チラリとフィールドの外を見ると、初恋の女の子が熱心に試合を観戦していた。
「ほんと、可愛くなったよな〜」
ふと心の声が漏れた。
実の所、今日、槍也の頼みを喜んで引き受けた理由の何割かは、今の琴音ちゃんに興味があったからだ。多分、竹春以外にも同じ理由で引き受けた奴は結構いる。
槍也の事はテレビで見かけたが、(引っ越した友達をテレビで見かけるのも凄い話だが)でも、琴音ちゃんの方はわからない。
さぞや美人になっているだろうと、若干、願望混じりの期待を抱いていたが、再会した琴音ちゃんは期待以上の美人へと成長していた。
こういっては何だが、竹春のクラスのモテカワ女子が、琴音ちゃんと比べるとダイコンに見える。
滋賀兄妹が神奈川へと引っ越して行って、およそ3年。かつて、ショートカットだった琴音ちゃんの髪が、今では腰に届くぐらいの時間。変わったのが髪の長さだけではないのは、二言、三言、言葉を交わして直ぐにわかった。
出来ることなら今日の試合、琴音ちゃんの目の前で活躍したい。そうすれば、かつて抱いていたプロのサッカー選手になり琴音ちゃんと恋人になるという夢が叶うかもしれないのだ。
——ま、そんな訳ねーけど……。
竹春はふと湧いて出てきた夢をすげなく否定した。
今のは夢というよりは、只の妄想だ。
今日一日で急速に琴音ちゃんとの距離が縮まる筈もないし、サッカーは中学で引退した自分がプロのサッカー選手になれる筈もない。
そう、引退した……だ。既に竹春はサッカーに見切りをつけている。
上ではサッカー部に入らずに、楽な高校生活をエンジョイするつもりだ。恋人だって作りたい。
陽気で、空気が読めて、冗談も言える竹春は、中学では男女含めて友人が多かった。顔立ちだってまあまあ悪くない。高望みさえしなければ、恋人を作る事も出来たはず。
しかし、放課後も土日も祭日もサッカー部に時間を取られた竹春は、恋人を作る余裕がなかった。また、今年の夏前にはサッカー部を引退したのだが、今度は受験勉強で忙しい。この上、高校に入っても同じことの繰り返しはまっぴら御免だ。
無論、かつてはサッカーが好きで、今でもサッカー自体は好きなのだが、
——しょうがねえじゃん。俺、才能ねえんだから。
どうにもならない現実はどうにもならないのだ。
高校進学。それはサッカーにおいて、進路を決める一つの節目だ。ガチでプロを目指す様な奴は、サッカー強豪校に推薦で入学するし、もしくはプロサッカークラブの下部組織、Jリーガーを育てる『ユース』に所属している。
竹春はそのどちらでもない。いや、それを狙えるレベルですらない。所詮はトップ下になれずにボランチに落ち着いた程度の選手だ。
別にトップ下がボランチより重要なポジションだとか、トンチンカンな事を考えているわけではない。
高い位置で待ち攻撃の起点となるトップ下と、いま竹春がやっている様にディフェンスも担うボランチ。
それぞれに担う役割が違うだけで、そこに優劣がない事は分かっている。
でも、守備より攻撃の方が好きだったし、点を取ってなんぼだと思っていた。
けれど竹春は、選手の特徴や適性なんて関係なく、上手い奴から好きなポジションを埋めていく地区大会1、2回戦負けの弱小校、そんな中で希望のポジションを取れない程度の選手だった。
そして、トップ下の代わりにボランチに落ち着いた時、俺はプロにはなれないんだろう、と納得した。絶望という程の物は無かった。ただ夢から覚めた気分だった。なんなら、半端に才能が無くて良かったとすら思った。わかるだろ? サッカーでスポットライトを浴びれる人間なんてごく一部なんだよ。
まあ、そんな訳で上を目指さず、キツイ練習もしないなら、——ただ遊ぶだけならサッカーは楽しい。
特に今日みたいに、未来の日本代表になるかもしれない槍也と一緒にサッカーをやるのは胸が踊るし、初恋の琴音ちゃんの前でいいとこ見せて、「千葉君、かっこいいです」と少しでも思われるならなお良しだ。
——つー訳で、今度はミドルシュートでも決めてやろうか。
竹春がそんな事を考えていたら、再び佐田にボールが回ってきた。
すかさず突撃をかけインターセプトを狙ったが、上手いこと体を入れられてガードされ、再度バックパスで逃げられた。
——チッ! 逃げ足だけは早いな。
内心で毒づいた。前を向かせずにボールを下げさせたのだから、ボランチの仕事としては悪くはないのだが、こいつ相手ならもっと活躍できる筈だ。
——もうちょい距離を詰めるか……。
もう3歩分、相手へと近づいた。
次こそはインターセプトを決める。そう意気込んでいたら、
「……な……ぉ……さ…………ぃ……」
相手がぶつぶつと、小声で何か呟いている事に気づいた。
──え? 何?
一度気付いてしまえば、よりはっきりとわかった。声が小さすぎて何を言っているかはわからないが、さっきからずっと一人言をぶつぶつと呟いている。
——うわあ、変な奴。
こいつは第一印象からかなり悪かったのだが、知れば知るほど悪くなっていく。数日前、槍也からサッカーに誘われた時、槍也はこいつの事を指して、もしかしたらサッカーの天才って奴に初めて出会ったかもしれない。などと言っていたが、100パー勘違いに決まってる。こいつは絶対に紙一重の方だ。
——しょうがない。俺が目を覚ませてやるか。
と、槍也に対しておせっかいを焼くことにした……のだが、しばらくして異変に気付いた。
佐田にパスが渡るたびにインターセプトを狙っているのだが、いつまでたっても成功しないのだ。
──あれ、取れねえ?
今も、左のサイドバックからのパスを右のウイングに流された。
前がかりに距離を詰めているのにインターセプトする隙がなかった。
というより竹春がインターセプト出来ない位置まで移動されたのだ。
そういえば、最初は棒立ちでボールを待っていたが、今ではちょこまかと立ち位置を変えている。
ちょこざいな……と、思いはしたが、サッカーの実力は圧倒的に竹春が上だ。現に前を向けず、フォワードにも繋げられない。そんな程度だ。
——所詮は悪あがきだ。次は潰してやる。
と、佐田を意識しながらもボールを追った。
ボールは、竹春から見て、右サイド、ハーフライン上。敵のウイングがキープしていて、味方のウイングが若干距離を開けながら進路を塞いでいる。ゆっくりとした探り合いだ。
そうなる理由もわかる。どっちも竹春と同じ中学、同じサッカー部だったのだが、二人は同じウイングというポジションで実力も伯仲していた。ライバル意識もあった。
お互い実力を知り尽くして、拮抗しているが故に、どちらも軽々に勝負を仕掛けられないのだろう。
さて、往年のライバル対決はどっちに軍配が上がるのか? などと気を取られた瞬間、
「パス!」
竹春の背後から、竹春がマークしている筈の、佐田の声が聞こえた。
——え?
慌てて背後を振り向いたら、いつの間にかフリーになった佐田が走りながらパスを要求している。
「げっ」
しまった! 前がかりになり過ぎて裏を取られた!
慌てて追いかけたのだが間に合いそうにない……と思ったのだが、何故かウイングはパスを出さずにまごついていた。
「何やってんだ⁉︎ パスだっつってんだろ、ボケ!」
再び、佐田が口汚くパスを要求すると、(いや、本当に口汚い。ボケはいらんだろう)躊躇していたウイングが慌てた様子でパスを出したが、もう遅い。
佐田にボールが渡った時には、既に別のディフェンスがカバーとして張り付いた。更に、竹春も追い付くから前後から挟める。2対1だ。
——逃げ場はない! 奪える!
と、判断したのだが、
「ちっ!」
佐田は舌打ちと同時に、あっさりとボールをフィールドの角、コーナーエリアに向けて蹴り出した。
「えええ?」
転がった先に実は味方が走り込んでいた……なんて事はなく、あっさりとサイドラインを割った。
——何考えてんだ、こいつ?
ボールの行方を見届けた竹春が、佐田を振り返ったが、佐田は既にボールを見ていなかった。代わりにパスを躊躇したウイングにスタスタと近づいて声をかけた。その声には不満と怒りがこもってる。
「おい。何で今、パスが遅れた? 目があったよな? フリーだってわかってただろう?」
「い、いや、パスしてもボール取られるかと思って……」
その言い訳は竹春にはわかった。なるほど、そうだよな、と、納得できた。
さっきまで、さんざんボールを奪われていたんだから、下手な奴と思われるのも当然だろう。
でも、佐田は納得しなかった。
「オタクがとっととパス出してりゃボールを手放さなくて済んだよ。……いいか? 次はパスをくれ。心配しなくても、もう、俺がボールを取られることはねーよ」
素人のくせに不遜なことを言いきると、再び中央へと戻って来た。
そして、ボールの行方を追っている。
ゴールライン手前の場所から再開されたので、まだ自軍の陣地で慎重にボールが回されている。竹春も動いてパスコースを確保するべきなのだが、それよりも、佐田の物言いが気に入らなかった。
「ずいぶんな自信じゃん? 只の素人だ……なんて言ってた癖にさ……」
面白くない。さっきのセリフは、まるで竹春の事なんて眼中にないかの様な言い草だった。諦めたとはいえサッカー歴6年、素人よりは遥かに上手い。現に1対1では圧倒しているのだ。
だと言うのに、
「ん? そりゃ確かに素人だけどさ……でもサッカーの試合はテレビで観たりするし、体育でサッカーやる事もあるし、サッカー漫画だっていくつも読んでるし、こんな野良試合くらいなら……まあ、やるだけやるさ」
「………………」
竹春は押し黙った。今のが、本気で言っているのか、挑発して言っているのか、判断がつかなかった。只、どちらにせよ、
——俺なんぞは、漫画見てりゃ勝てるってか?
竹春の中で佐田という男が、気にくわない奴から嫌いな奴に昇格した。




