11 試合前
食事を終えたアキラは、紙コップに注がれたお茶を飲みながら、ホッと一息つきながら、さっきまで食べていた弁当の余韻に浸っていた。
肉詰めピーマンが美味かった。
肉詰めピーマン以外の料理も美味かった。
凄く満足した。最後の一口を食べ終える時は、
——あー、これでお終いかぁ……。
という寂寥感すら感じたものだ。
これからサッカーが始まるというのに、なんというか、既にメインイベントが終わった気分だ。
それに、朝は寒かったが、今は11月にしては珍しいくらいに暖かくて、微風も心地いい。このままのんびりとしたい。
「よし。お昼も食べたし、試合前の準備運動も兼ねてボール蹴らないか?」
「はえーよ……」
ピーマンに向かい合っていた時の情け無い表情とは一転、普段の調子を取り戻した槍也が、そんな事を言ってきたので、アキラは嘆息した。
「まだ俺は動きたくないから、やるなら一人でやってくれ」
「そっか。なら、後で来てくれ」
きっぱりと断ると、槍也は特に不快な様子を見せることなく、バックの中からスパイクとボールを取り出して席を立ち、少し離れた所でリフティングを始めた。
足の甲(確かインステップ……だった筈)でボールを両足の間を行ったり来たりさせた後に、太もも、足のインサイド、そしてアウトサイドと、順番に足の各部位を使っている。
特にアウトサイドを使うのは、難しかった記憶があるのだが、槍也が難無くこなしている姿からは、ボールが地面に落ちる気がしない。
上手いもんだと感心していたら、アウトサイドの次に足のつま先でリフティングを始めてびっくりした。
——は? つま先?
子供の頃に習ったのは足の甲からアウトサイド、それに加えてヘディングまでで、つま先でリフティングするなんて思いもしなかった。カルチャーショックもいいとこだ。
つい、そんな足の先で、ボールがコントロールできるのかと疑ったが、槍也は涼しい顔でリフティングを続けている。抜群の安定感だ。
シートに座ったままのアキラが物珍しげに眺めていると、隣から感嘆のため息が漏れてきた。チラッと視線を向けると、琴音がまるでスーパースターを見つめるファンの様に槍也を見つめていた。
——お前、妹だろ?
と、思いはしたが、めんどくさくて口は開かなかった。
それから、しばらくはリフティングを眺めていたが、──途中から、だんだんと眠くなってきた。
安定感抜群の槍也の動きは、常に一定のリズムを刻んでいて、まるで催眠術の5円玉のように訴えかけてくるものがある。
ましてやいい天気だ。あぐらをかいて、肘を立て、ほおづえをついていたアキラが、つい秋の日差しに誘われて、うつらうつらとしかけた時、
「お〜〜〜〜い。槍也〜〜!」
という声が飛んできた。はっと意識を取り戻したアキラがそちらを向くと、少し離れた所にアキラたちと同世代の男が、3人ばかり手を振っている。
もしかしなくても、槍也のリトルチーム時代のチームメイトだろう。
アキラと同じく、そいつらに気づいた槍也がリフティングを止めてボールを左手で抱えた。そして、
「みんな!」
空いている右手を振りながら、嬉しそうにそちらへと駆け出した。
軽く駆けている様に見えるのに速い速い。あっという間にあっちまでたどり着いた。
3人に槍也が加わって、輪になりながらはしゃいでいる。距離があって何を言っているのかは聞こえないが、表情から再会した喜びを分かち合っている事は、みてとれた。
——小学生以来か……凄えな。
話を聞いた限り中学生になってからは疎遠になっていた筈なのに、へんな遠慮もなく溶け込んでる。
ましてや、今の3人だけでなく、サッカーをするだけの人数が集まるのは、本当に凄いと思う。
そんな風に、遠巻きに眺めていたら、ふと槍也がコッチを指差した。
それに釣られて、友達3人もコチラに視線を向けた。
最初は琴音の事を指しているのかとも思ったが、どうも槍也が指差しているのはアキラの方だ。
——なんだ?
そんなアキラの内心を見透かしたかのようなタイミングでヤマヒコがしゃべりかけて来た。
『いや、槍也君、アキラの事を大絶賛してるよ。何でもロアッソ=バジルの生まれ変わりだとか? そうなの?』
「なわけねーだろ」
アキラは小さく呟いた。
そのロアッソ=バジルとやらが、一体、どんな人間なのか知らないが、おそらくは有名なサッカー選手なのだろう。サッカー素人のアキラが例えられるには絶対に不釣り合いな筈だ。 過大評価は止めて欲しい。体の芯がムズムズする。
なんとなく気になって、琴音に聞いてみた。
「なあ、ロアッソ=バジルって知ってる?」
「ええ、知ってますよ。サッカー選手のロアッソ=バジルですよね?」
「そう、それ。どこの国のどんなプレーヤーだった?」
「確かドイツ出身で、天才の名を欲しいままにした選手です。『現代の皇帝』なんて呼ばれていて、フィールドの中央から凄いパスを放ったそうですよ。でも、彼が23歳の時、私が小学校5、6年の頃ですね、残念ながら交通事故で亡くなったそうで、早すぎる英雄の死に、その時はドイツが泣いたそうです」
「ふーん……」
妹の説明を聞きながら、心の内での兄貴への罵倒が留まることを知らない。
——アホかよ、あいつ⁉︎
——なんで、お前が小学生の頃に死んだサッカー選手の生まれ変わりが、お前の同級生なんだよ⁉︎
——そこは、せめて再来とかだろ⁉︎
数学が出来ないのか、国語が出来ないのか……。
「滋賀って、学校の成績はどうなの? もしかして、サッカー1極型で脳みそまで筋肉で出来てるタイプ?」
思わず出てきた質問に琴音が眉をひそめた。
「唐突に何ですか? 兄さんが馬鹿だとでも言いたいのですか?」
「いや、サッカーの日本代表に選ばれるくらいだから、勉強なんてやる暇ないんじゃないかと思ってな……進学もサッカー推薦だろ?」
「そうですけど! でもだからといって勉強を疎かにしてはいません! 授業も真面目に受けてますし、宿題だって、ちゃんとやりますから! この前の中間テストだって、頑張ったんですよ!」
兄への侮辱は許さない。とばかりに国、社、数、理、英の5教科のテストの点数を教えられたが、確かにどれも平均点以上はあった。というか、数学に至ってはアキラの方が負けていた。地味にショックだ。
「悪い。お茶くれる?」
「……どうぞ」
気持ちを切り替える為に。お茶を飲んで気持ちを落ち着けていると、槍也を含めた4人がこちらにやってきた。
「お久しぶりー、琴音ちゃん!」
その中の一人から、琴音に向けて挨拶が飛んできた。
「こちらこそ、お久しぶりです、千葉君」
丁寧な仕草で頭を下げる琴音に、千葉と呼ばれた男が嬉しそうな顔をした。
「おっ! 俺の名前、覚えてくれているの⁉︎」
「ええ、勿論です。元チームメイトじゃないですか」
「いや、嬉しーな! ってか超可愛くなったよね? 昔から美人だったけど、今はもうアイドルより可愛いじゃん⁉︎」
「それは大袈裟だと思いますけど、でも、ありがとうございます」
「いやいや、全然、大袈裟じゃないって! なあ?」
最後のなあは、残りの2人に向けたもので、その2人も大真面目に頷いた。
その後も、千葉は熱心に琴音に話しかけた。
「琴音ちゃん。俺とスマホのアドレス交換しない?」
「ごめんなさい。男性とそういう事をするのは、ちょっと……」
「がーん! フラれた!」
オーバーなリアクションだが、そう落ち込んでいる様には見えない。お調子者というのがアキラの印象だった。
『へー。琴音ちゃん、野郎とはアドレス交換しないんだって。ならアキラは特別扱いじゃん! ヒューヒュー!』
「止めろ。どう考えても俺が特別なんじゃなくて、兄貴が特別なんだよ」
小声でヤマヒコとやり取りをしていると、お調子者の視線がアキラに向いた。
「そんでもって、オタクがロアッソ=バジルの生まれ変わりかい?」
「ちげーよ」
アキラは即答した。
「え? 違うの?」
「違う。只の素人だ」
「でも、サッカー上手いんだろ? 今日だって、オタクとサッカーする為に、俺ら集められたんだぜ? 受験が迫った今の時期にさ」
「それに関してはマジで悪いと思ってる。でも、俺も半分、無理矢理に連れて来られた被害者だ。文句はそいつらに言ってくれ」
そう言って、親指で2人を指すと、槍也は困ったように苦笑い。琴音は何か言いたげな表情で、でも何も言い返さなかった。
その代わり、という訳でもないだろうが、千葉が言う。
「オタクさ、性格悪いって言われない?」
「そういうあんたは、お調子者って言われないか?」
質問に質問で返したら場に沈黙が舞い降りた。
『なんで、出会ってすぐに揉めるかなぁ……』
ヤマヒコが、呆れた声で呟いた。
……。
……。
その後も続々と滋賀の元チームメイトが集まって来た。
槍也と琴音は再会の喜びを分かち合ったり、試合の準備で大忙しだ。
一方、アキラはといえば、最初に微妙に揉めた影響で少し遠巻きにされている。面倒くさくなくて結構な事だ。
ついでに、ヤマヒコの説教じみた話が無ければ更にいい。
『いいかい、アキラ。アキラはもっとラブ&ピースを大事にするべきだよ! 折角、静岡まで来たんだから、普段、出会う事がない人たちとフレンドリーフレンドリーやった方が絶対に楽しいって!』
「うるさい。アホな造語を作るな。だいたい、俺は普通に挨拶を返しただけで何も悪いことはしてねぇ」
ヤマヒコの小言に適当に言い返しながらも、シートの上でのんびりとしていると、琴音がアキラの元へとやって来た。
「さ、そろそろ準備して下さい」
そう言われて、思わず時間を確認したが、現在、12時40分。
「1時まで、あと20分もあるぞ?」
「もう20分しかないんです。ほら、準備運動をしないと」
琴音は、まだ動きたくないと考えているアキラを急き立てる様に、バックの中からサッカー用品を取り出して並べた。どれも、見るからに新品だ。
「はい。これが靴下、これがレガース、そしてこれがスパイクです」
「……わかったよ」
アキラはコップの中身を飲み干して、順番に並べてある道具を身につけていった。
その途中でふと気付いた。
「そういや、俺、脛当てと靴はねえってメールはしたけど、靴下はなんも言ってなかったよな?」
「ええ。メールにはありませんでした。でも、レガースもスパイクも持っていない人が、サッカーソックスだけを持っているとも思えませんから、靴下の事は気付かなかったんじゃないかって……ですから、一応、用意だけはしておきました」
「なるほど……」
琴音の用意周到ぶりに舌を巻きながらも、アキラは準備を終えて立ち上がった。
幸いと言っていいのか、滋賀と足のサイズは一緒だったみたいで、スパイクがしっくりと合う。
感触を確かめる為に軽く地面を踏み付けていると、
「では、まずストレッチから行きましょう。まずは屈伸から」
そう言ってアキラの見本になるかの様に、実際に屈伸を始めた。
そんな琴音に促されて、アキラも渋々ながらストレッチを始めた。
スポーツ選手が試合前に準備運動をするのは、素人のアキラでも知っている。いわば常識だが、こんな公式戦でもない野良サッカーで、そこまでやる必要があるかは疑問だ。
「なあ、わざわざ準備運動までする必要ある?」
「勿論、怪我の予防にもなりますし、そもそも佐田君には万全の状態でサッカーをしてもらわないと静岡まで来た意味がないじゃないですか? ──はい、次は腕を回して……駄目です、もっと真面目にやって下さい」
「わかった。わかったよ」
琴音に見張られ、時々、駄目だしをされながらも、一通り準備運動を終えると、今度はオレンジ色のビブスを渡された。
「はい。これを付けて下さい。佐田君はオレンジチームです。そしてオレンジチームはあっち側です」
そう示された先には、オレンジ色のビブスを着た人間が集まっていた。どうやらアキラが最後の様だ。
「では、頑張って下さい。——そういえば、佐田君のサッカーを見るのは初めてですね。期待してますよ」
その言葉に背中を押される様に、アキラはオレンジチームへと向かった。
「……期待が重い」
途中、思わず愚痴が出た。
静岡まで来て、何十人と人を集めて、グランドを借りて、用具一式に弁当まで用意された。これらを、アキラとサッカーをする為だけに揃えたのだから、妙なプレッシャーがかかるのも仕方がないだろう。
——どうなったって知んねえぞ。
プレッシャーを振り払うかの様に肩を回しながら、オレンジチームの元へとたどり着いた。
オレンジチームの面々は当たり前だが、槍也以外は知らない顔だ。
きっと槍也からロアッソ=バジルの再来だとかなんとか変なことを聞かされているのだろう。何人かは興味津々といった顔でアキラを見つめている。
『ほら、アキラ! 今から一緒に戦う仲間なんだから挨拶をしよう! 大丈夫、アキラはやれば出来る子だよ!』
「ヤマヒコ、てめえ……」
一体、ヤマヒコはアキラの事をなんだと思っているのか? わざわざ念を押されなくとも挨拶の一つや二つ出来るに決まってるだろうが。
アキラはオレンジの面々を見渡しながら言った。
「じゃ、よろしく」
明瞭簡潔な挨拶に、オレンジたちからも、「ああ」だの「おう……よろしく」だの返事が返ってくる。
『な、何の問題もないだろ?』
『…………』
アキラの問いかけにヤマヒコは黙った。
——普段もこれくらい静かならいいのに。
そう思いながらグラウンドを見回した。
アキラは決してサッカーをやりたいから、この場にいるわけではない。雨天中止を願ったりもした。が、こうしてこの場に居る以上は、約束通り、アキラなりに真面目にサッカーをやるつもりだった。それが、滋賀の期待に沿うのか沿わないのかまでは知ったこっちゃない。
「さて、やるか」
首を回しながら小さく呟いた。




