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俺―――イオリの見ている前で、赤髪の少女が銃の引き金を引いた。乾いた銃声が鳴り響き、マズルフラッシュが見え、銃口の先にあった茶髪の男の額が跳ねた。
銃口から飛び出た弾丸は、間違いなく茶髪の男の額を貫いたのだろう。男の後頭部から流れ出た血が石畳を汚していく。HPゲージを確認するまでもなく、茶髪の男は即死しただろう。
茶髪の男に馬乗りになっていた赤髪の少女は、一瞬だけ凍えそうなほど冷たい視線を今しがた自分が殺した男に向け、すぐにそれを逸らして立ち上がった。もう茶髪の男に対する興味など微塵も残っていないのか、足元の死体には見向きもしない。そして、三十秒が経つと茶髪の男の死体は消えていった。
あっという間の出来事だった。そして、酷く異質な出来事だった。
今日から正式サービスが始まったこの『神話世界の探求者』。俺はそのβテスターだった。ソロプレイを中心に気ままに楽しんでいたら、《黒閃の剣帝》なんていうこっ恥ずかしい二つ名を付けられたりしていたんだが……まぁ、それはどうでもいい。
正式サービス開始と同時にこの世界に戻ってきた俺は、βテスト時代の知人友人に挨拶をしたり、冒険者ギルドへ登録に行ったりした後、体を慣らすために『旅立ちの草原』に向かった。
その道中、何やら野次馬が集まっているところを発見した。何だろうと思い、様子を見たら……。赤髪の少女が、茶髪の男に手首を掴まれ、殴られそうになっていた。
茶髪の男には見覚えがあった。βテストの時に、そこそこ有名だったヤツだ。……主に、悪い方面で。女性プレイヤーにしつこくナンパしたり、相手が断ると逆上するような輩だったらしい。名前は……よく覚えていない。人伝いで聞いた話だからな。
茶髪の男に絡まれている赤髪の少女は……なんというか、とても可愛らしい娘だった。小柄で均整の取れた肢体に、冗談のように整った顔立ち。燃えるような赤髪と同色の瞳は、どこか苛烈な印象を与えるものの、本人の可憐さはまるで衰えていない。デザイン性皆無な初期装備も、そのシンプルさゆえに少女の素材の良さを強調していた。
そんな女の子が、野郎に殴られそうになっていたんだ。俺じゃなくてもやめさせようと思うだろ? 俺は、ナンパ野郎が振るった拳を、寸前のところで割り込んで受け止めることができた。ナンパ野郎は俺のことを知っていたようで、驚いたような反応をしていたな。
その隙に、赤髪の少女はナンパ野郎の手を振り払い……なんか、やたら洗練された動きだった。リアルで護身術でも習っているのだろうか?
だが、その後の行動が予想外だった。
赤髪の少女がナンパ野郎を煽り始めたんだ。というか、最初からああいう感じでナンパ野郎に対応してたんだろうな。ナンパ野郎が煽り耐性ゼロなのも分かっていたみたいだったし。
しかし、嘲笑を浮かべながら「……無様ね」はヤバかったな。あの一言でナンパ野郎、完全にブチギレてた。赤髪の少女も狙ってやっていた感があったし。……それにしても、ドS顔とあのセリフはダメだろ。マッチしすぎて何かに目覚めるヤツが大量発生しそうだったぞ。
……一応言っておくが、俺のことじゃないからな? 野次馬の中から「ヤバい……あのゴミを見るような瞳でなじってほしい……」だとか「豚扱いされながら踏まれたい……」とか聞こえてきたからそう思っただけだからな。
そして、赤髪の少女は俺にトンデモないことを聞いてきた。町中でのPKの扱いをこのタイミングで聞いてくるって、完全に殺る気だった。その時向けられた笑顔は、とても魅力的だったが……って、そうじゃない。
俺が正当防衛ならセーフと答えると、赤髪の少女は「ありがとう。それを聞いて安心したわ」と答えた。……何に安心したのかは考えない方がいいだろうな。
で、もう一度赤髪の少女がナンパ野郎に嘲笑を向けると、ナンパ野郎がついに少女へと襲い掛かった。
でも、赤髪の少女は一切動揺することなく、ナンパ野郎を止めるために動こうとした俺を視線で「動くな」と制すると……。
ナンパ野郎の振るった斬撃を、避けもせずにその身で受けた。
……いやもう、ホントに驚いた。軌道も分かりやすい攻撃だったし、避けるもんだと思ってたら、普通に斬られたもんだから……。
けど、当の本人は平然としていた。このゲームには軽減されているとはいえ痛覚が存在している。斬られれば普通、顔色の一つくらい変えるはずなんだが、少女は痛がるそぶりどころか眉一つ動かさない。野次馬が悲鳴を上げていたが、俺だって驚いて声を上げそうだったさ。
俺や野次馬の連中が大丈夫かとハラハラしているのなんてお構いなしに、斬られた少女は、ナイフを構え、ナンパ野郎のどてっ腹をぶっ刺し、追撃の膝蹴りでナンパ野郎を石畳の上にぶっ倒した。
そして、すぐにその上に馬乗りになってナンパ野郎を動けなくすると、ナンパ野郎の腹から引き抜いたナイフを手の中でくるくるしながら、今まででもっとも痛烈な嘲りの言葉を吐き、それに怒鳴り返そうとしたナンパ野郎の顔面をナイフで斬り裂いた。容赦など欠片もなく、慈悲など一切感じられない。怒りに満ちていたナンパ野郎の顔が、一瞬で怯えに変わったのが印象的だった。
……野次馬に「羨ましい……」って言ってたヤツいるけど、大丈夫なのだろうか? 主に頭とか。
そして、ナンパ野郎に最後が訪れる。赤髪の少女はどこからともなく取り出した拳銃をナンパ野郎の額に向けると、驚くナンパ野郎に、端から見ている俺でも寒気がするような妖しい笑みを浮かべて見せる。
そして、スゥーと表情を決して、こう言ったんだ。
「死になさい」、と。
その言葉は、淡々とした響きでこの場に静寂をもたらした。直後に銃声が鳴り響くまでの数瞬の間、この場に訪れた痛いほどの沈黙の中で、赤髪の少女が引き金を引く動作がやけにゆっくりに見えたのを覚えている。
俺が間に入った意味など、何もなかったのだろう。あの時俺が間に入らなくても、ナンパ野郎が少女の手によって殺されていたはずだ。確かにナンパを断られたくらいで逆上し、しつこく因縁をつけようとする輩でも……あれほど無慈悲に殺されると、流石に可哀想に思えてくる。
そして、それを顔色一つ変えずにやってのけた赤髪の少女に、言いようのない感覚を味わった。恐怖とはまた違った感覚だ。それが何なのか、俺には分からなかった。
ナンパ野郎を殺した赤髪の少女は、空中を指でなぞっている。ウィンドウを操作しているようだが……ん? ちょっと待って、どうして俺の方を見る?
「ねぇ、イオリ。ちょっと聞きたいのだけれど、いいかしら?」
「あ、ああ。……何だ?」
赤髪の少女が声をかけてくる。なんというか……態度が普通過ぎる。敵を倒した達成感も、男に襲われた恐怖心も、誰かを殺すことに対する嫌悪感も、何一つとして表情には浮かんでいない。今しがたしたことなど、いちいち気にすることでもないということか。……恐ろしいな。
「あのナンパ男を殺したら、いきなりお金とアイテムが手に入ったのよ。これはどういうシステムが働いたの?」
「……ああ、そのことか。このゲームでは、PKなんかの襲撃者を撃退することで、そいつが持っていたアイテムやお金の大部分が自動的に撃退したプレイヤーに送られることになる。レア度の高いアイテムから順に選ばれるって言うなかなかえげつないシステムなんだが……まぁ、PKプレイを許可する代わりのデメリットみたいなもんだな」
「ふぅん、そうだったの。それにしても、どうしてこんなにも女物の装備が多いのかしら? あのナンパ男の持ち物」
「……おそらくだが、パーティーを組んだ初心者にそれをプレゼントすることで、好感度を稼ごうとしたんじゃないか?」
「浅はかな下心が透けて見えるわね。でもまぁ、有効活用させてもらうわ。初期装備が破れてしまったし……」
そういって、赤髪の少女は空中で指を滑らせた。次の瞬間には少女の体が光に包まれ、身に着けている衣装が変化した。
白のブラウスに黒のミニスカート。どちらも嫌味にならない程度にフリルで飾られており、首元に真紅のリボンが揺れている。綺麗な脚を二―ソックスが覆い、足元にはローファーが履かれている。ゆるく腰に巻かれた太い革のベルトには、鞘付きのナイフが取り付けられ、銃は変わらず太もものホルスターに収まっている。
そして、大きな変化としては髪型だ。膝裏まで伸びていたロングストレートの赤髪が、黒地に赤のラインで縁取られたリボンでツインテールに結ばれている。野次馬の連中から歓声が上がった。
……なんというか、感想を言うなら、『滅茶苦茶似合ってる』。シンプルな色合いが清楚さを醸し出し、けれど本人の持つ可愛らしさと、Sっ気のある挑発的な雰囲気がどことなくエロい。あれだ、例のセーターじゃない方の童貞を殺す服。あんな感じだ。
あのナンパ野郎、ナンパの腕は最底辺でも、服装のセンスはあったのかもしれない。まぁ、目の前の少女なら、素材が良すぎて何着ても似合うんだろうがな。
と、俺が装備チェンジした赤髪の少女を眺めていると、当の本人がこちらを見て悪戯っぽい笑みを浮かべた。……なんか、嫌な予感がする。
「あら、随分と熱心に見ているのね。どうかしら? 似合ってる?」
うぐっ、コイツ、なんてことを……! こんな大勢がいる中で、女の子の服装に感想を言えだと? どんな羞恥プレイだよ!
あと、「似合ってる?」の時に人差し指を唇に当てて小首をかしげるその仕草! 様になりすぎてうっかりときめいちまったじゃねぇか!
俺がそんな風に内心で荒ぶってることを知ってか知らずか、赤髪の少女はこちらに近寄り俺の顔を覗き込んでくる。……接近したことでその整った顔を間近で確認することとなり、顔が赤くなりそうになる。
少女は気づいているのかいないのか、判断に困るニヤニヤ笑いを浮かべている。俺の答えを待っているのだろうが……チクショウ、これはもう言わなくちゃならねぇアレだろ。そういう展開なんだろ? 分かったよ、覚悟を決めてやるよ!
一度息を吸って、吐いて。深呼吸。近くにある少女の真紅の瞳に己の瞳を重ね、俺はコイツが求めている言葉を、胸のうちに従ってぶちまけた。
正直、何と言ったのかは覚えていない。というか、思い出したくない。羞恥で死にたくなるから。まぁ、赤髪の少女は満足そうな顔をしていたので、合格点はもらえたのだろう。あと、野次馬共のにやにやとした微笑ましいモノを見る視線がウザい。とてもウザい。全員残らず蹴散らしてやろうか!
「ふふっ、貴方、面白い人なのね。もしよかったら、私とフレンド登録してくれないかしら?」
黒歴史確定な俺の賛辞を受けた赤髪の少女は、可笑しそうに笑いながら、そんなことを申し出てきた。一緒にフレンド申請も送られてきた。……え? 何? 気に入られた……のか?
《プレイヤー:マリスがフレンド登録を求めています。承諾しますか? Y/N》
「えっと……イエスで」
出現したウィンドウの『Yes』を選択。俺のフレンド欄に、赤髪の少女―――マリスの名が刻み込まれた。
俺がフレンド登録を承諾したのを確認したマリスは、口元に愉快そうな笑みを浮かべ、右手を差し出してきた。
「自己紹介が遅れたわね、私はマリス。よろしくね、イオリ」
「あ、ああ……よろしく?」
俺は差し出された手を握り、マリスと握手をした。小柄で柔らかな手の感触は、彼女が今しがた人を殺したことなど、一切感じられない。
これが、俺とこのどこか変わった少女、マリスとの出会い。
そして、彼女との奇妙な因縁の始まりでもあった。




