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『旅立ちの草原』は、始まりの町の北門を出たところにある、初心者用のフィールドです。エンカウントする魔物も、初心者装備でもまず負けることのないようなのばかりだそうです。
門をくぐり抜けた私は、いっぱいに広がる草原の光景を視界に納めました。すでに何人ものプレイヤーがこのフィールドで、魔物との戦闘を繰り広げています。ほとんどのプレイヤーが初心者装備で、それ以外の装備を身に着けているものはごくわずかしかいませんでした。
門を出てすぐの場所には魔物の姿が見当たらなかったので、とりあえず適当に探索を始めます。魔物さん、どこですか? 出てきてくださーい。そして、私の経験値になってください。
地面を覆う草を踏みしめる感触を楽しみながら、草原を適当に進んでいくと、さっそく経験値……じゃなかった。魔物と遭遇しました。
記念すべき初エンカウントは……ゴブリンですかね? 濁った泥水みたいな体色、一メートルくらいの小柄な体躯、特徴的な鉤鼻に、血走った目。手には刃こぼれしたナイフを持っており、身に着けているモノは腰布のみ。
正直、気持ち悪いです。チェンジで。
「ゴギャゴギャゴギャァ!」
うわぁ、鳴き声まで気持ち悪いです……。こう、可愛い兎さんとかじゃいけなかったんですかね、私の初エンカウント。
もう、見ているだけで気分がダダ下がりです。さっさと倒してしまいましょう。
腰のベルトに下げられたナイフを抜き去り、太もものホルスターから抜銃。左手にナイフで、右手に拳銃です。私、両利きなのでこういった異色の二刀流が出来るんですよ。ひそかな自慢だったりします。
私が武器を抜いたことで、ゴブリン(仮)に敵対心が伝わったのか、血走った目を更に見開いて襲い掛かってきました。と言っても、ドタドタと寄ってきて、ナイフを振り下ろしてくるくらいです。
横にステップすることで錆びたナイフを躱し、お返しにナイフを突き出します。むむっ、的が小さいので狙いがそれましたね。私のナイフは、耳とこめかみを裂いただけです。
というわけで、追撃しましょう。突き出したナイフを今度は横に薙ぎます。が、残念ながらそれはよけられてしまいました。
「ゴギャゴギャッ!!」
おっと、今度はナイフを突き出してきましたね。とはいえ、速度はそれほどでもなく、点での攻撃である突きは軌道さえ読んでしまえば回避は容易です。ですが、ここは練習の意味を込めて受け流してみましょう。
ゴブリン(仮)が突き出したナイフに、私のナイフを合わせ、軌道を逸らします。受け流しが上手くいったことで、ゴブリン(仮)は大きく体勢を崩しました。
「せいっ」
こけそうになっているゴブリン(仮)に、足払いをかけました。それがトドメとなって、ゴブリン(仮)は地面にうつぶせに転がりました。
後は、背中を踏みつけて動けないようにして、死ぬまでナイフでめった刺しにするだけです。簡単ですね。
「いちっ、にっ、さんっ。……あら、もう終わり?」
ゴブリン(仮)は三回刺したところで死んでしまいました。後に残ったのは、ゴブリン(仮)の死体です。……そういえばこのゲーム、魔物を倒しても消滅せず、死体になるんでしたね。解体するには……一度イベントリにしまって、解体を実行するんでしたっけ?
イベントリにアイテムを収納するには、体の一部が触れてないといけません。今は、ゴブリン(仮)の死体を踏みつけている状態なので、このままメニューから『収納』を実行します。
足元のゴブリン(仮)の死体が消え去り、イベントリに『ゴブリンの死体』が追加されました。ゴブリン(仮)はゴブリンでよかったようです。後は『解体』をポチっとな。イベントリの『ゴブリンの死体』が、『小鬼の血液』と『小鬼の骨』、そして『小鬼の耳』というアイテムに変わりました。
ふむ、このアイテムは売れたりするんでしょうか? 使い道が思い付かないモノばかりですね。血液は薬とかになるんですかね。
初戦闘は、難なく勝利です。ダメージも一切なし。さて、ではもう少しこのあたりで魔物を狩りましょうか。
◇◇◇
そんな感じで、『旅立ちの草原』をぐるぐるすること一時間。戦果としては、ゴブリンを20体ほどコロコロしました。三分に一匹のペースで現れるゴブリン。他のプレイヤーが戦っている魔物を見る限り、このフィールドにはゴブリン以外の魔物のいるはずなんですが……どうして私はゴブリンとしかエンカウントしないんでしょうか?
ゴブリンとの戦闘は、10回もやれば慣れてしまいます。ナイフで突いてきたら、それを受け流して相手の体勢を崩し、足払いで転ばせて後はナイフでめった刺しにして終了です。
20体目なんて、もうほとんど作業のようなものでしたからね。まぁ、その代わりに、【ナイフ】のスキルはLv5まで上がりました。他に、MPの使い道があまりにもなかったので、適当なモノに【隠す】のスキルを使うということを繰り返して、Lv4まで上げました。能力値に変化はありませんでした。
拳銃はまだ使っていません。銃弾の問題が解決していませんし……。これでは、スキル上げもままなりませんね。さて、では一度始まりの町に戻りましょうか。そこで拳銃の入手方法について情報を集めましょう。
帰り道、五体ほどゴブリンをコロコロし、町の門にたどり着きました。出ていくときに声をかけてくださった憲兵さんに挨拶をした後、町に入りました。
では、情報を貰えそうなところに行きますか。例えば……冒険者ギルド、とか。
この世界の冒険者ギルドは、よくあるファンタジー小説と同じですね。いろんなところから依頼が集まり、その依頼をギルドに登録している冒険者たちが受けて、それを解決する。冒険者に依頼を斡旋し、冒険者たちを管理するための組織です。魔物の素材の買い取りもしてくれるそうです。
マップで冒険者ギルドの場所を確認すると、最初の広場から東に少し行ったところにあるみたいです。さっそく向かいましょう。
北の大通りを広場に向かって歩いていると、「あっ! テメェ!」という声が聞こえてきました。……聞き覚えのある声ですね。覚えたくて覚えていたわけじゃないですが、嫌な方向に印象的でしたし、つい一時間くらい前のことなので、忘れることができなかった声です。
多分、テメェというのは私のことでしょうね。間違いであってほしいなぁ……無視してもいいですかね? 別に私の名前を呼んでいるわけでもないようですし、何の問題もないのでは? さっさと冒険者ギルドに行きたいですし、そうですね。無視しましょう。
必殺、気が付かないフリ! と、何も聞こえていない風を装って、その場を去ろうとします。
「テメェ、無視してんじゃねぇよ! そこの赤髪の女だよ! オイッ!」
ですが、手首を掴まれてしまいました。そういえば、ちょっと拒否しただけで頭にクルほど短気な方でしたね。無視したのは失敗でした。
仕方なく、声のする方へと振り返ります。とても嫌そうに、緩慢な動きで。そうして視界に入って来た私の手首を掴んでいる輩の顔は……あのナンパ男でした。
ナンパ男の顔が視界に映った瞬間、視線に思いっきり嫌悪感を籠め、見るからに嫌そうな表情を浮かべます。汚物を見るような、とは今の私の視線のことを言うのでしょう。
そんな私の視線を受けた男は、気圧されたかのようにわずかにたじろぎました。おや、効いているようですね。では、声音も険のある低めのモノにしてっと……。
「……何かしら?」
「ッ……! 何かしら、じゃねぇよ! さっきはよくも虚仮にしてくれやがったな! クソみてぇな雑魚武器使ってやがる雑魚の分際でよぉ!」
「虚仮にした? ごめんなさい、貴方が何を言っているのか分からないわ。私は事実を言ったまでだもの」
「アァ!? どこまでも生意気な女だなァ……! 痛い目みねぇと分かんねぇのか?」
「……ハァ、面倒ね、貴方。私は二度と話しかけないでって言ったはずなのだけど、やっぱり言葉の意味が理解出来ていないのね。日本語を習ったことが無いのかしら?」
やはり、キャラ設定が悪役だからでしょうか? スラスラと罵倒が口から出てきます。煽り耐性が皆無であろうナンパ男は、私の言葉に顔を真っ赤にしています。分かりやすく怒ってますねー。
そうこうしている間に、野次馬が結構集まってきました。見世物のような扱いを受けるのは慣れていますが、煩わしくないわけではありません。はぁ、このナンパ男、本当にさっさと消えてくれませんかね。
あー、このまま煽ったら暴力行為に出たりしませんかね? そうしたら合法的にぶっ飛ばせますし……。というか、せっかくの悪役ロールプレイ何ですし、ここは問答無用でボコボコにしてもいいのでは?
「このクソアマが……! ぶっ殺すぞッ!!」
「どうでもいいわ。それよりも手を離してくれないかしら? 私、行かなくてはならない所があるのよ」
脅し文句をそうやって受け流すと、ナンパ男はスッと表情を消しました。あ、これはアレですね。キレましたね。ブチギレです。本当に短気な方ですね。普段からこうなのでしょうか? それとも、ゲームの中ではこういう性格になってしまうとか?
「……殺す!」
怒りにまみれたセリフと共に、ナンパ男の拳が振り上げられました。わぁ、なんというテレフォンパンチ。躱すのは容易ですね。それに、向こうが手を出してきたのですから、これはもうボコボコで問題ありませんね。
……そう思って、ナイフの柄に手を添えたのですが、それを抜き去ることはできませんでした。何故なら、その必要が無くなってしまったからです。
振り下ろされたナンパ男の拳を、横から伸びてきた腕が掴み取りました。そちらに視線を向けると、いつの間に現れたのか、黒髪の少年が居て、険しい視線をナンパ男に向けています。ふむ、身に着けている黒系統の色をした装備は初心者装備じゃありませんし、この少年もβテスターですか。
「なッ……!」
ナンパ男が、拳を受け止められたことに驚いたのか、驚愕の表情目を浮かべました。
「お前は……《黒閃の剣帝》!? なんでお前が!?」
ナンパ男の言葉に、少年は反応しませんでした。
それにしても……《黒閃の剣帝》ですか。聞き覚えがありますね。確か、βテスターの中で、最強と言われているプレイヤーの二つ名です。
「拳を下ろせ。こんなところで暴力行為とか、何考えてんだよお前」
ナンパ男の拳を受け止めたまま、《黒閃の剣帝》さんはそう言いました。力強く、堂々とした声です。
彼の登場に、野次馬たちもざわざわしています。やっぱり、広く知られている人なのでしょうね。うーん、この後ろ手に構えたナイフが無駄になってしまいました。せっかくナンパ男の首を掻っ切ってやろうと思ったのですが……。
「て、テメェには関係ねぇだろうがッ!」
「関係あろうとなかろうと、女の子殴ろうとしてる男がいたらとりあえず止めるだろうが」
「ハッ、いい子ちゃん気どりかよ。いいからそこをどけ、俺はそのクソアマに馬鹿にされた礼をしなきゃいけねぇんでな」
おっと、私抜きで話がどんどん進んでいきますよ? 当事者なはずなんですけどねぇ……。というか、本当にそろそろ冒険者ギルドに行きたいんですけど。
取り合えず、ナンパ男に掴まれている手首を解放しましょうか。ちょっとだけ体を沈めて、その分の勢いを乗せて掴まれている手首を跳ね上げます。すると、ナンパ男の握る力が緩みますので、後は手のひらを開いて外側に大きく円を描くように動かすと、簡単にナンパ男の手は外れました。コレ、結構簡単に出来るんですよね。しつこいナンパ野郎は平気で手首を掴んだりしてきますから、こういう護身術は嗜んでおくと便利です。
おや、ナンパ男が手を外されたことに驚いてますね。この隙に少し距離をとっておきます。ささっ、後は男二人でごゆっくり。私はこれにてさようなら。
「おい、クソアマ! 逃げてんじゃねぇぞテメェ!」
というワケにも行かないご様子。はぁ、こちらは貴方がもたらした情報によって困っているというのに。ナンパに失敗したくらいでぐだぐだ言わないでもらいたいものです。
けど、このまま無視したらもっと面倒なことになりそうなんですよねぇ。
では、ここは悪役らしくやりましょう。全力ロールプレイ、開始です。
「逃げる? 私が? 貴方から? ふふっ、面白いことを言うわね。貴方、ナンパの才能は皆無だけど、お笑いの才能はあるんじゃない?」
腕を組んで、視線はどこまでも冷たく、口元には嘲笑を浮かべます。
「馬鹿にされた礼をする……ねぇ? それは勘違いよ。貴方は馬鹿にされたんじゃない。自ら馬鹿を晒したの。……無様ね」
「お、おい赤髪。あんまり煽ると、また……!」
《黒閃の剣帝》さんが私を止めようとしますが、遅いです。あれだけ短気で煽り耐性皆無なナンパ男が、ここまで馬鹿にされて、何かしないワケありません。散々怒らせるようなことを言ったとはいえ、女の子相手に容赦なく拳を振るうような輩です。私の期待通りに踊ってくれるでしょう。
もはや言葉にならないほど怒っているのか、ナンパ男は《黒閃の剣帝》さんの手をを振り解くと、凶悪な目つきで私を睨みつけました。おぉ~、これぞまさに『激おこぷんぷん丸』というヤツでしょうか。今にも襲い掛かってきそうです。
「ああ、そういえば。《黒閃の剣帝》さん、でよかったかしら?」
「……イオリだ。二つ名で呼ぶのはよしてくれ」
あら、本人は嫌がっていましたか。あと、《黒閃の剣帝》なんて物々しい二つ名のわりに、可愛らしい名前してるんですね。よく見ると、顔立ちも中性的ですし、女の子の恰好とかが似合いそうですね。
「分かったわ。では、イオリ。さっきは割り込んでくれてありがとう。それで、聞きたいことがあるのだけど」
「いや、この状況で何を……」
「この世界って、『町中で人を殺したらどうなるかしら?』」
私の言葉に、イオリはこちらを振り返って大きく目を見開きました。そんな彼に、にっこりと微笑みを返します。
「はぁ!? な、何を言って……」
「正当防衛ならセーフ? それとも、戦っただけでアウト?」
「……ッ! 正当防衛なら、お咎めはない」
「ありがとう。それを聞いて安心したわ」
ええ、安心しました。
これで、あのナンパ男を容赦なく殺せますから。
すでに腰に差した剣に手を伸ばしかけているナンパ男へと、視線を向けます。
とびっきりの侮蔑を籠め、二度目の嘲笑。限界ぎりぎりだったナンパ男の堪忍袋の緒が、ブチッ、と切れた音が聞こえた気がします。
「アアアアアアアッ!!」
剣を抜いたナンパ男。狙いは私。イオリさんが動こうとしますが、ぎりぎりで間に合いません。
ナンパ男は、剣を振り上げ、振り下ろしてきました。私はその斬撃を回避することなく受けました。
左肩を浅く斬り裂かれ、HPが減ります。このゲームはリアル指向なのか、斬られた部分からは血が出ています。痛みもそれなりに。でも、全然我慢できるレベルの痛みでした。野次馬から、悲鳴が上がりました。
HPの減少量は五分の一ほど。つまり、あと四回斬られたら私は死んでしまうということになります。
まぁ、問題ありません。これで正当防衛が成立しました。さっさとナンパ男を仕留めてしまいましょう。
視界の端でイオリさんが動こうとしていたのを視線で制した私は、今度こそ腰からナイフを抜き去り、踏み込むと同時にナンパ男にその切っ先を突き刺します。全身の体重を乗せて、体当たりするかのように放った刺突は、ナンパ男の胴体に深々と突き刺さりました。
そして、ここで渾身の膝蹴りです! ほぼ密着したような状態からでも放てる蹴りで、ナンパ男の足を撃ちました。
するとどうなるか、ナンパ男は仰向けに倒れていきます。上手く手を付けなかったのかナンパ男は背中と頭を地面に強打しました。「ぐはっ」と苦し気なうめき声がナンパ男の口から漏れました。
私は素早くナンパ男に馬乗りになると、膝で腕を抑えて動けないようにしました。もはやこうなってしまえば、ナンパ男に出来ることはありません。
私はナンパ男の腹からナイフを引き抜きました。それを手のひらで弄びながら、ナンパ男を見下しながら、こういいます。
「無様ね、貴方。βテスターなんでしょう? これ見よがしに強そうな装備見せつけて、自分は強いんだーって主張してたのにねぇ? ナンパに失敗してキレて女の子に襲い掛かって組み伏せられるって……ふふっ、可笑しすぎるわ。貴方、ナンパの才能も戦闘の才能もないけれど、やっぱりお笑いの才能はあるのね。戦闘職をやめて、ピエロにでも転職したらどうかしら?」
私の言葉に、ナンパ男は憤怒に顔を歪めました。また、変わり映えのしない罵声を言うつもりなのか、ナンパ男が口を開きます。
「この……! クソアマがァ!?」
「うるさいわよ」
なので、黙らせるためにナイフを振るいました。ナンパ男の顔を斜めに浅く斬り裂きます。ナンパ男の顔に赤いラインが引かれました。
それだけで、ナンパ男の表情は恐怖でいっぱいになりました。口元は引き攣り、瞳は何か名状しがたきモノでも見たかのような感じになっています。
さて、怖がらせるのもこのくらいで十分ですよね。そろそろとどめを刺してあげましょう。
というわけで、私は半場恐慌状態にあるナンパ男の額に、銃を突きつけました。すると、ナンパ男の表情が驚愕に変わりました。
「なっ……!? おまえ、今その銃どこから出しやがった!?」
……? いや、どこから出すも何も、この銃は貴方と出会う前からずっと手に持ってましたけど? 何をそんなに驚いて…………って、ああ! そういうことですか!
すっかり忘れてましたけど、そういえば【隠す】スキルのレベル上げのために、ずっとスキルを発動させていたんでした。
自分としてはほんのついでだったんですが……。まぁ、恐怖心を煽れたんなら良しとしましょうか。けど、ナンパ男にはなんて返しましょうか? 予想外のところで驚かれたせいで、セリフがとっさに出ませんでした。とりあえず、妖しい感じで微笑んでおきましょう。……あっ、結構ビビってますね。良かった良かった。
さぁ、とどめを刺しましょう。銃の引き金に掛けた指に力を入れます。最後は笑みを消して、冷酷な視線をナンパ男にプレゼント。冥途の土産にしてくださいね。
「じゃあ――――死になさい」
パァン!