プロローグ
遠く聞こえていた剣の響きや人々の怒号と悲鳴が近づいてきている。
もうまもなくこの城は落ちる。
そして、自分の命が尽きていこうとしているのがわかる。
「せめてこの子だけは・・・」
抱き上げた赤子は泣きもせず見上げてくる。その運命を示す赤い色の瞳で。
私は目の前の精霊に願う。これが最期の願い。
「この子をここではない生きられる場所へ」
「承知した」
「この転移をもって、あなたを解き放つ」
「・・・承知した」
あの契約の日から命を共にしてきた精霊は、目を伏せて頷いた。本当はこの子のことを頼みたい。けれど、それは精霊が自分で決めること。
でもせめてこの子を安全な場所へ。精霊の腕に我が子を託す。
できれば運命から自由に生きてほしい。もし運命がこの子を捕えるとしても、願わくばこの子が運命に押しつぶされずに生きられますように。最期の願いを込めて額に口づけをし、精霊に向かって頷いた。
次の刹那、2人の姿が消える。・・・これでもう私にできることはない。もうすでに立ち続ける力もなく、床に崩れ落ちる。
「アグスティン様・・・」
私ももうすぐさっき目の前で逝ったあの人のもとへ逝く。
薄れゆく意識の中、最期に願ったのはもう自分の手で守ってやれないあの子の幸せ。
そして、全てが闇に閉ざされた。
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病室で機械音を聞いていた。
最後は学校にも通えなかったけど、そこでできた友達とは、ネットを介せばゲームの話や他愛もない話ができた。ネット上でのオタ仲間もできた。だから、私はそれなりに幸せだったよ。
「茜!」
「茜・・・」
ごめんね、お父さん、お母さん。もっと生きたかったけど。できればお父さんとお母さんより長く生きてあげたかったけど。もう無理みたい。でもありがとう。
薄れゆく意識の中、最期に想ったのはその手で育んでくれた両親への感謝。
そして、全てが闇に閉ざされた。
最初は赤ちゃんの泣き声で目が覚めた、と思った。
でも違う。これは私の泣き声。とっさに動こうとしたけど言うことをきかない体も赤ちゃんのものみたい。目の前は暗闇で、風の音だけが聞こえる。何が起きているのか、自分が今どこにいるのか、どうなっているのか全くわからなくて不安になる。その不安が今の体では泣くことに直結するようで、私は号泣していた。どれくらい泣いていたのか、泣く力すら尽きそうになってきたとき、風の音に混じってカサカサとした音が聞こえてきた。
音はどんどん近づいてきて、もうすぐそこから聞こえてくる、と思ったら。それ、が目の前にいた。とても大きな狼。
た、食べられる・・・!
とっさに思ったけど、狼は私のところまで来ると、まるで私を守るように横たわった。え、どういうこと?相変わらず状況はつかめなかったけど、ぬくもりに包まれて少し落ち着く。
そこへ、また風の音に混じり動くものの気配がした。今度は何?心の中では身構えた私の耳に、人の声が聞こえた。
た、助けて・・・!
小さい身体での、だけど渾身の願いが届いたのか人の声が近づいてくる。現れたのは、今までリアルで見たことがない服装の人々だった。・・・騎士、かな?ネットの中の写真で見た海外の王宮を守る人達のような衣装だった。
私のそばにいた狼が立ち上がると、彼らと対峙する。しばし向かいあった後、狼は彼らに道を譲った。先頭で私のところにきたその人は、ためらいのない手で私を抱き上げて私の顔をのぞくと、
「この瞳は・・・!」
息をのんだ。・・・瞳?不思議に思っていると、すぐに瞳をそっとおおわれ、彼は何かをつぶやいた。何だろう?
「我らが守り育てましょう」
そっとささやかれたその言葉に、何の根拠もないのに安堵を覚えた。安堵を覚えると、限界まで泣いていた体は今度はあっさりと睡魔に支配されていく。・・・まだ何もわかってないのに。そう嘆いたのが最後の記憶だった。