第八話「再び異世界へ」
「おっ、やっと目を覚ましたか」
「良かったぁ…」
整った顔立ちの男女が私の視界を占領していた。
白髪で頰に大きな傷を持つイケメンと、ピンク色の髪に宝石のような緑色の瞳の美女。
ルークさんとニーナさんだ。
二人は心配そうに私を覗き込んでいる。
と言うのも、私はルークさんが座っていた長椅子に寝かされているのだ。
私にとってはあの真っ白の空間が暗転した次の瞬間。
しかし、どうやら二人の様子を見る限り、私は長らく気を失っていたのかも知れない。
「無理するなイオン。頭が痛かったりするか?」
起き上がろうとしたら、立ちくらみのような目眩いを起こした。
私は一体、どのくらい気を失っていたのだろう。
それにしても変な疲れと言うか、身体がだるくて重い。
なんなんだろう、この倦怠感。
「はい。頭は痛くないです。それより私、どのくらいこうしてたんですか?」
身体が妙に重く感じるだけで、本当に頭は痛くない。
それよりもあの白い空間での時間が、どのくらいのものだったのかが気になった。
「そうか、それは良かった…。時間は然して経ってないぞ…」
「なに言ってるのよ、ルーク。私が駆けつけてからだって、二時間は優に経ってるわよ」
「いや、本当の事を言って、あまり心配させてもと思ってだな…」
ニーナさんに指摘されたルークさんは、モゴモゴ言いながら口を尖らせている。
それにしても二時間以上も気を失っていたのか…。
体感的にはものの7、8分ほど、言ってもその倍くらいの時間にしか感じなかったけど。
「とにかく、今日のところは安静にするんだな」
「そうよイオン。無理は禁物よ。あとで歩けるようになったら部屋へ案内するから、今はそのまま寝てなさい」
二人はもの凄く私を気づかってくれる。
よほど衝撃的な倒れ方でもしたのだろうか。
なんだか逆に申し訳ない。
それにしても、最初に知り合ったのがこの二人で本当に良かった。
もしこれが悪意みなぎる人の前で起こっていたら…。
考えただけでゾッとする。
「私、どうなったんですか?」
ニーナさんの言葉に甘え、長椅子へ横になりながら聞いてみる。
ルークさんと話している最中に突然響いた脳内の声、その次の瞬間にはもうあの白い空間だった。
「なんだか知らねぇが、急に頭を押さえて椅子から崩れ落ちたんだよ。あれは焦ったぜ…」
「そうね、あんなオロオロしたルークを見るのは初めてだったかも」
クスリと笑うニーナさん。
「そりゃオロオロもするさ。テーブルに頭ぶつけてあんだけ血が出てたんだぞ…」
確かに話してる相手が急に椅子から崩れ落ちたら焦るよな。
しかも血だしてんなら尚更。ちょっとしたホラーだよ。
ん?
血って出血したの、私?
でも倦怠感はあるけど頭は全く痛くないんですけど…。
そう思いながら自分の頭を触ってみる。
「………」
なんともない。
なに言ってんだろ、ルークさん。
「そりゃ今はなんともないさ。お前、治癒魔術が使えるみてぇだからな。しかも無詠唱で」
私が頭の上にインテロゲーションよろしくピョンと浮かべていると、ルークさんが妙なことを言って来た。
「そうよイオン。さっきギルド内にいた治癒魔術師に診てもらったんだけど、駆けつけた時には既に半分くらい治癒してたの。その治癒魔術師も、イオンの気を失いながらの治癒に舌を巻いてたわ」
あ…。あれだ。
あのセルフなレーシックと同じだ。
「その時の驚いた顔と言ったら、本当傑作だったわよ?」
ニーナさんは少し興奮気味に言って、鈴のような声音でコロコロ笑う。
「ニーナ、あまりこの話は他言すんじゃねぇぞ」
「わかってるわよ。フレクにだって私が釘を刺したのよ? そんな私がペラペラと言いふらす訳ないじゃない」
思いのほか厳しい表情で言うルークさんに、ニーナさんがその整った眉をひそめながら言い返す。
なんだろ。
私ってば、そんなに珍しいのだろうか。
「あのな、イオン。お前はなんも覚えてねぇようだから教えといてやるが、無詠唱で治癒魔術を使えんのは世界でもひと握りだ。しかも意識を無くしてる状態で行使するヤツは、俺は未だかつて見たことも聞いたこともねぇ。これが王都にいる軍部の連中に知れたら、お前は確実に研究材料とされて、一生自由がなくなるに違いねぇんだ。まあ、研究材料は大袈裟でも、軍部に加入させられてこき使われるに違いねぇ。いずれにしても自由がなくなるのは間違いなぇのよ。だから、せめて記憶が戻るまでは秘密にしといた方がいいって、さっき話し合って決めたんだよ。お前もその方がいいだろ?」
いいに決まってる。
一生研究材料なんてごめんだ。
それに軍部とか汗臭い感じ嫌いだし。私、根っからの文系だし。
私は思わずブンブンと首を振っていた。
本当、この二人の前で起こった事で良かった。
ついてたよ本当。
感謝しなきゃだな、この二人には。
特に最初に声をかけてくれたルークさん。
本当にありがとう。
と、思いながらルークさんに目を向けると、ルークさんはニーナさんに、私の記憶喪失には私のその能力に原因があるんじゃないか、との見解を語り始めていた。
私の能力を巡った争いに巻き込まれての逃走劇。
なかなか引き込まれるものがある。
実にストーリーテラーぶりを発揮している。
しかし良く考えると、この先本当に起こり得る話なのかも知れない。
そう思うと、冒険活劇が一気にホラーとして聞こえる。
無詠唱での治癒魔術、今後は気をつけなければ。
それにしてもルークさんの舌が止まらない。
まあ、話自体面白いし、今後の参考にもなるのでいいんだけど。
でもちょっとしつこい…。
そうこうしているうちに、私の倦怠感も幾分抜けてきた。
「おっ、随分顔色が良くなって来たな?」
ルークさんがおもむろに話を中断して微笑んでくれる。
まるで私が回復するのを待っていたようだ。
いや、そうなのだろう。きっと回復するまで楽しませてくれていたのだ。
しつこいとか……ごめんなさい。
「ありがとうございます。おかげで随分良くなって来たみたいです」
「お、おう…。そんじゃ、そろそろニーナに部屋へ案内してもらうといいぜ」
私が必要以上に想いを込めてお礼を言ったせいか、ルークさんは少しハニカミながら返して、「あとは任せたぜ、ニーナ」と、ニーナさんの肩を軽く叩いた。
「今日は無理せずにゆっくり寝るんだぜ?」
ニーナさんに肩を抱かれ、部屋を後にする私に、ルークさんの慈愛に満ちた声がかかる。
本当、いい人だ。
私は振り返って深々とお辞儀すると、もう大丈夫ですよ、と安心させるように笑んでみせた。
「それじゃあ行きましょっか?」
ニーナさんの言葉に頷き、私は異世界初の宿になる部屋へと歩き出した。