第七話「再び白い空間」
一瞬にして、またあの白い空間の中にいた。
あいかわらず視界に入るもの全てが白い。
そして怖いくらいの静寂に、肉体を失ったような感覚。
恐怖と全能感が混在した不気味な感覚…。
やっぱり私は死んだのだろう。
この浮遊感といい、そんな風に考えるとしっくりくる。
死を受け入れる云々と言うより、この漠然と漂う虚無感が、私の思考を自然にそちらへと導いていくのだ。
しかし、あの異世界はなんだったのだろう。
ルークさんにニーナさん。そして冒険者ギルド。
あの不思議な料理はカーニャロウズだったっけ…。
ギルドに入った瞬間のむせ返るような匂いも、思いのほか美味しかった料理の香りも、私の鼻腔には未だ鮮明に残っている。
ただ、それも私自体がこの空間に溶け出して行くような感覚で、そんな記憶も夢の如く遠くのものになっていく。
全て死がもたらす幻想だったのだろうか。
二度目と言う事で幾分冷静になれているのか、見える全てが同じ景色でも随分と違った感覚だ。
言いようのない『死』を実感させる…。
この感じだと、あの小学生も幻想だったのだろうか。
『目を覚ましたようじゃな?』
嗄れた子供の声が脳内に直接響き渡る。
なによ…。
目が覚めて既に数分は経ってるんだから、もっと早く声をかけなさいよね!
おかげで、すっかりあの世行きモードに切り替わったじゃないのよ!
『流石になんの説明もないのは不憫じゃて、特別に再登場じゃ』
なにが再登場よ…。
だったら花粉は忘れて、あそこから仕切り直してよ!
『それは無理じゃ。そもそもお主が願った事じゃての?』
うっ…。
念じるように叫ばなくても、思った事が聞こえちゃうみたい。気をつけなくては…。
『 わかったわよ。仕切り直しは忘れていいわよ。それより説明ってどう言うことよ?』
『ククク、やはり気になるようじゃの?』
小バカにしたように笑いやがって…。
気になるに決まってるじゃないのよ。
なんだかムカつくわ。この小学生。
『気になって当たり前だわ! それにあんたが言い出したことでしょうに…』
『ククク、そうじゃな。すまんすまん。クククク』
全くすまなそうではない小学生。本当ムカつく。
『とにかくお主は一度死んでおる。まあ、ワシが順番を間違えてしもうた結果じゃがな』
なぬ。
私はこの小学生のミスで死んだってこと?
こんな重大な事を、宿題の範囲を間違えたみたいにさらっと言いやがって…。
『まあ、そう怒るでない。こうして別の世界へ送ってやったのじゃ。そう言う意味では、お主は死んでおらん。よってワシは間違いを犯していないと言う訳じゃな?』
ご都合主義にもほどがある。
あんたは間違いなく間違いを犯したんだよ。そして私の先輩との未来を奪ったのだ。
私にとって、あんたは許し難い犯罪者だ。
『そういつまでも過ぎた事で目くじらを立てるものではないぞ? それよりも今後を見据えて前向きに過ごす方が、よほど有益で幸せな生き方じゃ』
あのねぇ、キミ。
間違いなく、あんたにそれ言う資格ないから。
神レベルに日和見主義だよ。全く。
って、この小学生って、ひょっとして神様?
『そうじゃ。人間はワシを神と呼ぶ。小学生なぞと呼ぶのはお主が初めてじゃぞ』
あちゃ…。
薄々感じていたことだったけど、まさか本当に神様だったなんて…。
やってしまった。
まさか、これで地獄行きってことないよね?
『まあ、神以外で呼ばれるのも、存外親しみが湧いて悪い気せんがな?』
よ、神様!
流石に神様、お懐がお深い。まさに神レベルの深さ。
『とにかく、あの世界での説明じゃな』
『よろしくお願いします、神様!』
私は即座に脳内で叫んでいた。
なにせ直の神だのみである。自ずと力が入ると言うものだ。
しかも、神にすがるを体現した模範的な声音ではないだろうか。
『よかろう』
『ははぁ』
大袈裟に言ってみた。
機嫌を背けられたらえらい事になってしまう。
『先ほども述べたが、お主は既に死んでおる』
もう何度も何度も…。
言わなくていいよ、ソレ。経絡秘孔ついたんでもあるまいし。次の瞬間、グロい最後を迎えそうじゃないのよ…。
『まあ、色々不手際があったで、別の世界へと送ってやる事にしたのじゃが、異次元から送られたお主は、元々そこで生まれた者にくらべ、その能力も異次元なものになっておるのじゃ』
『異次元な能力…?』
『そうじゃ。この事は最も気をつけねばならぬ事の一つじゃ』
あの潜在魔力量とやらの事だろうか。
基準がわからなかったので、てんで意味不明な数列だった。
『お主の魔力量は魔王クラスじゃ。並みの人間ではあり得ん量を保有しているのじゃ』
『はぁ…。でも、それがどうして気をつけないといけないんですか?』
魔王ってキーワードは置いといて、普通に考えたら、なんでも量が多いに越したことはない気もするけど。
『じゃから言ったじゃろうに。並みの人間ではあり得ん量なのじゃ。そもそもあの世界は、魔力によって成り立っていると言っても過言ではないのじゃ。大気中には常に魔素が漂い、人は皆その魔素の恩恵によって暮らしておる。それこそお主も実感しとるはずじゃぞ?』
『実感……?』
『目が見えていたじゃろ?』
あ…。
言われてみればそうだ。
異世界転移直後、何故か眼鏡はしていなかったのだ。
それに、鞄の中に入れていたスマホも無かった。と言うより、鞄の中は空っぽだったのだ。
金属や紙などの物質は一緒に転移出来ないのかな…なんて思ったけど、深く考える前に冒険者ギルドへ移動して、ルークさんと出会ったのだ。
私は眼鏡なしだとぼやけてしまうくらいで、全く見えないと言う訳ではない。
でも、街並みたったりルークさんやニーナさんの顔は、眼鏡をしている時みたいに鮮明に見えていたのだ。
冷静になって考えたら不思議な事である。
『そうじゃろ。見えとったじゃろ? それも魔力のおかげなのじゃ。お主はあの短い間で大気に含まれる魔素を吸収し、無意識のうちにそれを魔力として行使していたのじゃ』
無意識のうちに魔力を行使してた……?
『そうじゃよ。魔力行使によってお主は己で己を治癒したのじゃ。まあ、正確には完全なる治癒ではなく、魔力で角膜修正しとるのじゃがな』
てか魔力ちょう便利。
セルフなレーシック、最高じゃんね。
『話が逸れたが、並みの人間ではあり得ん魔力量、しかもそれが魔王クラスとなると、その事実が人に知られれば不味い事態になるのじゃ』
『不味い事態??』
なんだか浮かれていられない雲行きになってきた。
『うむ。人間ではあり得んと言ったが、数百年に一度くらいの頻度で、稀にそうした力を持って産まれくる人間もおるのじゃ。
残念な事にそうした力を持っている者は、あの世界では魔王となって災いをもたらすと恐れられ、見つかり次第亡き者にされる掟になっておる』
なにそれ。
ちょーやばかったんじゃないの、ソレ。
文字化けと勘違いしてくれたおかげで何事もなく済んだけど、いきなりソレが発覚してたかも知れないじゃない。
異世界転移して一時間も経っていないと言うのに、あっと言う間に殺されるところだった…。
『まあ、滞在時間が長くなればなるほど、それに伴って表記されるかも知れんで、あの魔道具には近寄らん事じゃな?』
げっ、そうなの?
やばいじゃんね、ソレ。
絶対に近寄らないでおこう。うん。
逆を言えば、異世界転移早々に見られて良かったのかも。
姑息な手を使ったとは言え、ルークさんには感謝しなきゃ。言葉には出さないけど。
『そう言う訳じゃで、お主は他人に己の魔力量を知られんように暮らす事が肝要じゃ。然すれば、新しい世界での幸せな暮らしも見えてくる。それにの、あの世界でのお主は特別な良縁に恵まれておる。楽しみにしておると良い』
え?
良縁って……。
私の運命の人は先輩じゃないの?
『でも、あの運命の人って言うのは…』
『幸運を祈る。さらばじゃ』
私の脳内質疑むなしく、真っ白な空間は暗転した。