第五話「嘘つきは住込みのはじまり」
「とにかく食べようぜ」とのルークさんの声で、私はやっと石から目を離した。
ドキドキする。
石に浮かび上がった文字が日本語だったのにも驚いたけど、それだけではこんなにドキドキしない。
その内容だ。
【運命の人:井伊加瀬航平】
運命の人が井伊加瀬航平って…。あの石は一体なんなんだろう。
まずはそこを確かめない事には、このドキドキの行方を何処に持って行けばいいのかわからない。
「なんだ? あれだぞ。期待すんなとは言ったが、それ程不味くはないはずだぞ?」
「あ、いえ、そう言う訳じゃ…。ちょっと考えごとしてて…ごめんなさい。では、いただきます…」
そうよね。あれだけクゥーキューお腹鳴らしといて、出された料理に手をつけなかったら、変に誤解されてもおかしくないわよね。
異世界で初の食事なんだし、とりあえず異世界料理を楽しもう。何よりお腹ペコペコだし。
『んんんー……??』
スープは何というか、薄っすら塩味…。
「お母さん、これ出汁とった?」って言いたくなるような物足りなさ。
見た目はコンソメスープのような琥珀色なので、そのイメージで食べたから尚更味気なく感じるのだろう。
正直なところ、コショウでもかけないと食べられたモノではない。
この黄色っぽいニンジンみたいなのは、ほんのり野菜の甘みがあって美味しいかも。でもこのソーセージっぽいのはしょっぱ過ぎ…。
総評兼、命名。
『マズ汁』
いや、本当。
何が「それ程不味くはないはず」だよ、ルークさん。ファンファーレ付きの『マズ汁』だよ。
コレを不味いと言わないで何を不味いと言うのか逆に教えて欲しい。いや、やっぱ知りたくないわ…。
ただ、これを本気で不味くないと思って食べてるんだとしたら、この世界での食は諦めるしかないな…。
嗚呼、ルークさんがバカ舌であって欲しい。切に。
『もうこの世界ではパンだけ食べて生きて行こう』
私は新たな決意とともに、こげ茶色の希望の塊を手にする。
ロールパンのような見た目だ。少し大ぶりした感じだけど、まさにヤマ◯キの食卓◯ールのソレだ。
しかし実際に手にしてみて愕然としてしまう。
ずっしりと重いのだ。
しかもなんだか硬い。嫌な予感しかしない。
いやいや、スープは見た目美味しそうだった。
この流れで行けば、きっと最初のインプレッションと逆に行くはず。行くはずよね?
『硬っ…』
まんま、だ。
硬度、食品サンプルの如し。
歯が欠けるかと思ったわ…。
私は異世界で飢え死するんだわ…。
こんな事なら花粉のない世界とか言ってないで、食べものの美味しいグルメっフルな世界にしとけば良かった。とんだ落とし穴だよ。
元の世界に帰りたい…。
そう言えば今日、お母さんに酷いこと言っちゃったよな。
自分が夜更かしして寝坊したくせに、「なんで起こしてくれなかったのよ! お母さんのバカ!」なんて言って家を出て来てしまった。
私が悪いのに。
元の世界に帰って、お母さんに謝りたい…。
「イオン、お前が困ってるって理由がわかったぜ」
私がしんみり帰郷に想いを馳せていると、ルークさんから声がかかった。
見るとルークさんは頬に手を当てながらニヤニヤしていた。
ルークさんのお皿が手つかずなところを見ると、ああしてずっと私を見ていたようだ。
しかし、突然なにを言い出すんだろう、この人。
「カーニャロウズの食い方も知らねぇんだもんな。これで謎が解けたってもんだ」
いやいや、本当なに言ってんだろう、この人。
「俺に任せろ、イオン。お前の事は俺が面倒みてやる。だから気を落とす事はねぇ。まあ、ゆっくりやろうじゃねぇか?」
だから何言ってんのよ、このおじさん。
しかも、もの凄い慈愛の目で見て来る。
「えーと…」
「慌てることはねぇよ、イオン」
私が何の話をしているのか尋ねようとすると、ルークさんは手をかざしながらそれを制し、「先ずはカーニャロウズの食い方からだ」と言って、「これはこうしてスプーンの柄でこじ開けてだな…」と、食品サンプルロールにスプーンの柄を突き刺し、その穴に指を入れて千切ってみせた。
そしてそれをスープに浸してパクリと食べ、「お前もやってみろ」とばかりに千切った食サンロールを私にくれる。
なるほど、スプーンの柄の先が鋭角にカットされているのは、デザインなだけではなかったのね。
とにかくルークさんを真似て食べてみる。
すると意外や意外、なかなかイケる。
食サンロールはスープに浸す事によって、外側のカチカチが程よいクリスピー食感になり、中のもっちり食感と抜群のコラボレート。なにより食サンロール自体がスパイシーで、スープと合わさる事で完成される仕様になっていたのだ。
食サンロールにも若干塩気を含んだ旨味があるのと、なによりもコショウやハーブ系の香りが効いているおかげで、別次元の食べ物に様変わりしている。
そして塩っぱいソーセージを食べてみると、先ほどの塩っぱさが不思議と気にならなくなっていて、むしろこの塩気が料理にパンチを効かせている。
ワンディッシュで英気を養うには、このくらいじゃないと物足りないかも知れない。
実に完成度の高い一皿だ。
「やっぱり自分の名前以外、なにも覚えてないのか?」
ルークさんが慈愛の眼差しで話しかけて来た。
私はお腹が空いていた事もあり、自分の分の食サンロールもスプーンの柄でこじ開けて千切り、黙々とカーニャロウズなるものを食べていたのだ。
私の口の中には、もちもちクリスピー食感に生まれ変わった食サンロール。
返事のしようがない。
「昔似た事があったのを思い出したんだよ」
私がもぐもぐやっていると、ルークさんはそう言って語りはじめた。
私を安心させる為か、優しくゆっくりとした口調だ。
なんでも15年ほど前に、ランク5の迷宮にトライ中の冒険者が、街中を徘徊していたところを保護され、この冒険者ギルドへ連れて来られた事があったそうなのだ。
その迷宮はここから歩いて三週間ほどの距離なので、そもそも迷宮へ行ってない限り、居るはずのない場所で発見されたと言う訳だ。
その保護された冒険者は、自分が何者で何をしていたかなど、全ての記憶を失くしていたそう。
しかし、その冒険者はAランクで顔が売れていた上、ルークさんとも旧知の仲だったそうで、更に迷宮行きもこのギルドで手続きしていたので、身元が明白だったのだとか。
ちなみにルークさんはこの時、このギルドの副支部長に就いたばかりだったそうだ。
とにかく、旧知のルークさんも覚えていなかった事もあり、他人の空似と言う事も考えられると言う事で、例の石を持たせて情報を見ようとしたそうなのだ。
しかし、石には何も浮かび上がらなかったそうで、結局迷宮から引き返してきたパーティーメンバーによって、その冒険者の身元確認がなされたのだそうだ。
迷宮の中で転移魔法陣のトラップを踏み、行方不明になっていたらしい。
ルークさんが語るには、あの石に名前が浮かび上がったとは言え、他の情報は何も浮かび上がらない私の状況が、その時の冒険者の状況と似ているとの事だ。文字化けじゃなく、しっかり日本語で出てたんだけど…。
そしてカーナャロウズなる料理は、ここの代表的な郷土料理らしく、今では全世界で食されているポピュラーな料理だそうで、異国人だったとしてもその食べ方を知らないからには、あの冒険者と同様、何らかのハプニングに見舞われ記憶を失ったに違いない。との結論に至ったようだ。
それに、何と言ってもこんな誤作動は二例目らしい。
しかし、色々突っ込みどころ満載の話だ。
迷宮やら魔法陣やらが出て来たし。
ランク5の迷宮やAランクの冒険者だとか、その詳細が無性に気になる。
そして、15年前から副支部長のルークさん。微妙に切ないカミングアウト…。
と言うより、ルークさんは見た目30歳くらいにしか見えないけど、流石に15歳で副支部長って事はないと思うし、この人は今いくつなんだろう。
「まあ、お前の場合、イオンって名前は紛れもない事実で、お前もそれを覚えてんだ。あん時と違って名前だけでも覚えてるって事は、他の事だってそのうち思い出すかも知れねぇ。あまり気落ちするんじゃねぇぞ?」
「はぁ」
ルークさんが励ますように言って、私の頭を撫でて来る。
……そう言う事にしとく?
「とり急ぎ帰る家もわかんねぇんで困ってんだろ? イオン、そんな事なら心配する事ねぇぜ。とりあえず俺を信用してここに住み込め。働き口だって紹介してやる。だからもう安心していいぜ」
「あ、ありがとうございます…」
私の定住先が決まった瞬間だ。