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第四十話「夢と現実」

 


 白い塊はハロウィンのカボチャほどもある白い蜘蛛だった。

 ピアノ線のような糸にぶら下がって一気に下りてきて、地面にわさっと足を広げて下り立った。

 足から足までは優に2メートルは超えていた……はず。


 はずだったけど………。


「悪いけど帰ってちょうだい。あなたの顔は見たくないの」

「おい、そんな風に言うもんじゃない……」


 私は今、知らないおじさんとおばさんの前にいる。

 でも誰だか何となくわかる。

 おじさんのキリっと整った眉にすっと通った鼻筋、おばさんの優しげな目と品のいい肉厚な唇……。


 井伊いい加瀬かせ先輩を思い起こす二人。


 モンタージュ写真のように二人のパーツを合成すれば、あの憧れの大好きな先輩の顔になる。

 この二人は先輩のご両親なのだろう。


 そして私は車椅子に乗っている。


 しかも病室の前。

 病院独特の香り。


 間違いなく現実の世界だ。


 あの異世界は夢だったのだろうか。

 ルークさんにニーナさん、それに銀一……。


 全てが夢だったのだろうか。


 パジャマにカーディガンを羽織った車椅子の私。

 先輩と同じ病院に運ばれて入院していたとしか思えない。


「どう言えばいいのよ! 今、これ以上この子の顔を見てたら、きっともっと嫌なことを言ってしまうわ!」

「…………」


 先輩のお母さんは涙を浮かべながら言い放つと、逃げるように病室の中へと入っていった。

 その時、扉の隙間から一瞬だけ見えた。


 呼吸器や点滴に繋がれた先輩。

 先輩は顔まで包帯で覆われていて、先輩だとはわからない見た目だった。

 でもあれは間違いなく先輩だろう。


「君の気持ちは有難いが、今日は妻の言う通りにしてくれないか?」

「…………」

「本当はあんな風に言うような人じゃないんだよ? まだ航平がこんな状態になったのを受け入れられないんだ。きっと、君のせいにでもしていないとやっていけないんだと思う……」

「…………」

「でも航平は自分の判断でしたことなんだろうし、何より誇れることをしたんだ。なので私は君のせいだとかは思っていないよ。妻だって本当は同じ気持ちだ。でも、出来ればもう来ないでやって欲しい。わかってくれるかい?」

「…………」


 やっぱり私をかばって先輩が……。

 私、なんてことをしてしまったんだろう。


依音いおん!」

「お母さん……」


 お母さんが血相を変えて駆けてきた。

 やけにやつれて見える。

 こんなお母さんを見るのは初めてだ。


「申し訳ありません、井伊加瀬さん。お気持ちも考えないで、娘が軽はずみな行動をとってしまいましたこと、どうかお許しください。娘も助けていただいたのが息子さんと知り、居ても立っても居られなかったんだと思います。止めてはいたのですが目を離した隙に……本当に申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げるお母さん。

 こんな悲痛なお母さんも初めて見る。


「ほら依音、あなたも……」


 お母さんが私の頭を下げさせる。


「もうそのくらいにしてください稲田いなださん。娘さんの気持ちはわかりますし、その気持ちは有難くちょうだいいたします」


 頭上で響く声音が微かに震えている。


「ですが、今も娘さんに伝えましたが、これ以上妻に負担をかけたくないので、顔を見せるのはこれきりにして欲しいのです……」

「わ、わかりました。これからは目を離さないようにしますし、私からもきつく言い聞かせます」


 微妙な空気が流れる中、私は頭を下げたままで先輩のお父さんの顔は見れなかった。

 見るのが怖かった。


 静かに扉が開いて閉まる音が聞こえる。


「依音、行こう?」

「…………」


 いつものお母さんの優しい声音がして、車椅子が動き出した。

 胸が締めつけられる思いで言葉が出てこない。



 こんなことになるなんて……。



「依音、いい? 航平さんは依音やお母さんにとってヒーローかも知れないけど、航平さんの親御さんにとっての依音は、残念だけど良くは思われない存在なのよ。もうわかってると思うけど、くれぐれも航平さんの親御さんを苦しめるような真似は控えなさいね?」


 エレベーターで二人きりになると、お母さんは努めて優しい口調で話し出した。


 わかってる。

 わかってるけど……。


「それに航平さんは意識が戻るかどうかも、未だはっきりわかってないの。わかっているのは下半身付随で車椅子生活になるだろうってことなの。そんな時に車椅子に乗った依音は見たくないよね? 感謝の気持ちはお母さんが一生かけて伝えるから、せめて親御さんの気持ちが落ち着くまで、依音は顔を出しちゃダメよ」


 なんだろうこの気持ち。

 とりとめもない罪悪感。


 なんで私なんかを助けてくれちゃったの。先輩。

 私なんか……助けてくれなくても良かったのに。

 先輩をこんな目にあわせるんだったら死んだ方がましよ……。


 こんなんだったら私が死ねばよかった。


「私が死ねばよかった……」

「なに馬鹿なこと言ってるの!」


 お母さんの叱責の声と同時に視界が暗転した。

 次の瞬間、私の目の前から白いものが飛び去っていった。


 何が何だかわからない。


「イオン!」


 私を呼ぶ声。

 声のする方を見るとルークさんが駆けてくるのが見えた。

 ルークさんの後ろにはニーナさんとジーニャさんも。

 誰か知らない人も駆けてくる。


 なに?

 また夢の続き?

 どうして?


「イオン、痛いところはないか?」


 ルークさんに起こされる。

 いつの間にか横になってたようだ。


「おい、しっかりしろイオン!」

「……は、はいっ」


 ルークさんに肩を揺さぶられてようやく脳が機能し出した。

 さっきまでのが夢で、こっちが現実なのだ。


「しかし危なかったぜ。間一髪のところで間に合ったな?」

「本当よかったわよ。イオン、もう大丈夫だからね?」

「しっかしソイツ、幻影を見せて魂を抜きとるって噂のバスクダイパーなんだよなぁ? 夢喰い蜘蛛の魔物ってのは初めてみるぜ〜」

「あそこに倒れてたのはアダマーレムなのニャ! ヴィギーダの巣も全滅してたニャ! 全部一人でイオンがやったのニャ! イオン凄いのニャ!」


 みんなから次々と声があがる。

 なんだかジーニャさんの興奮ぶりで逆に冷静になれた。

 そして、ふと視界の隅にあった白いものを見てみると、あの白い蜘蛛が氷槍アイスランスで串刺しになっていた。


 私の目の前にいたのはアレだったんだ……。


 しかも蜘蛛の口は、左右に4本ずつのカギ爪のような牙が鷲掴みする形で開かれていた。


 確かに間一髪だったかも……。


 って言うか、銀一は?

 肝心なことを忘れていた。


「ギギ!」

「にゃ〜」

「ッ!!」


 銀一が肩に乗ってきた。

 びっくりするじゃないのよ。

 しかもニャーって、相変わらずの猫っかぶり……。


 でも無事でよかったよ。


「え!?」

「にゃにゃにゃ…」


 嬉しさのあまり肩の銀一を抱きよせた時、天井の一部が緑色にぼんやりと丸く光ったのだ。


 あれは魔法陣だ。








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