第二十五話「ニーナ先生」
「そうね、イオン。このレベルはそのくらいの魔力の放出でいいわ。なんだか掴めてきたみたいね?」
「ありがとうございます!」
私は今、ニーナさんの部屋で魔法の使い方を習っている。
部屋の中なので可愛らしい魔法ばかり。
と言うのも、魔法には属性があって、まずは私が何の属性があるのか知ることから始めているのだ。
魔法属性は、『火』『水』『土』『風』の四つの正統な属性と、『治癒』『重力』『空間』の三つの異端とも言える属性、全部で七つの属性があるだとか。
これを組み合わせて派生した魔法属性もあるそうだけど、属性としてはこの七つが基本とされているそう。
正統な属性は、誰もが生まれながらに少なくとも一つは持っている属性で、異端とされる属性は鍛錬を重ねて得られることが多く、生まれながらに兼ね備えているのは稀なんだとか。
なのでこの属性と言うのは、貴族などは魔力量が多く、庶民は少ないと言った違いはあるにせよ、この世界の全ての人が、どれかしらの属性を一つは持っているとの事だった。
そして、庶民でも稀に生まれながら魔力量に恵まれた人もいて、それによって男爵位を授かる事もあるそう。
この世界では立身出世に欠かせないのが魔法であり、その違いを生み出すのが魔力量なのだろう。
と言う訳で、私は庶民でも使える初級レベルの魔法行使から始めることになったのだ。
庶民の魔法レベルは、指先に火を灯したり、同じく水を出したりが主で、これを生活魔法と言っているそう。
この生活魔法から始めて、徐々にレベルを上げて行ってくれるらしい。
「じゃあ、今度は一人でやってみて」
「わかりました、ニーナ先生!」
ニーナさんは先生呼びされるのを嫌がってたけど、教えを請う身としては譲れない。
それに高校を中退したようなものなので、もう少し学生気分を味わいたい。
私はひと呼吸ついて、おへその下へ気を集中させる。
そして、じんわり熱い塊が私の中で私の思うままに移動していく。
ただ、そのほんの少しだけ、一粒のカケラみたいに小さく切り離したものだけをイメージして、ゆっくりと移動させていく。
「我が身に宿りし燃え盛る魔素よ、闇夜を照らす炎となりて我を照らせ、火炎!」
ボワッと松明のような炎が私の指先に灯る。
部屋が一気に明るくなり、熱気がもの凄い。
「ふふ、ちょっと力んじゃったわね?」
「す、すみません……」
そうなのだ。
この詠唱は、通常はロウソク程度の炎を出す詠唱なのだ。
さっきはニーナさんの詠唱をたどたどしくなぞりながらだったので、なんとか上手くいったのかも知れない。
今は思わず自分に酔い気味に唱えてしまった。
しかも無意味に両手を広げながら詠唱し、『火炎!』のところで手を突き出すように。
あらためて思い返すと凄く恥ずかしい……。
とにかく危ないので鎮火しておく。
でも、実際指先からブワッって魔力を放出する感じが、限界まで熱いお風呂に肩まで浸かってて、ザッパーンと飛び出した時みたいな開放感と言うか、爽快感みたいなものがあるので気持ちがいい。
魔法って意外に使うと気持ちがいいのだ。
ランナーズハイなんかも気持ち良くなるみたいだけど、この感覚もそんな感じなのかも知れない。
運動は苦手なので経験ないけど。
文系の私にはお風呂で例えるくらいしか思いつかないのが本音。
そう言えば、お風呂に浸かりたい。
こっちの世界ではお湯に浸かると言う文化はないのだろうか?
少なくともこのギルドには湯船がない。
お湯を溜めた盥に手ぬぐいを浸して身体を拭き拭きする感じ。
頭は手桶でかけ流しながら洗った。
もちろんシャンプーやトリートメントなんてものはない。
ラボンと言う木の実で体も頭も洗っている。
ただ、これが不思議と頭を洗っても髪がキシキシしないのだ。
もちろん汚れ落ちも抜群。
香りはくどさのないココナッツみたいな感じで、自然のもの特有の控えめで優しい香り。
汚れ落ちといい香りといい、これがなかなかの優れものなのだ。
しかも髪の毛なんかは前よりしっとりサラサラ具合が上がっていると思う。
なかなかのバス環境なのだ。
だから尚更湯船が恋しくなる。
だって湯船さえあれば、なかなかから完璧に変わるのよ?
あなたと私の完璧なバス環境。
そう。英語で言えばYOU&MEの湯浴みよ。
この際シャワーなんて贅沢なことは言わない。
湯浴みさえできればいい。
異世界でこれ以上望むのは流石に罪深い。
湯浴みさえできれば……。
「……の場合はその方がいいわね? ってイオン聞いてるの?」
「あ、はいっ!?」
ぜんぜん聞いてなかったわ……。
お風呂好きな国民性がもろ出てしまっていた。
まだ異世界三日目と言うのに、こんな湯浴みシックになるとは……。
これだけ湯浴みに取り憑かれているとは思わなかったよ。
これが16年間日本で生きてきた証かしら……。
「ごめんなさい、ニーナ先生。ちょっとボーっとしてて聞いてなかったです…」
でも嘘はいけない。
きっとこうして落ちこぼれていくのだ。
わからないことはわからないと言わなきゃいけないし、聞いてなかったら聞いてなかったと正直に言わなければいけない。
そして、聞きたいことがあったらどんどん質問していくのだ。
それが学ぶと言うことだ。
「しょうがないわねぇ……。じゃあ、もう一度言うから今度はちゃんと聞いてなさいね?」
「ニーナ先生! その前に聞きたいことがあるんですが、一つ質問してもいいですか?」
私がピッと手を挙げて言うと、ニーナさんは驚きながらも「いいわよ、なぁに?」とニコリと頷いてくれた。
「ザップンと肩までお湯に浸かったりしないんですか?」
「へ?」
目を見開き口を半開きにしたポッカリ顔で固まるニーナさん。
美しく整った顔が面白くなってしまった。
ちょっと話が飛躍しすぎたみたい……。
「あ、いや、体を洗うのに使ってる盥より、もっと大きな盥とかにお湯を溜めて、体ごと浸かって温まったりしないんですか?」
「ああ、エルマーテのことね。もしかしてイオン、今エルマーテに入ってるところを思い浮かべてたの?」
ニーナさんがキュッと目を細める。
エルマーテがなんのことやらだけど、お湯に体ごと浸かって温まると言えばアレだろう。
やっぱりいくら学びの姿勢を示すとしても、授業と関係ないことを質問してはいけない。
「エルマーテを思い浮かべたってことは、記憶が戻って来てるのかしらねぇ……?」
そっちか!
ニーナさんの顔がキラキラと希望に満ちたものに変わっていく。
こんなに私のことを想ってくれてると思うと泣けてくる。
そもそもこの魔法も私のために教えてくれていた。
それなのに私ったら湯浴みに思いをはせてて、話をちゃんと聞いていなかった。
ごめんなさい、ニーナ先生。
これからは先生の話をしっかり聞いて、ぜったい先生の期待に応えてみせる!
「でもエルマーテの記憶があるってことは、やっぱりイオンは貴族の出ってことよね……。魔力量のことを考えると爵位もかなり上かも知れないわ。もしかしたら王族ってことも考えられるわね…」
王族はないよ、ニーナ先生。
王将に良くいく家族の略じゃないんでしょ?
確かに週末のギョウザ率は高かったけど、いくら先生でもそこまでは知らないでしょうに。
「あのニーナ先生、エルマーテって言うのは貴族や王族しか入れないんですか?」
あれこれ考えをめぐらしている先生に、忘れないうちに大事な事を聞いておく。
「そうね。やっぱりエルマーテは裕福じゃないと維持できないからね。あれは贅沢の極みよ」
「そうですか……」
貴族か……。
湯浴みがぐぐぅんと遠のいたよ。
まあ、しょうがない。
それに、今朝ルークさんの部屋に忍び込んでこっそりあの石を使ってみたんだけど、なんと私の運命の人は、まだ井伊加瀬先輩のままだった。
帰れるなら帰りたい。
先輩のいるあの世界。
存分に湯浴みもできるしね。
うん、ラボンの木の苗を持って帰ろう。
杉を全伐採して、ラボンを植林しよう。
「まあ、このことはルークにも聞いてみるわ」
「どのことですか?」
危うくまた聞き逃すとこだったよ。
でもニーナ先生も話が飛躍しすぎなのでは……?
「イオンがどこかの王族ってことも考えられるって話よ。ルークは昔、冒険者として世界中を渡り歩いていたから、ああ見えて案外物知りなのよ? もしかしたら、何かイオンの事でわかることがあるかも知れないわ」
「そ、そうですか…」
先生の話は飛躍してなかったわ…。
私の方が逸れすぎてたみたい……。
「じゃあ、イオン。もうすぐお客が来ちゃうから、さっきの事をもう一度言うわね?」
あ、そうだ。
魔法を教えてもらってたんだ。
ダメだ私。
これじゃ落ちこぼれまっしぐらよ……。
「初めに教えた通り、詠唱は体内の魔素を呼び起こすとともに、言葉にして唱える事によって魔力を増大させるの。でもイオンは魔力量が多いせいで、詠唱するにしても、特に初級レベルの魔法は魔力制御が難しいんだと思うのよ。もっとも、最小限に力を出すには繊細な制御が必要になってくるから、難しくて当たり前だから気にする事ないんだけどね? だからこれから練習して行くにしても、どうしても魔法を使わなければならない時は、無詠唱で魔法を使うか、人前では詠唱を少し間違えて唱えてみるのもいいかも知れないわね。とにかく、制御できるまでは魔法を使わない方がいいけど、もし使うならイオンの場合はそうした方がいいわ。わかった?」
「は、はい……。でも、無詠唱での魔法の使い方がわからないんですけど……?」
まあ、魔法は使うなってことかな。
気持ちいいんだけどな……。
「それは教えられないわよう……。なんと言っても私が無詠唱で魔法を使えないんだから…」
申し訳なさそうに笑うニーナ先生。
先生だからって、なんでもかんでも教えてもらおうなんて虫がよすぎたかも知れない。
「でもイメージが大切だと思うわよ? 詠唱する時にもイメージしながら詠唱しなさいって言ったでしょ? やっぱり魔法のイメージを持つことは、魔法の行使には必要不可欠な事だと思うの」
「はい!」
それでもちゃんとアドバイスをくれるニーナ先生。
いい先生について良かった。
とにかくイメージか。
あとでやってみよう。
「イオン、そろそろ私行くわね? 魔法の練習はまた明日にでもやりましょうね?」
「はい! ありがとうございました!」
今まで私は、こんなにも心からお礼を言える授業に出たことがなかった。
忙しいと言うのに、本当に感謝でしかない。
「もうニーナは行っちゃったよ?」
銀一だ。
深々と頭を下げている私の真下に来て見上げている。
私とお揃いの赤いリボンがとってもキュート。
ちなみに今の毛色はシルバーグレー。
きっとシルバーグレーが素の色なのだろう。
やはり毛色は魔力によって変えているそうで、色によって費やす魔力量が違うのだとか。
しかも銀一、透明になれるのだ。
ジュリエルさんが言っていた、上位種のホーバキャットと言う訳だ。
銀一、カッコイイ。
でも、透明になるにはかなり魔力を消費するそうで、滅多なことでは透明にならないのだとか。
よほどの危険にさらされた時に使う、言わば秘密の隠し技みたいな感じなのだろう。
それにしても、ピンクの鼻をツンと私に向けて見上げる銀一。
ちょう可愛い。
「イオンはお湯につかりたいの? だったらボクがいいとこに案内するよ?」
可愛らしい銀一から夢の言葉が飛び出した。




