第十四話「辺境伯」
地下牢を出るとき、クサピが酷く寂しそうな目をしていた。
少し可愛そうな気がしてならない。
しかし臭い仲ではあるけど決して臭い仲ではない。
これから腐れ縁で切っても切れない仲になっても困る。
もうあの臭いは懲り懲りよ…。
そして臭いと言えば、クサピはこの目の前を歩く革鎧をつけた兵士さんに、そりゃあこっ酷く怒られていた。
勿論クサピ本体ではなく、原因は隅っこの付属品だ。
私は鼻がバカになってので存在すら忘れかけてたけど、いくら毛布をかぶせていても、普通の鼻をしていたら気づくと言うものだ。
クサピのヤツ、「後始末の事を考えろ!」って、グーパン食らってたよ…。
きっと私を呼びに来てたので、とりあえずはあのくらいで済んだのだう。
この私の用事が済んだら……。
腐れ縁どころか、あれが今生の別れだったのかも知れないな…。
「何をやってるのだ?」
「あ、いや別に…」
つい立ち止まって手を合わせてしまっていた…。
兵士さんは首を傾げ、「遅れずについて来い」と言ってお怒り気味に歩き出す。
廊下には剣や槍などの武器が物々しく飾ってあり、武器など見慣れない私には威圧感が半端ない。
もっと花とか絵画とか飾れないもんかね…。
まあクサピの話だと、この辺境地区は国境防衛の為にあるもので、防御を固める為の軍事地区らしいので、この武闘派なインテリアも頷けるんだけどね。
しかし華がない。
壁の色も石造りそのままだし、薄暗いから尚更お化け屋敷みたいよ。
あの剣や槍にフェイクでいいから宝石を散りばめて、フラワーアレンジメントなんかしたら、グッとオシャレで気品のある武骨さをアピールできるだろうに。
床にロウソクを並べてライトアップなんかしたら、あら素敵。一転人気のデートスポットよ。
「こっちだ!」
かなりイラついた兵士さんの声で、兵士さんが廊下を曲がっていた事に気づく。
すっかりプランナー気分になってたよ…。
廊下を曲がったら一転、壁も白い大理石みたいな石に変わり、所々にロウソクの灯りがあるせいかパッと明るくなった。
でも、先ほどよりは装飾されてはいるけど、相変わらず剣やら槍やら盾やらと、武器ンチックなインテリア。
武器屋さんじゃないんだから、ここまでやらなくてもいいと思うんだけど…。
とか思ってたら絵画が出てきた。
でも、いかつい顔したおじさんの肖像画や、馬に乗ってボナパルトしてるおじさんの絵ばっかり。
華がない。
ま、しょうがないんだけどね。
クサピ情報だと常に臨戦態勢とか言ってたし。
「ここだ。お前は暫しそこで待て」
大きな両開きの扉の前で声がかかった。
なんか偉い人が中から飛び出して来そうな雰囲気の扉だ。
兵士さんは改めて背筋を伸ばし、厳かに扉をノックする。
「ノクディス軍曹、地下牢の女を連れてまいりました!」
「入れ、ノクディス軍曹」
びっくりするくらいの大声で叫んだ兵士さんの名前は、ノクディスと言うらしい。
軍曹がどのくらいの立場なのかはわからないけど、この軍曹さんの緊張感からすると、中の人はかなり偉いのだろう。
まあ、さっきナッハターレ卿直々のお呼び出しとか言ってたから、このナッハターレ辺境地区の最高責任者で領主、辺境伯さまなのだろう。
「入れ」
内側から扉が開くと、いかにもノクディスさんよりも高官然としたおじさんが、短く言って顎で中へ入るように促した。
ノクディスさんは私の背中を押すようにして、私に自分の前を歩かせる。
「あっ」
恐る恐る中へ入ると、私の見知った顔が目に飛び込んできた。
「無事だったかイオン!」
「イオン、心配したわよ!」
この異世界で私の見知った顔は限られる。
まさにルークさんとニーナさんだ。
上座というのか、大きなテーブルの奥には立派なカイゼル髭を蓄えた、いかついおじさんが座っている。
外の絵にもこんなのが居た気がする。
そして、その横にも絵以外で私の見知った顔がある。
あの小生意気なガキだ。
カイゼル髭のおじさんと同じように腕を組んでいる姿は、明らかにそれが親子なのだろう事が伺える。
なにせ赤毛だし、あの擦れた目なんか特に良く似ている。
それにしてもルークさんもニーナさんも、ビシッと正装で決めている。
ルークさんは濃紺の詰襟ジャケットに、白い細身のパンツを黒いロングブーツの中に入れた格好。
ジャケットなんかは肩章が金糸のフリンジになっていて、襟や袖口、前身頃にも金刺繍が入っている。なかなか派手な恥ず系ファッションだ。
ニーナさんもルークさんの色違いと言ったところで、ジャケットが鮮やかな臙脂色で白パンツに黒ブーツ姿。
金フリンジに金刺繍は、微妙なデザインの差はあるにしても、大まかには同じと言っていい。
普通にそこらの日本人が着ていたらキツイ感じだけど、二人が着ているとすこぶる絵になる。まさにベル◯薇の世界。
まあジャケットの色こそ違えど、この部屋に居る人たちは皆同じような格好をしているので、特別浮きはしてないんだけど。
ちなみにカイゼル髭のおじさんは白、ガキは臙脂、高官らしき人は黒だ。
逆を言えば、私の藍色のオールインワンが物凄い場違い感を醸し出していて、はっきり言って浮き浮き。
せめて斜めがけバッグとネコちゃんで装飾したい…。
「ケガはないんだな?」
ルークさんが駆け寄って来て心配してくれる。
もうすっかり保護者してくれているのがありがたい。
ニーナさんも同じく駆け寄って来てくれて、心配そうに私の顔を覗いている。
「ありがとうございます。ケガは大丈夫です」
「って言うかイオン。お前、凄え臭えぞ?」
私が潤みかけた瞳で答えると、ルークさんがどん引きする事を言ってくれる。
鼻がバカになってたせいで気づかなかったけど、私、クサピ&アイツ臭に侵されていたみたい。
チラと後ろを見れば、ノクディスさんも高官らしき人に顔をしかめながら「そんな臭いをさせて入ってくるヤツがおるか」などと小声でお小言をもらっていた。
気づいてたんなら先に言ってよ! って思ったりしたんだけど、ノクディスさんもバカになってたんなら仕方ない…。
それにしてもノクディスさんが地下牢に居たのは、確かほんの4、5分と言ったところだ。
あの短時間でバカになるとは、なんとも恐るべし破壊力である。
ノクディスさんもさっさと私を連れて行けば、バカにならなくて済んだだろうに。
正義感と嫌悪感が彼の鼻をダメにしたらしい…。
「地下牢が凄く臭くって…」
それしか言えることはない。
クサピが臭くってと言ったところで、その後の説明が煩わしい。
「ああ、そう言う事か…」
少し距離を置いた気がするのは気のせいだろう。
ルークさんは気の毒そうに私を見ながら言うと、「早えところ帰って着替えような?」と言ってくれた。
そこへ明らかにわざとらしい、大きな咳払いが部屋に響く。
いかめしい顔のナッハターレ辺境伯だ。
「で、その娘がお主の連れで相違ないのだな?」
「はい。間違いありません。この子はイオンと申しまして、ギルドで住み込みで働いている者にございます」
ナッハターレ辺境伯に、意外とまともな言葉遣いで答えるルークさん。
なんだかイケメン度が増して見える。
「身元は確かなんだな?」
「ええ。私の遠い縁者に当たる者ですので、そこは保証します」
大嘘をつくルークさん。
微塵も顔に出さずに言い切るところは、なかなかの役者ぶり。
いや、肝が据わっていると言うべきか。
「だが、念の為そこのオミニラーデでしかと見ておきたい」
「ナッハターレ卿。申し遅れましたが、イオンは半年ほど前に記憶を失くしておりまして、オミニラーデでは名前しか出て来ないのです。そもそも私のところへ来たのも、記憶を取り戻す術を探しに来たのが所以でして、御子息へのご無礼は記憶を失くしているからこそとご理解いただき、今回はどうか見逃して頂きたくお願いにまいりました。これよりは、失くした記憶を取り戻す努力と同時に、一般常識を早急に教え込む故、なにとぞご容赦ください」
「私からもお願い致します」
ルークさんに次いでニーナさんも頭を下げる。
そして私も慌てて頭を下げる。
「まあ、良かろう。他ならぬ飛空ソードのルークに氷裂の森人ニーナの願いだ。ここでその二人の願いを無下にしても、何も良いことはなかろう。その代わりと言ってはなんだが、いざという時の協力は迅速に頼むぞ」
「はっ」
「必ず」
頭を下げたまま返事をするルークさんとニーナさん。
サブ目の聞き捨てならない二つ名は置いといて、この二人と辺境伯は、何か同等に近い関係で繋がっているようだ。
「よし。ならばそのイオンとやらを連れ帰って良いぞ。いいな、ヴィンツェント」
「はい父上。異存はございません。私もまさか記憶を失くしているとは思いもよりませんでした。これよりは様々な可能性を加味した上、判断したい所存にございます。この度は誠に勉強になりました」
ガキんちょらしからぬ事を言う御子息くん。
あのムカつくガキと本当に同一人物なのだろうか。
私はついそんな思いで顔を上げてしまうと、御子息くんと目が合った。
「すまなかったなイオン。これよりは私もお主の記憶を取り戻す手助けをしよう。なに、こんな機会はそうそうないから興味が湧いてきたのだ。私が好きでやる故、遠慮することないぞ」
「は、はぁ…」
御子息くんが超微笑んでいる。
なんか変な展開になってきた。
とりあえず訳もわからず頭を下げておく。
「ナッハターレ卿。お忙しいところをお時間をいただき、ありがとうございました。では我らはこれにて」
ルークさんの言葉でもう一度頭を下げた私たちは、その後は何事もなく辺境伯邸を後にした。




