第十三話「情報収集」
「確かにその反応を見る限り、イオンって名前以外の記憶は失くしちまったみてぇだな…」
「…………」
「大変だな…」
クサピに慈悲深い目を向けられる。
いや、クサピじゃなくウィルなんだけど。
あれから2時間くらい経っただろうか。
恐ろしいことに、あの強烈な悪臭が次第に気にならなくなっている。
とは言っても臭いは臭いんだけど、耐えられない訳ではない感じ…。
人の順応性はバカにできない。
いや、私の鼻が完全にバカになっているだけ…。
隅っこのアイツも、ウィルが着ていた薄汚れたマントで隠されている。
言ってみれば、毛布代わりに母親が自分の着衣をかけてあげたようなものだ。
親としては当然の行いである。
まずこのおよそ2時間で、クサピがウィリアム・フラットリーと言う名前だとわかった。ウィルって呼んでくれだって…。クサピのくせに。
私もイオンと本名を名乗っている。
相手の名前を聞いたからには、こちらが名乗らないのもね…。
まあ、赤子に毛布をかけてあげるのが条件で、しぶしぶ教えたんだけど。
それはさておき、この異世界のちょっとした情報も入手する事ができた。
私の鼻がバカになるにつれ、ウィルの独り言に質問をぶつける事が叶ったからだ。
まさに肉を切らせて骨を断つ。捨て身の情報収集である。多分。
そんな苦肉の策で得られた情報はこんな感じ。
まずウィルのアレークラ王国と、私が転移した国のエクシャーナル王国は、この世界では二大超大国らしく、特に軍備、兵力の面では、この二カ国がズバ抜けているのだとか。
そして、そんな二カ国は長年いがみあっているらしい。
冷戦時代のアメリカ合衆国とソビエト連邦みたいなものなんだろう。そう理解しといた。
ただ、明らかに違うところがある。
それはこの二カ国が隣接していると言う事だ。
冷戦時代のアメリカとソ連がお隣さんなのだ。
素人目にもそれがどんなに危うい状況なのかが容易に想像できる。
まさにアメリカとソ連の38度線。
休戦中と言えど気の抜けない、危険極まりない関係である。
しかし、お隣さんとは言え、国境が広範囲に接している訳ではないそうだ。
エクシャーナル王国がアレークラ王国と接しているのは、ここナッハターレ辺境地区だけで、しかもこの辺境地区はピグメリー王国と言う小国ともアレークラ王国と同様に接している。
これは西から東へ竜王山脈が横たわっているが故で、竜王山脈の切れ目にあたる平地に、この三ヶ国が重なり合っていると言う事らしい。
今朝、部屋から遠くに見えた山脈が竜王山脈のようだ。
ワイバーンもあそこからやって来るらしい。
エクシャーナル王国とアレークラ王国の国境は、やはり軍事境界線みたいな様相で厳戒態勢らしく、物資の往来はほとんどないそうで、お互いの国の使者が不定期に往き来するくらいなのだそう。
なので物資の輸出入は、もっぱらもう一つの隣接国、ピグメリー王国が窓口のようになっているそうだ。
国全体が税関と言ったところだろうか。
ピグメリー王国の国土は、このナッハターレ辺境地区とそう変わらないそうだけど、こうした立地も手伝って、国の財政はかなり潤っているらしい。
そしてウィルもピグメリー王国を経由して、この辺境地区へ密入国して来たとの事。
ただ、特にアレークラ王国の人間には、特別厳しい入国審査がされるそうで、ウィルはその煩わしさを避けたいが故に無理をしたらしい。
全くもってアホである。
いや、臭いアホである。
やっぱりクサピとしておこう。
クサピとはそんな事を話しながら、この2時間ほどの時間を過ごしていたのだ。
そんな訳で、情報を得たと言う意味では、なかなか有意義な時間でもあった。はず。
そうだ。大変大事な話もした。
隅っこのアイツの話だ。
何故あんなところにあるのか。だ。
当然聞かねばならない。
もし当然のように「そこに隅っこがあったから」などと答えようものならば、改めさせねばならない。
なにせ、この共同生活がどのくらい続くかわからないのだ。
この狭い部屋にこれ以上兄弟を増やされたら堪らない。
ビシッと言ってやらねばならない。
が、いたってくだらないものだった。
否、普通にくだしていたものだった。
なんでもウィルは、何週間か前から既に路銀が底をついていたようで、ひもじい思いで旅を続けていたそうな。
それが2日前、ピグメリー王国とエクシャーナル王国の国境の町に到着した際、天の恵みか、誰かが落としただろう財布を拾ったそうなのだ。
その時点で既に犯罪なので、この地下牢は当然の報いではある。
財布を拾ったウィルは、迷う事なく目に付いた食べ物屋へ飛び込んだ。
そこでウィルはここ何日か分を取り戻すかのように、食べて食べて食べまくったそうなのだ。
その日は満腹で動けず、国境付近で野宿する羽目になったそうで、日が明けるとともに国境を越えたらしい。
しかし国境を越えてすぐ、キュルキュルと催したそうで、近くの木陰でしゃがんだところに国境警備隊がちょうど通りかかり、問答無用で取り押さえられたそうなのだ。
故に便意が最高潮に達しての入牢。
本人曰く、「この地下牢が便所に見えたんだ」そうだ…。
ウィルからクサピに改名した瞬間だ。
こんな話を冒険活劇のように嬉しそうに話していたよ。クサピめ。
アンジェリーなピッドさんに謝れ。全く。
まあ、この話は置いといて、さっきの国の名前や地理だったりと、この世界における常識的な事を知ることとなったのは、私にとっては大きかった。
そして、それらを全く知らない私の反応で、クサピは「名前しか覚えていない」と言いはる私の主張が、あながち嘘ではないと思い、イコール記憶喪失と結果づけたようだ。
「俺もここから出たら、記憶が戻る魔道具とかないか探してやっからな? 諦めるんじゃねぇぜ?」
流石クサピ。くさいセリフを言う。
せめてお風呂に入ってから言えっつの。
「そこの女、出ろ。ナッハターレ卿直々のお呼び出しだ」
いつの間にか鉄格子の前に男の人が立っていて、私のおよそ2時間に及ぶ我慢大会に終わりを告げた。




