第十話「ワイバーン」
………。
私は急接近するワイバーンをただ呆然と眺めるしかなかった。
頭が衝撃的な光景にパニックを起こし、身体が硬直して全く動かないのだ。
眼前に迫るワイバーンがみるみる大きくなって来る。
「あ……?」
もうダメかも知れないと思った瞬間、急にワイバーンが視界から消えた。
「助かった…」
ふっと力が抜けた次の瞬間、
「ほら早くっ!」
「っ…」
ニーナさんに手を引っ張られるのと同時に、ダダダダンと重い破裂音が私の耳をつんざき、次の瞬間、右腕に鋭い痛みが走った。
何が何やらわからない。
私の上にはニーナさんが覆い被さり、周りには瓦礫が散らばっている。
ふと窓へ目を向けると遠去かるワイバーンが見えた。
やはりワイバーンに襲われたんだ…。
確信した途端、右腕を燃やされたような激しい痛みに襲われる。
「ぅぅううううぐっ…」
「イオン、まだ次があるわ。痛いだろうけど我慢しててね」
ニーナさんの声の直後、ニーナさんの重みが無くなった。私は痛みで返事すら出来ない。
恐る恐る右腕を見ると、二の腕のところがザックリ裂けていて、二の腕から下があらぬ方向へ向いている。
内側の皮でかろうじて繋がっている状況だ。
シューシューと凄い勢いで血が噴き出している。
道理で頭が朦朧としている訳だ。
このままでは出血多量で命はないだろう。
朦朧としつつもそんな確信をしてしまう。
私は貧血でふわふわ浮遊感を覚えながら、ニーナさんを探す為に辺りを見回す。
「我が身に宿りし凍てつく魔素よ、貫く槍となりて我から出でよ、氷槍!」
私の霞かけた目に、何か呪文のようなものを唱えたニーナさんの後ろ姿が映った。
次の瞬間、ニーナさんの突き出した両手から白い光のようなものが飛び出す。
「あ…」
ニーナさんの肩越しから、さっきのワイバーンが見えたのだ。
ワイバーンは既に10メートルほどの距離まで接近している。
私がワイバーンを目視したと同時に、シャッと白い光がワイバーンに突き刺さり、グギャアアと地鳴りのような鳴き声が耳をつんざく。
次の瞬間、攻撃をもろに受けたワイバーンが建物ギリギリで旋回し、一気に加速して遠去かって行くのが見えた。
「イオン!」
「………」
ニーナさんが駆け寄ってきた時が私の限界だった。
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「おっ、やっと目を覚ましたか」
「良かったぁ…」
整った顔立ちの男女が私の視界を占領していた。
白髪で頰に大きな傷を持つイケメンと、ピンク色の髪に宝石のような緑色の瞳の美女。
ルークさんとニーナさんだ。
ん?
なんかデジャヴ??
二人は心配そうに私を覗き込んでいて、私は昨日の長椅子に寝かされているのだ。
ん?
死ぬと時間が戻る設定??
私、ワイバーンに襲われたんだよな…?
「あ…」
やはりそうだ。
服が違う。
さっきは制服のブラウスとスカート姿。寝起きのままの姿だった。
今は生成色の荒く織った生地で出来た、ブカブカした膝丈のオールインワンを着ている。
さっきニーナさんが着ていたものと同じだ。
きっと血まみれになった服を着替えさせてくれたのだろう。
これはニーナさんの寝巻きなのかも知れない。
そこで私は考えた。
ルークさんが私の裸を見たのではないか。と。
いくらイケメンでも、それはどうかと思う。
家族以外の異性には見せたことないんだから…。
「なにそんな怖い顔してんだ?」
知らず識らずルークさんを睨んでいたようだ。
ルークさんは眉を寄せながらも「ニーナ、イオンに水を持って来てやってくれ」と言って、どかりと椅子に座る。
ニーナさんはすぐに動き出し、「すぐ持って来るからね?」と、私に笑みながら言って部屋を出て行った。
「あのう…」
「なんだ? 他に何か欲しいもんがあんのか?」
ルークさんが心配顔で身を乗り出して来る。
「見ました?」
「は?」
「だから私の裸見ました?」
「……………?」
「………………」
これは確認しなければならない事だ。
だって、ブラしてないんだもん…。
暫し沈黙。
ルークさんの顔がニヤケてくる。
やはりこのおっさん…。
「プュハハハハハハハハハッ」
大爆笑で誤魔化すのはどうかと思うよ。
イケメンだからと言って、そんなんじゃ許されない。
他の女性が許しても私は許さない。
「なぁんだ、そんな事か?」
「私にとってはそんな事なんかじゃないんですっ!」
こういうイケメン過ぎる人は、なんか勘違いしているところがあるんだよ。
何やっても許されると思ってる。
「まあ、着替えは手伝ったが、決してイオンの裸なんか見てねぇぞ?」
「くっ……」
やっぱり現場にいたんじゃないか!
お前は会議室で待ってろよ!
しかも、イオンの裸なんかって…。
なんかって何よっ!
「俺がここまでイオンを運んで来て、着替えを手伝ったのは事実だ。だがな、俺はただイオンを支えてただけで、着替え中は横向いてたから本当にお前の裸は見てねぇ。嘘だと思うんならニーナに聞いてみろ?」
「…………」
本当だろうか。
このルークさんのニヤついた顔が私の判断を鈍らせる。
「本当よ、イオン。ルークの言う通りよ」
ニーナさんの声。
振り向くと、ニーナさんが可笑しそうな笑みを浮かべながら歩いて来ていた。
手には足の短いコップと花瓶のようなポットを載せた木のトレーを持っている。
コップとポットは、どちらも深いグリーンの肉厚なガラスで出来ている。カットに光が反射してとても綺麗だ。
「私が見ないように目を光らせてたから大丈夫よ。安心なさい」
「な? 少しは俺を信用しろよ…」
ニーナさんの言葉に追従するように、ルークさんが口を尖らせる。
「すみません…」
「まあいいって事よ。イオンも年頃の娘だから気にして当然だ」
「とか言って、チラチラ見ようとしてたのは何処のどなたさんでしたっけ?」
「いや、あれには疚しいことは一切ねぇ。単にイオンみてぇな人種は初めてだから、どうなってんのか確かめようとしただけだ」
このおっさん…。
私の謝罪を返せ…。
しかし、今はムカつくくらい、このイケメンからスケベ要素を感じない。
小さな甥っ子を見るような目で笑っている。
それもなんか微妙…。
「それにしても、やっぱイオンは凄えな?」
やっぱり見た?
いや、こんなぺったんこが凄いはずがない。
それに、見といて甥っ子アイで笑われるのもなんかキツイ…。
「あんだけの重傷負っといて、またまた無意識のうちに治癒させちまうんだからな?」
あ、そうか。
私、腕が千切れかけてたんだっけ。
全く痛みが無いから忘れてたわ…。
血まみれの服を思い出した時点で思い出すべきだったわ…。
ルークさんは「本当凄えよ。あれが15分くれぇで完全治癒しちまうんだから、大したもんだぜ」などと、感心しきり。
「だがイオン。いいか?」
ルークさんが急に真剣な眼差しで私を見て来る。
「いくら治癒魔術に長けてるからって、この季節の早朝に窓際立って姿を晒すんじゃ、ワイバーンに食ってくれって言ってるようなもんだぜ?」
「そうよ、イオン。昨日教えた時にはちゃんと返事してたじゃない。寝て起きたら忘れちゃったのかも知れないけど、明日からは絶対にあんな事しちゃダメよ?」
そうゆうこと……だったの??
ニーナさんの私を見る宝石のような緑色の目が、有無も言わせない厳しいものになっている。
「………はぃ…ごめんなさい……」
ニーナさんはしっかり説明してくれていたと言うのに、私は半分夢の中で生返事をしていたらしい。
実際、ニーナさんと何を話したかさっぱりで、ぼんやりふわふわの記憶しかなかった…。
異世界ではちゃんと話を聞かないと命とりになるようだ。
気をつけなければ。
【イオンの異世界日記】
ワイバーン。
寒気が去り暖かくなったこの季節、出産したワイバーンは食料を求め、頻繁に人里へも狩りに現れるらしい。
特に日の明ける早朝に限って事で、それを過ぎれば現れないそうだ。
その時刻は窓を締め切り、カーテンで中が見えないようにするのが、この辺りの人々の常識。
家畜に至っては小屋に追い込むのは勿論、風通しの窓には黒い布で目張りをしているそうな。
「春の早朝に窓際に立たせるよ!」
この辺りで子供が悪戯した時に使われる常套句。
戒めの言葉として使われているそうな。
皆さんも覚えておきましょう。
依音xxx




