第2話
パチパチと暖炉の火が爆ぜる音が聞こえます。
頬が熱く火照る感覚がして、そのいつもの感覚に、レオは暖炉の前でまたうたた寝をしてしまったのだと思いました。
しかし、目を開けると確かに目の前には暖炉がありましたが、それは全く見覚えのないものでした。
驚いて寝ぼけていた頭が覚醒します。
ばっと頭を上げると、隣にフォーが寝転がっていました。
「おい、起きろっ」
肩を揺らすと、眉間に皺を寄せてフォーが目を開けました。
レオはホッとして立ち上がります。
その肩から寝ているときにかけられていたと思われる毛布が床に落ちました。
「レオ様? ええと、ここは・・・?」
まだ寝ぼけた様子でフォーが聞いて来ますが、レオにもここがどこなのかわかりません。
塔に向かってソリを走らせて、止まろうとして失敗し、空中に投げ出されたところまでは覚えているのですが。
それがどうしてこんな室内にいるのか見当もつきません。
「あ、レオ様! お怪我はありませんか?」
フォーも思い出したようで慌てて声を上げます。
「ああ、どこも痛いところはないな」
けれど、少し服が濡れているような気がしました。
もしかしたらあの後、雪の上に落ちたのかもしれないとレオが思ったとき。
急に扉が開きました。
暖炉の熱で暖められていた部屋の空気が逃げ、代わりに廊下の冷たい空気が入ってきて、震えるような寒さを感じます。
ただ、その寒さより、目の前に現れた人物に驚いて、レオとフォーは固まりました。
「・・・起きたか」
そう呟くような声を発したのは、まぎれもない冬の女王だったからです。
冬の女王に会うのはレオもフォーもこれが初めてです。
とにかく人嫌いの女王ですから、直接会ったことのある人間などほとんどいません。
ですが、それでも一目で彼女が冬の女王だと確信できました。
なぜなら、冬の女王は他の3人の女王と同じ顔をしていたからです。
季節を司る4人の女王。
彼女たちは四つ子の姉妹だと言われていました。
それもそのはず、彼女たちは全く同じ顔をしていたからです。
他の3人が同じ顔をしており、数少ない冬の女王の顔を知る者が同じだと証言していたので、それは事実と認識されていました。
だから、他の3人の女王を知っているレオたちには一目で彼女が冬の女王だとわかったのです。
ですが、倒そうと思っていた人物が突然目の前に現れて、レオは何をどうしたらいいのかわからなくなって、呆然と冬の女王を見上げることしかできませんでした。
しかも、頭ではわかっていましたが、冬の女王はいつも仲良くしてくれる他の季節の3人の女王と同じ顔をしているのです。
面と向かってしまったら敵意よりも、どこかホッとするような気持になってしまいました。
戦うと意気込んでここまで来たのに、親しい人と同じ顔だというだけで敵意を向けることも難しい。
そんなことに気付いてしまいました。
そうか、だから父上は自らここに来なかったんだ・・・。
レオは王様が動こうとしなかった理由も知ることになったのです。
ですが、せっかくこうして会うことができたのです。
言いにくくても、それでも言わなくてはなりません。
困っている国民のために自分が動くと決めたのですから。
「冬の女王、皆が困っているのはわかっているでしょう? 早く春の女王と交替してください」
レオは勇気を出して言いました。
しかし。
「・・・起きたのなら、出ていきなさい」
冬の女王は無表情のままそう告げました。
レオはまた驚いて、冬の女王をまじまじと見つめました。
春夏秋、3人の女王と同じ顔。
けれど3人とは全く違う表情でした。
春の女王は底抜けに明るい笑顔が特徴で、どこか年若い少女のような印象です。
いつも笑ったり泣いたり怒ったり、感情が豊かで、いつまでも十代の乙女のような愛らしさを持ちあわせていました。
いたずら好きで、少し困ったこともするけれど、最終的にはその底抜けの明るさで皆に笑顔を与えるのです。
けれど、目の前の冬の女王にはそんな雰囲気が欠片も感じられません。
同じ顔だというのに・・・。
夏の女王はどちらかというと男勝りな性格で、王様の仕事に一番協力的で仕事熱心な人柄です。
口を大きく開けて笑い、豪胆で、彼女の熱意が夏の暑さの源だと思わせるような、快活な女性です。
曲がったことも嫌いで、実直で裏表のない性格。
たまに人と喧嘩になることもありますが、ぶつかり合っても最終的には仲良くなっているような、そんな不思議な魅力のある人物です。
けれど、目の前の冬の女王にはそんな雰囲気が欠片も感じられません。
同じ顔だというのに・・・。
秋の女王は、一番女性らしい女王と言えるかもしれません。
おっとりと笑い、懐の深い彼女の周りには常に人が集まります。
彼女自身、人の話をじっくり聞くのが好きと公言しているだけあって、秋の季節の塔には彼女と話をしたいと人々が詰めかけます。
そんなひとりひとりの話を嫌な顔一つ見せずに聞き、時には助言をしてくれる秋の女王を皆慕っていました。
けれど、目の前の冬の女王にはそんな雰囲気が欠片も感じられません。
同じ顔だというのに・・・。
いえ、逆に同じ顔だからこそ、彼女の冷たさを実感してしまいました。
人を拒絶しているかのような無表情。
どんなにじっくり見ても、その感情はうかがい知れません。
やっぱり、冬の女王は他の女王とは違う。
レオは顔をしかめました。
それは実際に会ってしまうと、ひどく悲しい現実でした。
戦うと決めてここまで来たレオでしたが。
どこか心の底では、冬の女王を信じたかったのかもしれません。
「では、僕があなたを倒してでも春を呼び寄せます」
真っ直ぐ目を見て宣言すると、冬の女王は変わらない無表情のまま、その視線を返しました。
「・・・それは無理だな」
そう言って視線を外した彼女は、まるでレオを無視するかのように窓の外を見つめます。
窓の外にはいつの間にか雪がふわふわと舞っていました。
「・・・それは」
レオはたまらず声を上げました。
しかし、冬の女王はレオには興味が無いと言わんばかりに外を見つめています。
「それはっ、僕ではあなたを倒せないということですか!?」
全く相手にされていないとしか思えない態度に、悔しくて大きな声を出すと、冬の女王はようやく視線を戻します。
やはり無表情のまま。
「いや・・・私を倒しても春は来ないということだ」
「・・・え」
なんの感情もない、自分が倒されることにすら興味がないと言わんばかりの無表情な声に。
レオは一瞬何を言われたのかわからなくなりました。
「それはどういう意味でしょうか?」
それまで黙って聞いているだけだったフォーが声を上げました。
冬の女王は初めてフォーに視線を合わせます。
フォーはそれだけで怖気づいてしまい、ごめんなさいと謝って後ろに下がりたくなりました。
けれど、さすがにそれはできないと、だらだらと汗を流して返答を待ちます。
「・・・冬が終わらないのは春が目覚めないからだ」
冬の女王が、ぽつりと呟くような声を落としました。
「・・・え?」
レオは意外な答えに目を見開きます。
春が目覚めないというのは・・・まさか。
「それは春の女王が目覚めないから・・・という意味ですか?」
冬の女王は二人の動揺にも顔色を変えず、見返したまま。
「そうだ」
と、また感情の見えない声で答えました。
ふたりは驚きのあまり声も出せません。
そんなこと、考えてもみませんでした。
あの底抜けに明るくて、笑顔を振りまく春の女王が、この長引く冬で皆を困らせている原因などとは欠片も思わなかったのです。
ふたりは呆然と冬の女王を見つめます。
信じられない話ですが、けれど、その言葉が嘘だとは思いませんでした。
それは女王たちが精霊だったからです。
彼女たちは人間とは違い嘘を吐くことだけはありません。
それは誰しもが知っている事実でした。
「もう、いいだろう。出ていきなさい」
そして冬の女王は窓を開け放ちました。
外の雪が舞い込んできます。
寒さにぶるっと体を震わせましたが、冬の女王はそんなふたりにはもう興味が無いとでも言うように、廊下の扉を開けて部屋から出ていってしまいました。
驚きで固まっていたふたりはそれを止めることもできずに立ち尽くしていました。
しばらくして、寒さに耐えられなくなったフォーがとりあえず閉めようと窓に近づいて、そして、外を見て声を上げました。
「レオ様、見てください!」
レオも窓の外を見て驚きました。
そこは窓のすぐ下まで雪が積もっていました。
たぶん雪で塔の入り口が完全に埋まっていることを考えると、2階と思われる部屋です。
それ自体はそれほど驚くことではないのですが。
なんと、窓のすぐ横の雪の上にここまでふたりが乗ってきたソリが置いてあったのです。
しかもご丁寧にレオが宝物庫から持ってきた魔法剣も乗っています。
「これ、もしかして冬の女王が・・・」
レオの声は震えていました。
冬の女王が出ていった扉を振り返ります。
彼女の無表情は、綺麗な顔も相まって、とにかく冷たい印象しか感じませんでした。
言葉少なで、考えていることも良くわかりません。
ですが。
部屋を良く見ると、ふたりが寝ていた暖炉の前にはふかふかのラグが敷かれ、あたたかそうな毛布が落ちています。
目が覚めた時に確かにそれはふたりの肩にかけられていました。
レオはようやく、冬の女王が自分を助けてくれたのだと気づきました。
ソリに跳ばされて、たぶん雪の上に落ちたであろう自分たちを。
なのに、お礼を言うどころか冬が終わらないことを責めて、あげくに倒すなどと言ってしまいました。
けれど、冬の女王は助けたことなど一言も口にせず、責めたことにすら反論しませんでした。
冬の女王はもしかして・・・。
行きついた考えに、レオは顔をしかめます。
追いかけて謝りたいとも思いました。
でも。
「レオ様、早くしないと雪でソリが埋まってしまいそうです」
フォーが少し焦った声を上げます。
『出ていきなさい』
冬の女王の言葉を思い出します。
言葉が少なくてわかりにくいだけで、もしかしたらあの言葉も自分たちを心配してのものだったのかもしれないと思いました。
「・・・フォー行こう」
レオはソリに乗り込みました。フォーも続きます。
「あ、レオ様。そういえば停止装置は・・・」
「ああ、ごめん。思い出したんだ。確か右が停止で、左が加速。真ん中が障害物を跳び越える」
少しだけソリを滑らせて、実際に停止してみせます。
ようやくフォーはホッとして、ソリの中に腰を落ち着けました。
ソリは問題なく城に向かって進み始めます。
フォーは行きとは違って、どこか悄然と肩を落とすレオのことが心配になりました。
冬の女王は思っていたのとは違う人物で、それはフォーも驚きました。
けれど、彼女は新たな手掛かりを与えてくれました。
だから、気落ちする必要などないのだと、口を開きかけたところで。
「フォー、明日は街に行って春の女王について聞いて回るぞ」
レオが、強い口調で言い放ちました。
うつむいていた顔も、今はしっかりと前を見据えています。
いつもと同じ、どこまでも前を向いた表情に、フォーは胸を撫で下ろして笑みを浮かべました。
「はい!」
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翌日、レオはさっそくフォーを伴って、街に行きました。
見かける人に端から声をかけて、春の女王について聞いていくことにします。
春の女王は、とにかく人と交流するのが大好きで、街に行っては人々の生活に溶け込むような生活を送っていました。
だから、ほとんどの人々は春の女王とかかわりがあります。
ただやみくもに春の女王について聞いていたのでは埒があきません。
なので、質問の言葉は決めていました。
精霊である女王たちは得てして変化がありません。
人のように成長も老いもないからです。
ですが、今年になって急に目覚めないというのなら、きっと夏の女王と交代する前になにかがあったのではないかと考えられました。
だから「夏に替わる前に春の女王になにか変わったところがなかったか」と聞くことにしました。
けれど、街の人々からの返答はほとんどが「特に変わった様子はなかった」というものでした。
代わりに聞けたのは今年の冬の長さに対する愚痴と、ここ数年、以前よりも雪が多くなったという不満の声でした。
半日ほど聞いて回ったところで、なんの手掛かりも得られず、レオは心が折れそうになりました。
フォーはそんな様子にハラハラして、そろそろお城に帰りましょうと声をかけようと何度も思いました。
けれど、フォーが口を開こうとするとレオが怒ったような顔をするのです。
きっと、帰ろうと言われたくないのだろうとフォーにはわかってしまい、結局なかなか言い出せませんでした。
そんな時。
「女王様のことなら、塔の使用人に聞いたらどうでしょう?」
ひとりのご婦人の言葉にハッとします。
なぜ、今までそれに気づかなかったのか、レオは自分のふがいなさにがっくりとしました。
「フォー、城に戻るぞ」
「レオ様?」
突然のことにフォーは驚きます。
「戻って、父上に塔の使用人について聞こう」
冬の女王は使用人を塔から追い出してしまいますが、そのほかの季節は塔に何人も使用人がいるのです。
一番身近に春の女王とも接してきたであろう人たちに、まず初めに話を聞いてみるべきだとようやく気付きました。
「それなら、侍従長に聞くのが早いと思います。塔の使用人たちはいつも冬の間は仕事を休んでいるそうなんですが、今年はいつまでも春にならないので、最近はお城で働いていると聞いています。侍従長が仕事を割り振っているそうですよ」
フォーの言葉に、それなら話が早そうだと、レオは疲れもどこかに飛んで行く思いで城に戻りました。
城に戻ったレオは、さっそく侍従長を捕まえて、塔の使用人たちに話を聞きます。
けれど、やっぱりほとんどの者は心当たりがないという返答でした。
これでは春の女王を目覚めさせるきっかけも掴めないとレオが焦りだした頃。
「あの・・・変わったというのとはちょっと違いますが・・・」
ようやく心当たりがあるという人物にたどり着きました。
それは、一番かかわりが低いと思われた塔の門番の青年でした。
「私の前に塔の門番をしていたライという人のことを聞かれました。今はどこに住んでいるのかと」
「それって、ただの世間話じゃないのか?」
「いえ・・・なんだか、すっごく熱心だったんです。どうしても会いたいとおっしゃっていて」
「で、春の女王は会いに行ったのか?」
「ええ、夏に代わる少し前に会いに行かれたみたいでした」
レオはフォーと顔を見合わせます。
そのライという人物が春が目覚めない直接の原因とは思えませんが、それでも春の女王に関するなにか情報を持っているかもしれないと思いました。
レオはさっそく城を出てライという男のところに行こうとしたのですが。
「あ、レオ様。今日はもう無理ですよ」
「なぜだ」
「どうやら、ライの住んでいる場所はここからかなり遠いみたいです。行くにしても今日はもう遅いですし、一日歩き通しでお疲れでしょう?」
確かにくたくたでした。
言われたら余計に体が重く感じます。
「わかった。明日、お前も一緒に行くんだぞ」
「はい、承知しました」
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