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恐怖症短編集  作者: 暁理
『恐怖症』編
5/6

出会い 前編

叶湖さん ヒロイン

折原 空也  商人

 県内1の繁華街に空也はいた。

 繁華街とはいえ、否、繁華街だからこそ、ぐちゃぐちゃに建て並んだビルの隙間には狭い路地が網の目のように広がり、無駄なスペースも多い。

 また、夜でこそ、ネオンの光で明るくなる場所は、昼間はかえってビルが日の光を遮断し、薄暗い印象すら抱かせた。

 空也は、この街が嫌いだった。この街を出れば、稼ぎ口がなくなるから、動けないでいるだけだ。




 中学に入りたて、根っからの鼻っ柱が強いこともあって、早々に上級生に絡まれることになった空也は、多勢に無勢で叩きのめされた。空也が他の生徒と違ったのは、泣き寝入りせず、それでも相手の鼻をあかしてやりたいと思ったことと、その方法が決して喧嘩ではなかったことだった。

 空也は叩きのめされたその日の内に、近所で治安が悪いと評判な場所に向かった。


 放課後すぐのことで、まだ日がでている、繁華街の稼ぎ時は少し外した時間だった。

 無鉄砲に路地を歩きまわる空也を見咎めて、声をかけた人間がいた。

 おい、坊主、迷子か、と。


 空也はそういう人間を探していた。薄暗い場所の住人で、かつ、子どもだからといって、煙たがらず、声をかけてくる人間を。

 だから、空也はその男に返したのだ。自分に力を与えてくれないか、と。そして、それは喧嘩の力ではなかった。年に関係なく、また、己の実力次第でどんな状況でも生き残れる、いうならば、生きる力を欲しがったのだ。


 空也に声をかけた男は、呆れたような、困ったような顔を浮かべた後、それでも、気にいった、と笑ったのだった。それが、空也を闇商人に育て上げた男だった。そんな男の傍で3年。空也は闇商人としてのノウハウと、男が持っていたコネクションのいくつかを手にして、中学卒業と同時に1人立ちをした。

 ちなみに、空也を育てた男は、ついでに喧嘩も教えてくれたので、空也にちょっかいをかけた上級生に対しては1年目ですでに復讐を終わらせることもできた。




 1人立ちをしたはいいものの、その街は既に、自分を商人として育てた男のテリトリーだった。その街を出なければ、自分が本当に1人立ちすることができないことは明白であった。が、男のコネクションを頼って商売をしている空也にしてみれば、宛てもなく街を出るのは無謀でもあった。

 とはいえ、新しい客を自分で開拓しようとすると、自分の若い容姿が邪魔をした。どうしても、相手の信用が得られないのだ。

 街を出たいのに出られない。そんな、鬱屈した気持ちを抱えていた空也に、1件のメールが届いたのは、突然だった。




「折原空也さん、ですね?」




 メールに記されたのは、空也の客になりたい旨のメッセージと、待ち合わせの場所と時間。差出人の名前もないシンプルなメールは、しかし、空也にとって不躾なやつだと捨てるより、ダメ元でも会いに行ってみたい気持ちを沸き起こした。

 もちろん、罠かもしれないので、少し離れたビルの陰に隠れて、待ち合わせ場所に来る人間を見定める。果たして、その場所で足を止めた人間は、若い女だった。空也は、出て行くか出て行かないか、迷ってしまう。

 外見で判断されるのを嫌う空也であっても、相手を外見で絶対に判断しないか、と聞かれると、そうもいかない。目の前の女は、闇での取引など慣れているようには到底見えないのだ。金も、どれだけ持っているか謎である。


 そうして空也が思案していると、しばらく、携帯電話で時間を確認するような素振りを見せていた女が、電話を懐にしまった。空也が自分の腕時計を確認すると、待ち合わせの時間になっていた。

 空也が現れないことを知って、どうするのだろう。待ち続けるのか、失礼なやつだと怒って帰るのか、知りたくなった。が、そんな空也の思惑は空回りに終わる。


 電話を仕舞ったあと、女はショルダーバッグから、小さなディスプレイのようなものを取り出したのだ。そして、それをしばらく操作していたかと思うと、突然、首がくる、と回った。

 空也が驚いて身を引くには遅すぎた。視線が交わる。

 女はにっこりと笑って空也の方まで歩いてくると、空也の名前を確認しながら、こてん、と首をかしげて見せた。




「……どうして俺の名前や顔、メールアドレスなんてものを知ってるんだ」

「調べました」

「誰かの紹介か?」

「いえ、自分で調べました」

 女の言葉はよく分からないが、自分がまだまだ、こちらの世界で2流であることは分かっている。自分の情報がどこかへ流れていたとしても、それを察知できないのだ。しかたない、と思って頷くことにした。


「……興信所にでも頼んだか。……まだ若いんだろ? 20そこそこ、下手すりゃ大学生じゃねぇのか」

「私よりお若い方に若い、と言われると不思議な感じですけれど。そこの国立大に通っています」

「ホントに学生かよ……。それより、随分不躾なメールを送りつけてくれたな」

 金など持っていないんじゃないか、と思いながら、とはいえ、興信所も安くはないだろうので、細い客にはなるかもしれない。空也はとりあえず言葉を続ける。




「すみません。会いに来てもらえるか分からなかったので、会えたらお教えするつもりでした。叶湖といいます」

 叶湖は笑顔で名乗りをあげるが、空也にはそれが本名かどうかすら分からないのだ。

「……で、客になりたい、んだって? お前、俺がどういう人間か知ってるのか」

「商人さんでしょう? かけだしの」

「なんでそんなド三流の客になりたいと言った? 値切れるとでも思ったのか?」

 鋭い視線に叶湖はきょとん、とする。


「調べた、と言ったじゃないですか。私が欲しいものを手に入れるだけの実力がある方だと分かったので仕事を頼みました」

「この街にいる商人で、もっと腕のいいのはいるだろう」

「そうですけど。……私が足下を見られるのは嫌いなんです。自信がある人間を相手するのって、大変なんですよね。あくまで、フェアな取引をお願いしたいですから」

 叶湖が説明するが、空也にしてみれば、どれもこれも、簡単に信用できる話ではない。


「納得いきません? 調べたんですよ? 12歳のころから、この街1番の商人さんに弟子入りして、初めての取引は違法ペットの取引でしたっけ。それから、麻薬や武器なんかの取引も関わって、3カ月ほど前、1人で銃の卸しをしたのを最後に、ひとり立ちを……っ!?」

 気付けば、空也は叶湖を突き飛ばしていた。叶湖のバッグが、肩からずれ落ちる。

 自分1人のことであれば、足がつくかもしれないとは思えた。だが、自分が知る、この街1番の商人には、そんなつけ入る隙などがないだろう。それを知っている女が、まるで得体のしれないもののように思えた。

 情報の穴があるなら、それを聞き出したい。女1人でならば、自分1人で制圧できるし、もしかして、付近に仲間がいれば、女を人質にして、とりあえずのところは撤退し、作戦を練り直したい。


 そんなことを考えつつ、勢いよく壁に叩きつけられて、地面に崩れ落ちている女を拘束した。

「その話、どこで聞いたか……!」

「ふっ、うぇ……ぐすっ」

 が、空也の思惑はまんまと外れることになる。手元の女が、大粒の涙をこぼして泣き始めたからだ。

「……え?」




 昼間の薄暗い路地裏とはいえ、大声で泣きわめかれれば、さすがに人を集めるかもしれない。これ以上泣き声が漏れないようにと、咄嗟に女の口を抑えた空也は、どうすればいいかと必死に頭を巡らせる。

 置いて逃げることも考えた。が、これで女や、その背後に組織がいるとすれば、それを、怒らせたまま、フォローなく逃げれば、自分やその師匠にまで仕返しが及ぶかもしれない。

 そして、20そこそこの大人の女を泣かせるほど傷つけてしまったことに、僅かな罪悪感もあった。


「あぁ、もう! めんどくせぇ」

 女の口元を抑えたまま抱きかかえる。叶湖の傍に落ちたカバンをもう片方の手で器用に拾いながら、辺りを見回す。

 繁華街のど真ん中で良かった。自分たちが今いた路地裏から歩いてすぐのご休憩所へ運びこむことにする。適当に部屋を選び、ベッドに女を寝かせたところで、空也はやっと肩を下ろした。


「ふぇ、うぇぇ」

「……あー、泣くなよ! どうしたんだよ、ちくしょう!」

 ここまで泣かせて、周りから彼女を守るような人員が現れなかったということは、彼女は1人で空也に会いにきたのだろう。下手に疑ったことも、罪悪感に拍車がかかる。

「あぁ、もう」

 面倒くさいとは思いつつ、女を置いて自分1人で帰る決断もできない。後日の仕返しも怖いが、彼女が夜までにホテルを出られなかった場合、ホテルを出た瞬間に、別のホテルに連れ込まれないとも限らないのだ。さすがに、そうなっては寝ざめも悪い。


「うぅ、ぐすっ……かば、ん……」

 と、泣いていた叶湖の手がふらふらと彷徨った。彼女が持っていたカバンは、空也がテーブルの上に乗せたままだ。

「かばん? 取ればいいのか?」

 空也の問いかけに叶湖が小さく頷く。


 空也が取ってやったカバンをごそごそしていた叶湖が取り出したのは、薬だった。市販の痛み止めで、よくコマーシャルで見る名前なので、空也も知っている。

「……水……」

「あぁ、もう!」

 叶湖の要求に文句を言いながらも、部屋に備付けの自販機から水を買い与える。

 その水で薬を飲みこんだ叶湖が、再び泣きだした。




「……泣くほど痛かったのか」

 叶湖の涙の原因を掴みかけた空也が、自分もベッドに腰掛けながら尋ねる。

「うぇぇ……」

 小さく頷くその顔から、汗に濡れた前髪を横へ流す。そのまま、次々に流れ落ちる涙を指で拭おうとして、キリがなくて止めた。


 行き場を失った手を、とりあえず、彼女が打ち付けていそうな場所へ伸ばす。

「背中、打ったよな。頭は?」

「うぅ、痛い……」

「分かった。悪かったから」

 頭を撫でながら、空也が初めて謝った。

 とりあえず、自分の所為で泣かせたのはよく分かったのだ。


 心中がよく分からない、笑顔だけがキレイな不気味な女だったが、こうして泣かれてしまうと、僅かの庇護欲すら沸いてくる。整った顔が苦悶に歪むのを見ると、嗜虐心すら沸いてしまった。自分にそういった一面があることも自覚していた空也は肩を落とす。


「ごめん」

 叶湖の身体を支え起こし、お互い向かい合うように座った空也が、叶湖の背中を擦る。

「薬効くまで時間かかるな」

 腕の中で、叶湖が小さく頷く。彼女が流す涙が、空也の胸元を濡らしていくのが分かった。

「叶湖、って言ったっけ?」

「ん」

「そうか」

 名前を確認する空也に、小さく頷く叶湖の顔に、空也が唇をよせる。涙を舌先で掬い、それが流れ落ちた頬を唇で辿る。最後に彼女の唇へ、自分のそれを押し当てると、嗚咽で半開きになっていた口内へ舌を入れた。




「ふっ……んっ、んぅ」

 小さく声をあげる間にも、叶湖の涙は流れ落ち、空也の鼻先を濡らした。

「ん、はぁっ」

「泣きやむまで、こうしてていいか」

「ん、なんっ」

 僅かに唇を離して尋ねる。その返事を聞く前に、再び口をつけた。


 そうしている内、叶湖がだんだんと落ち着いてくるのが分かった。

「効いてきた?」

「ん……」

 空也の言葉に、叶湖が小さく頷く。

 空也は安堵の息をついて、クッションが重なったヘッドボードへ叶湖の背中を凭れかけさせて座らせる。


「すみません、商談の最中だったのに」

「いや、それは突き飛ばした俺が悪いというか、なんというか」

 ぐったりとしながら、どこか疲れたような声で叶湖が呟く。その表情には胡散臭い笑顔が消えている。

「いえ、最初の1回は見逃すと決めていますので、アナタに非はありません」

「最初の1回?」

 空也の言葉に叶湖が頷く。






「いつ頃か……たしか、2年ほど前だったかと思いますが、その辺りから、自分が感じる痛みの度合が強くなってきて、現在はあのとおり。ただの打ち身であの様です」

 叶湖が深く溜息をつく。

「知らずに私を泣かす方もいますので、事情を知らない方の最初の1回は許すことにしています」

「……なるほど。俄かには信じられないが、演技であれほど泣けるとも思わねぇしな……」


「アナタに取り急ぎお願いしたかったのは、即効性のある痛み止めです。できれば、耐性ができにくいものがいいです。私、情報を扱ってお金を稼いでいますので、適性な料金を支払うだけの蓄えはあります。……それとは別に、アナタの仕入れ元の確保や、厄介な客を信用させるだけの情報も、お渡しできます」

 それは、空也にしてみれば喉から手がでるほど欲しい情報だった。二つ返事で頷きかけて、それでも、その気持ちを押し隠してにやりと笑う。


「金はいいから、抱かせてくれ、って言ったら、どうする?」

「……私を?」

「そう。この部屋で、あんなことしてたら、さすがにその気になるでしょ。俺、アンタの泣き顔好きみたいなんだよね」

 空也がそういって叶湖の顎を指で掬い、上を向かせる。

 まだ頬には涙のあとが残っていた。

「……痛いのは嫌なんですが」

「痛くなければいいんだな?」

 空也ががさごそと自分のカバンから何かの瓶を取り出す。


「ちょうど、誘淫剤を仕入れたところだ。今なら、アンタも痛み止めが効いてるだろ?」

 叶湖は空也の手の瓶を見つめる。

「私、あまり駆け引き得意じゃないんです。ただでさえ、今は頭の巡りが悪いのに……。アナタが、私が提示した情報を要らないとは思えないんですけど、私が欲しい薬は、どうしてもアナタに協力してもらう必要があるんです」

 叶湖の言葉に空也がにやり、と笑った。

「いいってことだよな」

 それだけ言うと、薬を自分の口に含み、叶湖に深く口付けた。




 その先のことは、叶湖はあまり覚えていない。ただ、最後に、目が覚めて痛くなったら可哀そうだから、と空也が痛み止めを飲ましてくれたことだけは覚えている。


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