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Dear my friend

作者: 楠木千歳

 真っ白な空間に、机と椅子とベッドだけがぽつりと置いてある。

 前も、うしろも、この部屋の中全てが白。

 他には何も無い。だけど寂しいと感じることは無かった。


 窓から陽の光が差し込んでいる。……陽の光に見えるあれは、ただの電磁波だって説明されたんだっけ。




「気分はどうですか、蛍」



 これまた真っ白な扉――ドアノブだけはキラキラと光る銀色だ。そこから、背の高い男性がくぐるようにして入ってきた。


「おはよう、蒼玉。私は元気です。あなたは?」

「まるで英語の定型文みたいな御挨拶ですね。俺も元気ですよ」



 呆れて笑う彼の頬に、緩やかなウェーブの茶髪がかかっている。スーツにネクタイの蒼玉はこれから仕事に行くのだろう。




「それにしても、大した適応力ですね」

「そうですか?」

「ええ。普通なら一週間は寝込み、一年は体調が優れないものですよ? それを二日で起き出してきたと思ったら早速仕事を始めて……」


 転送されてきた瞬間に体組織が構成されず崩壊する人もいることを考えれば、とさりげなく言う彼に一瞬身震いした。確かに『あちらの世界』では生きる希望もなかったけれど、ここは別。ここは私の自由な世界。取り上げられるわけにはいかない。



「『あちら』のあなたは、上手くやっていますか」

「ええ。それなりに」


 それなら良かったと安堵のため息をつく蒼玉に首を傾げる。『あちら』の私のことなど彼にはまるで関係ないはずなのに。

 

 

 私は扉のそばにたっていた彼にいすを勧めた。ベッドに腰掛けている私が彼に立たせっぱなしでは、申し訳ないと思ったのだ。



「翡翠には最近会いましたか」

「蒼玉も会っているじゃないですか、職場で」

「違いますよ、プライベートで、の話です。あなたが」

「ああ……それなら、毎日会っていますよ。打ち合わせだなんだと理由をつけてはここに顔を出して……意外と世話焼きの性格だったみたい」



 ぷっと彼が吹き出した。


「それは違いますよ。蛍、あなたの事が彼女なりに心配なのです」

「そうでしょうか。会えばいつも暴言ばかりなのですが」


 彼女の整った顔が「キサマ」だの「毛虫」だのとよばわりながら眉間にシワを寄せる様を思い出し、げんなりする。蒼玉が言うようにはなかなか思えない。

 


 難しい顔をしていると蒼玉がよしよし、とでもいうように頭をなでた。




「あなたに『こちら』を提案したのは、翡翠だったのでしょう?」

「……まあ」







 思い出す。


 とある初夏の陽気をした五月のこと。


 『彼女』の姿をした『翡翠』は私にこう言った。


「ここではない世界を見たくはないか」


と。


 当時は彼女も私も同じ学校に通う普通の学生だった。同じように登校し、同じ教科書で勉強し、同じ場所でお弁当を食べた仲だった。二年も立つ頃には彼女の趣味が小説書きや絵であることは存分に知っていたし、私はそれを見ることを人生の楽しみにしていたくらいだった。


 そんな、ある日の昼下がり。



「住む世界を変えたいとは思わないか」


 彼女が突然そんなことを言った。私は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしてそれを聞いていた。


「どういう、意味?」

「そのままの意味だ。飲み食いも必要なく、睡眠と想像力さえあれば生きていける世界に」

「……そんな場所が」

「あるんだ。私の本体はそこにいる。『あちら』では別の名前を使っているが……会えばすぐ分かるはずだ」


 笑い飛ばすことの方が簡単だった。そんな夢みたいな救われる世界が、この世界以外の世界など存在すると信じるバカがどこにいる。ましてやそれが、精神を半分こに分けて『こちら』と『あちら』に住まわせる世界など。


 私以外には。





「なんでもアリの世界だ。好きなものを好きなように生み出せる。実体としてそばに置くことも出来るし、映像や本にして売り出すことも出来る」

「想像するだけで?」

「そうだ。少しコツはいるが」







 私は彼女に憧れていた。彼女の類稀なる想像力と創造力に嫉妬していたと言ってもいい。




 だから私は、そのバカみたいな賭けに乗った。

 

 






「正直言って、半信半疑だったんですけどね」

「それでもあなたがここにいるという事は、彼女の言葉を『信じきったから』ですよ。さっきも言ったように、信じられない人は転送中に精神組織が崩壊されて再構成出来なくなりますから」




 この世界の構成要素は、「精神」と「電磁波」の二つだ。そして「想像力」さえ切らさなければ、好きなことを好きなようにし放題な異空間。

 髪の色も、コンプレックスな容姿も思うがままだ。唯一名前だけは、コードネームとして手首に自動的に記載されるように出来ている。

 

 ファンタジーなんだか科学なんだかよく分からない世界だ。分かったところで何かが好転するわけでもないし、悪化する訳でもないから別に良いのだけれど。

 

 だから本当は、別に仕事なんてしなくてもいい。でも私や翡翠は「何もしない」という事が無理な人種だから、『あちら』にいた時と同じように仕事まがいの創作活動を続けている。蒼玉も同じだ。利益を追求したり競ったりすることもない。ただ私たちは同じ場所に集い、同じ場所で机を並べて座り、それぞれの創作物を生み出していく。その場は誰が名付けたのかいつしか「水晶堂」と呼ばれるようになった。

 

 時には交換して読みあったりする。面白いと評判になれば『あちら』の自分に同じものを書かせたりする。

 

 ただ、それだけ。

 


 

「ところで、浮かない顔をしているようですが」


 蒼玉が唐突に尋ねてきて、私ははっきりとわかるくらいに顔をしかめた。




「翡翠があなたに何か言ったんですか」

「いや? 鵜呑みにする気はありませんでしたけど」

「鵜呑みにってことは言ったんじゃないですか」



 蒼玉は翡翠のお気に入りである。


 翡翠はなんでも蒼玉に話してしまう。いらない、そう、本当にいらない私の『あちら』時代の話や好きだった人やら、そういうもの迄全部だ。



「別に、大したことではありません」

「大したことでしょう、言ってみなさい」

「本当に大したことじゃ」

「言いなさい」


 そんな風に容赦なく言われたら、どうしようもない。



「面白くないですよ」

「人の悩みを面白がるようなやつだとあなたに思われているんですか、俺は」

「そうじゃないけど」



 私はため息をついた。



「私の書く物語って」

「はい」

「つまらないですよね」



 蒼玉は一瞬言葉に詰まった。私はああやっぱり、と思った。


 

「……どうしてそう思ったんです?」

「いいでしょう、別にそんなこと」

「良くありません。あなたが物語を生み出すのをやめたら、ここにいられなくなります。それは困る」

「別に物語を書かなくたっていいでしょう。何か別のものを生み出せばいい」


 絵でも、物でも、なんでも。

 蒼玉は心底不審そうな顔をした。


「どうしたんですか突然」

「別に、これといって理由はありません」

「あるはずでしょう、あんなに楽しんでいた物書きをやめるだなんて言い出して」

「ないです」

「ある」

「ないって言ってるじゃない」

「いいや、ある」


 言いなさい、と蒼玉のサファイア色の目が強く私を穿った。この目は絶対引かない時の目だ。そしてこのモードになった蒼玉はとってもめんどくさくて、とっても怖い。

 吐くまできっと会社にも行かないだろう。それは迷惑だ。辞表を出してきた私とは違って、彼には仕事が待っている。




「ほら、早く」

「う……」



「言わないなら、今私の手元にある翡翠の最新作は一生あなたにまわりませんが、それでも良いですか?」


「ダメ!!!」




 ずるい。そうやって私を追い込む。

 これだから逃げられない。




「昨日」




 話を始める体制になると彼はふっとその眼光を弱めた。こういう所は、優しい。いや、いつでも彼は優しい。怒る時でさえ、よっぽどのことがない限り自分のことではない。全てが他人の為なのだ。




「『蛍ちゃんはいいなあ。翡翠ちゃんのコネみたいなものでしょ、ここに居られるの』って言われて」

「誰に」

「それは言えな」

「誰にですか」




 有無を言わさない静かな口調。



 負ける。





「……琥珀、です」



 言った瞬間、思い出して涙が目のはしにたまった。

 泣いてはいけない。同情を引くようなことだけは絶対にしたくない。

 


「『この世界』にたどり着くのさえ難しいのに、禁忌を犯してまで翡翠ちゃんに誘われて、その上水晶堂でも物書きしてるなんて、って。水晶堂は本当にレベルの高い物語を生み出せる人しか入れないのにって。何十人もオーディションを受けて落ちるのにって」



 私はオーディションすら通っていない。


 気づいたらあの場にいて、あの場で物語を生み出していた。


 狭き門をくぐり抜けてきた人たちから見ればそれはどんなに偉そうに映ったことだろう。どれだけ楽をしているように見えるのだろう。


 翡翠には言えなかった。言えば彼女をさらに巻き込んでしまう。




「それに……誰に見せても、面白い、って言ってもらったことないし」


 付き合いの長い翡翠でさえ「早く続きを書きたまえ」としか言わないのだ。これはもう琥珀のただの嫉妬と片付けるわけにはいかない。



 こんな事で弱音はいて、呆れたかな。

 

 彼を見上げると彼は案の定ともいうべき呆れ顔で最大級のため息をついた。






「あんの、バカ」



 蒼玉が呟いた。





「……え?」

「いいですか、よく聞きなさい」





 私の中で警鐘が鳴る。やばい、何かは分からないけど蒼玉の地雷を踏んだらしい。これほどまでにつり上がった彼の目を私は見たことがなかった。




「まず一つ。何度も言いますが、この世界への入り方がどうであれ生き残っていること自体が奇跡に近いんです。それも探し求めてやってきた人ならともかく、半信半疑のままやって来て生き残っていることそのものが。そして二つ目。確かに水晶堂に入れたのは翡翠のコネがあったからでしょう、それは認めます。ですが、最終的に入社を決めたのは誰ですか? 翡翠じゃない、もちろん俺でも琥珀でもあなたでもない。誰だと思います?」




 言うだけのことをまくし立てて私に意見を求める。分からない、そんなこと。


 

「さ、さあ……」





「『世界のシステム』そのものですよ」







 私の心臓に、その言葉は突き刺さった。



「私たちが勝手に判断したならともかく、あそこに入るにはきちんと想像性の有無を測る機械が設置されています。コネで連れてこられてもその資格無しと判定されればそこ止まり。中には入れません」




 それは、つまり。





「あなたに、独創性が認められているということです。この世界を司るシステムそのものに」



 含めるようにゆっくり、彼の言葉が紡がれていく。





「そしてもう一つ加えさせてもらいますが、あなたの作品を誰も『面白い』と言わないのはまだまだあなたが未熟だからです」



 綺麗な目に私の顔が映り込む。吸い込まれるようにして、私は彼を見つめていた。

 



「だってあなたはここへ来て一年と少しでしょう。当たり前じゃないですか、三年も四年も小説を生み出してきた人たちと肩を並べて仕事しているのだから。表現や言葉の機微が多少雑でも仕方ない。翡翠や俺があなたを持ち上げて褒めないのはそれだけの理由です」


 と、いうことは。

 どくどくと心臓が脈を打つ音がする。精神で構成された肉体でも、そうか、こんなに心臓っていうのはあったかくて、煩くて。


 今まで考えたこともなかった。







「十分面白いですよ。発想もいい。あとは慣れです」





 初めて、人から賞賛の言葉をもらった。






 もう限界。

 

 堪えきれなくなった涙がついに関を切って溢れ始める。


 ひとしきり、心が静まるまで泣く。


 声を出して、子供みたいに。





 蒼玉はずっとだまってそれを見ていた。



 そして見かねたように空中からティッシュの箱を取り出して、私の膝にぽんと載せた。



「だいたい……琥珀だって似たようなものでしょう。あの子は双子の虎目とセットだったから水晶堂に入れたようなものですよ。それを棚に上げてスランプの八つ当たりなど」

「そんな嫌味な言い方では無かったんです、琥珀を責めないで」



 慌てて私は言った。このままでは琥珀が悪者になってしまう。彼女に悪気はなかった、それは直接言われた私だからわかる。ただぼやきたかっただけなのだ。



「どうしてそこで人を庇いますかね、全くあなたという人は。どこまで行っても他人の心配ばかり」



 深い溜め息をつかれるとどうすることも出来ない。私はしょげて俯いた。





「でもどうです、すっきりしましたか」


「……はい」


「琥珀には罰として腕立て百回くらいしてもらいましょう、随分と妥協ですがあなたが優しいのでこれくらいで」


「そんな罰なんて! いらないですよ」


「いいえ。考えなしの言葉で人をズタズタに傷つけるなど、水晶堂の人間としてあるまじき行動です。これくらいは当然受けてもらいます」


「そんな……悪くないのに」


「悪いものは悪い。これでも十二分に寛大な措置ですよ」



 蒼玉は面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 


「さて、どうですか。これで水晶堂に行けますか」


 少し自分に自信が戻ってきた。頷きかけて、はたと思い出す。



「……ダメです、私辞表を」


「それなら翡翠が昨日僕の目の前で二度とくっつけられないようなビリビリの破き方をしていましたから問題ありません、行きましょう」

「は?!」




 いっそ清々しいほど爽やかな笑顔で彼は椅子を立った。



「支度に五分あげます、外に出ていますからその真っ赤な目をどうにかして出てきなさい」


「ああっ! こんな時間、あなたまで遅刻……!」

「今日の僕の仕事は忙しい翡翠の代わりにあなたを会社まで引きずっていくことですから。わかったなら支度」



 派手な音を立てて真っ白な扉は閉まった。




 私はしばらく立ち尽くしたまま動けずにいた。





「は、あ、あと五分」



 我に帰る。蒼玉が待っている。


 行かなくちゃ。一人でも二人でも、私を待ってくれる人がいるなら。




 未熟でいい、好きならばそれで。


 私は空想の世界に生きる者。拙くても自分の言葉で、その物語を紡いでいく者。




 私は必要なものを空気から引っ張り出した。

 洋服を替え、腫れた目を元通りにして。なりたい自分をイメージしたら、気合を入れるのに頬を軽く叩いて。



「よし」




「行けますか」

「はい!」




 外へ出る。

 蒼玉は目を細めて頷いた。



「ありがとうございました」

「どういたしまして。何もしていませんが」





 空気のようにふわふわした感覚の道を歩く。誰が作ったものだろう、このマシュマロみたいに柔らかい道路は。きっとこれも、知らない誰かの想像の産物だ。



 一歩先を歩く蒼玉が振り返って私の名前を呼んだ。


「蛍」


「はい?」



「楽しみにしていますよ、続き」




 私は大きく頷いて見せた。


















 私が物語を書き終わる時、必ず最後に記す名前がある。

 一つ目は『こちら』へ私を呼んでくれ、何かにつけ私のことを心配してくれている翡翠の名前。

 そして次に、私が物書きを辞めないでいられる言葉を、理由を。まっすぐにくれた「蒼玉」の名前。



 最後に、読んでくれたあなたの名前を。







 ここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。


 また、どこかで。 

他人の昔話は好きだと、彼女が言ったので。


Riaの誕生日用に書きました!


おめでとう☆



翡翠である彼女と蒼玉である彼に最大の感謝を。

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