初期地点から西へ
あの平原はもう嘘のようだった。どこを見ても大木だらけ。いたるところに根は張り巡り、力強く土を持ち上げていた。歩きやすい道などは存在せず、何かしらの獣が踏み固めた小道がところどころにあるだけだった。そこをヤマトは疾走していた。
懸垂、腕立て、スクワットをそれぞれ限界まで。そして体力の続く限りのマラソンがヤマトの考案した経験値の稼ぎ方である。
ヤマトは体中に溜まる疲労を感じながら彼(今は彼女というほうが正しいかもしれない)の賢い友人のタクが、この方法は非合理的だ、と講釈していたことを思い出していた。
攻略サイトによると現実的な鍛錬方法ではこのゲームでは大して強くならないと書かれていたらしい。ならば効率的な方法はといえば木の実をとったり薪を割ったりすることなのだ。しかしそれはヤマトの性格が容認しなかった。
彼は肉体を酷使することを好んだ。そしてそれによって得られる筋肉質な体を自信にしていた。それゆえに大魔王を倒すまでこの世界から出られないと聞いた時、帰れないというを悲観するよりも性別を女にしたことを後悔した。
しかしその悩みに関してはすぐに解決することになった。この世界はリアリティーが凄すぎて現実と勘違いしてしまうことが多々ある。しかし所詮はゲーム世界である。それは身体能力もそうだった。試しにタクと腕相撲をしたところ圧勝してしまった。タクが言うには、見た目の筋肉量や体格はブロックガーデンセカンドの中では無意味。大事なのは個人のテクニックとステータスの数字、とのことだった。
だからこそヤマトはこの世界での己を鍛えることにした。現実でも格闘技と格ゲーしかしてなかった彼にはそれしかなかった。
通り雨にでも襲われたかのように全身を汗塗れになってヤマトは一旦の休憩を取ることにした。木陰で彼は服を脱いで下着だけになった。自分以外の誰も見ていない。どのような格好をしていようとも勝手な話だった。
雑巾絞りで水分をあらかた取ってから、布地が多いものから順に木の枝に引っ掛けた。それから柔軟をして体をほぐして、メニュー画面を開いて果実ブロックを取り出した。ブロック化を解くと元通りたくさんの果物に変わった。マラソン道中で見つけたこの果物は、昨日は作業途中で休んだタクが取って来た果物と同じものだ。この世界でも腹は減る。ヤマトはかぶりついた。
腹いっぱいになったヤマトは満足した。そしてそのままウトウトと幹に背を預けて目を瞑った。
どれほど寝ていたのか、彼は衣摺れ特有の耳触りな音で目を覚ました。寝惚け眼で横を見ると、ボロ切れを纏った人物が掛けていた服を下ろしては手元のカゴへ放り込んでいた。ぎこちない手際からあまり慣れてはいないのだろう、一つ下ろすのにも随分時間がかかっていた。ヤマトは服泥棒をなんとなく観察していた。やがて目があった。
「あっ!」
服泥棒は素っ頓狂な上げるや逃げ出した。そこでヤマトも正気を取り戻した。
「待て! この泥棒が! 服を返せ!」
ヤマトは全力で追いかけた。しかし残念なことに彼の脚は遅かった。対して服泥棒は俊足である。たちまち距離ができてしまった。このままでは逃げられてしまって裸で帰ることになってしまう。彼は嘆願した。
「ちょっ! 本当に待ってくれ! 俺、それしか服がないから!」
結局、服は返ってこなかった。
哀れな銀髪少女は半裸のまま森林の中で仁王立をしていた。彼は数々の失敗を振り返った。
あの時追いかけなければ盗まれていないズボンとジャージは無事だった。しかしもう遅い。どこに置いてきたかもう覚えていない。
あの時頭を働かせて捕まえていれば全ての服が無事だった。しかしもう遅い。泥棒に盗まれた手袋な靴下などの小物はもうない。
彼に残ったのは適当に選択した白い下着上下だけだった。
乾いた笑いが込み上げてきた。仲間達の元へどのように戻ればいいというのか。笑い者になるのは避けられない事態である。いや、それならまだマシだった。冷酷なショータはきっとヤマトのことを完膚なきまでこき下ろすだろう。彼の友人二人もきっと蔑んだ目で見るに違いない。だが彼のプライドはそのような事態を許さなかった。
彼は決意した。必ずやあの服泥棒を成敗して逆に奴の服を奪い去ってやろう、と。
行動はすぐに起こした。彼にできる手段はこれしかなかった。これとはつまり、我武者羅。服泥棒が歩いたと思われる道を片っ端から通った。
広い森林地帯、見つかるはずもなかった。しかしそれでも彼は探すことを止めない。ひたすら歩を進めていた。
日も暮れてきて視界も狭まり捜索の中断も思案の片隅に現れた頃、大きな奇声が響き渡った。その声には聞き覚えがあった。あの服泥棒のものである。
ヤマトは鬼の形相で駆けつけた。そこではあの狙いの人物が這いつくばって何かから逃げていた。暗くて何から逃げているのかがよく分からない。ヤマトは目を凝らしてみた。それは腐っていた。
「嫌……嫌イヤイヤ……嫌……」
服泥棒はその腐った人間のようなものから逃げようとしていた。しかし足を怪我したのか立ち上がれないようだ。そして腐ったそれは一体だけではない。その後ろにも群れをなして、たどたどしい足取りながら一歩一歩と近づいてきていた。
「おーい、どうしたんだ?」
マヌケ顔でヤマトは声を掛けた。服泥棒はヤマトの姿を認識すると堪らず助けを求めた。しかしヤマトは首を振るばかりだった。
「こいつらはなんだ? お前のお友達かい?」
「こいつらはゾンビよ!? そんなわけないでしょ! 早く助けてよ。このままじゃ本当にこいつらの友達にされてしまうわ」
首振りは止まらない。
「いいじゃないの。ゾンビだって人間と変わりゃしないさ。少しくらい腐ってるだけじゃない」
「嫌よ。ゾンビだけは嫌なのよ! だって……」服泥棒の声がか細くなった。「私の家族も、友達も、みんなこいつらに食われてしまったのよ」
「どういうことだ?」
ふざけた態度はもうとっていない。ヤマトは近寄るゾンビなどそっちのけで服泥棒の少女の前に屈みこんだ。彼女は答えた。
「私の町はゾンビに襲われて、なんとか逃げたけどまだ追われて、安全なところを探してるんだけど見つからなくて、それで、それで……」
要領の得ない回答である。もしかしたら助かりたい一心で作り上げた嘘かもしれない。
しかしヤマトにはそれで十分だった。少女を背負うとヤマトは駆け出した。背後からゾンビたちの呻き声が聞こえてきた。
「助けてくれるの?」
「助けるさ」
ヤマトは振り返らなかった。
「事情持ちの女が一人困ってんだ。それだけであとは関係ないね。それが男ってもんだ」
「でも」服泥棒の少女は言いにくそうに口を開いた。「貴女も女じゃない」
「関係ないさ!」
ゾンビの動きは怠慢なものだったが数は多く包囲網は段々と狭まっていった。木陰から飛び出してきたゾンビの顎へ右膝蹴りから左脚での踏み倒しを披露すると、ヤマトは少女への質問を再開した。
「ゾンビってなんだ?」
「そんなことも知らないの? 呪いによって動かされている亡骸よ。動きはトロいけど力は強くて痛みを感じないわ」
「倒すには?」
少女は目を丸くした。この下着女が何を言っているのかが理解できなかった。なので聞き返したところ、同じ言葉が返ってきた。
「倒すって貴女……勝てるわけないじゃない」
「ないのか?」
「あるにはあるけど難しいわよ。頭部が心臓を壊してもう一度死なせてやればいいのよ。あとは日光ね。闇から生まれた魔物は日光で燃え去るはず」
それだけか、とヤマトは呟いた。そして立ち止まった。
「何するつもり?」
問いには答えずヤマトは少女を下ろした。そして深呼吸をして構えた。
そこはちょうどいい場所であった。大木が邪魔で左右と背後から敵が来ることはない。ただ前方の敵にのみ集中を向けていればよかった。
「まさか戦うつもり?」
「そのまさかさ」
ゾンビが一体ヤマトの前に立った。そして首に噛みつこうと態勢を傾けた途端、それは弾かれたように仰け反った。
打撃技の基本形であるワンツーのパンチ、それが俊速で繰り出されたのだった。普通の人間なら反応しきれずに失神しているであろう速度と威力。しかしゾンビには無駄な行為でしかなかった。崩れた姿勢を元に戻し、再び首を噛み切ろうと頭を前に向けた。
「これは効かないか。なら、これは?」
先の技は効かなかった。しかしこれは学習である。アレが無理ならコレを使えば良い。コレが無理ならソレを使えば良い。彼の思考は単純であった。
ヤマトはゾンビに足を掛けて崩すと、そのまま倒れようとしているゾンビの首を掴んだ。そして勢いを利用して首を捻った。頭を逆にしてゾンビはそのまま動かなくなった。
「嘘でしょ?」少女は幻のような光景を見てしまった。 そしてそれが目の前で起きたことを知った。「貴女、何かしてたの?」
それに関した返事はしなかった。ヤマトはただ今からやろうとしていることを宣言するだけだった。
「だいぶ走った。朝までもう少しだろう。だからちょっと無茶をさせてくれ」
「えっ? 止めなさいよぉ!」
後ろから聞こえる抗議を無視してヤマトは構え直す。腐った死骸に遠慮はいらない。思う存分に試せばいい。己の技量はどこまで通用するか、を。このノロマな怪物相手に。
一段落したのは朝になってゾンビの群れが退散した後だった。服泥棒だった少女は再び質問をした。
「貴女、何かしていたの?」
ヤマトは倒した敵の骸の上で数言。
「総合と古武術を少々、それと格ゲー」
降り注ぐ陽の中で涼しげに答えた。
「ところでだ」しばしの沈黙の後ヤマトは口を開いた。「俺の服、返して」
「あら、ごめんなさい。ないわ。さっきゾンビに襲われている際に服が入っているカゴは無くしちゃったもの」
困ってしまった。彼の目論見は外れたのだ。このまま裸同然の姿です帰らなくてはならない。彼の表情は黙々と曇っていった。
それを不憫に思った服泥棒はいいことを思いついた。そしてそれを実行い移した。彼女は腰にグルグル巻きにしていた布を解くと、それをヤマトに差し出した。
「これをあげるわ」
その布は半透明だった。そして微かに当たる日光に反応してキラキラと輝いている。まるで天女の羽衣のような布地である。
しかしそれを貰ったところでどうしようもなかった。
「着れるか! そんな透けた布を纏ったところで変態度が増すだけだ」
「失礼ね。これは私が唯一持ってこれた貴重なカーテンよ。大都会に住む貴婦人の方々だって喉から手が出るほど欲しがるのに、なんてことを言うの!? それなのに何が変態よ。そんな身なりしてもう変態じゃない」
お前のせいだろ、とヤマトは叫んだ。しかし泥棒少女は首を振った。
「私が見たときには貴女、すでにその格好だったわよ」
「乾かしてたんだよ」
あらまあ、と少女は口に手を当てた。
「ごめんなさいね」
ヤマトは溜息をついた。体が萎んでしまいそうなほど盛大に。それから何気なしに自分と少女の身なりを比較した。
少女は全体的に燻んでいた。目鼻立は整っているところから美人なのかもしれないが汚れていて判断はつかない。動きやすそうなワンピースとスカートはよく見ればドレスが破れた結果だと推測できた。髪も服も泥が固まっていて元の色はもう分からない。
対して自分は服が無い下着姿だけども綺麗なままだった。そう考えて冷静になると少女の醜態に目がいった。何があって服泥棒などをしたのだろう。彼はその疑問を口にした。
すると少女は、よく尋ねてくれた、と身の上話を始めた。それによると彼女はここから東にある町に住む、町長の一人娘だった。