プロローグ
プロローグ
「ねぇ君。ちょっと話を聞いてくれないか?」
対面のパイプ椅子に、一人の女性が座った。
テーブルに小さなサイコロを転がす。出た目は6。
「6が出たね。次には何が出ると思う?」
「私は預言者じゃないわ。何が出るかなんてわかるわけないじゃない」
部屋は暗いが、テーブルの上には照明が付いている。テーブルの周りはぼんやりと明るく見える。男がどんな胸中でこの話をし始めたのか、女性はよく分かっていない。
ただ話を聞いて欲しいのか、それとも誰が聞いていようが関係ないのか。
男は話を続ける。
「わかるわけがない。そうだね。でもそんなことを言われたんじゃあ面白くない。折角来てくれたんだ。勘でもいいから言ってみなよ」
男は口元を緩ませ、彼女に質問した。
こうしたやりとりに対して普段から慣れているのか、彼女は面倒な顔一つせずに答える。
「次の出目は4」
彼女が予想した数字を口に出すと、男はテーブルの上に先ほど転がしたサイコロを再び手に取り、また右手から離してテーブルの上を転がせる。
サイコロの出目を見て、男は白い歯を見せて笑う。
「素晴らしいじゃないか!なんだかんだ言って、君は預言者なんじゃないか?」
「たまたま当たっただけか、貴方がこの目を出すように何か小細工をしたんじゃなくて?」
サイコロの出目は4。興味がある素振りも無いが、決して関心が無いということもなく、女性は男の言葉に淡々と言葉を返していく。
「君の言う通り、俺は何かしたかもしれないし、していないかもしれない。その真意を知る材料はここに存在し得ない。だけど、サイコロというものは1/6の確率で数字を示す。君はその確率の中、偶然にも数字を当てたのかもしれないし、実は本当に預言者なのかもしれない」
「まどろっこしい話が好きなのね」
「そうだね。僕が綴る物語は単刀直入という四文字熟語とは無縁だから」
再び男はサイコロを右手に持った。足を組んだままの右足を少しぶらぶらと動かし、次の質問を投げかける。
「それじゃあ最後の質問。僕がこうしたら、一体どんな確率が存在するだろうか?」
右手にほんの“少し”力を入れると、ピーナッツの殻を砕いた時に近い音が鳴る。
ゆっくり手を開くと、そこには砕けたサイコロの破片が掌に乗っていた。
「確率もなにも、サイコロが無くなっちゃったじゃない」
「君は本当にイイ人だ。僕が余計な解説をしなくても全部説明してくれる。この場に他者が居たとしたら、僕のまどろっこしい話も幾分か聞きやすくなるだろう」
本当にそうかしら?と、頭の中では疑問に思いつつも、彼女は顔色一つ変えずに男の話に耳を傾けている。
「サイコロが無くなると同時に、確率も存在しなくなった。1/6だったものが、0という数字で固定されたわけだ。さて、そろそろ君も心の中でこいつは一体何が言いたいんだ?と思い始めている頃だろう。つまりね、俺は“これ”をやりたいんだ」
「確率を無くしたいって、どういうことなの?」
「この世の中、ありとあらゆる可能性が存在している。俺の人生で言うなれば、演劇の道を目指していれば有名な俳優になるかもしれないし、もしくはサッカーを小学校から続けていれば、プロサッカー選手になる未来も存在し得たかもしれない。でも実際のゴール地点というのは、そんな希望溢れたものじゃなかった。人々の人生っていうのは、希望を夢見て歩んでいくけれど、実際に立っている道は絶望しかないんだよ」
「どうしてそう言い切れるのかしら?私には絶望も希望も大差ないのだけれど」
椅子から立ち上がり、掌にあったサイコロだったものを床に払った。
彼女の言葉に称賛を送るように、パチパチと両手を叩く。
「素晴らしい。だからこそ君を呼んだ。俺がこれから為すべきは、このサイコロと同様に存在を消すこと。確率そのものが生まれない世界を作ることだ。この“裏”の世界って奴は、幻想で固められた世界と違って俺の欲しい世界を見せてくれる」
「でも、そう思うあなたも希望を抱いていることと同じじゃないのかしら?」
「そうさ、希望を抱いている。その希望が現実になった時、絶望も希望も無くなる。砕けたサイコロと同じ存在になるんだ」
演劇の終盤。主役がいよいよカーテンフォール“閉幕”のための台詞を言うかの如く、両腕を大きく広げ、腹の底から声を張って叫ぶ。
「さぁ、新しい世界の幕開けだ。そこには苦しむ人の姿は居ない。差別を受けることも無い。悲しむ人も存在しない。素敵な世界に旅立とう。俺がその世界に進むための道しるべになってやるよ」
ほんの一瞬、彼女の瞳の中に赤い点のようなものが映し出された。赤い点というのは、どうやら男の瞳から発せられた光のようだった。
楽しみながら喋る男の心持ちとは裏腹に、段々と恐怖で気圧されているのを感じ始めた。
この男は、一体何を考えているのかさっぱりわからない。一緒に居ると、自分はどうなってしまうのか?
疑問ばかりが頭に過るが、最後に一つ答えが浮かぶと、それまでの疑問なんてただの徒労でしかなかった。
「どんな形であれ、あなたは私の望みを叶えてくれるのでしょう?」
「そうだ。絶対に満足させてあげるよ」
「だったら、私もその世界を創造するために付き合いましょう。全ての物語を“0”にするために」
「あぁ、確率や希望、可能性の無い世界を僕らで作り上げよう。つまり、“君ら”の知る主人公なんて、存在しなくなるんだ」
男は天を仰ぎ、腹の底から笑い声を挙げた。
観客は居ない。その男の演劇は、果たしてどの観客に向けたものなのだろうか。
答えを知る者は、“その世界”には居なかった。




