エピローグ1
エピローグ1
ひと騒動終えた後も、悠一は毎日のように“N”へと通いつめた。何か事件に携わるということもなく、ただミルクティーを飲みながら綾の可愛らしい顔を眺め、マスターから不可思議な話を聞いているだけだった。
夢奈とセットで行くことはごく稀で、夢奈の気分が乗れば一緒に喫茶店へと向かった。その途中で化け物と出会うのはほとんど無く、居たとしても何事も無かったかのようにスルーして通り抜けるだけだった。
そんなことを淡々とできるようになったということは、少しは肝が据わったのかもしれない。
どうして悠一が何度もマスターに会いに行くのかというと、当人が心残りにしている謎を解き明かしたいという気持ちが強いからだ。
この世界の在り方、自分の価値。
紡夢の言葉は偽りではなく、今後自分達の所為で災いが降りかかるというのであれば、それはどのように回避すべきか。
謎は謎を呼び、疑問は疑問を。では、答えはどこから現れるのだろうか?
とある日のこと。夢奈が一緒に行きたいというので、二人揃って喫茶店へ訪れた。二人で来たのは、例の事件から三度目になる。
芹沢博士が先に訪れており、いつものミルクティーを舌で味わいながら楽しんでいた。
「お帰りなさいませ!ご主人様!」
「おやおや、夢奈も居るじゃないですか。どうぞ博士の隣へ」
いつもの笑みで迎えるマスターにそう言われて、夢奈が芹沢博士の隣、そのまた左隣に悠一が席に座った。
綾はいつも通り掃除をしており、窓ふきに精を出していた。マスターは鼻歌交じりにミルクティーを注いでいる。
「悠一と夢奈が二人で一緒に居る所を見ると、なんだか心がうきうきしてしまいますねっ」
どうしてマスターの心がうきうきするのか。
「気色悪いことを言っていないで、さっきの話を二人にも聞かせてやろうじゃないか。表の世界で唯一記憶がある希少な人物達だ。興味深い」
棘のある発言。
悠一の場合は、芹沢博士から毒舌を吐かれてもただの快感となるのだが、マスターの場合は純粋に傷つくらしい。
「うぅ、気色悪いなんて言わなくても。もう少し言葉を選んでいただきたいですね」
「はいはい」
芹沢博士に適当にあしらわれたマスターは、肩を落としながら純白のティーカップを悠一と夢奈の前に置いた。
話に混ざることなく、台所に置いてある空になったティーカップを寂しそうに洗い始めた。
「丁度いい所に来たカップルに、見せたいものがある」
「見せたいもの?」
悠一が前のめりになって、芹沢博士の方を見る。博士は黒い鞄から何かを出すべくごそごそと中を漁っていた。
「どうにも腑に落ちないことが一つ。世界は確かに無事だったが、別の事象が起きたんだ」
博士が取り出したのは小型のノートパソコンだった。パソコンの画面を悠一と夢奈が見やすいように向ける。そこに映し出されていたのは、黒いシルクハットを被り、紫色の片眼鏡を掛けた男性が得体の知れない化け物と戦っている映像だった。
「一体、これは?」
「数日前に撮れた映像だよ。裏の世界じゃ珍しくもない光景だが、彼は我々の知らない“魔術”や“機械”を駆使している。知り合いの秘密組織から譲り受けた映像だから、これは作り物なんかじゃない。実際にあった出来事が収められている」
「“リバース”以外の世界から来た人ってことなの?」
と、夢奈。
「それじゃあ、俺達と同じ世界の人ってことか?」
悠一の言葉に首を横へ振る博士。
「残念ながら、話はもっと複雑でね。我々が今居るこの地は“リバース”と呼ばれる裏の世界。悠一と夢奈が住む表の世界と対になっているわけだが、恐らくこの映像に映っている人物は、更に別の次元から来た可能性が高い」
確かに、あの時紡夢は別の世界についても話をしていた。
だが、奴は去って行き、世界の結合は防いだ。一体、どうしてそのようなことが?
疑問を浮かべたまま、悠一と夢奈は話を続ける博士の言葉に耳を傾ける。
「紡夢の一件以来、どうも不安定な情勢が続いている。恐らくこのシルクハットの男が現れたのも関連があるはずだ。それを突きとめなければ、また妖魔共に先手を打たれてしまう。それだけは避けねば」
「これは紡夢のような妖魔の仕業ではないかもしれませんね」
ぽつりと呟いたマスターの一言は、悠一にとっては確信を突いているように思えた。
紡夢は単に自分一人で行動していたわけではなさそうだった。復活を手助けした後に、事件の裏で手を引いていた共犯者が居たのではないか。
その人物が表の世界だと考えるのはまず難しいし、かと言って表の世界にひょいと出入りできる妖魔が他に居るとも考えにくい。有り得ないことではないのだが。
しかし、それ以外の次元の者が干渉していると考えるのはよっぽど可能性の低いことではないかと推察するのは一般的だろう。
悠一の考えでは、自分達のように別世界へあれこれ干渉できる人物が居て、その人物が紡夢を使って何かをしようとしていた。その最終目的が一体何なのかまでは予測できない。
「それよりお二人は、いつからお付き合いするのですか?」
眉間に皺を寄せながら考えていた悠一も夢奈もぴたりと動きが止まった。まるで凍らされたかのように。
「マスター……。お前は少し空気を読むということを知った方がいい。1000年も生きているくせに、理論的に考えてここでその発言は有り得ない」
「え?えぇ?そうですか?だって博士も知っているでしょう?どう見たって夢奈も悠一もお互いに好意を寄せています。なのに付き合わないなんて勿体無いじゃないですか!」
「力説したって意味ないぞ。ほら見ろ、二人とも無言でミルクティー飲んでやり過ごそうとしているじゃないか」
「あら、本当ですね」
あら、本当ですねって……。
マスターの不意打ちは放っておいて、博士が脱線していった話を元に戻そうとする。
「昔からこの世界のことは“リバース”と呼ばれているが、発祥は何なのか誰が付けたかもわからない。だが、特別な意味を持っているのは確かだろう。この世界の謎はまだまだ深い。だからこそ私は、研究を続けるだけだ」
紡夢の事件の引き金となった人物が一体誰なのかわからない。どうして紡夢が復活するようになってしまったのか。協力者は一体誰だったのか。闇に包まれたまま、事件は終幕を迎えた。
今回のような一大事が今後起らなければいいな、という考えは楽観的すぎるだろうか。
博士に見せられた映像が脳裏に焼き付くと、悠一は次に起こる“何か”が一生来て欲しくないと小さく願った。
少なくても、隣に居る奴には……。
「私はそろそろお暇するとしよう。次の仕事がある。マスターはこれからどうするつもりだ?」
「どうもこうもありません。私は、お客様のためにお店を続けるだけです。世界の在り方や今後どうなっていくかは二の次です。だから悠一も夢奈も、何か困ったことがあれば遠慮無く来て下さいね。いつでも、お待ちしております」
何がなんだかわからないことだらけ。考えたってしょうがない。自分に何ができるのか、どんなことが身に降りかかるかもわからないのだ。
しかし、複雑な世界でも一つだけ確かなことがある。
マスターが淹れてくれたミルクティーは、とても美味しい。




