第二話 4 Encounter
4 Encounter
表の世界が人間の世界。
裏の世界が魑魅魍魎の世界。
果てしなく広がる裏の世界は、気づけば人間の世界に浸食を始めていた。
原因となるのは恐らく、御社の中にある祠から封印を解かれた何かの所為。
その何かを倒さない限り、自分達の世界は闇に閉ざされてしまう。
友人を助けるどころか、世界を救うことになった悠一は、異次元の超人であるマスターと共に神社の御社を色々探ろうとしていた。
そこに現れた謎の人物。
彼の襲撃によってマスターは負傷してしまい、絶体絶命のピンチとなった。
危機に現れたのは、悠一と同じくらいの年齢の学生だった。
「夏休みに入って、てっきり表の世界にでも遊びに行っているかと思ったよ。綾と一緒にラブデートでもしているかと。イチャイチャしている所を、烈火の首だけ狙って殺してやろうかと考えていたのに。綾と楽しくランデブーしたいんだけどねぇ」
「綾と俺はそんな関係じゃねェんだよ。殺すぞ」
一言目には殺す。
二言目には殺す。
物騒にも程がある会話だ。良い子は絶対に真似してはいけない。
文字通り言い争っている間に、綾はマスターの手当てをしていた。RPGさながらの、手から緑色の体に良さそうな光を発している。
すると、マスターの生々しい傷はみるみる回復していき、すっかり元通りのスベスベ素肌に戻った。
「ありがとうございます。それにしても、どうして二人はここへ?」
「ずっと喫茶店に籠っているのもどうかと思いましたし、少しでもマスターとご主人様のお手伝いができればと思いまして」
このメイドを家で雇わせてください。
口から出すことはなかったが、本音は心の中でいくら呟いてもタダだ。
「ご主人様、お怪我はありませんか?」
「俺は大丈夫。マスターが守ってくれたから」
「それは良かったです!」
満面の笑みを浮かべる綾。神社でメイドを見たことはないが、傍から見れば違和感の塊だ。せめて巫女服であれば何も思わないのだろうが、そんな呑気なことを言っている場合ではない。
烈火と黒城は相も変わらず殺気を飛ばし続けている。
「マスター一人でもテメェなんざぶっ殺せただろうが、わざわざ俺のために取っておいてくれたみてェだな。殺す」
烈火の拳一振りで、凄まじい突風が吹いたような音が聞こえてくる。
ひらりと回避したその後ろにあった木々が、あっという間に薙ぎ倒されていく。
たった一振りでこの威力。
見た目は人であっても中身は正真正銘の“鬼”だった。
「相変わらず遅いな。マスターから少しは動き方ってものを教わったらどうだ?」
「うるせーよ。肩慣らしだ」
何度拳を振り上げても、倒されていくのは小屋か木々ばかり。
黒城は軽い身のこなしで一度も攻撃を受けなかった。
「お前に余計な時間を割いているうちに、彼が逃げてしまう。それはマズイ」
軽く右手を挙げると、黒城の号令に反応するかのように、有象無象の化け物達が地面から水のように湧き出てくる。
それは話や映像で見たことがあるような“妖怪”の姿をしている。
「あの男を捕えろ!」
指差された悠一をぎょろっと見つめる妖怪達。その数は数十体程。
烈火は黒城の相手をしているため悠一を助けに行くことができない。
こんなの、敵うわけないだろ。
恐怖で腰が抜けそうな悠一の前に、マスターと綾が立つ。
「ご主人様には、指一本触れさせません」
「妖怪大戦争なら、映画の中だけで十分ですよ?」
襲い掛かってくる妖怪達。
古今東西の妖怪が一堂に介しましたと言わんばかりの顔ぶれ。
一つ目小僧やら、口裂け女。
どれもこれも、幼少時代に聞いたことがあるような妖怪ばかりだった。
巨大な津波の如く押し寄せてくる妖怪を、どこからともなく出した藁箒で、マスターと綾は華麗に打ち倒していく。
その姿はまさに剣豪。
どうして箒をそんな風に扱えるのか。
いくら叩いても、いくら吹き飛ばしても折れない箒。
藁と竹で作られたような見た目なのに、どうしてこんなに頑丈なのか。
火を吹いたり、ナイフを飛ばして来たり、下駄で蹴りつけようとしたり。
妖怪達の様々な攻撃をものともせずに、喫茶店員二人は次々と妖怪を地面に横たわらせていく。
ついに最後の一体となった妖怪、一つ目小僧はマスターの不敵な笑みを見ると、へこへこと謝ってから大人しくその場を去って行った。
戦いながらもマスター達の抵抗を傍観できるくらい余裕ある黒城は、早々に悠一を捕まえられるものだと思っていた。
苦戦するわけがないはずだった。たかが、人間の学生一人くらい。
それを邪魔する者達、あの“N”の店員達さえ居なければ……。
「ったく。妖怪の癖に使えない奴らだ。早く奴を捕えろ!」
「よそ見してんじゃねぇよコラァ!」
再び妖怪を呼ぼうとする黒城を、烈火は執拗に狙い続けた。
俊足で翻弄させる狼男の前に、鬼の剛腕は届かない。
「まったく、余計な奴が出てきて興冷めだ。帰るとしようかな」
「待ちやがれテメェ!逃げる気か!」
「こう見えて、僕は忙しいんだ。世界を変えるためにも、さっさと行動しないとね」
血管を額に浮き上がらせている烈火を余所に、黒城は親のような目で綾に視線を移す。
「コイツと居たら体に毒だ。綾、一緒に行こう」
「嫌です!私はお兄ちゃんと一緒です!」
やれやれと首を振り、憎しみを込めた目で烈火を見る。その目は、鴉のように鋭く、獲物を定める虎の様にも見える。
「お前の所為で綾がダメな妖“アヤシ”になってしまう。いい加減彼女のことを労わったらどうだ?」
「テメェと一緒に居たら穢れるだろうがゴミ野郎。とっとと家に帰れよクズが」
「さっきも言ったはずだ。僕は忙しいんだ。これから変わりゆく世界の頂点に立つには、綾の力も必要だ。そして、そこで突っ立っている貧相な人間の力も」
指を指されたのはいいが、特定の単語に苛立ちを覚える。
ヴァンパイアやら鬼やら狼男やら測定不能な超人の前では、確かに妥当な言葉かもしれないが。
「この世界は強大な力によって再編される。その波に乗れない者は、表の人間も裏の妖も等しく除外されるだろう。僕はまだまだ余生を楽しみたい」
そそくさと踵を返し、黒城はひらひらと手を振って去って行った。
その速さは瞬間移動したのではないかと錯覚する程であり、誰一人追いつける者は居なかった。
「ちっ。あのチキン野郎、逃げやがった」
あたりに横たわっていた妖怪達の体が、地面に溶ける様にして消えていく。
なんとか状況を打開できたが、翔達を見つける手がかりは得られなかった。
「ありがとうございます烈火、綾。お二人のお陰で、なんとか凌げましたよ」
「何言ってんだ。マスターがアイツを本気で殺そうとしたら、とっくに奴は死んでいた。そうだろう?」
「う~ん、それはどうでしょうね」
演技にも似た返答。
マスターの本気っていうのは、一体どれくらい恐ろしいものなんだろうか。ひょっとして、星一つ砕くことくらい容易いのではないか?
「なんとか妖怪達の襲撃も防げたことですし、早速悠一のご友人方を探すとしましょう。祠の中には何もありませんでしたので、付近に“御札”のようなものを見つけたら、私を呼んでください」
悠一は頷き、あたりを探し始めた。
何かヒントになるものが無いか。マスター曰く、封印の御札がどこかにあるはずだが。
普通の神社に行けば御札なんてどこにでもありそうなものだが、こんな古びた神社にはそれらしいものが一つも見当たらなかった。
何も残っていないんじゃないかと、鼻から諦めムードの悠一は、いつ飛び出てくるかもわからない妖怪に怯えながら辺りを見回している。
「いやあああ!」
聞き覚えのある声。
悲鳴が四人の耳に入ると、マスター達はその方向へすかさず走り出した。
神社の裏側は木が生い茂っており、草木を掻き分けないと進むことができない。
マスターの足が速すぎるため、一緒に向かう事はできないが、一心不乱に悠一は悪路を走り続けた。
木々の間を駆け抜け、道がようやく歩きやすくなると場所が開ける。
そこは少しばかり大きな公園になっているが、小さな子供は誰一人として居ない。代わりに居るのは見知った女子と、恐ろしい怪物だった。
「悠一!助けて!」
夢奈は地面に横たわっており、腕と足には赤黒い輪が付けられ動けなくなっていた。
怪物は悠一を見つけると、口元を緩めた。
「妻久詠悠一」
「なんで俺の名を知っている?いや、そんなことはどうでもいい。夢奈を離せ」
「淺倉夢奈は頂いていく。妻久詠悠一、お前が一緒に来るならば危害は加えない」
四足歩行の怪物は、まるで牛が突進を始める前のように、前足で地面を何度も蹴った。
勢いよく走り出すと、悠一に掴みかかろうと左腕を伸ばす。その左腕は悠一を掴むことなく、体が蹴鞠を蹴った時のようにポンと宙に浮かび上がり、そのまま地面へと落ちていく。
巨体が落ちると砂埃が上がり、悠一は顔を背け、夢奈はぎゅっと目を瞑った。
「不思議ですねぇ。以前この場所で会ったことがあるような気がします」
起きあがった怪物は、瞳にマスターを映し出すと、一も二もなく飛び掛かった。
大きく振り上げた拳はマスター目掛けて振り下ろされる。宙を舞い回避すると、怪物の拳は地面を割り、辺りに粉塵を巻き起こす。
「挨拶もなく襲い掛かってくるとは、なんと無粋な妖魔なのでしょう」
「お前の面を一度殴りたかったのだ。いや、違うな。正確に言えば死ぬまで殴りたい、が正しい」
「それは光栄です」
軽快なトークだが、どうみても友人と話をしている時に発するものではない殺意がひしひしと伝わってくる。
マスターが呼称する“妖魔”は、とある日の事を思い浮かべながら話を始める。
「遥か昔、私はこいつに自由を奪われた。自分がどこに居るかも、どれ程時間が経ったかもわからぬ煉獄の中に投じられた。その中で、私が復讐心を燃やし続けていたことはわかるだろう?」
「そのために悠一と夢奈を襲うのですか?それは絶対に許しません」
「その二人を浚おうとするのは私のためではない。世界を救済するためだ」
この妖魔は一体何を求めている?
どう見ても一国の勇者には見えないこの妖魔が、どうして世界を救うというのか。
「世界は求めている。表も裏も無い世界を。全てが一つとなることを望んでいる。勝手に区分けした者達を憎んでいるのは妖魔だけではない。世界の真実を隠し、自分に不利益となるものを切り捨てた人間共は、どれ程憎まれていると思う?」
「そのアンケートは一体どこで取ったのですか?あなたの脳内と世間の意見は違うものです」
マスターの言葉を鼻で笑うと、再び両腕を振り上げ体を潰そうとせんばかりに振り下ろす。
妖魔の体を横へすり抜けると、軽やかに蹴りを繰り出す。トンという軽い音と反して、妖魔の巨体が荒くゴロゴロと吹き飛ばされていく。
ぶつかったブランコは支えの根本から外れ、豪快に倒れていく。
「悠一。下がって居なさい。ここは私に任せて」
マスターは笑みを浮かべ、どこからともなく箒を召喚した。
それは文字通り召喚で、いきなりポケットから出したんでも、元々手に持っていたわけではない。何も無い“無の空間”から箒を呼び出したのだ。呼び出すなら剣とか槍の方がよっぽど頼りになると思うのだが、そこをわざわざ喫茶店員っぽくする必要はあるのだろうか?
妖怪達と戦っていた時からずっと思っていた疑問とは裏腹に、その箒は活躍の場が絶えない。
「この世は夢。全てが夢だ。私の名、紡夢“ボウム”とは、現実が夢と融合するための契り。その境界を支配するのがこの私だ」
再びマスターに飛び掛かる妖魔。マスターの箒が、その数mある巨体を切り裂く。
しかし、次の瞬間にその巨体は姿を消した。
跡形も無く消えたその巨体は、マスターの背後に回り首を傾げた。
「貴様、そんなに遅かったか?」
電柱を四本程束にしたような腕の太さ。
文字通りの剛腕が、マスターの後頭部を強打すると、地面を蹴鞠のように跳ねながらマスターが吹き飛ばされていった。
「マスター!」
悠一が駆け寄ろうとするが、すかさずマスターは受け身を取り、箒をクルクルと回しながら妖魔を切り裂こうと振り下ろす。だが、何度斬りかかろうと、妖魔の体は残像のように見えるだけで、実体を切り裂く感覚がまったく伝わってこない。空を斬るだけの箒を見て、妖魔は不敵に笑う。
「儚いものよ。裏の世界と表の世界を繋ぐ番人を務めているようだが、その役目も今日で終わりにしてやろう」
口から紫色のもやが溢れだす。やがてその靄は一筋の光となり、光線となってマスターの体に直撃する。
巨大な爆発音と共に黒い煙が舞い上がり、マスターの姿がまったく見えなくなる。
「マスター!!!」




