罪悪感
翌朝
「行ってらっしゃいませ。…くれぐれもお気をつけて。」
今日は乳母は連れて行かないらしい。親しい者と一緒にいると雰囲気でバレてしまうかもしれないからだそうだ。…ちょっとだけ心細い。
「…行ってきます。」
これから、乳母の大切な『お嬢様』の忘れ形見、琉斗までもを巻き込むかもしれない事をするとは、とても言えない。
「遅い!速く乗れ。」
そう。この男を断罪すれば当然のように孫である赤ん坊の琉斗にまで影響は及ぶ。…王位は諦めなくてはならないと思う。
命だけは責任を持って守るつもりだが、他はどこまでできるか分からない。
それでもこんな事を放置する訳にはいかないし、私がどうしても許せない。
…ごめんなさい、琉斗。お姉ちゃん、乳母さんも。
名前すら知らないけど親身にしてくれたのに…
「……胃が痛い。」
ポツリと呟いたら声を拾われてしまったようだ。
「もとより産後に体調を崩して実家で療養中。という事になっている。そう心配せずとも多少の失敗は誤魔化せる。私も基本側についているつもりだ。」
なるほど。そうやって行動を監視するつもりか。さすがに一筋縄ではいかないな。
「…付け焼き刃だけど乳母の方にお辞儀の仕方は教わりました。何とかします。」
そう。何とか…何とかあなたの罪の重さを思い知らせてやる
…少し、暗い感情に囚われた。
他の国の王城と同じく、広大で優美な白亜の城。
王と結婚してから、この広い城の側室用の宮殿の一つに彼女は暮らしていた。
この国では王と王妃とその子は王の居城に住むから…きっと多少なりとも寂しかったでしょうね。
城の使用人と、公爵の後に続いて歩いて行くと一つの部屋に案内された。中に入るとそこは子ども部屋で、乳母と赤ん坊が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、琉花様。王子様がお待ちかねですよ。」
チラッと公爵の方を見ると無言で頷く。
まったく、どうしろって言うのよ。
「…ただいま帰りました。」
「顔色が良くなられましたね。良くお休みになれた様で安心いたしました。」
前と違うって気づかれてるじゃない。
それもそうか。…本当に死ぬほど体調悪かったんだもの。
「心配させましたね。私はもう大丈夫です。」
「良くなられたとはいえ、まだまだ本調子では無いでしょう?お座りください。」
あ、そっか。立ったままだった。
…これ、公爵の断罪の前にバレるかもしれないわね。
全然勝手が分からない。
「王子の顔を見ても良いですか?」
「もちろんです。…ご自分のお子様にそれほど遠慮なさらなくても良いのですよ?」
ふふっ。と、いたずらっぽく笑う乳母。恥ずかしさで少し顔が赤くなる。
「…久しぶりですからね。」
何とか誤魔化せたかな?
乳母に渡してもらって赤ん坊を抱いた。
さすがに孤児院の子よりはふっくらとして血色もいいわね。
白く滑らかな服に包まれたこの国の王子。
母親を亡くしたこの子には、これから様々な苦労が待ち受けるだろう。王妃の子との差に悩む事もあるだろう。
そんな物を生まれて間もない赤ん坊に、知らぬ内に背負わせても良いのだろうか。
ぱちくりと目を見開いて私をじっと見つめる琉斗。
不思議そうな顔してるわね。
「…どうかしたの?」
「………!うぇ〜ん、ぅあーーっ!」
あらら、泣きだしちゃった。お母さんじゃないってバレちゃったか?
乳母に琉斗を返してまた考える。
この子の事を考えると胸が苦しくなる。将来の可能性をこんな小さいうちから奪ってしまう事に罪悪感を抱き、同時に怒りや憎しみの感情で動いていた自分に恥じ入った。
でも、それでも………
反逆罪は、謀反は重罪だ。
それを知りながら黙っている事でさえ罪になる。
そして何より、琉斗が大きくなってから発覚すれば、琉斗にまで罪が及ぶ可能性がある。
その場合は、それこそ琉斗は幽閉され継承権を失い、表舞台には立てなくなる。
もし、琉斗が公爵に洗脳され、自らも罪を犯してしまっていれば、最悪殺される事もあり得る。
そうならない内に……今、終わらせてしまおう。
未来に禍根は残さない。
「…おい!おい!行くぞ!聞いているのか!」
ハッ!
いけない、考えすぎて全然聞こえてなかった。
「…どこに行くんですか?」
「王の所だ!帰参の挨拶をして、それから琉斗のお披露目だ。」
「…あぁ。そうですか。分かりました。」
何とかその時に王に直接言えないか。
このままではすぐに怪しまれるだろうから、告げ口はできるだけ早いほうがいい。
できるならあまり大事にならない様、琉斗へのダメージが少ないようにしたい。
そう思っていたら公爵への返事がおざなりになった。
しっかりしろ!と、公爵が少し苛立っている。
「行くぞ!早く歩け!」
公爵の後をついて歩く。
どんどん警備の数が多くなり、声が聞こえ始める。
これまで見てきた中でも立派な扉の前で足が止まった。
「カルヴァート公爵と琉花様がお見えです。」
「……どうぞお入りください。」
使用人が入室の許可を取り、扉が開けられ招き入れられる。
中にはきらびやかな衣装を身に纏った若い男性がいた。
「琉花!久しぶりだな。体調はどうだ?」
「……陛下。娘はもうすっかり良くなりました。」
やっぱりこの人が国王か。
「…しばらく王宮を空け、ご心配をおかけして申し訳ありませんてした。お陰様で回復いたしました。」
淑女の礼をし、無難に返す。
「そうか、それは良かった。」
それでも違和感があったのか、陛下は少し怪訝そうな顔でそれっきり二人とも黙り込む。
「……あのっ!」
「黙れっ!」
しばらくして切り出そうとすると、やはりというか、分かっていた事だが公爵の止めが入る。
「……陛下にその言葉遣いは失礼であろう。陛下、娘はまだ本調子では無かった様です。よく言って聞かせますので一旦下がらせて頂きます。…では。」
「あ…ああ。」
国王は戸惑っている様だ。
そのまま送り出され、廊下に出る。
ずかずかと歩き、声が王に届かない場所まで来ると公爵が怒鳴りつける。
「…ふざけた真似をっ!どういうつもりだ!勝手な発言はするなと言っただろう!」
「………分かっています。今後気をつけます。」
「二度と同じ真似をするな!もし誰かに言いでもすれば命は無いと思え!」
ギリッ
痛いほど歯を噛みしめる。
言えなかった!さっきが最大のチャンスだったのに…
できるだけ琉斗へのダメージを避けるためには国王に直接言うしか無いのに!無駄にした。
どうしよう…
忙しい王が側室と会う事は少ない。しばらくは会う事はできないだろう。
このままでは琉花では無いとバレるのも時間の問題だ…
……今日、お披露目会で明かさなければならない。
「ご登場の時間です。お出ましください。」
そうしている内に、緊迫した雰囲気に怯みながらも職務を全うしようと使用人が声をかけた。
「………行け。くれぐれも ”失敗” の無いようにな。」
「……行って来ます。」
公爵の含みを持った言葉に、たとえ言葉だけでも了承する気にはなれなくて、それだけ言って使用人の後を続く。
それを見た公爵もすぐに背を向け、会場に向かったようだ。
………どこまでも。
どこまでも、分かり合う事は無い『親子』の姿だった。




