4章 始まり
*わかってた
痛いくらいに
貴方が
「私」のことなんか
これっぽっちも
一度たりとも
見てくれていないことなんか
わかってた
――――――わかってたのに。
*「ここをもう少し行ったところにたくさん生えているからね~」
「うん」
撫子がうなづいてみせると、
茜ははしゃいだように手に持っている薬草入れの籠をぶんぶん振り回した。
村にはあまり茜と同じ年頃の少女がいないらしく、
撫子といるときの彼女はとても楽しそうにしてくれる。
撫子と茜は村から少し離れた森に、
眠り続けている和火の目をさまさせるための薬草を採りに来ていた。
いつまでたっても目を覚まさない和火の容体にすっかりしょげた撫子をみかねた慧が
茜に薬草採りを言いつけたらしい。
しかし、彼女たちの隣に、言いつけた本人の姿はない。
「慧は?」
「お兄ちゃんは、なんか長老様に呼ばれてるんだって~」
「そう、なんだ…」
彼が長老に呼ばれている原因が自分のせいに思えてならない。
そもそも、ここの世界の人から見たらうさんくさい恰好をした、
うさんくさい理由で迷い込んだ”まれびと”である撫子をかくまっている時点で
慧の立場はよい方向には向かっていないはずだ。
「撫子がとってくるのは、白い筋の入った、ギザギザした葉っぱのやつ!
先っぽが丸いのね!」
沈んだ表情を浮かべる撫子を励ますように、茜が明るく言う。
彼女の明るさには、この短い期間の間にも何度も救われてきた。
撫子が弱々しくも笑みを浮かべた時、茜は不意に止まった。
「じゃあ、ここでいったんお別れ!
二手に分かれた方がたくさん採れるだろうしね。
半刻(30分)したら、またここに戻ってね。
全然採れなくても構わないから、ちゃんと戻ってくるんだよ!」
「うん!
ありがとう茜」
じゃあね~、と言いながら軽い足取りで
木々の向こうに消えた茜の背を見送って撫子は彼女と反対の方向に歩き出した。
二手に分かれることに反対しなかったのは、
白夜に万が一遭遇してしまった場合のことを考えての上だ。
あの、白夜という青年の力はひどく強い。
茜をかばいながら、白夜と戦える自信などない。
彼女を巻き込まず、傷つけないためにも二手に分かれた。
きっと自分の判断は正しい、と心の中でうなづいた時、
何かを踏んで足首を変な方向に曲げてしまい、大きく体のバランスが崩れた。
考え事をしながら歩いていたせいで足元への注意がおろそかになっていたようだ。
地面に体が激突するだろう、と思い、とっさに身を固くしたが、
代わりに奇妙な浮遊感が体を包む。
「う、うそ…」
崖だった。
手を伸ばした先に地面はない。
体勢を立て直せず、悲鳴すら上げられずに撫子は崖から落ちた。
びゅっと耳元で風がうなる。
空が見えた。
濃い灰色だった。
伸ばした手は、何もつかめなかった。
今は昔、影水月といふ古き巫女の一族ありけり。
そこに白銀の巫女と謳われし娘ありけり。
名をば楓となむいひける。
この娘のかたちはけうらなること世になく、月のごとき清らかな心をもち、
ひとたび神楽舞へば神をも御心打たれ、涙し、地は潤う。
この娘の操りし言ノ葉は、けうなる青き力を持ちて、
きよらなる銀をもかたを変える。
影よりこの娘を守りし男ありけり。
この男、娘を愛せど、結ばれず。
ただ、影より娘を守り愛す者なり。
名をば、黎夜となむいひける。
気づけば、撫子は浅葱色の空間にいた。
(確か、先ほど崖から落ちたはずなんだけど…)
崖から落ちた際に頭を打って気絶してみている夢なのかもしれないこれは。
それにしても、妙な気持ちだ。
この心がしっとりとぬれているような感情はなんだろう。
「私……哀しいのかな……」
そうか私は哀しいのか。
哀しいという感情がぴたりとあてはまる感情。
でも、何故こんなに哀しいのかはわからない。
頬をぬぐうと手の甲は濡れている。
「なんで……泣いているんだろ…私……」
『ああ、まことに。
他の男のために流される涙なんて、私は見たくないよ、巫女姫』
撫子はびくりと肩を震わせた。
あたりを見渡しても一面の浅葱色。
声の主の姿はない。
だが、撫子にはそれが誰なのか差方を見なくてもわかった。
「白夜……さん……?」
『名前を覚えてくれたのか。
嬉しいよ、巫女姫』
「……巫女姫って、呼ばないでください」
鈍く痛み始めた頭を押さえる。
ここ最近いつもこうだ。
なにかを思い出そうとするかのように、頭が痛む。
この浅葱色の空間は白夜の術かなにかだろうか。
もしそうだとしたら早急に解かねばならない。
『それほどまでに警戒せずとも、いますがさらったりはせぬ。
ただ、今日は『貴女』に目覚めてもらうための準備をしにきたのみのこと』
それを聞いて、今まで理性で押さえつけていた恐怖が一気に膨れ上がった。
この青年がなにもせずに帰るわけがない。
あの時だって、和火を殺そうとしていたのだ!
「う、うそっ!」
『嘘ではない
支度はせねばならぬから』
「と、豆腐頭のコスプレストーカーのくせに!!」
『……こすぷれすとーかー……??』
「あなたなんか、もみくちゃにされて、
サラダかコロッケになればいいのよ!!!!」
『……』
撫子の言っていることを必死に理解しようとしたようだが、
白夜には理解できなかったようだ。
しばらくの間、白夜の声が聞こえなくなった。
『……なにか私の言葉が気に障ったのなら詫びよう』
ただパニックになっただけなのだが、
白夜はとりあえず撫子が怒っていると受け取ったようだ。
一方、撫子は、姿の見えない相手に対して、言霊は効くのか、と真剣に考えていた。
どういう言霊を『話せ』ば、白夜をおからにできるのかと。
『おからにな~れ♪』
…いや、単純すぎる。
ここは、倒置法を使って力強く。
『なれ。おからに』
……なんか違う。
それでは、ここは、おから、という単語を強調してみるべきか。
『OKARA☆』
………だめだ。
これではおからではなく、マッシュポテト化した大豆が出てくるだろう。
撫子は頭を抱えた。
『巫女姫』
そう呼ぶな、と先ほど言ったばかりなのに、
白夜はお構いなしに撫子のことをそう呼んでくる。
怖い。
その慣れてはいけない呼び名に慣れてきている自分が。
『君に、夢を…みせよう』
「ゆ、ゆめ……?」
撫子は、彼の唐突な言葉に眉根をよせた。
『ああ。
美しい、浅葱の夢を。
『貴女』を目覚めさせるための、過去の夢を』
そのとたん、強い感情が体の中で吹き荒れた。
いやだ。
夢なんかみたくない。
過去なんか、知りたくない。
知らないままでいたい。
私が「撫子」でいられなくなってしまう。
『これは…物語。
私の力ではすべてを見せることはかなわぬ。
だから、物語の一片を、過去の欠片を、一晩に一つ、毎夜夢として君にみせよう』
やめて。
みたくない。
知りたくないの。
お願いだから。
そう思っているのに、そう叫びたいのに、声が出ない。
体からゆっくりと、だが確実に力が抜けていく。
『まず手始めに、『貴女』の始まりの物語を語って聞かせよう。
すべての始まり。
『貴女』にとって遠き昔にありしこと。
忘れてしまうほど古き記憶』
ぐにゃりと景色が曲がった。
意識が遠くなっていく。
『君が『楓』だった頃の記憶だよ。
……巫女姫』
今は昔、影水月といふ古き巫女の一族ありけり。
そこに白銀の巫女と謳われし娘ありけり。
名をば楓となむいひける。
この娘のかたちはけうらなること世になく、月のごとき清らかな心をもち、
ひとたび神楽舞へば神をも御心打たれ、涙し、地は潤う。
この娘の操りし言ノ葉は、けうなる青き力を持ちて、
きよらなる銀をもかたを変える。
*今となっては昔のことだが、影水月という古い巫女一族がいた。
その一族には、白銀の巫女と謳われた、まこと美しき巫女姫がいた。
名をカエデという。
彼女は、影水月一族の次女として生まれた。
姉はハルナという娘で、彼女は美しくたぐいまれなる霊力を持って生まれた。
カエデは、影水月の跡取りとなる姉のハルナを影より守るため、分家に入り、
ハルナを守るためのみ使っていい言霊を習得した。
彼女たち姉妹には、幼なじみがいた。
ホムラという宮司の一族の若者だ。
幼き時を長く共に過ごすうちに、
カエデはホムラに淡い想いを抱くようになっていた。
しかし、カエデが分家に入ると同時に、姉のハルナとホムラは婚約した。
姉には、容貌も霊力も人望もホムラに対する想いも、なにもかも勝てないのだと
自分自身に絶望するカエデ。
そんな中、ある日、影水月に敵対する武力派の神社から、巫女をよこせと言い渡された。
ハルナを渡せば、影水月は衰退するし、断れば襲われて滅ぶ。
影水月を救うため、カエデはハルナの身代わりとして
敵対する神社に単身で渡っていった。
そこには、かつてカエデを救ったヒタギという見目麗しい忍びの青年がいた。
最初は警戒していたカエデだが、ヒタギの優しさや人柄に触れていくうちに
どんどん彼に惹かれ、敵対する者だと知っていながら、
知らぬ間にヒタギに恋い焦がれるようになった。
そんなある日、幼なじみのホムラがカエデを救いにやってきた。
だが、カエデはヒタギと共にいたい、という想いを自覚し、ホムラに別れを告げる。
様々なすれちがいや困難を経て、最終的には、カエデはヒタギと結ばれる。
……何故目を潤ませているのかな巫女姫…??
…………か、感動した…?
よかったねカエデ…って…?
お、お幸せに……?
いや、あの…これは、君の先祖の物語だよ巫女姫。
……巫女姫って呼ばないでこのまっしゅ…?
まっしゅとは…いかような物?
まあ、いい。
実際に、君には過去の欠片を見せよう。
ほら、そんな物騒な人を視線で殺しそうな顔などしてはならぬよ。
眠るといい巫女姫。
夢を見るのだから。
絹ごしの滑らかボイスが消えた途端、ふわりと視界が緑に染まった。
立ち並ぶ木々。
柔らかな木漏れ日。
どうやら今、森の中にいるようだ。
周りの景色があまりにもリアルで、撫子はしばしの間見とれた。
白夜の術によるものだろう。
辺りをきょろきょろ見渡していた撫子だが、不意にその動きが止まった。
僅かにだが、枯葉を踏みしめる足音が聞こえた。
撫子の顔色が変わった。
しこも、こっちにだんだん近づいてきている!!
相手の気配の消し方がうますぎて、かなり近づかれるまで気づけなかったのだ。
隠れる間もなく、相手が姿を現した。
銀髪の少女を抱えて駆ける、一人の若者だった。
彼は、すぐそばに立っている撫子には目もくれず、突然立ち止まると、
そっと少女を地面に立たせた。
どうやら、向こうからは撫子の姿は見えないらしい。
白夜の特殊な術の効果だろう。
しかし、撫子が驚いたのはそこではない。
婚礼衣装のような豪奢な着物をまとっている、銀髪の少女の容貌に、
撫子は声をあげそうになるのを必死にこらえていた。
あまりにも似ていた。
自分に。
撫子は食い入るようにその少女を見つめた。
鼻や唇などの顔のパーツだけでなく、
あの青い瞳や銀とも灰色ともつかぬ髪色までそっくりだ。
雰囲気もどことなく自分に似ている。
奇妙な懐かしさが胸に生まれた。
彼女が、白夜の言っていた、自分の、水無月撫子の先祖に違いない、
と撫子は直感的に悟った。
だけど、彼女の方がずっと美しかった。
いや、美しいという言葉だけでは終わらせたくないほど、彼女の方がきれいだった。
まるで、儚くも凄絶で清らかな光を放つ、月の女神のように。
ああ、そうか。
彼女は、『恋』をしているのだ。
さっき、白夜が語ってくれたではないか。
たしかヒタギとかいう青年に、彼女は全身全霊で恋をしているのだ。
哀しいことや苦しいことや恋しいことをたくさん乗り越えると、
ああまで美しくなるのか、と自然にため息が漏れた。
白夜は過去を見せると言っていた。
2人の姿をもう一度見つめた。
これが…過去?
…そう。そうだ。
これは、過去だ。
遠き昔に実際にあったことだ。
ああ、そうか。
撫子はもう一度悟った。
なんで、過去だ、と思ったのはわからない。
でも、それは事実だ。
これは過去の出来事だ。
何故か悟ってしまったからわかったのだ。
自分は、撫子という娘は、あの楓という娘の生まれ変わりなのだと、
魂と霊力が気づいてしまったから。