3章 油揚げの瞳とふのほっぺ
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*私の髪は長い。
その長さのせいで、あろうことか、あなたの制服のボタンに絡まってしまった。
あわてて謝ったけど、あなたは何も言わない。
黙って、そっと絡まった私の髪に触れると、それを丁寧にほどき始めた。
最初はどうしたらいいのかわからなかった。
でも、いつのまにか、見とれていた。
夕日に照らされていた静かな瞳に。
優しく髪をほどいてくれる長い指に。
そんなことあるわけない、ってわかっているのに、触れられている髪から
あなたの体温が伝わってくる気がして、どうしようもなくどきどきした。
ただの放課後が、夢か幻のように思えた。
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*撫子は、ふわりと意識が戻るのを感じた。
いままであったことを順番にゆっくりと思いだしていく。
ハッと目を見開くと、真っ先に木造の天井が見えた。
体を包むのはシンプルな白いふとん。
それほど大きくはない部屋に撫子は寝かされていた。
その時、静かに部屋のスライド式の木製の扉が開いた。
戸を開けた者と目が合う。
あの金の目をした若者だ。
彼は後ろ手に戸を閉めると、こちらに近づいてきた。
撫子はそれを見て、ふらつく体をあわてて布団から起こした。
「あ、あの、えっと、っておふあっ…!?」
いきなり若者は撫子の頭をわしづかみにすると、
ぐいっと元のように彼女を寝かせた。
枕に激突するかと思ったが、背中に素早く回されたたくましい腕が差し込まれ、
気づけば元のように布団に横になっていた。
「あ、あの…」
「話なら寝たままでもできるだろ。
いいか。
起きんじゃねえぞ。
いちいち寝かせんのもめんどくせえ…」
…一応、遠回しに撫子の体調を心配してくれたようだ。
問答無用で頭をわしづかみされ、押し倒され、
眉間にしわを寄せながらめんどくせえ、と吐き捨てられたが。
「あ、あの…助けてくれてありがとうございました。
それで…その…」
和火の安否を尋ねようとした唇は途中で止まった。
彼のことをなんと呼んで尋ねたらいいのだろう。
私の友達は大丈夫ですか?だろうか。
和火とすごく微妙な関係なのだということを感じる。
彼のことを友達と呼んでいいのかすらわからないのだから。
「あの男のことか?
あれは、別の場所で寝かせてある。
女と同室で寝かせるほど無作法じゃねえよ」
……彼とは、一晩共に過ごしてしまったのだが。
「あの…体は大丈夫ですか…?」
「ああ。
熱があって、ずっと目を覚まさねえらしいが…」
「あ、そうじゃなくて、あなたの体。
大丈夫ですか?
ひどい怪我とかしていませんか…?」
若者は一瞬面喰ったような顔をした。
だが、すぐにその眉間にしわがよる。
「…別に。
怪我なんかしねえよ、あの程度の術で。
あんなもの、動きを止める一時的な術だ」
「そう、ですか…」
ほっと安堵の息を吐いたところで妙な違和感を感じた。
人間の目や髪の色は霊力にあてられると、色が変わる。
目の前にいる若者の鮮やかな、人間離れしている金色の目を見つめた。
「…んだよ」
「あの…霊力って、何か知ってます…?」
「は?
…おまえ、おれを馬鹿にしてんのか…?」
「し、してません、してません!!」
「んなもん、霊力なんて知る知らねえもなく常識だろうが」
…なるほど。
この世界では、霊力という存在が常識らしい。
撫子が元いた世界と違って。
やはり、異世界に時空間移動してしまったに違いない。
「あの…和火に、私の友達に、会いに行ってはいけないでしょうか…」
若者の顔を見上げてみると、彼は眉間にしわを寄せたまま黙った。
なにか気に障るようなことを言っただろうか、と思っていると
彼はぼそりとつぶやいた。
「…話せ」
「…え?」
「おまえの出自、霊的能力、どうしてここにきたのか、あと、あの男の能力についても話せ。
知っていることは全部だ。
なら、連れて行かなくもない」
鋭い刃のような瞳だった。
隠すことをよしとしない、獣の瞳。
「おまえの力、少ししか見てねえが、あの強き言ノ葉の力、
今じゃ珍しい御言葉使いの力だ。
それにあの男の力はもっとわけがわからねえ。
霊力を持たねえくせして、あの白夜の三重結界をたやすく破った。
そんな妙な力をもつおまえらが連れだって歩き回っているだけでも変だし、
おまえらがまとっていた衣も、あまりにもおれらのものと違いすぎる」
はっとして自分が今身に着けているものを見ると、
見慣れない白い小袖を二重に着せられていた。
ここではこのような着物のような服を着るのが一般的なのだろう。
この着物が普段着なら、撫子たちの学校の制服は相当奇異に映るに違いない。
制服だけでなく、リュックもチェックされただろう。
彼はそれらをみて、撫子たちは自分とは異なる存在だと認識したに違いない。
「まきこまれてやる。
一時的にだがかくまってもやる。
だから、話せ。
話してくれねえとなにもわからねえし、
おれにはおまえの面倒を見る者として知る権利がある」
実に正当な理由だ。
だが、ここにいてもいいのだろうか。
あの白夜とかいう青年によって、この若者が傷つくかもしれない。
そんな撫子の思いとは裏腹に、若者は彼女の枕元にあぐらをかいて座った。
もう、撫子の話を聞く気満々である。
撫子は、覚悟を決めて、これまでにあったことを彼に話し始めた。
*「…なるほどな。
異界から来たまれびと、ってやつか…」
全部話し終えると、若者はあごに手をあてて考えるそぶりをした。
やがて、金色の…あぶらあげのような色をした目がこちらを見た。
…おなかがすくとなんでもかんでも食べ物に見えてしまう。
「だが、あの男の力は、わからねえ…と」
「はい。
…本当に偶然巻き込んでしまっただけなので」
そう。
和火のことはほとんど何も知らない。
何も知らないはずなのに……彼のことを考えると、
胸が奇妙な懐かしさで満たされる。
まるでずっと昔から彼のことを知ったいたかのような。
「信じてくれますか…?
私の話…」
時空間移動、なんていう非現実的なことを信じろというのも
無茶な願いかもしれない。
おそるおそるたずねると、若者はまた眉間にしわを寄せた。
「何で信じねえんだよ。
信じるだろ普通。
今更、おまえが嘘をついてもおまえ自身に何の得もねえしな」
「は、い」
ものすごくぶっきらぼうかつ遠回しに、撫子の言うことを信じると言ってくれた。
嬉しい。
人を信じるにはとてもエネルギーを使うのだから。
「…よし、行くぞ。
……立てるか?」
とっさになんのことを言われたのか分からず、撫子はきょとんとした。
すぐに先ほどの和火に会いに行く約束だと悟り、あわてて立ち上がろうとする。
「は、はい!
大丈夫でおぶっっ!?」
体にうまく力が入らず、顔面を思いっきり床にうちつけた。
…霊力も体力もまだほとんど戻ってきていないらしい。
あまりの痛みに声も出ない。
「お、おい…大丈夫かよ。
やっぱ、やめとくか…?」
「い、いえ!
大丈夫れす!
行きます行きます!!」
大丈夫れす、大丈夫れす、と全然大丈夫じゃない口調で言いながら、
撫子はよろよろ立ち上がった。
巫女たる者、一度くらいの顔面クラッシュで泣いてはならん!と
目じりの涙を引っ込めた。
眉間にしわを寄せながらも、
ゆっくりとしか歩けない撫子を待ってくれている若者を見る。
彼には聞きたいことがたくさんある。
だがまずは、和火の無事を自分の目で確かめたかった。
*案内されたのは、別の家。
どうやら先ほどの家には、この若者は一人で暮らしているようだ。
わらぶきの屋根に土壁や木材がむきだしになった家をみて、
ここが現代日本ではないのだと強く感じる。
また、ただのコンクリートのビル見られる日はちゃんと来るのだろうか。
「おまえとあの男を引き離したのには理由がある」
撫子の前に立つ若者が、突然そう言った。
「おまえとあの男が協力して、
おれたちのことを殺そうとしたりするかもしれないってことで、引き離した。
念のため。
で、言霊をおまえに使われても、おれなら多少術を使って応戦できるし、
なにより純粋な力はおれの方が強い。
おまえに殺されそうになっても、おれなら返り討ちにできる。
だから、おまえの面倒はおれが見ることになった」
そう言われた撫子はまばたきを繰り返した。
撫子に言わなくてもいい、
どうして彼が撫子の面倒を見ているかの理由を言ってくれた。
でも、そこまで言ってくれたということは、少しだけなら信用する、と
無言で言ってくれたようなものだ。
撫子は微笑んだ。
ただ純粋にうれしかった。
「…慧お兄ちゃん…?」
撫子たちが立っている家の中から、声と共に一人の少女が現れた。
緋色の瞳が美しい、長い髪にふっくらとした白い肌が印象的な、
撫子と歳の近そうな女の子だ。
「…茜。
元気か?」
対するどうやら「慧」という名前らしい若者は、
「茜」と呼んだ少女を見て少し表情を柔らかくした。
兄妹…だろうか。
それにしては二人の顔立ちはあまり似ていない気がする。
「うん。
お兄ちゃん。
…この方は…?」
透き通った緋色の瞳が撫子に向けられる。
撫子は知らず知らずのうちに少し緊張した。
「こいつは、おれが言っていた、まれびとだ。
おまえが面倒をみている男のつれらしい。
そのつれに、会いたいんだとよ」
「そう、そうなの…」
茜の視線が撫子の体をぐるりと一周した。
そして、彼女は慧に向き直った。
「慧お兄ちゃん」
「なんだよ」
「お兄ちゃんのばかああああああああああああああああああああああああっっっ」
茜による右回し蹴りが慧の腹に炸裂し、彼は受け身も取れずに数メートル華麗に吹っ飛んだ。
撫子はただただ唖然としているしかない。
「ばかばかばか!!
なにこんなかわいい女の子を夜着のまま連れ出してるのよ!!
ほんっとありえない!!」
「………」
「少しは女の子の気持ちを考えてよね!!
女の子にとって、夜着のまま歩くっていうのは、下着のまま歩くのと同じなんだから!!」
「………………」
慧からの返事はない。
あまりの衝撃に声も出ないのかもしれない。
鼻息荒く言いたいことを言い終えると、彼女はくるりと撫子の方を向いた。
彼女のこの細い体から、一体どうやって慧を蹴り飛ばせるほどの力がでるのだろう。
「撫子…って呼んでいいかな?」
「は、はい…!
でもどこで私の名前を…?」
茜はふわりと笑った。
「あの人、ずーっとうわごとで、なでしこー、なでしこー、
ってぶつぶつ言ってたから。
よっぽど撫子が大事なのね~」
あの人、というのは和火のことのようだ。
なんだか、恥ずかしくて撫子は彼女から少し目をそらした。
「照れちゃって、かわいーの。
私は茜。
茜って呼んでね。
敬語もなにもなしよ。
歳近そうだしね」
「う、うん。
和火の面倒をみてくれて、本当にありがとう」
「いいのいいの!
それよりお兄ちゃんはほっといて、早く家の中に入ろう?」
いいのだろうかと思いつつ、茜に背中を押され、
慧を外にほったらかしたまま家の中に入る。
「そっか…あの人…和火っていうんだね…」
家中を案内してくれる茜が不意にぽつりとつぶやく。
なんだかその憂いを帯びた表情に、心がざわついてしかたなかった。
*少し薄暗い家の中へと案内される。
通路はなく、大きな囲炉裏を中央に置いた居間がある。
そこから複数の部屋や倉庫に分かれているようだ。
茜は迷いなく一つの戸を開けて中へ入り、撫子にも入るように促した。
「かず…ひ…」
確かに和火が寝かされていた。
温かそうな毛布もきちんと掛けられている。
なんだか理由もないのに泣きそうになった。
「ここに運ばれてきた時からずっと熱があって、一度も目を覚まさないの。
でも、今はだいぶ落ち着いてきているわ」
「うん…」
撫子は、和火の枕元にそっとしゃがみこんだ。
目は固く閉ざされている。
だけど呼吸は穏やかで、顔色は少しいつもより赤いのが気になるくらいだ。
大丈夫。
きっと大丈夫。
きっとそのうち目を覚まして、また、ばかなめこ、って呼んでくれる。
そう一生懸命言い聞かせる。
他の誰でもなく自分に。
そうしないと、人目もはばからず大声で泣き叫んでしまいそうだ。
「面会はすんだかよ」
慧が痛そうにおなかをさすりながら部屋に入ってきた。
特に茜に怒らないところを見ると、どうやらああいうことは日常茶飯事らしい。
撫子は、あることを決意して、慧と茜に向き直った。
「お願いがあります」
突然の撫子の申し出に二人はきょとんとした表情を浮かべた。
撫子はきちんと正座をして床に手をつくと
額を床に押し付けるようにして二人に頭を下げた。
「どうか、しばらくの間、和火と私をここにおいてくれないでしょうか」
返事はなく、沈黙のみがその場に広がる。
撫子は焦って顔を上げた。
「あの!
私なんでもします!!
洗濯でもお掃除でも庭の雑草取りでもなんでもします!!
言霊を使った結界でこの村を守ることもできます!!
だから……っ」
茜が無言でこちらに近寄ってきて、撫子の目の前にしゃがみこんだ。
次の瞬間、ばちん、という音と共に、目の前に星がとんだ。
茜が両手で撫子の頬を軽くたたいたらしい。
「あたりまえでしょ!!
なにそんなことお願いしてるのよ!!
私たちが撫子たちを追い出すような人に見えるの!?」
「…おまえは見える」
「お兄ちゃんは黙ってて!!」
「……」
撫子はまばたきを繰り返した。
「ここに、おいてもらえるの…?」
「だからー、あたりまえだってば!!」
撫子は、しばらくの間ほうけていたが、やがて小さな笑みを浮かべた。
「ありがとう。
茜。慧さん」
「なあ」
唐突に慧が声をかけてきた。
撫子は目をしばたかせて彼を見た。
「はい」
「…なんで茜は呼び捨てで、おれは『慧さん』なんだよ」
撫子は言われた意味が分からず、ゆっくりとまばたきをくりかえした。
彼のことを慧さん、と呼んでいるのは、彼が命の恩人であり、
撫子よりも少しだけ年上のように見えるからだ。
首をわずかに傾けて考えていると、茜がはじけるような笑い声をあげた。
「慧お兄ちゃんはね、撫子に呼び捨てで呼んでほしいんだって」
「え、っえええ!?」
見れば慧は反論することもなく、そっぽを向いている。
否定しない、ということは呼んでほしいということだろうか。
撫子は少しだけためらったあと、そっと彼の名前を唇に乗せてみた。
「け、慧…」
「………」
返事はない。
だがわずかに彼の頬に朱がさしているように見えるのは、差し込む夕日の光のせいだろうか。
「あはは!
お兄ちゃんが照れてるの久しぶりに見た!」
「う、うるせえ、茜!!
ちっ。
…おまえも、さっさと帰るぞ」
盛大に舌打ちしながら、慧は撫子にちらりと視線を投げかけた。
対する撫子はきょとんとしていた。
「え、帰るって…」
「ねぼけてんのかおまえ。
おれの家に帰るに決まってんだろうが」
たっぷりとした沈黙が落ちた。
「き、着替えは…?」
「茜の着物をいくつか玄関にまとめといた」
「寝る場所は…?」
「心配しなくても、部屋ならいくつかある」
「お、お風呂は……?」
「だっ、だれがおまえと一緒に入るかよ!!」
「…お兄ちゃん。
別に撫子は、お風呂一緒に入ろう、なんて言ってない」
「うるせえぞ茜!
とにかく、おまえはこれからおれの家で面倒見る。
つーか、さっき言ったよな?
おれがおまえの面倒をみるって」
「それは、さっきだけで、これからは茜の家でおじゃまになるのかと…」
「ちっ。
…まあいい。
用も済んだし、さっさと帰るぞ」
また舌打ちまでされたが、彼は撫子が立ち上がるのを待っている。
撫子は、もう一度だけ和火に視線をやると、ゆっくり立ち上がった。
登場人物紹介 その2
*白夜
白髪に紅い瞳をもつ、雅やかで人形のような完璧な美貌を持つ青年。
撫子曰く、豆腐のような男の人。
(声が絹ごし豆腐並みに滑らかで白髪だから)
時空間移動してきたばかりの撫子たちに接触し、彼女をさらおうとする。
撫子の何かを知っているようだが…?
…撫子にとっては、現在消息不明の妙な術を使う若白髪のストーカー兼不審者。
*慧
油揚げのような金色の瞳を持つ若者。
ぶっきらぼうで口は悪いが、面倒見のいいただのツンデレ。
赤ん坊の時、獣の一族とよばれる自分の一族によって森に捨てられていたのを
現在暮らしている村の住人に拾ってもらった。
体術、霊的な術のどちらにも優れている。
撫子の面倒をみることとなる。
(自分の家で撫子と二人っきりで暮らすことになっている)
*茜
慧の妹。
だが慧は捨て子なので、血はつながっていない。
明るくはつらつとした少女。
村の掟に従って、現在は成人した慧とは別々に暮らしているが、
それでも毎日会いに行くほど仲がいい。
和火の面倒をみている。(和火を家に住まわせ、看病している)
撫子によると『ふ』のような真っ白でふんわりしたほっぺたの持ち主らしい…。