夢 ~セナの記憶~
*撫子は何度も瞬きを繰り返した。
だが、目の前の超ド級の美少女は消えない。
おかしい。
たしか、さっきまで白夜の魂が元の世界に帰っていくのを
見送っていたはずなのに……。
撫子は少女―――ハルナの背後を見た。
どこまでも続く浅葱色の空間。
だんだんここにも慣れてきた。
「ハルナさん。
もしかしなくても、ここって夢の中ですか……?」
「そうじゃな」
ハルナは空中で胡坐をかきながら偉そうにうなずき、ふよふよと浮いている。
神様は空中浮遊の能力もあるらしい。
撫子は黙って今まであったことを頭の中で整理していた。
そして、次の瞬間立ち上がると全力で目の前にあるハルナの足を掴みにかかった。
「な、ななな何をするっ!?」
「ハルナさん!!
和火とか慧とかは無事!?
村の皆は!?
白夜さんとセナさんも無事に帰れた!?」
「ぬ、ぬぉぉおおお!?
どこを触っておるのじゃ!!??
離さぬか!!
万事うまくいった!!
だから離せ!!」
「ほっほんと!?」
「まことじゃ!!
離せ!!」
ハルナは足が弱いらしく、想いきり蹴ってきた。
その勢いを殺せず、すとんとその場にしりもちをつく。
ただ勢いを殺せなかっただけでなく、安堵のあまり体から力が抜けたのだ。
「まことふしだらな!!
わっわらわの足にみだりに触れるなど!!」
まだハルナが何かを叫んでいるが頭に入ってこない。
終わった。
そのことが頭の中を埋め尽くし、
達成感のような安堵のようなよくわからない温かいものが胸を満たす。
ゆるく息がこぼれた。
全部、終わったのだ。
一通り叫んだあと、ハルナはげっそりとした顔でこちらに降りてきた。
目線の高さを合わせるためだろう。
「……礼を、言う」
急にあらたまった様子で、なんと、あのハルナが頭を下げたのだ!!
しかも礼まで言っている!!
撫子は奇怪なものを見るようにハルナを見やった。
それを気にも留めないで、ハルナはさらに言葉をつむぐ。
「わらわでは、どうしようもできなかった。
そなたが我らが一族のこじれをほどいてくれた。
夢に囚われたホムラの子孫を救ってくれた。
……深く感謝する」
「私は……」
「何と言おうとそなたの手柄じゃ。
礼として、なんでも質問に答えてやろう。
聞くがよい」
……お礼をしようとしているのはたしかにハルナの方なのに、
どうしてあんなにも偉そうなのだろう。
ひとつ息を吐くと、撫子は静かにハルナの目を見返した。
「なら、いくつか聞きたいことがあります」
「なんじゃ」
「セナさん達は……どうなったんですか」
ハルナはきょとんとした。
黙っていればめちゃくちゃ美人なのに……と
どこか残念な気持ちになってしまうのはいたしかたあるまい。
撫子が見ている中、
彼女の顔は驚きから徐々に苦虫を噛み潰したようなものへと変わった。
……なんなのだ、この顔は。
「……あのような、者どもなど……」
「な、なんですかその反応!?
どうなったんですか!?
幸せになれましたか!?」
撫子が必死に聞いているというのに、ハルナは今にも舌打ちをしそうな顔だ。
何故にそんなにすさんだ顔をしているのか。
「……覗かせてやるから、少し静かにしろ」
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セナの記憶
*しっかりと私を抱きしめてくれる腕を感じて、
私は重い瞼をなんとかこじ開けようとする。
その瞬間こめかみのあたりに鈍い痛みが走り、小さくうめいた。
「……姫様……!?」
押し殺されたタスクの声と、顔を覗き込まれたような気配。
痛みをこらえてそっとめを開けると暗闇の中ぼんやりとタスクの顔が見えた。
ここはどこだろう。
たしか、先程白夜様の術からタスクをかばって……。
なんか、夢をみたような気がする。
どこか遠い異界の地に……。
記憶がとぎれとぎれな上におぼろげで、あまりうまく思い出せない。
いや、もうそんなことはいい。
タスクがここにいる。
それだけで体中の力が抜け、唇から安堵の息が漏れる。
「タスク、大丈夫……?
怪我とか、してない……?」
ぴくり、とタスクの眉が動いた。
タスクは顔をわずかに強張らせた後、
私を地面にそっと、だがすばやく降ろそうとした。
まるで私に触れるのが恐ろしくてたまらないかのように。
「……けがなど――――――」
タスクの言葉は途中で途切れた。
私が咄嗟にタスクの衣を私がぎゅっと掴んだからだ。
タスクはしばらく私の衣を掴む手を凝視した後、
それでもぎこちない動きで私を地面に降ろした。
でも、私は衣を握ったまま手を離さなかった。
タスクを困らせてしまうと、承知の上でだ。
そのまつげが何かを堪えるように震えた。
すぐに引き離されるかと思ってどきどきしたが、タスクは私に衣を掴まれたまま
しばらく黙って目を伏せていた。
地に膝をついたままの中途半端な姿勢のままタスクはぽつりとつぶやいた。
「……なぜあのような……無謀な真似をなさったのですか」
感情が押し殺された声だった。
とっさに”無謀な真似”の意味が分からず瞬きを繰り返した。
「おれなんかを……かばったことです」
何故そんなことを聞いてくるのだろう。
今度は別の意味で瞬きを繰り返した。
当然のことだ。
……好きな人、なのだから。
思わず衝動的にそう口走りそうになり、とっさに唇をかみしめた。
さっきまで抱き上げてくれていたタスクの手が、
私の肩と膝の後ろから離れていくのを見たからだ。
もう、この手が私を救うために伸ばされることなんて二度とないのかもしれない。
一瞬でも忘れてしまっていたのだろう。
タスクには愛らしい婚約者が、蝶姫がいるじゃないか。
タスクは優しい。
優しいから、私が想いを告げなどしたら私を傷つけまいと気を使うだろうし、
なにより彼の幸せを邪魔してしまう。
タスクは幸せにならないといけない人だ。
幸せにしたい。
たとえその隣にいるのが私じゃなくても。
「タスクが……私の大切な人だからだよ」
だから、限りなく真実に近いことを言った。
タスクはそれを聞いて唇を歪めるようにして嗤った。
「貴女の……大切な人、となるくらいなら、赤の他人の方がどれほど救われたか」
その言葉に私は傷ついた。
おまえなどに特別な感情は一切抱いていないのだと
言外に告げられたような気がした。
それでも私はなんとか笑みを浮かべた。
「私は、それでもタスクが大切だし……もしまた同じことが起こったら、
何度でも助けに行くよ」
「姫様」
強く肩を掴まれ、ぐい、と背後の硬い何かに押し付けられた。
壁なのかもしれない。
タスクがこんな風に強引に触れてくることなんてめったになかったから、
私は驚いて動けなくなってしまった。
タスクの緑の瞳が近い。
その目の奥には、様々な感情と見たことのない焔が渦巻いていた。
タスクはまた嗤った。
「姫様。
おれは、貴女が思うような男じゃない。
おれは優しくなどないし、強くもない。
そう見せるようしているだけで、本当は貪欲で狭量で弱い男です」
「そんなことない!!
タスクは、いつだって私を守って……!!」
「いいえ。
おれがただの親切心だけでいつまでも貴女を守っているとでも思いましたか。
……そんなことはない。
おれは、あなたの”大切な人”という栄誉ある立場を頂いているにもかかわらず
まだ……それ以上を望むあさましい男なのです
おれがあなたを守り続けたのも……ただの親切心なんかじゃない」
ただの親切心じゃない……?
わけがわからなかった。
どうしてタスクがこんなことを言うのか。
どうしてこんなに苦しそうな表情なのか。
それ以上を、望む……?
「姫様は、ご存じないのです。
おれが……どんなに卑しいことを考えているのか」
「タスクはそんな人じゃないよ!!
だから……そういう人だから、私はタスクを助けようと……」
「だからおれに貴女の死にざまを見せようというのか!!」
至近距離で怒鳴られ私は目を見開いた。
ようやく、タスクが怒っていて……悲しんでいるのだけはわかった。
「貴女がおれの前に飛び出したとき、おれがどんな思いをしたと!!」
やっと気付いた。
タスクを助けようと彼をかばったあの時。
タスクは私が……死んでしまうかもしれないと思ったんだ。
「あの時ほど己の無力さを呪ったことはない!!
貴女とて、一度はおれの手を振り払った。
おまえなどいらぬと突き放した。
だというのに、何故戻ってきた!!
何故、手を差し伸べようとするんだ!!」
途中から丁寧語が全部抜けていて、素のタスクがむき出しになった気がした。
それくらい、強い感情にタスクは支配されていた。
「いらぬのならばいらぬと最後まで突き放せばいい!!
死ぬのなら死ねと見放せばいい!!
なのに、貴女がその場限りの憐れみなどを見せるからおれは……おれは……!!」
「ごめん、なさい……」
私は謝ることしかできなかった。
深い怒りと悲しみに支配されているタスクに
他になんて言ったらいいのかわからなかった。
「違う、謝るな!!」
「ごめんなさい……」
「だから、謝るなと!!」
私の肩を掴む手にさらに力がこもる。
骨がきしむほどに。
少し顔を歪めて痛みをやりすごす。
タスクはこれよりももっと痛い思いをしたに違いないのだから。
「姫様」
とても近い距離から瞳を覗き込まれる。
痛みをこらえるように寄せられた眉根。
タスクは笑った。
とても悲しそうな目をして。
「おれを、殺してください」
私は耳を疑った。
何を言っているの!!といおうとしてやめる。
タスクの目を見てしまったから。
こんな目見たことがない。
その思惑を悟る。
タスクは、本気で殺せと言っているのだ。
手から力が抜け、少ししわになったタスクの衣から指が離れた。
タスクはすらりと腰の刀を抜いた。
いつだって私を守り続けていた刀。
その刃が月光を浴びて輝いている。
「他の人間に殺されるなどごめんだが、おれは貴女になら殺されたい」
私の騎士が、死を望んでいる。
震える私の手にタスクが自分の刀を握らせる。
とてつもなく重い刀だった。
「さあ、一思いにどうぞ」
タスクは何かが吹っ切れたような笑みを浮かべ、目を閉じた。
私は息を吸い込んで覚悟を決めた。
ぎゅっと目をとじる。
手に力をこめ、そして――――――
「……何をなさっているのですか」
おそるおそる目を開けると、タスクが温度のない目でこちらを見ていた。
私の――――――自分に向かって突き立てようとした刀が、
タスクの手によって止められていた。
しかもタスクは咄嗟に目を開け刀を止めたため刃の部分を掴んでいる。
見る間にタスクの手に巻かれている包帯に紅が滲み始めた。
「何やってるのタスク!!」
「何をやっているのか、はこちらが言いたい!!
貴女は死ぬおつもりか!?
殺せといったのはおれであろうに!!」
あたりまえだ。
どうしてタスクを殺せようか。
それなら……自分が死んだ方がマシだ。
目の端に広がっていく紅が映り、その手にとびつく。
「タスク、血!!
血が出て……!!」
「おれの身などどうでもいい」
「どうでもよくない!!」
「何故だ!!」
タスクが我慢できないように強い声で言った。
その目がかつてないほど揺らいでいた。
「おれなどいらぬのでしょう。
あの日だって、貴女はすげなくおれを追い払った。
突き放したではないか!!」
タスクは刀を放り捨ててまた私の肩を強く掴んだ。
あんなに大事にしていた家宝の刀なのに。
「おれには殺す価値すらありませんか」
すがるような目。
私は、もう我慢できなくなった。
また、タスクの衣を掴んで引き寄せる。
「タスク、好き」
ぽろっと涙が目尻から転がり落ちた。
それ以上泣き顔を見せられなくてタスクの胸に顔をうずめる。
言ってしまった。
言う気などなかったはずなのに。
この思いがむくわれぬのはわかっている。
でも、我慢できない程に、この人が好きだ。
初めて見せてくれた素の部分とか弱い所とかを見て、強くそう思った。
タスクが完全に蝶姫のものとなる前に伝えられてよかった。
もうこれで全部、終わりだ。
タスクは身をこわばらせたまま、黙っていた。
あんまりにも沈黙が続くと心が哀しみで重くなる。
口もききたくない程に私に怒っているのだろうか。
憎んでいるのかもしれない。
「……そのような格好で男に抱きつくのはいかがなものかと」
声まで硬くなっていた。
遠まわしに、触れるな、と言っているのだろうか。
それでも懸命に上を向くと私は笑おうとした。
タスクの表情が暗くてよく見えない。
上手く笑えずに泣き笑いのような表情になってしまった。
「はしたない私は……嫌い……?」
「…………………………」
なんだかものすごく視線を感じる。
闇の中目をこらすと、
どうやらタスクはわずかな月明かりに照らされた私の顔を凝視しているようだった。
そしてすぐに。
ぐ
ぐぐぐ
ぐぐぐぐぐぐぐぐぐぐ
「……何故、姫様はおれの顔を手でおしのけようとなさるのでしょうか」
「たっ、タスクが顔を近づけすぎるから!!」
何故か唇が触れそうなほど顔を近づけてくるタスクの頬を
必死にぐぐぐぐぐと押し返す。
このままでは、唇同士がくっついてしまう。
「おれは悪くない。
これは、誰がどう見てもおれは悪くない。
姫様が悪いです」
「私、なにかした!?」
「ええ、それはもう、おれの理性を粉々に打ち砕いてくださいました」
そう言うと、タスクは私の肩にぐりぐりと額をこすり付けた。
禁欲的なタスクがこんな風に甘えるようなしぐさをするのは初めてだったから
いやでもどきどきしてしまう。
時々、どうして貴女はそうなんだ、と私を呪うような声も小さく聞こえる。
「タスク、大丈夫……?」
「全然これっぽっちも大丈夫ではございません」
即答された。
私は私で肩にタスクの体温を感じて、どきどきして、頬が熱くてたまらないのだが。
「……決めました」
タスクの中の内なる戦いが終わったらしく、タスクは私の肩から顔を上げた。
何故か腰に腕をまわされ強く引き寄せられる。
体が密着して、タスクの体温を体で感じて、恥ずかしい。
恥ずかしすぎて意識が遠のきそうだ。
「貴女の都合など、もうおれは考えぬようにします」
なんの宣言だと唖然としてしまったが、それよりも恥ずかしさが上回った。
この早すぎる鼓動を聞かれる前に早く離れないと。
「タスク、あの、離れて……」
「嫌です」
またも即答。
タスクに騎士になってもらってから初めて『お願い』を断られた私は、
今度こそぽかんと口を開けた。
初めての反抗期だ。
「おれは離したくなどない」
「は、恥ずかしいから……」
「それがどうかしましたか」
平然と返され、タスクの衣を掴んでいた手がぽろりと離れた。
およそタスクの口から出たとは思えない言葉の数々に私は打ちのめされていた。
「おれは、さんざん貴女に苦しめられ振り回されてきたのですから、
貴女も少しはおれのために苦しんでもよろしいのでは?
……そう言えば、答えていませんでしたね。
おれは、愛らしい姫様も、清らかな姫様も、はしたない姫様も、
どんな姫様でも好きですよ」
衝撃的過ぎる言葉が炸裂しすぎて、私は呆然としていたが、
近付いてきた形の良い唇を、あわやというところでかわした。
耳元でチッと舌打ちの音が聞こえたのは、幻聴としか思えない。
「よいではないですか口づけぐらい」
「よ、よくない!!
タスクにはその程度のことかもしれないけど、わ、私にとっては大事なことで……!!」
「おれは姫様に打ち砕かれた理性の欠片をかき集めて、
それ以上のことをせぬように懸命に我慢しているのです。
くちづけをしてくださらなければ……どうなっても知りませんよ」
「な、なにその脅し!?」
あわてて離れようとしても、腰に回る力強い腕が許さない。
その拍子にタスクの頬を押しのけていた手から力が少し抜けた。
濃密な気配が瞬時に近付き、唇を柔らかくて温かいものが覆った。
頭の奥がどろどろに溶けてしまいそう。
はちみつを口いっぱいに詰め込まれたように甘い。
なにも考えられない。
というか、息ができない!!
むずがるようにして声をあげると、タスクが笑ってゆっくり離れていった。
恥ずかしくて消えてしまいそうだ。
「なっななななななななな!!!!!!!!!」
「愛していますよ。
……おれの姫様」
ぎゅうっと抱きしめられた。
最初は驚いて少しもがいてしまったけど、
タスクがあんまりにも強く強く大切に抱きしめてくれるものだから、
ゆっくりと体から力が抜けた。
顔が熱い。
恥ずかしい。
だけど、耳を押し付けたたくましい胸板から、
私の鼓動と同じくらい高速で脈打つ音が聞こえる。
ああ、そうか。
タスクも私と同じくらいどきどきしてくれているんだ。
そう考えると、どうしようもないくらい強い感情が胸にこみ上げた。
「タスク」
「……なんでしょうか」
「好き」
次の瞬間がばっと体をひきはがされた。
かというと呪詛のような声の調子でタスクが呻いた。
「どうして、貴女はそうまでしておれをかき乱すのか!!
おれにどうしろと!!」
どうしろ!?
私は、タスクになにをしてほしいのだろう。
ああ、そうか。
「……さっきみたいに、ぎゅってしてくれたら、嬉しいなぁ」
下を向いて、照れながらもなんとか口にする。
とても幸せで。
もう夢でも見ているんじゃないかってくらい幸せで、
ずっとこうしていたいと思ったほどだったから。
「申し訳ありません無理です」
……なのに、断られてしまった。
「もう一度貴女をぎゅっとしたら、
おれ、もう自分を律せる自信が砂粒ほどもありません」
「自分を……律する……?」
タスクは何を我慢しているのだろうか。
「なぜとおっしゃるのですか。
何故って……長年ずっと想いつづけていた貴女が、
おれを好いているとおっしゃってくれたのですよ!?
これはタガが外れぬ方がおかしいでしょう!?」
「タガ……??」
「……くそっ。
清らかな貴女も愛らしくてたまらぬが、
今ほど憎らしく質の悪い悪女に見えた日はない……」
タスクがまたも呻くのがおかしくて、私は笑った。
とても、幸せだ。
ああ。
神様。
どうか、私をお許しにならないでください。
私は、運命を捻じ曲げました。
それでも。
この人が、愛しい。
地獄に堕ちても構いません。
だからねがわくば、ずっと、この人の傍に―――――――――――
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