11章 求めたもの 続き
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*気付いたら頬が地面についていた。
小石が肌に食い込んで痛い。
元のこの世界に戻ってきたのだ。
痛みがそう実感させる。
セナの魂は無事に向こうの世界に戻っただろうか。
ハルナを信じるしかない。
手をついてぎこちなく身を起こす。
あたりは闇に包まれている。
そこでようやく気付いた。
自分の周りの地面に描かれている術式がまったく発光していないことに。
顔を上げるとしゃがみこんでこちらをみる白夜と目があった。
「……何をした」
びゅうっと強く夜風が髪を揺らした。
この口調だと、今撫子の体にはセナではなく撫子の魂があるとわかっている。
撫子はまっすぐに白夜の目を見つめた。
「私は、なにも」
闇の中でもよく光る紅い瞳は、やはり血のように紅い。
でも、美しい。
この人も、自分と同じ苦しみを味わってきたのだ。
容姿で差別される苦しみを。
白夜の周囲の者は、この禍々しく美しい容姿に畏怖の念をもったのだろう。
「カゲミツキノミコト様が助けてくれたの」
ぴくっと白夜の眉が動いた。
やはりその名には聞き覚えがあるらしい。
「君は……つくづく運がよいようだ」
ひどく忌々しそうに、白夜は吐き捨てるように言った。
けれど、馬鹿馬鹿しいと笑わなかった。
やはり、カゲミツキノミコトという神は存在し、
さっきの出来事は夢なんかじゃないのだと理解した。
「さて……どうしてくれようか」
それはこちらのセリフだ。
どうすれば、この哀しいくらいに愛に飢えた人を救えるだろうか。
「私、あなたを救うために、帰ってきたよ」
白夜が小首をかしげる。
さらさらとした白髪が肩から滑り落ちる。
「あなたを……もとの世界に帰すために」
その場に張りつめた空気が漂う。
その紅い瞳には温かみが一切ない。
怖い。
怖い。
手が震える。
それを強く握りしめることで、恐怖を何とかやり過ごす。
「そのようなことはさせぬよ」
「やってみせる」
「まこと忌々しき娘だ」
白夜の顔から一切の笑みが剥がれ落ちた。
ぞっとするほど冷たい光がその瞳に宿っている。
「セナと同化させても拒む。
さんざん脅しても、私にくちごたえをする。
その精神を殺しても……あさましくも生にしがみつき、
黄泉がえりをはたすとはな」
すっと白夜が息を吸い込む。
撫子は己の中の霊力を瞬時に練り上げた。
『炎陣――――――』
『拘束』
御言葉使いである撫子の方が少し早く言霊を紡いだ。
この言霊は、身の回りにある術者以外の全ての動きを止める。
白夜も、その式神も、全てだ。
「拘束」の言霊によって体の自由を奪われたことを悟った白夜は、
顔を歪めると、唯一自由な口を動かして、残りの術式を完成させようとした。
「させない……!!」
撫子は、歯を食いしばって立ち上がると、勢いをつけて白夜に突進した。
身動きが取れない白夜は、勢いを殺せず、撫子ごと背から倒れた。
「……ぐっ」
一瞬の事だった。
白夜は、したたかに腰を打ったようで苦しげにうめいているが、
今ので完成しかけた術式は消えた。
陣の外に出たから、撫子も、もうセナに憑依される心配もない。
強く白夜の襟をつかんでその顔を自分の顔に近付けた。
最初はただ恐怖の対象でしかなかった紅い目をまっすぐに見つめる。
「白夜さんは、馬鹿だよ」
「……っ!?」
白夜が少し目を細めて不思議そうな顔をした。
しかし、少しずつ腹が立ってきたらしい。
小娘に押し倒され、そのうえ自分の体の上にのしかかられ、馬鹿と罵られて。
その整った眉が急傾斜を描いていく。
「なにゆえ、君に馬鹿だなどと言われなくてはならぬのか教えて下るか」
「馬鹿だよ。
私も同じだから」
こらえきれない涙が眼の端から溢れて、白夜の頬に落ちた。
ひどく驚いたようにその紅い目が見開かれる。
「私も、この見た目で、白夜さんと同じように、愛されてこなかった」
撫子の一族は、普通の人間の血がたくさん入ったため、
霊的な血がどんどん薄くなっていったのだ。
両親も、黒髪に黒目の一般人だ。
そのふたりの間に生まれた濃い灰色に藍色の瞳をもつ撫子は、
いわゆる先祖がえりと言うモノらしい。
霊力もとうに失われたこの時代、家族からですら畏怖の目を向けられた。
愛されてなどこなかった。
ただの一度も。
娘ではなく、神社の道具としてしか、
今の時代では希少な本物の巫女としてしか見てもらえなかった。
「苦しかったよね……。
私も苦しかったよ。
……自分がまるでこの世から必要とされていないみたいに思えて」
「馬鹿な……」
一瞬呆けていたような白夜だったが、ふいにその目が力を取り戻した。
「馬鹿なことを……!!
その御言葉使いとしての誇るべき容姿を何故……!!」
「私の暮らしていた世界では、黒い髪に黒い瞳があたりまえなの。
だから……差別された。
化物とか言われた。
たくさん、嫌な思いをした。
でも……」
撫子は強く白夜の目を見返した。
恐怖などもうなかった。
「こんな私にも大切な人たちが出来た」
和火。
慧。
茜。
村の皆。
大切なかけがえのない人たち。
「やっと大切な人が出来たの。
……絶対に、傷つけさせたりなんかしない。
私が、この言霊を使って必ず守りぬいてみせる。
……白夜さんにもいるでしょう?」
「……いかようなものが?」
「大切な人」
「そんなもの……」
白夜が視線をそらして笑った。
嘲るように。
ひどくさびしそうに。
「いるよ。
妹さんの蝶姫さん」
「蝶……?」
不思議そうな、純粋な表情を浮かべた後、白夜はまたまなざしをきつくした。
「君に、私の、なにがわかると……!!」
「少しなら、わかるよ。
だって、蝶姫さんの目、紅かったもん」
セナの夢ですこしだけ蝶姫のことも見た。
蝶姫は霊力をもたない。
白夜の紅い瞳は、忌まわしい血の色として忌み嫌われ、敬遠される。
彼女が望めば、深窓の姫君として、
白夜から遠く離れた隔離されたところで暮らせたはずだ。
でも、そうしなかった。
霊力を持たぬ者も、霊力を有する者の近くで暮らさせば
自然と髪や目の色が変化する。
それでも、彼女は逃げなかった。
「蝶姫さんは、目が紅くなっても、白夜さんのそばを離れなかったよね?
それって、他の人に嫌われても、
白夜さんの味方でいたいってことなんじゃないのかな」
「……」
白夜は言葉を失っていた。
「馬鹿な……そんなはずは……」
「そんなことある!!」
ぎゅうっと白夜の衣の衿をさらに強く握りしめる。
まるでそれが最後の希望かのように。
「私だったら、嫌だよ!!
好きな人と一緒でも、他の誰も知らない世界に送られるなんて!!」
きっと蝶姫は、最後まで兄の味方でいようと思ったのだ。
兄の味方という立場をセナに譲り渡して。
「きっと、蝶姫さんも嫌だって絶対思ったはずだよ!!
異世界なんかに行きたくないって!!
でも、でも、白夜さんが大切で!!
ずっと傷ついてきた白夜さんに幸せになってほしくて、だから……!!」
呆然としている白夜。
その目を覗き込めば彼の過去が見える。
母様に甘えたくて伸ばした腕を、その母様に叩き落とされた幼かったあの日。
他の子供たちが遊んでいるのを横目で見ながら、
血のにじむような努力をし、術を会得しようと躍起になった。
しかし、得られたのは燈紗門一族の若神主としての地位と、畏怖の目だけだった。
でも、その隣にはいつも妹がいたのではないか。
いつだって、傍にいて、どんなに嫌な目にあっても離れようとしなくて。
何でもないような顔をして笑うのだ。
『兄君様、大丈夫』と。
あの時だってそうだった。
おまえの恋い慕う男とおまえを異世界に送ろうと思うのだが、と
今思えば最低最悪のことを訊いた時だって蝶は笑っていた。
『兄君様、大丈夫』って。
全てうまくいきますわ。
どうしてあの時、蝶の泣き笑いのような表情に気付けなかったのだろう。
一番大切なものは、ずっと己が欲しかった存在は、ずっと隣にいたんじゃないか。
どうして気づけなかったのだろう。
私は。
私は。
「愛されて、いたのか……?」
かすれた声が白夜の唇からもれた。
撫子は泣きながら何度もうなずいた。
落ちた涙が白夜の目尻に落ち、肌を伝っていく。
まるで白夜が泣いているようだ。
彼は眠るかのように瞼を閉じた。
「ああ、やっと私は……満たされた」
撫子は違和感を感じて自分の手元を見つめ、すぐに白夜の顔を見た。
白夜の体が紅い霧のような光の粒となって少しずつ空気と同化していく。
白夜が死んでしまうのかと思って、思わず衿を掴む手が緩んだが、
すぐに違うと気付いた。
白夜の思いをかなえた。
彼は愛を手に入れた。
愛されていることにやっと気付いた。
彼の未練はなくなり、もうこの世界にいる必要もない。
ふわりと紅い光が花弁のように宙に舞う。
いるべき世界に、魂が帰っていく。
紅い光は、どこか幻想的な蛍の光のように空へと昇っていく。
白夜の襟を離して、彼から立ち退く。
撫子は黙ってその紅いほのかな光を見つめていた。
朝日が昇り始めた。