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2章 豆腐頭のコスプレストーカー 現る

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~~*~*~*~*~*~*~*~



*今日は席替えの日。



私の席は、窓側の席。



後ろから二番目。



とても、日当たりのいい場所。



授業中に寝てしまわないように気を付けないと。



リュックを持ってこの一か月、私のものとなる机に向かう。





声をあげそうになった。



あなたは、私のものとなる机の、ひとつ後ろの席に座っていたのだ。



あなたがこちらを向いた。



紫っぽい瞳に私だけが映る。



私は少しの間、動けなくなった。








下の名前も知らないあなたと席が近い、というだけでどうして鼓動が速くなるのだろう。





~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

*「それで、今、一番の問題なんだけど…」



撫子は、おそるおそるそれを口にした。



「…今晩…どうやって、寝る?」


「……」



返事はない。


和火は無表情だ。


だが、撫子は彼の口の端が、かすかにひきつっているのを見てしまった。



「ごめん…。


 野宿とか…いやだよね…」


「…いや…別に…」


「あ、じゃあ…私と一緒に寝るのがいや…とか…」


「………………………………………………い、や…じゃない…」


「ち、窒息しそうなほど、嫌なの…!?」



とはいえ、それぞれが離れて寝るのは危ない。


森には獣がいる。


固まって寝た方がいい。


どれに、日も暮れてしまったし、安全な場を探すために夜の森を歩き回る方が危険だ。



「今夜は、私が結界を張るから、その中で私と寝てほしいの。


 結界の中なら安全だから。


 あ、でも、そんなに大きなは結界は張れないから、


 できるだけ私とくっついて寝てくれるとうれし―――――――――和火…?」


「………何?」


「顔、真っ青だけど、大丈夫…?」


「別に…っぜぇ…ぜぇ……へ、平気…」


「か、軽く呼吸困難になっているけど!?」


「なあ…」



不意に和火がこちらをひたと見すえてきた。



「おまえの、霊力とやらは、無限にあるわけ?」



撫子は意外な質問に目を丸くした。


霊的なことについて聞かれるとは思っていなかったのだ。


気味悪く思われて、触れられないのかと思っていた。



「う、ううん。


 ない、よ。


 無限じゃない。


 使いすぎると、体力も精神力も削られるし、完全になくなると人は気絶する」


「………今は?」


「さっき、けっこう使っちゃったから、


 今、全力疾走しろって言われても…できないかな」



嘘だ。


本当は、立ち上がれないほど霊力と体力を消耗している。


だけど、和火に余計な心配をさせたくなかった。


和火はしばらく黙ってこちらを見ていたが、やがてぽつりと口を開いた。



「…いらない」


「……え…?」


「結界なんて、いらない」


「え…でも…」


「いいから。


 …おれはいらない。


 おまえだけその結界の中で寝たらいい。


 おれはその外で寝る。


 そうすれば、より小さな結界を張るだけで済むだろ」



撫子は困り果てた顔で和火を見つめた。



「でも、夜の森は危ないし…。


 あ、じゃあ、和火だけ、結界の中で寝たらい――――――」


「ヤだ」



撫子はますます困り果ててしまった。


もしかして、彼は撫子の体調を心配して、


あまり霊力を使わせないようにしているのだろうか。


一瞬そんな考えが浮かんだが、すぐに打ち消した。



(和火は…結界なんて、得体のしれないものの中で寝たくないだけなんだよね…)












結局その夜は、結界なしで寝ることとなった。















*次の日の朝。


和火の目の下には、くっきりとしたくまがあった。


リュックの中に残っていたカロリーメイトを二人は分け合って、


朝ご飯として食べていた。


食べながら、撫子はじっとそれを見つめていた。



「和火…やっぱり、野宿だと眠れなかった…?」


「………そもそも寝ようとしてな…」


「…え?」


「………なんでもない」



…もしかして、寝ずの番をして、夜通し起きてくれていたのだろうか。



「それより、食べるものないし、水もない。


 川と食べれそうなもの、探さないとな」


「うん…」



たしかにこのままだと餓死してしまう。



「私、ちょっと跳んでくる」


「……おまえ、頭大丈夫…?」


「そ、そういう意味じゃなくて…言霊使って跳んで、森の周囲とか上から見てみる。


 もしかしたら近くに人が住んでいるかもしれないし…」



すると案の定、和火は顔を渋くした。


撫子は、あわてて言葉をつづけた。



「もう、大丈夫だから!!


 ほらって…ひゃっ」



元気な証拠を見せようと立ち上がろうとした頭をぐいっと押さえつけられた。



「まだじっとしてろっての…ばかなめこ」


「ば、ば…っ!?」


「顔色悪い。


 まだ、大丈夫じゃないだろ」



撫子はぽかんと口を開けた。


なんでばれたんだろう。


だが、彼は知らないに違いない。


撫子の霊力がまだ半分も戻っていないことを。



「だ、大丈夫だってば!!


 とにかく、跳んでくる!」



動揺をごまかすかのようにして、和火の手を頭からひっぺはがす。


人から心配されるというのは、なんだかくすぐったい気持ちになる。


撫子は、立ち上がって強く地を蹴った。





『跳躍』






*撫子は、地上から約50mほど上空をふよふよと浮かんでいた。


浮遊の言霊を使っているため、彼女の藍の瞳は鮮烈な青に輝き、


濃い灰色だった髪はまぶしい銀髪に変わっていた。


その青玉のような瞳を右に左にきょろきょろ動かす。


360度、見渡す限り、一面の緑だ。


どうやら、自分たちは時空間移動のようなものをして、


とつもなく大きな森のど真ん中にいるらしい。


古い森だ。


あまり人の手が加わっていない。


なんというのだっけ。


生物の授業で習った。


陰樹林だらけの森は極相とか言うのだっけ。


なんだか日常がひどく遠い。


また、生物の授業を受けられるだろうか。


きょろきょろとあたりを見渡していたが、その視線がふと一点で止まる。


撫子は目をスッと細めた。


南の方だけ、森がとても遠い所でぷっつりと切れている。


不自然な途切れ方だ。


人が住んでいるのかもしれない。


少しだけ、希望が見えた。


大きく息を吐いて、吸う。


この世界の空気は冷気に満ちている。


自分たちががもといた世界よりも、ずっと霊力が濃いのだ。


おかげで多少は霊力の回復が早い。


いつもだったら霊力の回復にはもう少しかかるはずだが、今は、こうして


軽い言霊ぐらいなら『話せ』るほどには回復している。


不思議な心地で手を握ったり開いたりしていたが、ふと和火のことを思い出した。



…何が起こるかわからない森の中で、和火を一人にしてしまった。









*二人は南に向かって黙々と歩いていた。


…いや、黙々とではない。



「和火!


 ねえ、和火ってば!!」


「…何?」


「リュック、自分のは自分で持てるから、返して!!」


「…………」



手を伸ばしてもリュックはひょいひょいと逃げる。


正確には和火が渡してくれないのだ。



「さっき、ふらついてた」


「ぅ…。


 で、でも、もう大丈夫…だと思うから…!」


「そんなに自分のリュック持ちたいなら、


 次からはあんな風に無理やり言霊とやらを使わなかったらいい」


「うぅぅ…」



恨めしげな眼で見つめても、和火は涼しい顔で進んでいく。


つまり、リュックを渡すつもりはないということだ。


頭一つ分、撫子より背の高い彼は、足もすらりと長い。


その分、速く歩けるだろうに、彼は撫子のペースに合わせてゆっくり歩いてくれる。


撫子のリュックと、自分のスポーツバックの二つを抱えて歩いているのに、


その足取りは安定していた。


…仮に、撫子が言霊を使わなかったとしても、


リュックを渡してくれない気がするのはうぬぼれすぎなのだろうか。


しらず鼓動が速くなって、頬が熱くなってしまう。


泳がせた視線の先に和火の肩にかかっている


布に包まれた三本の棒のようなものが目に入った。



「和火は剣道部…?」


「そうだけど」


「その棒って…竹刀?」


「一本は。


 残り二本は真剣」



休憩のときに二人で座り込んでいると、和火は布の堅いいましめをほどき、


中身を見せてくれた。


漆塗りの、簡素だが立派な造りの二振の剣だった。



「うちの一族に代々伝わるものらしい。


 うちのじいさんが肌身離さず持てってさ」



ズキン、ズキン、と頭の奥が痛む。


その二振の刀から目が離せない。


ひどく懐かしい感覚。


どこでだろう。


いつだろう。





―――――――――忘れてしまうほど遠い昔、私はこの刀を見たことがある。





「大切な人を守るときのみ抜いていいっていう掟がある刀」


「……だめ…だよ…」





――――――そう、私は、遠い昔から、この鋭き刃を振るう人に…





「その刀…ぬいちゃ…だめだから…」



しらず、手に汗をかいていた。


今、一瞬よくわからない衝動に意識を飲み込まれかけた。



「抜いちゃ…だめ…だから…」



和火が和火でいられなくなる気がするから。


その言葉は何とか飲み込んだ。


ポタリ、と額から汗の粒が落ちた。



「……わかってるよ」



和火が手早く刀を布に納めていく。


それが視界から消えた瞬間、すうっと頭痛は収まった。


撫子は、息を吐いた。


一体、今のはなんだったんだろう。



「その刀、大事なものなんでしょう?


  私なんかに見せてよかったの?」



なんでもないふりを装って、声が震えないように慎重に言葉をつむいだ。


脂汗のにじむ額を手の甲でこする。


和火にとって、とても重要な刀のはずだ。


気軽に他人に見せていいようなものではない。



「おまえも言霊のこととか、あまり他人に言いたくないこと、


 ちゃんと教えてくれたから」



撫子は目を見開いた。



「なんで…私のこと、『人間』として、扱ってくれるの?」





――――――ばけものっ!!



遠いいつか、幼い頃、投げつけられた言葉が耳の奥にこだまする。



「なんで?


 おまえ、人間だろ」



逆に怪訝そうに問い返されて、言葉を失う。


彼の言葉が胸の真ん中にすとんとおさまった。


そうだった。


言霊どうこうの前に、自分は『人間』なんだ。


そんなあたりまえのことに気づけなくなるほど、


言霊や霊力を他人に見せることに臆病になっていた。


撫子はただ嬉しくて、まっすぐに和火の目を見てふわりと笑った。



「あり、がとう」


「……別に、何もしてないし」



そっぽを向いてしまった和火の耳の先が赤くなっているのを見て、


撫子は笑ってしまった。


笑われたのが恥ずかしいのか、


彼は薄くて形の良い唇を惜しげもなくへの字にしている。



「もう休憩はいいだろ。


 ……行こう」



ぶすくれた表情のままで立ち上がろうとした長身が突如ぐらりと揺れた。


撫子の笑みが凍った。



「和火!?」


「騒ぐなよ。


 …別に…なんでもない…」



そう言う彼の額には汗が光っている。


もう一度立ち上がろうとした和火だが、今度はバランスを崩してこちら側に倒れ掛かってきた。



「っひゃ!?」



彼の体を支えきれずに地面にしりもちをついてしまった。


制服越しに伝わる高い体熱と荒い呼吸。



「和火!?


 和火ってば!!」



おそるおそる彼の額に触れると、指先から人間の平熱よりもかなり高い熱が伝わってきた。


彼は撫子の呼び掛けには応えず、目を閉じてただ荒い呼吸を繰り返している。


明らかに高熱を出している。


ずっと無理をしてきたのが、今、あふれだしてしまったに違いない。


何が原因だろう。


寝不足か、極度の疲労か。


撫子に制服をかけて、布団代わりに使わせ、自分はインナー一枚だったことか。


それか、霊力を持たない普通の人間が、霊力の気が濃い場所に突然行くと


こういう症状が現れるのかもしれない。


どれも違う気がするし、どれもが原因な気がする。



どうしてもっと早くに和火の体調が悪いことに気づけなかったのだろう。


唇を強くかみしめる。








「――――――見つけた」











ひどくなめらかな声。


素早く声がした方に視線を投げる。


背の高い人形が、苔むした岩の上から撫子たちを見下ろしていた。


いや、違う。


人形じゃない。


人間だ。


その青年は、美しい白髪を風に遊ばせ、朱の混じった紅い瞳をまたたかせ、


撫子を見つめていた。


人形のような作りものめいた美しさをもつ面にある唇が三日月の形に歪んでいる。



「やっと……見つけた。


 我らが巫女姫」




ズキン



頭が急に強く痛んだ。


腕の中にいる和火の制服をギュッと握りしめてそれに耐える。


どうして呼ばれたことのない『巫女姫』という呼び名に懐かしさを覚えるのだろう。





――――懐かしさと、強い愛おしさを。



―――――――――――――ああ、愛しくて愛しくて、狂ってしまいそう。





だが、今は恐怖の方が上回っていた。


誰でも初対面の人間に、『見つけた』などと言われたら、不気味に思うだろう。


加えて、あのコスプレのようなみやびやかな着物。


よく見れば、青年の後ろには数名の若者が控えていた。


従者のように見える。


全員から霊力を感じる。


どこか自分のと似た霊力を。


人間の目や髪の色は、長いこと霊力が身の回りにあったり、


自身が霊力を何度も使用することで、普通の人間じゃありえない色になる。


そのおかげで、御言葉使いである撫子の通常時の髪の色も濃い灰色だし、


瞳も濃い藍色だ。


だが、あの青年ほど色がはっきり変わってしまっているのは見たことがない。


頭が痛い。


ズキン、ズキン、と絶え間なく痛む。


まるで何かを思い出そうとするかのように。



「あなたは…誰…?」


「…誰…?


 誰とは私に問うているのか…?


 悲しきこと。


 私を…忘れてしまったのか…」



ひどく古風な口調でそういうと、彼はスッと目を細めた。



「私は、白夜。


 長きにわたり『貴女』を求める者だ。


 ああ…やっと、不死の呪いもとける…」



痛い。


頭が痛い。


痛すぎて意識がもうろうとしてきた。


……もうろうとしすぎて、白夜、と名乗る青年が少しずつ、


絹ごし豆腐にしか見えなくなってきた。


滑らかな声といい、真っ白な髪といい、もはや絹ごし豆腐以外のなにものでもない。



「ねぎと…ポン酢…」


「…?」


「……ひややっこには…だし醤油の方がいいかも…」


「…何をおっしゃっているの…巫女姫…?」



絹ごしの滑らかな声が、若干硬くなって木綿豆腐のようになったことで、


撫子は、はっと我に返った。


ぷるぷると頭を振って邪念を落とす。


和火の体を、自分の方にぎゅっと引き寄せる。



「あなたは、私を知っているの…?」


「よく、知っているよ。


 『貴女』を長きにわたり、探し求め続けていたのだから。


 今、『貴女』が眠っていることも知っている。


 私と共に来るといい。


 『貴女』を、目覚めさせよう」



ぞわりと肌があわだつ。


本能的にこの人は怖いと感じた。



「さあ、おいで」



怖いはずなのに、何故か、無性にその手を取ってしまいたい衝動に駆られた。


無意識のうちに伸ばしかけた手を。熱いものに掴まれた。


和火の手だ。


彼は薄目を開けて、荒い息を吐きながらこちらを見ている。


目が、行くな、と何よりも雄弁に告げていた。


それを見て、すっと心が落ち着いた。



「私は、行きません」



撫子の瞳が青に輝き、髪が銀の糸束へと化す。


左頬に浮かぶ証印。


霊力は高まった。


いつでも、『話せる』。



「ああ、まことにどれほど時が経とうとも、『貴女』は変わらぬ。


 変わらず、見る者を狂わせるほど……美しい」



白夜の瞳が、鮮烈な紅に輝いた。


その歪な紅は血のようにも見えた。



「あまりに美しくて、手に入れずにはいられぬよ」



彼は差し出した手を、すっとひいた。


術を使う気だと瞬時に悟り、撫子は彼が口を開くよりも早く素早く『話し』た。





『転送』





青年の唇がより深い笑みの形に刻まれたのが見えた。






『南に二里』








*気づけば、撫子たちは見知らぬ鳥居の前に座り込んでいた。


『転送』に成功したようだ。


この鳥居の先は神社なのだろうかと、朱色のそれを見上げる。


あたりに人の気配はない。


先ほどの青年、白夜はうまくまけたようだ。


ぜいぜいと耳障りな自分の呼吸音がその場に響く。


学校の体育の授業でシャトルランを限界まで走り切った時のような状態だ。


体はだるく、視界はぐらぐら揺れる。


もともち残り少なかった霊力をほとんど使い切ってしまったことを知る。


ぽたぽたと額から汗が落ちてむき出しの地面に吸い込まれた。


本当に白夜がついてきていないかを確かめると、撫子は和火の顔をのぞきこんだ。



「和火…、和火…立てそう……?」


返事はないが、彼は無言で体に力を入れてふらふらと立ち上がろうとする。


撫子は、彼の体を支えながら、ゆっくり立ち上がった。


鳥居の向こうに行ってみよう。


人が住んでいるに違いない。




「――――――鬼ごと(鬼ごっこ)は、これで終わり…?」




今、聞こえるはずのない声に撫子は愕然と目を見開いた。


信じられない思いで振り返ると、


そこには何もなかったかのように立つ白夜の姿があった。


だが、彼の後ろには、先程のように、お付の者達の姿はない。



「なん、で……」


「特殊な結界転送術を、お付の者に使わせた。


 驚いてはならぬよ、巫女姫。


 瞬身が使えるのは君だけだとおごってはならぬ」



そういうと彼は、笑みを浮かべた。



「それにしても、『貴女』の力は少しも衰えていない。


 今のでそれがよくわかったよ。


 血と力は脈々と受け継がれている。


 よきことだ。


 しかし、君には私を拒むことは許されぬ。


 『貴女』は目覚めなければならぬのだから」



撫子の足は、反射的に鳥居の向こうへ駈け出そうとしたが、


すんでのところで理性がそれを抑えた。


鳥居の向こうに住んでいるであろう人々を、


このよくわからないことに巻き込んではならない。



「ああ。


 それともその少年が『貴女』を縛る鎖となっている…?


 ……ならば……あやめてしまおうか」


「!!」



一歩、また一歩、白夜が近づいてくる。


撫子はめまぐるしく考えた。


どうしよう。


どうすればいい?


何の言霊を『話せ』ばいい?


霊力は残り少ない。


どうすれば、何をすれば、何を『話せ』ば、和火を助けられる…?


白夜が伸ばしてきた手の影が撫子の顔にかかった。




「――――――動くな」





聞き慣れない、少しハスキーな声が聞こえた。


白夜は動きを止めた。



「動けば、てめえののどをつぶす」




よく見れば、白夜の首には、何者かによって短刀がつきつけられていた。


今の声はその何者かが発したようだ。


白夜は紅い瞳のみを、そちらに向けた。



「久しいね、獣の一族の者よ。


 しかし、今は刀をひいてはくれまいか。


 私の長年の夢が、ちょうど今、叶いそうだから」


「黙れ。


 他人ひとの領域の前で、ぎゃあぎゃあやってんじゃねえよ。


 とっとと自分の領域に戻れ」



短刀をつきつけているのは、獣のような金の瞳をもつ若者だった。


撫子はただ、呆然としていた。


何故、あの若者が白夜を止めてくれたのかがわからない。


彼は鳥居の向こうの住人だろうか。


とりあえず、撫子は和火の体を自分より後ろに座らせると、


自分は彼をかばうように前に立った。



「私は、今日はあまり荒事をしたくはなかったのだけれどね…」



白夜は、ふうっと息を吐いた。


その唇が深い三日月の形に刻まれる。






「ああ…まこと――――――わずらわしきこと」





白夜は、短刀をつきつけている若者の手をすばやくひねりあげると、その腹に一発重い蹴りをくらわせた。


蹴飛ばされた若者は地に足をついて、ズザザッと後退した。



「…っ、てめえ…」


「動けぬだろう…?


 腹に術を施した。


 しばらくはしびれて動けぬよ。


 そこで見ているといい」



白夜がこちらを振り返った。


その血のように紅い瞳と目があう。


体中によくわからない震えが走った。


その時、腕を強く掴まれて、ぐいっと後ろに引っ張られた。


熱い手。


和火だ。


背に冷たいものが走る。


彼の瞳が淡い緑に輝いているのが見えた。


ズキン、と強く頭が痛む。


その手に握られているのは、あの刀だ。



「…こいつに…触るな…」



抜身の刃のような声。


和火が和火でないような感覚。


ダメ。


抜かないで。


その刀を抜かないで。


そう言いたいのに、唇は凍ったように動かない。


チキッと和火の手の中で刀が鳴った。


白夜の紅い瞳がスッと細められる。



「ずいぶんと不思議な気だ。


 ……君も、太古の血をひくものか」





ギャンッ





甲高い濁った音が鳴り響く。


キチキチと小さな音を立てて、白夜の手に握られている大きな深紅の鉄扇を、


和火の刀のさやが受け止めていた。


見た目ではわからないが、両者ともかなりの力で互いに押し合っている。


次の瞬間、二人は同時にその場を飛びのいた。


大きく距離を取った和火の瞳は、いまだ淡い緑に輝いている。


いや。


先ほどよりも、より強い緑になっている。


和火の両手が刀の柄と鞘、両方にかかった。


―――抜く気だ。


ダメ。


抜かないで。


ああ、言わなきゃ。


『静止』って、『話さ』なきゃ。


だけど、唇は凍ったように動かなかった。


シュリン、と涼やかな音と共に、刃が鞘から放たれる音があたりに響いた。


和火の目が鮮烈な緑に輝く。


ズキン、と頭が強く痛んだ。


これまでにない強い痛みに、撫子は小さくうめいてうずくまった。


抜かせてしまった。


和火が和火でいられなくなってしまう。



――――――私が、『撫子』でいられなくなってしまう。




「三重結界、現出」



なめらかな声が紡ぐ言葉によって、薄赤く光る正方形の結界が和火を三重に囲む。



「炎陣」



聞き覚えのある言葉に、撫子は目を見開いた。


この術は…まずい。


白夜は、結界の中を炎でいっぱいにして、和火を焼き殺す気だ。


撫子は瞬時に体中の霊力をかき集めて、口を開いた。



『せい――――――』





ガシャンバリィンッッ






ガラスが砕け散るようなけたたましい音が響き渡った。


キラキラと輝きながら、緋色の欠片があたりに散る。


その中心に瞳を緑に輝かせ、右手に刀を握った和火がいた。


少し遅れて、和火が、三重にも張られていた結界を


刀の一振りで破壊したのだと知る。


信じられない。


あれは、とても強力な結界だ。


霊力を持たない普通の人間においそれと壊せるものではない。


どうして、破壊できたのだろう。


白夜もまさか破壊されるとは思っていなかったようだ。


彼にわずかに隙ができる。


撫子はそれを見逃さなかった。



『静止』



白夜の体が青き言ノ葉によって、見えざる力にがんじがらめに縛られる。


今、彼は指一本動かせない状態だ。



『転送』



とっさにその言霊が口をついて出た。


ぶわっと青い光の粒が空気中から出でて、白夜の体にまとわりつく。


どこへ飛ばそう。


どこへ飛ばせばいい。




――――――それは、私の故郷。





『水面に移りし月の影あるところへ』





撫子は目を見開いた。


今、勝手に口が動いた。


今のは、古い地名だろうか。


一体どこに白夜を飛ばしてしまうのだろう。


白夜と目が会った。


彼は微笑んでいた。


心底嬉しそうに。


そして、青い光がひときわ強くなって、いっしゅん目を閉じて、


再び開いた時には、すでにその姿はなかった。


それ以上は姿勢を保てなかった。


ふらりと撫子の頭が揺れ、地面に体が崩れ落ちる。



「おい!!」



先ほど、獣の一族と呼ばれていた若者の声が聞こえたが、返事ができない。


体に力が入らない。


意識が遠くなっていく。


霊力を使い切ってしまったんだ、と思う前に意識は黒く塗りつぶされた。





――――――ああ、やはり、『貴女』は変わらぬ。




白夜の声が聞こえた気がした。

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