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9章 夕暮れ 続き

*撫子は、布団の上でぱちぱちと瞬きを繰り返した。


ああ、そういえば、一旦全員家に帰ってよし、という号令が出て、


撫子は慧の家に戻ったのだ。


窓から差し込む光がオレンジ色になりつつあるのを見てあわてて体を起こした。


長老と話をしたのは早朝だったから、だいぶ時間がたっている。


慧に布団に押し込まれた時はすぐに起きるつもりだったのに、


思っていたより疲れていたらしい。



「……そのまま寝てりゃいいものを……」



ぼやくような声の主は慧だ。


壁にもたれかかって、腕を組んでこちらを見ている。


そして、その眉間にはもはやお約束の深い縦じわが刻まれている。


これは、機嫌が悪い時の顔だ。



「……和火、は?」



思っていたより自分の声がかすれていて、撫子は少し顔をしかめた。


一方の慧は、一瞬怒ったような顔をした後、ぷいと横を向いた。



「……大事ねえよ」



(うっわあ……すごく適当な返事……)



だが、命に関わるほどの傷ではないのだろう。


ほっと息がこぼれた。



「……アレは?」


「……まだ見つからねえ」



今度は別の意味の吐息がこぼれた。


妖魔をアレとよんだのにはわけがある。


妖魔ではなかった。


妖魔が倒れているべきところには、切り裂かれた紙切れが落ちていた。


式神だったのだ。


思考が嫌な方向に流れていくのを止められない。


つまり、自然発生したものではない。


誰かが故意に生み出したもの。


術者がいる。


撫子は記憶を探った。


たしか、あの式神の目の色は血のような赤。


式神は、術者と同じ目の色を持つのが基本だ。


紅い瞳ときいて、まっさきに思い出すのは、白夜だ。


たしか、彼は式術にも秀でている。


だが、あの式神からは白夜のとは違う霊質を感じた。


霊力には、その名の通り霊力の性質、霊質がある。


撫子の霊質は銀、慧は雷、白夜は炎だったはず。



(でもあの霊質は……)



炎じゃなかった。


正反対の霊質、水、だった。


水は癒しをつかさどる霊質。


つばを飲み込む。


撫子は慧を見た。


撫子が知っている者で、癒しの術を使えて、紅い目を持っているのは………



「ねえ、慧。


 ……茜は、どうしているの?」



撫子は、平静を装っていった。


内心冷や汗をかきまくっているのを表に出さないようにする。



「茜?


 どうかしたのか?」



そうか。


茜は昨日の夜番には参加していないのだ。


だけど、どうしても昨晩の光景が頭をちらつく。


茜が夜にどこかに行く姿を。


和火は、茜は夜に出歩いたりしないと言っていた。


では、なんのための夜の外出なのだろう。



(私と、喧嘩したから……?)



撫子と喧嘩したその仕返しとして、式神を使って撫子を驚かそうとしたのだろうか。


でも、茜はそんなじわじわと相手をいたぶるようなことをするようには思えない。


やるなら、派手にやるだろう。


そんな気がする。



「ん?


 んー、茜、大丈夫かなあって。


 今、結界内に式神がいるわけだし、茜、襲われてたりしてないかなって……」


「あいつも大事ねえよ。


 ユウもいるしな」


「そっか……そうだよね



撫子は、頭の中の考えを振り払うようにして、布団から立ち上がった。


茜のことは、信じたい。


崖から落ちた時、川に落ちた時、まっさきに心配してくれたのは茜じゃないか。



「どこ行く気だ。


 まだ日は暮れてねえよ」


「和火のお見舞い。


 和火、茜のところで傷の手当てをしてもらっていたんだよね


 私、ちょっと行ってくるね」



あれだけの傷を手に追ったのだ。


少なくとも今日は夜番をさせてはもらえないだろう。


でも、一応、顔ぐらいは見たい。



「今から、着替えたいから、ちょっと外に出てもらってもいいかな?」



着物の帯に手をかけながら、撫子は言った。


もう、夜番用の動きやすい服装に着替えておいた方がいいだろうか。


枕元にある数枚の衣に目をやり、迷う。


そこで、ようやく慧が返事をしていないことに気付いた。



「慧?」



慧はいつも紳士的だ。


着替えをしたいな、と思った時には言わずとも察して部屋を出ていってくれる。


帯から手を離して振り返ってみれば、


慧は部屋の壁にもたれかかったままこちらを見ていた。



「……帰るのか?」



言葉が端的過ぎてとっさには理解できない。


撫子は困って眉根をよせた。



「元の世界に。


 ……そう言っていただろ」



なるほど。


長老との話を聞かれていたらしい。


あれだけここで待っていろと言ったのに、と思いながらも、


心配性の慧らしいな、と、撫子は小さく苦笑した。



「うん。


 私は、帰らなくちゃいけない」


「何故」



慧は笑わなかった。


ゆっくりとこちらに近づいてきて、背後から窓から差し込む夕日の光を浴びて


彼の表情が見えなくなった。


ただ、その金色に輝く目は真剣だった。



「おまえから以前聞いた話じゃ、おまえの世界では霊術などは希少で、


 見た目が奇異なるものは容赦なく差別されると聞いた」



撫子はまた少し笑った。


慧の言い方は少し過剰だ。


差別ではなく、あれは、ただの拒絶だ。


人は、自分とは違うモノ、異なるモノを排除しようとするだけだ。



「そこでの暮らしは、ここに勝るのか」


「そういうことじゃないよ」


「ならなんだ。


 ここでの暮らしは、帰りたくなるほどつらいのか」


「違うよ!!


 そんなのじゃない!!


 私は、帰らなきゃいけないの……」



カエデからもらった黒い組紐に青玉をあしらったブレスレットを手で押さえる。



(カエデさん。


 私も、貴女みたいに強くなりたい)


逃げない。


逃げたくない。



「私は、帰らなくちゃいけないの」



再度強く言ったら、慧の眉間にぐっとしわが寄るのがかすかに見えた。



「帰りたいでなく、帰らなきゃいけねえって言ってる時点で、それは義務だろ。


 何故そこまでして帰ろうとする。


 ……ここにいりゃいいだろ」



撫子は、うなずきそうになるのを必死にこらえた。


こちらは、決死の覚悟で言っているというのに、慧は知ってか知らずか


優しい誘惑の言葉を投げかけてくる。


撫子は唇を噛みしめて、揺れる心を押さえつけた。



「ここは、おまえを誰も拒まねえ。


 むしろ、皆、おまえを必要としている」



慧の言葉が毒のように体にしみこむ。


分かっている。


分かっているからこそ、こんなにも心が揺れるのだ。


元の世界に帰って、またあの”異物”をみる冷たい目にさらされるのかと思うと、


慧の提案に飛びついてしまいたくなる。


もう、一人は、いやだ。


でも、帰らなくてはいけないのだ。


これは、逃げているだけ。


自分の心が弱いだけだ。



「……私は、帰るよ」



慧が獣のように瞳孔が縦にさけた目をすっと細めた。


迷っている気持ちが見透かされている気がして、撫子はそっと視線を逸らした。


慧の顔をまともに見れない。



撫子はうつむいたたまま、唇を開いた。



「私は、帰らなきゃ――――――」


「……それはもう聞き飽きた」



言葉が途切れたのは、体が後ろに引き寄せられたからだ。


慧の腕が腰に回り、彼の体が背に当たる。



「……もっと別の言葉が聞きたい」



耳元でかすれた声がささやく。


背後から抱きしめられて、撫子は目を呆然と開いた。


今の状況が信じられない。


慧は、許可を取ってこない限り滅多に触れてこない。


なのにどうして、今、こんなふうに抱きしめてくる?


理由はわかってはいけない気はする。


わかったら、今の二人の関係が壊れる。



「ここにいたいって、言えよ……」



慧の腕にわずかに力がこもった。


まだ振り払える強さだ。


けど、体が動かない。



「おまえは、ずっとここにいればいい」



優しい誘惑。


優しい束縛。


撫子はぎこちなく首を横に振った。



「どうして慧は、そんなに優しくしてくれるの……?


 どうして、ここにいろって言ってくれるの……?」



沈黙が落ちた。


少しためらうような気配を感じた後、慧の腕にさらに力がこもった。


さっきと違って、これは逃げられない強さだ。





「……おまえが、好きだから」





腕の力に驚いて、反射的にもがこうとした撫子は凍りついたように動きを止めた。


頭が真っ白になる。


なにも考えられない。



「……そう言ったら、どうする?」



耳に直接囁きかけられた言葉が信じられない。


動かない体とは対照的に心臓がすさまじい速さで脈打っている。


しびれるほど甘くて熱い体温。


しなやかな筋肉に覆われたたくましい腕。


なめらかな日に焼けた肌。


強烈に慧が『男』なのだと意識した。


慧が発する空気がいつもと違う。


息ができない。


どきどきしすぎて、胸が苦しい。


ああ、何か言わないと。


このおかしな空気をいつものようにしないと。



「も、もうー、慧ってば!!


 こういう冗談やめてよねー!!


 私、免疫ないんだからー!!」



あはは、と乾いた笑いが空を裂いた。


どくどくと心臓が痛いほどに脈打っている。


撫子だってわかっている。


慧がこういう冗談を口にするような人じゃないことくらい。


でも、こうでもしないと―――――――――



「……冗談なんかじゃねぇって、本気だって言ったら?」


「慧!!」



慧は誤魔化させてくれなかった。


耳が溶けてしまいそうなほど熱がこもった声が、


慧は本気だ、と何よりも雄弁に告げてくる。


これが夢なんかじゃないことは、触れ合っている肌の熱でなんとかわかった。



「慧、離して……」



撫子は呻くように言った。


このままでは流されてしまう。


うなずいてしまう。


何かがおかしくなる。


今まで築き上げてきたモノが狂ってしまう!!



「お願いだから……」


「……いやだ」



聞き間違いかと思った。


囁きは小さかった。


だが、そう聞こえた。



「慧!!」


「離したら……おまえは、あいつのところに行くだろ。


 ……和火のところに」



押し殺された声のせいで慧の感情が読み取れない。


視界がぶれる。


涙のせいか、混乱のせいか。



「……行くなよ」



慧の吐息が耳に触れ、身体に震えが走った。


それを感じたのか、抱きしめてくる力がさらに強くなった。


苦しいほどに。


無性に慧の顔が見たくなった。


今、どんな顔をしているんだろう。



「……和火が好きなのか?」



撫子は驚いて、目を見開いた。


驚きすぎてすぐに声が出せない。


慧はそれを図星だと受け取ったらしい。



「……あいつは、やめとけよ。


 あいつは……先祖の意識に影響されて、おまえに好意を持っているだけだろ」



……わかっている。


他でもない撫子自身が慧にそう言ったからだ。



「……おれにしろよ」



低くかすれて絞り出された声がとても苦しそうだ。


知らぬ間に、こんなに慧を苦しめていたのかと、ようやく悟った。



「おれなら、おまえを守れる。


 白夜からも、悪夢からも、全てからおまえを守る。


 誰にも傷つけさせねえ。


 二度と泣かせねえ。


 つらい思いもさせねえ。


 おまえが毎日笑顔で暮らせるようにする」



ゆるぎない声にうなずきそうになるのを必死にこらえた。


こんなにも自分を想ってくれる人がいるのだと思うと、なぜか泣きそうになった。



「なにより、おれは、おまえが好きだ」



二度目の、一切の曇りがない、飾らない率直な想いに、撫子は一瞬息を止めた。



「……おまえは、おれをどう思っている?」

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