1章 ふらいあぅえいっ した結果
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…きれいな横顔。
私は黒板から目を離して、あなたの横顔をそっと視界の端に入れてみた。
髪が滑らかな頬にちょうど良い量と角度でかかっている。
男の子にしては白い肌。
シャープな線を描くあご。
くせのある黒髪の端っこが、午後の太陽の光を浴びて薄い茶色になっていた。
まっすぐな視線は、まじめに黒板に向けられている。
きれいな横顔。
私はただ、そう思った。
――――――それが、あなたという存在が、私の中で鮮やかに色づいた最初の瞬間。
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*「………んぅ…」
撫子はすうっと意識が浮かび上がっていくのを感じた。
たしか…先ほどまで、闇と戦っていて…それで四条君…
「…っは!!」
がばっと勢いよく起き上がった。
そのとたん、はらりと自分の上半身から、白いカッターシャツが落ちた。
足元は黒い学生服で覆われている。
両方とも、自分のではない。
横になっていた撫子のかけぶとん代わりになっていたらしい。
後ろを見れば枕代わりになっていた、
撫子の紺のリュックが彼女の頭の形にへこんでいた。
だけど、撫子が今視界に入れたいのは、こんなものじゃない。
今、視界に入れたいのは…
「…四条君」
応える声はない。
焦りと不安がますます募る。
(もしかして、私が四条君の制服だけ掴んだから…)
制服だけ、この世界に来てしまったのだろうか。
「………」
よかったような、よくなかったような。
「…起きたか」
背後からの声に、撫子はびくりと肩を震わせた。
後ろを振り返ると、上に黒いインナーのみを着ている四条君が立っていた。
―――やはり、巻き込んでしまったようだ。
「…四条君…」
何を言えばいいのだろう。
撫子たちは、今、不思議なほどに霊力に満ちた薄暗い森の中にいた。
あの闇にのみこまれて、どこか別の場所にとばされてしまったようだ。
時空間移動、というやつだろうか。
だが、彼までもここにいるのはどう考えても撫子の責任だ。
その事実に変わりはない。
「四条君、体は大丈夫…?
けがとか、してない…?
しんどくない?」
巻き込んだ張本人が言う言葉じゃない気がしたが、おそるおそる聞いてみた。
「…おまえは?」
「………え…?」
「おまえこそ、けがとかは…?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。
まさか撫子のことを心配してくれると思わなかったから、不意をつかれたのだ。
「だ、大丈夫。
あり、がとう…」
こくこくとうなずくと、四条君はほのかな笑みを浮かべた。
(ちゃんと説明しなきゃ…)
撫子にはその義務がある。
四条君を巻き込んでしまったのだ。
事実を話さなければならない。
たとえ彼に奇異の目で見られ、忌み嫌われようとも。
「あのね、四条く…」
「…なあ」
四条君は突然こちらに近づいてくると、撫子の前に腰をおろした。
「その、『四条君』っていうの、やめない?
なんか、しっくりこない」
「は、はあ…」
「下の名前で呼んでよ」
「…は、はい!?」
その響きがあまりに平坦だったので、撫子は危うくうなずきかけた。
「おれも下の名前で呼ぶから」
(い、いやいやいやっ!!
そういう問題じゃなくて…!!)
なんでこんなこと、さらっと言えるのだろう。
とにかく、話の流れがおかしい。
…おかしすぎる。
「なあ、呼べよ。
別にいいだろ減るもんでもないし」
混乱している頭では、うまく考えられない。
(え、えと…四条君の下の名前…って…えっと…)
「わ、わかめ…君…??」
「…………………………」
沈黙が落ちた。
…人がせっかく勇気を振り絞って呼んでみたというのに、なんなのだこの反応は。
「あ、あの…?
四条 ワカメ君でしょう………??」
四条君は、ため息をついた。
「んな、海産物みたいな名前みたいなやつ、いるかっての。
まったく…」
彼は地面に落ちていた小枝を手に取ると、地面に何かを書き始めた。
四条 和火
「これが、おれの名前」
「しじょう…わか…?」
「よくそうやって間違えられるけど、そうじゃない。
和火と書いて、カズヒと読む」
「かず…ひ…」
「おまえの名前も呼ばないとな。
えーっと…たしか…水無月…なめこ…?」
…………。
「…もしかして、今、私の名前、呼んだ?」
「水無月ナメコだろ?」
「な、で、し、こ、です!!
和火君だって人のこと言えないじゃん!!」
「ナメコ…っていうより、ナタデココっぽい名前だな…」
「ちょ、ちょっと!?
人の話、聞いて――――――」
「…知ってるよ、ばーか。
水無月なでしこ。
撫子だろ。
……最初から、名前ぐらい、知ってる」
なでしこ。
なんだか、和火にそう呼ばれると、自分の名前が特別なもののように思える。
胸のあたりがじわりと熱くなった。
あ、私、喜んでいるんだ、とどこか他人事のように感じた。
「ああ、あと、君、もいらない。
呼び捨てでいい」
「…わ、わかった。
か、か、かかかかかかかかかかかかかかか和火…」
「…そんなにどもるなって」
「お、お話が、あります」
紫っぽい瞳がこちらを見た。
視線が言葉の先を促す。
それに勇気づけられて、撫子は重い口を開いた。
「まず…ごめんなさい」
「…だからなんで謝るんだよ」
「よくわからないことに、巻き込んじゃったから…」
「別におまえのしじゃない。
おれが勝手に巻き込まれに行っただけ」
「でも…」
「……それ以上うじうじなんか謝るんだったら、今度からおまえのこと、
ばかなめこって呼ぶから」
…ばかなめこってなんだばかなめこって。
「…もうひとつ、言わないといけないことがあるの」
不安が心をうめつくす。
だが、嫌われようと、奇異の目で見られようと、巻き込んだのは撫子なのだから、
言わなくてはならない。
事実を。
「まず、私は普通の人間じゃない。
霊力を有する」
「霊力…」
彼は静かに撫子の言葉を繰り返す。
「…うん。
霊力っていうのは、霊的な力のこと。
これがなくなると私の場合、気絶しちゃうし、精霊とかの霊的な存在は消滅する。
私の一族は、この霊力を使って、言霊を『話す』ことができる古い巫女の一族。
言霊を『話す』ことで悪霊とかを倒して、人を守ってきた」
「それで、学校であの黒い化け物倒そうとしてたわけ?」
撫子はうなずくと、眉根をよせた。
「いつもだったら、すぐに倒せるはずだった。
現代の世は、空気中の霊力が薄くなってきているから、
悪霊とかも住みにくい世になってきたの。
…でも、あれは、違った…。
どう言ったらいいかわからないけど、今までの悪霊とはなにか違ったし、
比べ物にならないくらい、その……ヤバかった…」
「…ふーん…」
それ以上うまい言い方が見つからず、
撫子は少しの間口を閉じてからもう一度開いた。
「私たちは、あの黒いモノに飲み込まれてここにいると考えていいと思う。
…この世界から、出る方法…探さないと…」
「それは違う」
「違うって…なにが?」
「この世界で生き残る方がもっと大切だろ。
そうじゃないと、この世界から出る方法も探せない」
「…うん」
きっと二人で、元の世界に戻ってみせるんだ。
登場人物紹介 その1
水無月 撫子
古き巫女一族、影水月一族の末裔。
先祖がえりだ、と言われるほど太古の血が濃く、一族の中で最も強い霊力を持つ。
特に、言霊を『話す』のが得意だが、過去に友達の前で言霊を『話した』結果、
友だちに気味悪がられて、友達がいなくなった、というトラウマから、
人前で言霊を『話す』のを極力避けるようにしている。
なるべくごく普通の高校生活を、目立たない程度に送ろうと努力していたが……
四条 和火 (しじょう かずひ)
撫子のクラスメートの男の子。
現在は、撫子の後ろの席に座っている。
剣道部所属。
ふわふわとした黒髪の持ち主。
髪は濡れるとさらにうねってワカメみたいになる。