8章 再び帰宅しました 続き
*振り返ったら、なぜか和火の姿が見えるはずなのに、慧の背中しか見えない。
慧がいつのまにか、撫子を和火からかばうようにして立っていることに
ようやく気付いた。
私は大丈夫、と慧の衣を引っ張ったが、彼は振り向いてくれなかった。
その背中から、ぴりぴりした空気が発せられている。
「何しに来た」
「話をしに来た。
おまえの後ろにいるやつにもあるけど、おまえにもある。
頼みがあるんだ」
撫子は目を見開いた。
自分に話があると聞いて思わず体が強張ったが、その後に続いた言葉に
撫子は怪訝な表情を浮かべた。
和火が慧に頼みごとなんて初めての事だったからだ。
それは、慧も同じようで、彼はいぶかしげに問い返した。
「頼み?
なんだよ」
「おまえの家に住まわせてくれない?」
「……は?」
慧の声から怒気が抜けた。
背中しか見えないが、きっと今、口をぽかんと開けているだろう。
「茜の婚約者が来てから、10分に一回、いちゃつかれる。
見てて、しんどい。
しかも、おれがすげー空気読めないやつみたいになってるし。
だから、引っ越しさせて。
撫子もいるしな」
「最後が思い切り本音だろ!!」
慧は怒鳴ったが、撫子は全然嬉しくなかった。
一緒にいたいと思ってくれるのは、おそらく和火本人の意志ではなくて、
彼の身に流れる『騎士』の血がきっとそうさせるのだ。
重要なのは、その個人ではなく、魂と遺伝子。
もし、撫子以外にセナの子孫の少女がいたら、
和火はそのこと一緒にいたいと思うのだろう。
撫子、じゃなくて、その魂たる『巫女姫』が大事なのだから。
「それに、いい加減、おれらが無害だってわかっただろ。
誰かを傷つけようとか、裏切ろうとか考えてないし。
もう、おれと撫子を引き離す必要もない」
正論だ。
だからこそ、慧は一瞬言葉に詰まって黙った。
「そういうこと。
話は以上。
あとで、荷物持ってくるから、よろしく」
「よろしくじゃねえよ!!
……おれは、認めねえ」
「なんで?」
即座に切り替えされたが、慧は答えない。
いや、答えられないのだ。
慧はちらりと撫子を見やった。
なるほど。
騎士の末裔たる和火の近くで寝ると、撫子の巫女としての魂が共鳴しあってしまって
また過去の夢を見てしまうかもしれない、ということか。
どうして和火が引っ越ししてはいけないのか理由を言えば、夢のことなどを
話さなければならない。
和火まで、過去の夢に囚われてしまうかもしれない。
しかし、和火はその意味ありげなアイコンタクトをどうとったのか、眉をひそめた。
「一応言っとくけど、このことはすでに茜に話してある。
あいつ的には、婚約者と二人っきりになれて、むしろ歓迎してる。
今さら、やっぱなし、とか、無理だと思うけど?」
「ぐっ……」
茜。
恐ろしい少女だ。
その名前だけで、慧を一瞬で黙らせることができる。
「この話は終わり。
次は、おまえ」
和火がこちらに向かって唐突に一歩踏み出してきた。
すかさず慧がその前に立ちはだかる。
「どいて。
おれは、撫子に話がある」
「こいつに話ってなんだ。
内容によっては、話なんかさせねえ」
「……前みたいなことは、しない。
誓う。
だから、話だけ、させてほしい」
静寂が落ちた。
慧は動かない。
彼の背で和火が見えない。
ただ、和火の静かな声が聞こえた。
撫子はそっと慧の衣をつまんで軽く引っ張った。
「……慧。
私も和火に言いたいことがあるの。
少しだけ二人だけにしてほしい」
「……おれがいたら、言えないことか」
撫子は少し迷ってから、うん、と言った。
そうでもしないとこの心配性の青年はてこでも動かないだろうから。
「私、大丈夫。
だから、お願い、慧」
本当は全然大丈夫なんかじゃない。
和火と二人きりになるのは少しだけ怖い。
でも少しでも前に進みたくて、心にある不安は、握りしめた手と共に握りつぶした。
慧はしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
無言で彼は家の中に入っていってしまった。
慧を傷つけてしまっただろうか。
でも、今から言うことは、慧にも聞かれたくなかった。
「……和火が言いたいことって、何?」
慧の気配が薄くなったあたりで、そっとつぶやいた。
自分でも驚くほど、声がかすれていた。
怖くて、和火の顔を見られない。
「……泣かせて、ごめん」
予想外の言葉にはじかれたように顔をあげた。
真正面から紫の目と視線が交わった。
どうやら、和火は、強引に想いを告げたことに撫子が怯えたと思ったらしい。
「……いいの」
別に、怯えて泣いたのではないのだから。
「だけど、泣き顔、かわいかった」
「……っ!!」
不意打ちの言葉にやっぱり目をそらしてしまう。
必死に自分に言い聞かせる。
これは、騎士としての意識だ。
和火本人の言葉じゃない、って。
「あの時の返事、聞きたい」
撫子はびくっと肩を揺らした。
あの時とは、告白を意味しているだろう。
「別に今すぐとは言わない。
でも、なるべく近いうちに。
あんまり待てそうにもない。
本当は、元の世界に戻ってから言おうと思ってたけど、もう我慢できなくなった」
「私、答えないよ。
だって……必要ないもん」
体中の力を集めて、和火の目をまっすぐ見た。
ひどくエネルギーを必要とすることだった。
「あの時の言葉は、和火の心からの言葉じゃないから」
和火は眉をひそめた。
そりゃそうだろう。
自分の想いを真正面からその本人に否定されたのだから。
「おれは、本気だ
……そんなこと、もう言うな」
事実を認めるのも、またひどくエネルギーを消費した。
「何度だっていうよ。
和火の気持ちは本物じゃない。
そう、思ってるだけ。
和火は、私の事、好きでもなんでもないよ」
「……っ、おまえ」
「怒るなら怒ればいい!!
そして、私の事なんか、嫌いになってよ!!」
涙が出そうになった。
なんでだろう。
なにが哀しくて泣きそうなんだろう。
泣き顔を見られたくなくて、和火の傍を駆け抜けようとしたら、
すばやく腕を掴まれた。
「離して……!!」
「なんで泣きそうな顔してそんなこと言うわけ」
「べ、別に泣きそうなんかじゃないし!!」
「じゃあ、こっち向けよ」
見せられない。
こんな涙のにじんだ目元なんて。
和火は息を吐いた。
「なあ、おまえ、おれの事、好き?」
撫子はうつむいたまま目を見開いた。
突然だ。
和火はいつも、なんでも。
びっくりしすぎて声が出ない。
和火を恋愛的な意味で好きかどうかなんて、考えたこともない。
「じゃあ、嫌い?」
これにはあわてて首を振った。
和火は、嫌いなんかじゃない。
すごく、優しい人だ。
でも、どうしてこんなことを聞いてくるんだろう。
「だったら、元の世界に帰ったら、おれと付き合ってよ」
さらりと放たれた言葉に、撫子の顎は自動的に外れそうになった。
耳を疑った。
和火の想いを真正面から否定したはずなのに、
どうして付き合う、とかいう単語が出てくるのだ。
「おまえ、彼氏いないからいいだろ」
「そそそそそそういう問題じゃないでしょ!!」
衝撃のあまり涙が引っ込んでしまった。
「……なに、おまえ、彼氏いるの?」
目を細めてこちらを見やる和火はぞくぞくするほど不機嫌だった。
一気に低くなった和火の声にビビりまくりながらもなんとか首を横に振る。
「い、いません……」
「じゃあ、付き合おう」
……なんで、和火はこんなにも自信満々なのだろう。
彼氏とか、付き合うとかそういう単語から今まで縁遠かったから、
思考が追いつかない。
付き合う、というのは、和火と恋人同士になるということで……
「……和火の事が、よくわからない」
ぽつりとつぶやきがもれた。
どんなに拒んでも、突き放しても、否定しても、和火は変わらず想いを向けてくれる。
勘違いしそうになる。
騎士とか、一族とか関係なく、和火が撫子を好きになってくれたんじゃないかって。
「わからないなら、知ればいい。
少しずつおれを知って、おれを好きになればいい」
撫子は強く首を振った。
そうでもしないと、流されてしまいそうだった。
うなづいてしまいそうだった。
「……私は、こたえないよ」
答えないし、応えない。
変わらない撫子の答えに、和火はしばらくの間黙っていた。
「……わかった」
やがてつむがれた和火の言葉。
それを望んでいたはずなのに、
どうして胸にあるのは喜びではなく、失望なのだろう。
撫子は唇をかみしめた。
「これから、おまえに好きになってもらえるように、すごくがんばる」
「え」
口からまぬけな音が出た。
今、こたえない、と言ったのを聞いていなかったのだろうか。
「おれ、すごくあきらめ悪いから」
「え」
「だから、おまえあきらめる気全然ないから」
「え」
「覚悟しといて」
何をだ!?という心の叫びもむなしく、腕から和火の手が離れた。
言いたいことは言ったとばかりに、和火は茜の家の方角に歩いていってしまった。
宣言通り、慧の家への引っ越しを始めるのだろう。
その場には呆然とした撫子が残された。