8章 再び帰宅しました
*恋心って
ふわふわ綿菓子のよう
あなたを想うと
とろけてしゅわっとなる
はずなのに
こんなに苦しいなら
こんな気持ち
知らなければよかった
*朝日がまぶしい中、撫子は、茜の家の陰にいた。
本当はすぐに茜の家の中に入って、彼女に会って、自分の無事を伝えたい。
(……でも、気まずい……)
和火と顔を合わせるのがだ。
和火は、彼の看病が終わった今も、なしくずし的に、茜の家でお世話になっている。
つまり、茜の家に入れば、和火と遭遇する可能性が高い。
だから、家に入るのをためらってしまう。
和火自身でなく、彼の先祖である『タスク』の意志によるものだとしても、
告白をしてきた相手と会うのは気がひける。
(……あ)
じゃりっと砂を踏みしめる音がした。
そっと陰から玄関の方をのぞくと、くせのある黒髪が見えた。
朝の太陽の光に透けて、毛先が白い。
すらりと伸びた背が若竹のよう。
和火だ。
こざっぱりとした紺の着物に身を包んでおり、戸口を出ると、
どこかに歩いて行ってしまった。
その手には、竹刀が握られている。
素振りでもしに行くのかもしれない。
なんだか、拍子抜けしてしまった。
和火は、もっと、いや、少しは、告白のことを気にしているのかと思ったら、
いつも通りに見える。
歩き去っていく紺色の背中をもう一度見てみる。
しばらく寝付けない程、気にかけていた自分が馬鹿みたいだ。
でも、好都合だ。
今のうちに早く、茜に会って、はやく……帰ろう。
撫子は、重くなった心とは対照的に、早足で茜の家の戸口に急いだ。
*「もう―――!!
本当に、無事でよかったよ―――!!」
茜の家にこっそり入って、彼女に呼びかけた途端、半泣きで抱きつかれた。
茜は手に持っていた籠を後に放り投げて抱きついてきたので、
床に薬草が散らばってしまった。
最初は驚いて固まってしまったが、次第に温かいものがこみあげてきて、
そっと茜の頭を撫でてみた。
心配してくれたんだ、と思うと、申し訳なさと嬉しさがしわっと胸にしみた。
今にも号泣してしまいそうな茜をなんとかなだめて、
一緒に床に落ちた薬草を拾い上げる。
聞いてみると、撫子救出作戦は和火と慧の二人で秘密裏に行われていたようで、
危険だから、と茜は村に置いていかれたらしい。
茜は撫子誘拐のそもそもの原因となったお酒を飲ませ、さらに置いていかれたことで
ひどく責任を感じていたようだ。
「ごめんね、茜」
「私が言うことだよ、それ!!
っていうか、何があったの?
和火に聞いても、撫子が川に落ちたから回収に行った、ってしか言わないし。
いくらなんでも川に落ちたくらいで三日もかからないよね」
「………」
三日。
その短い期間の間に、いろんなことがあった。
色んなことを知ってしまった。
だけど、知らせたくない。
これ以上、他人を巻き込みたくない。
和火だけでなく、本格的に慧まで巻き込んでしまった。
これから、慧は白夜から命を狙われる可能性もあるだろう。
茜には何も知らないまま、笑っていてほしい。
「茜は……知らなくてもいい事だよ。
大丈夫だから」
「ねえ、大丈夫って何?
私には話せない?
私って、そんなに信用ない?」
「……信用、とかそういうのじゃないよ」
薬草を取る手を止めて、茜の目を見る。
それは傷ついた色を帯びていた。
なにかを我慢するように引き結ばれた唇。
茜を傷つけたことを悟り、とっさに耳あたりのいい言葉を探し、やめた。
何も思いつかない。
茜には無事でいてほしんだって言いたいのに、言ったら、
何から茜を守らないといけないのか話さないといけない。
「信用じゃなかったら、なに?」
「……」
答えられないまま、薬草はすべて籠の中におさまった。
茜の顔を見れない。
茜は無言で立ち上がると、籠を持って出て行ってしまった。
茜を怒らせてしまった。
もっとうまく言えばよかった。
唇を噛みしめて、撫子はのろのろと立ち上がった。
「……撫子さん?」
背後からいぶかしげな声が聞こえ、撫子は振り返った。
そこにいたのはクマのような大男。
「ゆ、ユウさん!?」
別の部屋から現れたのは茜のいいなずけ、ユウだった。
星祭が終わったら、自分の村に帰るのかと思っていたのだが。
しゃがんだままだったから、あわてて立ち上がった。
「どうしてここに?」
「茜と今年中に祝言をあげることになり、そろそろ同居しようとなりまして」
「な、なるほど……」
今、実際祝言、結婚した後の新婚生活の予行練習として、茜と同居しているのか。
やはりこちらの世界の文化は、撫子がいた世界とは少し違うようだ。
撫子なんて彼氏すら縁遠いというのに、茜はもうすぐ祝言、結婚しようとしている。
世界が違うなあと撫子は遠い目になった。
が。
「……も、もしかして、茜との今のやり取り、み、見てました……?」
おそるおそる尋ねると、ユウは困ったような顔をした。
撫子の背中にタラタラと大量の汗が流れる。
「すみません。
家の中にいると、どうしても聞こえてしまって……」
出ていくタイミングを見計らっていたのだろう。
申し訳ないやら情けないやらきまりが悪いやらで撫子はうめきをもらした。
「……茜の事、傷つけたいから、あんなこと言ったんじゃないんです」
撫子はうなだれた。
「茜には安全なところにいてほしいんです」
「撫子さんが、茜を守りたくてああ言ったのは、わかっていますよ」
撫子は思いがけない言葉に驚いて、ユウの顔を見上げた。
ユウは優しいような憐れむような目をしていた。
「茜も、落ち着いたらきっとわかります。
撫子さんの本当に気持ち。
だから、そう気になさらないでください」
「はい……!」
いい人だーーー!!と撫子は心の中で涙を流した。
こんな人を旦那さんにできるなんて、茜も幸せ者だ。
「そういえば……明日になったんですよね、撫子さんの夜番」
「え、あ、はい……?」
撫子が担当するはずだった夜番の日は、撫子が白夜に軟禁されていたので
明日の晩、担当することになったのだ。
しかし、何故、それをユウも知っているんだろう。
「おれも明日の晩一緒に夜番させていただくことになったんですよ」
「そ、そうなんですか!?」
「はい
よろしくお願いしますね」
ユウは、よその村から婿入りしてくる人だ。
つまり、撫子と同じ、よそ者。
村人の一員として認められるための夜番なのだろう。
「は、はい!!
こちらこそ!!」
言霊をいつ使うべきなのか、自分の中でまだはっきりとは定まっていない。
撫子は、微妙な心境の中、とりあえず笑顔でうなづいた。
*とぼとぼと慧の家に戻り、裏庭の方に回ると、慧が洗濯物を干していた。
それは、今まで自分の仕事だったので慌てて慧に飛びついた。
「け、慧!!
ごめん!!
私がやるよ!!」
「別にいい。
おれがやっとく。
たまにはおまえも休んどけよ」
慧はこちらを一瞥した後、そっけなくそう言った。
その手はよどみなく、洗濯物の皺をのばし、てきぱきと物干し竿にかけていく。
(……な、なんか、新婚夫婦の会話みたいだなって思ったの、私だけかな……)
「で、なにがあった?」
「ひえっ!?」
さっきの、チラッ、だけで、なにかあったことを察したらしい。
恐ろしい男だ。
観念して、撫子は、ぽつっとつぶやいた。
「いや……その……茜を怒らせてしまいまして……」
「茜が?
おまえにか?」
「うん……」
撫子はうなだれた。
その間にも慧の手は手際よく動き、小気味よい音をたてて、布が広がっていく。
「珍しいこともあるんだな。
あいつが、おまえに、なぁ……」
「はい……」
手持無沙汰なので、撫子も洗濯物を手に取って干し始める。
だが、なぜか慧のように手際よく干せない。
慧の方が手つきが慣れている。
「茜は怒らせたら、面倒くさいぞ
自分が認めるまで、がんとして折れねえ」
「……ですよね――……」
茜は芯の強い少女だ。
それは、逆に言うと、頑固だ、ということだ。
「どうしよう、慧……」
「知らねえよ」
「……うぅ」
慧はこちらを一瞥すらせずに言い捨てた。
撫子は視線を自分の手元に落とした。
やはり、自分でそのくらい解決しければならないな、と思っていたら、
慧がぼそっと口を開いた。
「何があったか、言ってくれねえと、わかんねえし」
「う、うん……」
話を聞いてくれるようだ。
なんだかんだ言って、面倒見のいい人だ。
撫子はさっき起こったことをぽつぽつと話した。
*「なるほどな……。
たしかに、そう言われたら、もしおれが茜だったら、怒る」
「ぅぐ……」
撫子はまたうなだれた。
でも、うまい言い方が見つからないのだ。
もっと口が上手い人に生まれていたらなあ、と思ってしまう。
「なんで、怒るの?」
「どうして信用してくれないのか、って怒る」
「え?」
「茜もな、まきこまれたいんだよ。
仲間外れにされて拗ねてるだけだ。
あんま、気にすんな」
「え、ええ……!?」
思わず手を止めて慧を凝視したが、
彼はやはりこちらを見ないまま、淡々と洗濯物を干していく。
「おまえは、間違ってない。
茜は術に秀でてはいるが、女だ。
どうしたって、力では男に勝てねえ。
白夜の野郎はおまえを手に入れるためなら、手段を選ばないだろう。
それで、茜が人質にとられたときがやっかいなことになる。
あいつは、足手まといだ」
「そんな言い方……!!」
「事実だ。
しかも、茜の術は治癒系統の方に秀でているから、余計に役に立たねえ。
だから……話さなくていい。
もうすぐ、祝言をあげるやつが戦いに身を投じる必要なんてねえよ」
言い方はきついが、兄として、茜には安全なところで幸せになってほしいようだ。
「そのかわり、おれが巻き込まれるから、それでいいだろ」
「……うん」
「んだよ。
なんか不満か?」
「……そんなことない」
むしろ、申し訳ない。
いや、命がけなのだから、申し訳ないなどという
薄っぺらい言葉で終わらせてはいけない程だ。
ますますうなだれて、撫子は、洗濯物をまた手に取って、広げようとした。
「なあ、ちょっといい?」
撫子の肩が大げさなほど揺れた。
この声。
和火だ。