7章 星祭です 続き
*「和火……私、強くなるって決めたんだ」
和火がいないことをいいことに、うわごとのように言葉が口から漏れる。
きつく自分の衣を握りしめる。
「強くなってみんなを守るって……。
守られてばかりじゃ、いられないって……」
涙ってどうやったら止まるんだろうとぼんやり思った。
あとから溢れて止まらないのだ。
視界がぼやけて前が見えない。
「こうしたら、和火はもうここに来なくなるでしょ。
そうすれば、和火は幸せになれるよね……」
そう必死に自分に言い聞かせる。
おかしいな。
自分はこんなに狭量な人間だっただろうか。
なんで、大切な人の幸せを願えなくなっているんだろう。
「そばに、いてほしいなぁ……」
ぼろぼろと熱いものが目尻からいくつもこぼれた。
唇をかみしめて、嗚咽が漏れないようにする。
会いたい。
声が聴きたい。
ばかなめこってまた呼んでほしい。
くしゃってなる、子供みたいな笑顔が見たい。
撫子って、名前を呼んでほしい。
「会いたい……会いたいよ、和火……」
それは、望んではいけないことで。
ありえないことで。
「なに馬鹿なこと言ってるんだろう……私……」
さしのべられた手を振り払ったのは、自分だ。
撫子は力なく自分を嗤った。
「………ああ、ほんと。
おまえ、なにすごく馬鹿なこと言ってるんだろうな」
え?
撫子は驚きすぎて息が一瞬止まってしまった。
とうとう聴覚がおかしくなってしまったらしい。
「おれ、そんなんじゃ幸せとかならないし。
勝手に決めつけないでくれる?」
なんで。
さっき、確かに和火は立ち去ったはずだ。
なんで、まだ声が聞こえる?
「おれさぁ……正直、おまえの意志とかあんまりに気にしてないし。
おまえが嫌って言っても、守るし」
まさか、どこかに行ったふりをして、
撫子が本音を吐露するのをじっと待っていた……?
まさか、まさか、今言ったこと、全部聞かれてしまったのだろうか……??
さぁーっと血の気が顔から引いていった。
無防備にも、会いたい、とか、傍にいてほしい、とか、
ものすごく恥ずかしいことを口走ってしまった気がする。
「もう来ないでって言ったじゃん!!」
泣き叫ぶような震え声で言ったら、一瞬和火は黙った。
これで、もう怒っただろうかと和火の反応を待つ。
「……めちゃくちゃ、むかつく」
よかった。
怒ってくれたようだ。
「……………大ばかなめこ。
怪我したくなかったら、後ろに下がってろ」
……はい!?
撫子は耳を疑った。
そうしているうちにも、壁の向こうから、刀を抜く鋭い音が聞こえた。
よくわからぬまま慌てて壁から距離を取ったら、
半拍後、部屋の壁の一部が轟音と共に破壊された。
撫子は、ただただ唖然としているしかない。
なんてむちゃだ。
結界ごと壁を叩き壊したらしい。
もうもうとあがる土煙の中から、数日ぶりにみる和火の姿が見えた。
彼の唇は、微笑んでいた。
それを見て撫子は心底震え上がった。
怒っている。
和火がめちゃくちゃ怒っている。
口だけは笑っているが、眉間のしわがマッチ棒を挟めるくらいに深い。
なんちゅう表情筋だ、と呆然としていると、
和火はつかつかとこっちに近寄ってきた。
「この大馬鹿なめこ!!」
「ひっ!
は、はいぃっ!!」
「立て!!」
「はいっ!!」
体育の集団行動のようになってしまったが、そんなことにかまっている余裕はない。
立ち上がった瞬間、右手首を掴まれた。
驚く間もなく今度は強く手をひかれてつんのめったが、和火が受け止めてくれた。
近すぎる距離にいつもならときめいたりするかもしれないが、今はただ恐怖しかない。
「おまえが、すげーどうでもよくてどうしようもないことをこれでもかというくらいジメジメうじうじ考えまくって、自己嫌悪に落ちるところまで落ち続けて、挙句の果てにぐずぐずと泣いているガチな方の細菌類の大馬鹿なめこなのはわかった。よ―――くわかった」
「は、ひゃい!!
まじなめこです!!」
……あまりの恐怖にわけのわからない返答をしてしまった。
和火はせっかくきれいな顔をしているというのに、怒れる不動明王へと化している。
撫子は、和火の眉間にひとさし指で軽く触れた。
「……ん?」
「し、しわ、できてるよ……?」
和火は一瞬目を見開いたが、すぐに顔を険しくした。
「べたべた触るな!」
「べっ、べたべた!?」
つんっとしか触っていないし、そういう和火の方が触っている、という反論は
和火の般若のような表情にもろく崩れ去った。
……まさか、照れ隠しだろうか。
「もういい。
……帰る」
和火は、ため息をつきながら、手にしていた刀を鞘に納めた。
そして、いきなり低くかがむと、撫子の膝裏と腰に腕をまわして、
やや乱暴に彼女を抱き上げた。
あまりの早業に、抵抗できなかった。
強制的に連れて帰る気なのだと悟り、撫子はあわてて声をあげた。
「和火!!だめ!!
殺される!!
死んじゃうよ!!」
「死なないし」
和火は、自分が生み出した部屋の穴をくぐって部屋を出て、勢いよく走りだした。
撫子が閉じ込められていた高床式倉庫のような部屋がどんどん遠くなっていく。
「和火ってば!!
今ならまだ……!!」
「だいたいおまえさ……なんなの。
おれに会いたいなら、会いたい、って言えよ。
傍にいてほしいなら、傍にいて、って言えよ」
急な話題転換とその内容に、撫子はあんぐりと口を開けた。
「……いらない、とか二度というなこの大ばかばかばかばかばかなめこ!!」
「ひっ、はひぃっ!!」
信じられないが、和火が拗ねている!!
どうやら、先程の拒絶の言葉に少なからず傷ついていたらしい。
「……ちっ」
耳元で舌打ちまでされてしまった。
だが、それは撫子に向けられたものではないようだった。
「いたぞー!!」
「侵入者だ!!」
「追え―――!!」
追手が来た。
複数名の足音が聞こえる。
捕まったら、撫子はともかくとして、和火の命はない。
「和火!!
私を降ろして!!
私がおとりになるから、その間に逃げて!!」
「……ばか」
和火は少しだけ撫子を抱く腕に力をこめた。
言葉よりもはるかに雄弁なその行動に、こんな時だというのに泣きそうになった。
どうすればいい。
今こそ、言霊をが必要な時なのだろうか。
「射かけよ―――っ!!」
背後から掛け声が聞こえた。
次の瞬間いくつもの風を切る音と共に、雨のように矢が飛んできた。
行く手に鈍い音を立てて地面に突き刺さるのを見て、ぞっとした。
やはり、白夜は和火を殺すつもりだ。
どうしよう。
どうしよう。
言霊を使うべきなのだろうか。
本当に、今がその時なのだろうか。
迷っている撫子の目の前で、和火の肩に一本の矢が突き刺さった。
ピッと血が頬に飛び散った。
「和火!?」
「……平気だから、おまえはじっとしてろ」
うめきもせずに、和火は肩の矢にかまわず走り続ける。
「……慧のやつが、そろそろなんとかしてくれるから」
和火がそういった瞬間、背後を目がくらむほど強い電光が走り抜けた。
続いて地面を揺らすほどの轟音が鳴り響いた後、矢が飛んでこなくなった。
「慧!?」
「先に行け!!」
姿は見えないが、慧の声が確かに聞こえた。
いいのだろうか。
慧をこのまま置いて行ってもいいのだろうか。
慧は……死なないだろうか。
そんな心配をしている撫子を抱えたまま、和火は無言で走り続けた。
和火は、慧にもらったらしい特別な術式が描かれた紙切れを使って
空間移動を行った。
しかし、慧が紙切れに込めた霊力は、
慧の村にたどりつけるほど多くはなかったようで、気づけば見知らぬ森の中にいた。
水音が聞こえるあたりから、近くに川があるのだろうと推察できた。
もう白夜の気配が感じらないのならどこでもよかった。
空はすっかり闇に覆われ、星が木々のすき間から見える。
撫子は急いで和火を木の根元に座らせると、その肩から勢いよく矢を引き抜いた。
血が少しとびちった。
和火は呻きすらしなかった。
手がどうしようもなく震えた。
毒矢ではないようなのがせめてもの救いだった。
もしそうなら、和火は死んでいたかもしれなかった。
その可能性に手が震えまくってどうしようもない。
ここは、安全な元の現実世界じゃないことを、いやというほど思い知らせれた。
こんなに時間がたっても、
まだ異世界に来てしまったことが信じられなかった自分がいた。
「ごめん……」
和火は、撫子を助けに来たから傷ついた。
無茶もした。
そして、和火の手をとってしまった。
それは白夜との契約を無効にする行動だ。
和火の手を振り払いきれなかったから、
元の世界に帰るための唯一と言ってもいいほどの方法を失ってしまった。
「ごめん、和火……」
全部全部、私のせいだ。
あのとき、言霊を『話す』べきか迷ってしまったから、和火は今、血を流している。
手にした矢がかたんと小さな音を立てて地面に落ちた。
「……顔、上げろよ」
撫子は唇をかみしめた。
なんでこんなときに優しい声を出すのだろう。
被害者は和火じゃないか。
加害者の撫子をもっと責めればいいじゃないか。
「撫子」
優しい声に促されて、撫子は顔をあげた。
熱を宿した紫の瞳と正面から視線が交わった。
「おまえに伝えたいことがある」