7章 星祭です 続き
*「……けふっ」
軽くむせながら目覚めた。
さっきのは夢だったようだ。
少しずつ、夢と現実の境目があいまいになっている。
首が痛い。
白夜に首を絞められたのだっけ。
だが、痛みを感じるということは、生きている証だ。
撫子は緩慢な仕草で瞬きをくりかえして、まつ毛に残る涙をはらった。
まだ、死ぬわけにはいかない。
和火を元の世界に帰さなければ。
だが、白夜はそう簡単に自分を殺したりはしないだろう。
撫子は身を起こしながらそう思った。
何故なら、セナを取り戻したいから。
おそらく、こうやって過去の夢を見せるのは……。
いや、考えるのはやめにしよう。
撫子はのそりと寝具から出た。
完全に籠の中の鳥状態だ。
食べて、寝て、夢を見て、自我が削られていく。
それと同時に、過去の断片を手に入れ、
過去の謎と闇に少しずつ近づけている気がする。
撫子は盆の上にある、新しい食事の数々を見た。
いつのまにか食べ終わったものは下げられている。
綺麗に盛り付けられた料理がそこにはあった。
だが、全く食欲がわかない。
今、欲しいのは、人だ。
食べ物なんかじゃない。
人?
誰に会いたいんだろう。
ぽちゃっと目から水が落ちた。
涙だ。
気づくのに数秒かかった。
「……あ」
止まらない。
いくつも流れて床に落ちる。
私の哀しみの欠片。
「……はは」
口から乾いた笑いが漏れた。
何をやっているんだろう、自分は。
化物からクラスメートを守ろうとしたら、巻き込んでしまった。
白夜に彼を殺されそうにもなった。
慧にも、茜にも、迷惑をかけた。
霊力を持たぬ者にとって、生きるには過酷な世界。
彼を、帰したいと思った。
もとの温かい世界に。
私は、帰りたくないと思った。
あんな冷たい世界には。
もう拒まれたくない。
独りになんかなりたくない。
でも、巻き込んだのは自分の責任だから、
こうやって白夜に自ら進んで囚われ、夢にも囚われている。
彼を元の世界に帰すために。
自我が削られて、セナが増えていく。
そうなれと望んだのは自分なのに、今こうして涙が止まらない。
何をやっているんだろう。
覚悟を決めたんじゃなかったのか。
でも心は、消えたくない、って、私は撫子だ、って、叫んでいる。
「……あ、はは……」
撫子は己の髪をぐしゃりと握りしめた。
本当に、何をやっているんだろう。
ずるずると力なく壁にもたれかかった。
「――――――――――――――――――撫子」
そのひそやかな声に、ここで絶対に聞こえるはずのない声に、
撫子はは目を見開いた。
嘘だ。
ありえない。
彼がここに来るはずない。
これは、己の心があまりにも望みすぎたために生まれた幻聴だろうか。
怖くて、動けない。
動いたら、この幻聴も消えてしまう気がしたから。
「……撫子」
撫子は息をのんだ。
また、聞こえた。
自分がもたれかかっている壁からだ。
撫子は、頬が壁に食い込むほど強く耳を壁に押し付けた。
もう一度。
もう一度、聞きたい。
壁の中に体がのめりこむんじゃないか、というほどさらに耳を押し付けた。
「……ばかなめこ。
いるんだったら返事ぐらいしろ」
「……か、ずひ……?」
情けないほど震えた声が出た。
神様。
どうか、夢幻でありませんように。
これが夢だったら、自分のどこかが確実に壊れる。
「やっと返事した……」
壁の向こうで和火が笑う気配がした。
これが夢じゃないと信じたいのに、信じられない。
「本当に、和火……?」
「なに?
おれじゃ不満?」
「なんで、来たの……?
ここ、すごく危ない所だよ……。
ねえ。
見つかったら、殺されるかもしれないんだよ……?」
和火は、ほぼ間違いなくタスクの子孫だ。
白夜も薄々それに気づいているようだった。
次は、今度こそは、白夜は和火をなんのためらいもなく殺すだろう。
「そんなの知らないし。
おまえがこんな所にいるから、迎えに来ただけ」
「む、かえ……?」
和火は、助けに来てくれたのだ。
ここから出られる。
もう自我を削られたりしない。
撫子、でいられる。
思わず、壁に手をついた。
和火がこの薄い壁一枚を隔てた向こう側に確かにいる。
「ほら、帰るぞ。
さっさと出ろよ」
でも。
この手を取ったら、和火はどうなる?
もしも見つかったら、殺される。
仮に見つからなかったとしても、和火は永遠に元の世界に帰る方法を失う。
自分のためだけに、和火の運命を左右してはいけない。
もう、巻き込まない。
「……和火、前、私に、おれはいらないか、って聞いたよね。
その時の答え、今、言うね」
「は……?」
壁の向こうからいぶかしげな和火の声が聞こえる。
そりゃそうだ。
なんでこんなタイミングで?と思っているに違いない。
でも、今だからこそ、言わなければならない。
撫子はできるだけ感情を押し殺した声を出すようにつとめた。
「和火なんか……いらないよ」
そばにいて。
「私ね、ここで暮らすことにしたんだ」
助けて。
「だからさ、助けに来た、とか、正直迷惑なんだよね」
違う。
「……帰って」
いかないで。
「もう二度と来ないで」
精一杯の突き放す言葉とは裏腹に、心の中ではそれと反対の感情が荒れ狂う。
和火はしばらくの間無言だったが、やがて彼が立ち去るような音がした。
少しずつ足音が小さくなって、消える。
体から一気に力が抜けた。
撫子は、壁に背を預けて、ずるずると崩れ落ちた。
これじゃあ、セナと同じ。
相手を思いやるあまり、本当の気持ちとは真逆のことを言っている。
本当は傍にいてほしいのに。
行かないでほしいのに。
言えない。
彼の幸せを壊してしまうから。
壊さないために、自ら手を振り払った。
これでいいんだ。
これで、うまくいく。
和火は殺されない。
和火は、元の世界に帰れる。
早く元の世界に帰って、幸せになって、私のことなんか忘れてしまえばいいのだ。
そう。
そう思っているはずなのに、どうして涙が止まらないんだろう。