~セナの記憶の欠片~
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
*私は勢いよく自室の床を蹴って立ち上がった。
タスクに会いたい。
なんでもいいから、彼の声が聴きたい。
戸を開けて走り出そうとしたら、思いっきり誰かにぶつかった。
「ひゃっ!?」
「うわっ!?」
私は体を強張らせた。
ああ。
この声をどれほど聴きたいと思ったことか。
抱きとめてくれた腕が、この体温が、なにもかもが愛おしい。
泣きたくなるほど。
「姫様、お怪我は!?」
優しいタスク。
自分が突進されたというのに、私のことを心配してくれる。
ふとタスクの手に巻かれている包帯が目に入った。
真新しい包帯。
いつもよりきれいに巻かれているような気がするのは気のせいだろうか。
もしかして、蝶姫が巻いてくれたのだろうか。
私は急に怖くなって、タスクから体を離した。
もし、こうして抱きとめられているのを誰かに見られたら、
タスクが不貞を働いたと疑われるかもしれない可能性を、
今更のように思い出したからだ。
「……大丈夫だよ」
本当は、全然大丈夫なんかじゃない。
婚約者とかそういうのはどうでもいいから、タスクに傍にいてほしい。
でも、それだと、タスクの幸せを壊してしまうのだ。
だから、わがままな言葉は何とか飲み込んだ。
「……ごめんね」
「昼に足首と頭をを痛めていたでしょう。
お加減は……?」
私はびっくりしてタスクの目を見た。
どうして、崖から落ちた際に痛めた場所を知っているのだろう。
期待してしまう。
本当は、助けに来てくれたんじゃないかって。
でも、期待して、それ以上に失望したくないから、聞けなかった。
「もう大丈夫だよ。
……白夜様に治していただいたから」
タスクはすっと目を細めた。
そして、私に向かって手を伸ばしてきた。
意図的に白夜様のお名前を出したというのに、タスクは私に近付こうとする。
彼の指が頬に触れる前に私は一歩後退した。
「タスク、蝶姫様は……?」
タスクを牽制するために、わざと彼を縛る娘の名を口にする。
だというのに、私は嫉妬のあまり悲鳴をあげそうになった。
タスクの指が私に触れずに静かに降ろされたから。
これでいいはずなのに。
そうなれと望んだのは自分なのに。
タスクに触れていいのは蝶姫様だけ……!!
その事実が胸をえぐる。
「……はやく、蝶姫様の元へ行って。
きっと盗賊に襲われてお心が傷ついていらっしゃるから。
……お慰めしてさしあげないと」
心とは裏腹の言葉が、口からするするとよどみなく出るのが不思議だった。
全然そんなこと、望んでなどいないのに……!!
ああ、気づいてほしい。
気づかないでほしい。
矛盾した願い。
どうか、どうか……。
「……申し訳ありませんでした、セナ様」
あ。
呼び名が、変わった。
タスクだけが呼んでくれる『姫様』から、ただの『セナ様』に。
「ですぎた真似をしました
……失礼いたしました」
タスクが静かに部屋を出ていく。
その足音が聞こえなくなってから、ようやく私は動けるようになった。
「待って……タスク」
踏み出した右足は、今日痛めたところで、鋭い痛みが走り、私は床に崩れ落ちた。
目尻から涙がこぼれる。
「……違う。
違うの……」
さっきのは、全部、嘘。
蝶姫様のところなんかに行かないで。
彼女の心配なんかしないで。
私、全然そんなこと望んでない。
ぱたっ、ぱたっ、といくつもの雫が床に落ちた。
「やだ……やだよ、タスク……」
傍にいて。
私を離さないで。
私だけを見て。
行かないで。
どうか、行かないで。
どれほど手を伸ばしても、指先に温もりは灯らない。
うたかたの夢と幻は指の間をすりぬけて、消えた。
~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
*撫子は涙に濡れた重い睫を震わせて、ゆっくりと瞼を開けた。
大丈夫。
自我はまだ保てている。
自分は、セナじゃない。
撫子だ。
そう自分に言い聞かせる。
だけど、これはいつまでできるだろうか。
和火を元の世界に帰らせるためには、
こうやって夢を見続けて自我を削り取られ続けなければならない。
涙をこぶしでぬぐって、のそのそと寝具から起き上がった。
撫子は、夢を見まいと、ぎりぎりまで起きることをやめた。
むしろ、自らすすんで眠るようにした。
そうして夢を見ることによって、過去の謎が解き明かされるかもしれないからだ。
少しでも手がかりが欲しい。
そうすれば、何故、白夜がこの世界にまだ生きているのか、
どうしてセナに執着するのかわかるかもしれないからだ。
理由も何もなく、ただそう思う。
なんだか変な感じだ。
少し前までは、あんなにも夢を見るのが怖くてたまらなかったというのに、
今は、起きた直後もだいぶ落ち着いているし、
むしろ夢を見たいと思うようにすらなっている。
夢を見て、謎を解き明かしたという。
自分の中で知らない間に変化があったらしい。
少し離れたところに置いてある、食事が乗った盆を引き寄せると、
黙ってそれを食べ始めた。
今がいつなのか、どれほど時間が経ったのか、何もわからない。
ただ、咀嚼を繰り返す。
体力の温存のため。
無駄に意地を張って食事を摂らないわけにはいかなかった。
ただ、和火に会いたいなと思った。