7章 星祭です 続き
*気づいたら見知らぬ部屋の中にいた。
撫子は横たわっていた寝具から身をゆっくり起こした。
とたんに首の後ろに鈍い痛みが走る。
そうだった。
白夜にさらわれたのだった。
あの声は、白夜で間違いないだろう。
手足は縛られていなかった。
(逃げられないと思われたのかな……)
なめられたものだと思っていたら、撫子はわずかに目を見開いた。
部屋の周囲に幾重もの結界が張られていることに気付いたのだ。
その数十枚。
この数だと、たとえ言霊を使って破壊したとしても、
全部破壊する前に撫子の霊力が先に尽きて気絶してしまうだろう。
道理で手足を拘束してこなかったわけだ。
これでは逃げられない。
(和火は、大丈夫かな……?)
慧たちも探しに来て、巻き込まれたりしなければいいのだが。
唇をかみしめたとき、ふいに結界が揺らぐのを感じた。
さっと顔を上げると、部屋に入ってきた者と目をが合った。
白夜だ。
「目覚めたのか、巫女姫」
数週間ぶりに見る白夜は、やはり人形じみた美しさをもつ笑みを浮かべていた。
彼は上品に衣の裾をさばきながら、こちらに近寄ってきた。
そして、警戒して体を強張らせながら寝具に座り込む撫子の前に白夜は膝をついた。
「御身に不調はないだろうか?」
白夜の血のように紅い瞳を覗き込んでも、その奥にある感情は見えなかった。
紅いはずなのに、底知れない闇を覗き込んでいるような。
この人は、危うい。
そう本能が告げた。
例えるなら、極限まで張りつめた絹糸のような。
いつ切れてもおかしくないような。
「そっちが……気絶させてきたくせに」
「先程の非礼は詫びよう。
だが、ああでもしなければ、巫女姫は暴れたであろう?」
そう言うと、白夜はごく自然な動きで撫子の顎をとった。
あまりに自然だったので、反応が遅れた。
「っ!?」
「……あまり、同化が進んでおらぬ。
いかようにして夢見を拒んだのか」
目をみただけで、撫子が過去の夢をしばらく見ていなかったことがわかったらしい。
白夜は、やはり恐ろしい人だ。
「そうよな。
見返りがなければ、己を差し出そなどとは思わぬか。
……では、巫女姫。
取引をしよう」
「……とり、ひき」
撫子は眉をひそめた。
ギブアンドテイク。
利を得る代わりに、相手にも何かを差し出さなければならない。
撫子は緊張して、白夜の言葉を待った。
「巫女姫とあの少年は、異界より来たれしまれびとであろう?」
何が言いたいのだろう。
いぶかしく思いながらも、撫子は素直にうなづいた。
うそをついても、おそらく白夜相手だとすぐにばれるからだ。
「私があの少年を、元の世界に帰そう」
撫子は目を見開いた。
元の世界に帰す……?
和火を……?
「その代わり、巫女姫にはこのまま夢を見続けてもらう。
そして、永劫この世界に私といていただこう」
自分がこの世界にとどまれば、和火は元の世界に帰れるのか。
自分さえ我慢すれば、和火はいつもの生活を取り戻せる……?
用意していた取引を拒絶する言葉は口の中で霧散した。
白夜の指が撫子の顎を離れ、すっと頬をすべる。
「どうであろうか?
悪い話でもあるまいて?」
予想外の提案だった。
誘いをはねのけられない。
気持ちが揺らぐ。
これまで、全くと言っていいほど元の世界に帰る糸口が見つからなかったからだ。
するりと白夜の手が離れた。
「まあ、ゆっくりと考えてほしい。
結界も一つだけにしておこう」
白夜が立ち上がった。
そして出口の方へと歩き出す。
「別に逃げてくださっても構わぬが、その時はこの取引はなかったこととなる。
お忘れなきよう」
つまり、逃げたら、和火は現実世界に帰れなくなるということだ。
軽い音を立てて戸が閉まった。
かすかな音をたてて数十もの結界が一重のみになったのを感じた。
あるかないかの結界。
簡単に壊せる。
だけど、撫子は動けなかった。
取り引きと言う名の見えない鎖に縛られて。
こうして、また、夢に囚われていく。